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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第20巻 如意宝珠 未の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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鬼雲彦、鬼熊別は神軍の善言美詞にフサの国に逃げて行ったが、鬼熊別の妻・蜈蚣姫が三国ヶ岳に隠れ、聖地桶伏山の神宝を略奪した。
言依別命以下の活動の結果、再び神宝は聖地に帰った。
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三月三日の弥生の春も夢と過ぎ、奥の一間に王仁始め、三男一女の筆将は、共に神助を蒙りながら、五つの身魂は睦まじく、五六七の神の永久に尽きない物語。
八千代の君の瑞光を心の空に輝かして現れた瑞月が、卯月の六日より数えて三日の光陰を、神のまにまに述べ伝える。
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01 01 〔663〕
言依別命は、神素盞嗚大神の命を奉じて、照山と桶伏山の間に貴の御舎を仕え祀って国治立大神、豊国姫大神の霊を鎮祭した。
これを錦の宮という。玉照彦、玉照姫は幼時より神人に秀で、神格勝れ、救世主として尊敬を集めた。
言依別命は錦の宮を根拠として自転倒島の総統権を握った。コーカス山、斎苑の館と相俟って、天下修斎の神業を世界に拡げることになった。
高姫、黒姫、松姫も身命を三五教に奉じて、世界を渡り歩き、神徳を拡充することになった。
元照彦の御魂の再来である天の真浦は、錦の宮のことを聞くと、きこりをやめて聖地に訪ねて来て、言依別命より宣伝使に任命された。
真浦は神徳宣布の旅に出て、人の尾峠の西麓に着いた。真浦は雪に悩まされながら、熊のつけた獣道をたどっていくと、道の傍らに一軒のあばら家に灯りがともっているのが見えた。
真浦が外で屋内の様子をうらやんでいると、あばら家から真浦を中に招き入れる声がする。厚意に甘えて中に入ると、あばら家に居た二人は、真浦の身ぐるみを剥ごうとしていた。二人はバラモン教徒だと名乗った。
しかし真浦は、二人が三五教の駒彦、秋彦に似ていることに気付く。二人はバラモン教徒の振りをして、真浦を試したのだということがわかった。
真浦は駒彦、秋彦とともに武志の宮を祀っている浮木の里に着いた。三人は社務所で休んでいると、この宮に仕える松鷹彦と出合った。三人は、バラモン教を言向け和すために、バラモン教の司・友彦の館に案内するように松鷹彦に頼み込んだ。
道中、駒彦と秋彦は、突然真浦を抱えると崖の下に投げ落とした。松鷹彦は驚くが、駒彦と秋彦はこれも宣伝使の試練だと言う。松鷹彦は驚いて逃げてしまった。
駒彦と秋彦は、真浦が平気な様子でいるのを確認すると、試験に合格したと祝福して、またどこかへ行ってしまった。
真浦は一人雪を踏みしめて河原の茅屋にたどり着いた。そこは松鷹彦の家であった。松鷹彦は真浦の身を心配するが、真浦は逆に、駒彦、秋彦のお陰で腹に宝をいただいた、と述べた。
松鷹彦は翻然として悟り笑うと、三五教に興味を抱いた。真浦と松鷹彦は信仰についての問答で互いに親交を深めた。真浦は四五日逗留して、法話を聞かせた。
ある日、松鷹彦は漁をして真浦に魚を捕ろうと川に入った。しかし松鷹彦は川に落ちてしまった。真浦は婆に諭されて不言実行の教えに思い出し、松鷹彦を助け出した。
松鷹彦夫婦は、実地をもって不言実行の教えを真浦に教え、真浦は自ら裏の川で禊をなすと、松鷹彦の足の痛みを祈願によって治した。
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01 02 〔664〕
鬼雲彦の残党・友彦は、浮木の里にバラモン教を広めて勢力を保っていた。
松鷹彦のところへ、留公たち四五人の村人がやってきて、家にかくまっている三五教の宣伝使を渡せ、と言ってきた。
松鷹彦と村人が言い争っていると、奥から天の真浦の宣伝歌が聞こえてきた。留公たちはにわかに頭が痛くなり、逃げ帰る。松鷹彦は、ここの村人たちは質朴だが、理解力がないために誤った教えに頑なになっている、と嘆く。
松鷹彦と婆は、聞こえよがしに誰かこの村を救ってくれる者はないか、と会話する。天の真浦はそれを聞いてそっと里に向かって行った。
バラモン教の友彦のところへ、松鷹彦の家から逃げてきた留公ら村人たちが戻ってきた。そして、負け戦の報告をしているところへ、別の村人がやってきて、留公が逃げるときに、畑の芋の苗を踏み潰したと文句をつけた。
友彦はそれを聞いて、留公を一時破門した。留公は怒って、これからは三五教の見方をするのだと言って、出て行ってしまう。
本文
01 03 〔665〕
留公は友彦の処置を怒りながら、畑の芋を踏み潰している。そこへ天の真浦がやってきて、留公を咎めた。
そこへ、先ほどの畑の主がやってきて、留公の仕業を見ると、さらに怒って鍬を留公に振り下ろした。留公がよけると、鍬は天の真浦の宣伝使の足の小指を切り落としてしまった。真浦はとっさに指をひろってくっつけたが、逆さまについてしまった。これが「真浦」という名の由来だという。
男は平伏して真浦に詫びるが、なおも留公がからかうので、怒ってまた留公に鍬を振りかざした。
留公とその男・田吾作は芋争いをしているが、天の真浦は、いずれにしても神様の御魂が宿っている万物一切を粗末にしてはならない、と二人を諭す。留公は翻然として今までの罪を田吾作に詫び、二人は和解した。
天の真浦はバラモン教を言向け和そうと村を目指すが、留公は、バラモン教の宣伝使・友彦が逗留しているのは自分の館であるが、深い溝が掘ってあるので注意するように、と宣伝使に伝える。
留公は、最初は立派な宣伝使だと思って村に留めたのだが、友彦の言行が一致しないこと甚だしく、まるで主人のように我が者顔に振舞っている、と窮状を真浦に訴えた。
留公と田吾作は、三五教に改心することなり、三人は友彦が逗留する留公の屋敷に乗り込んだ。留公と友彦は激しく言い争うが、友彦は最後は言霊によって留公らを撃退しようと、宣伝歌を歌いだした。
それに対抗して、留公も口から出任せの宣伝歌を歌って返す。しかしその様子のおかしさに、友彦も田吾作も笑い転げた。
本文
01 04 〔666〕
田吾作も鍬を杖につきながら留公の傍らに来て、友彦征服の宣伝歌を歌い始めた。
次いで天の真浦が宣伝歌を歌った。三五教の神の由来から、自分の出自、そしてこの宇都山村の里にやってくるまでの経緯を歌いこみ、留公・田吾作との邂逅を述べ、お互いに元は天地の分霊であり、神はひとつである、と友彦に改心を呼びかけた。
友彦は宣伝歌の言霊に驚いて一目散に逃げてしまった。
これより、天の真浦は里人に歓迎され、松鷹彦の茅屋に逗留することになった。
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02 05 〔667〕
松鷹彦は婆が川にはまって亡くなって以来、呆けたように川釣りにのみ日を暮らしていた。そこへ、夫婦の修験者が通りかかり、声をかける。
二人の修験者は、バラモン教の宗彦・お勝であった。二人は松鷹彦が釣り上げた川魚の亡き骸に手を合わせて拝み入った。松鷹彦は驚いて、涙を流し、すごすごと自分の茅屋に帰って行った。
宗彦とお勝は川辺の茅屋に気づいて、戸を叩いた。そこは松鷹彦の家であった。松鷹彦は中から、自分は三五教の信者で、村人も以前はバラモン教だったのが皆三五教に改心したのだから、本来はバラモン教に入ってもらうことはできない、と言う。
しかし、婆を亡くしてその霊前に供えるために毎日川魚を捕っていたのだが、そのことについて聞きたいことがあるから中へ入るように、と宗彦とお勝を招いた。
宗彦はこれを聞いて、バラモン教でも三五教でも、道理はひとつのはずなのに、本来は入ってもらうことはできない、などというのは排斥だと腹を立て、立ち去ろうとする。
松鷹彦は、そう怒らずに話を交換しようと言う。お勝も一服しようと促した。松鷹彦はお茶を汲んで出す。そして、二人が巡礼になった訳を聞いた。
宗彦は、来世が恐ろしくなってきたので、自分の犯してきた悪業の罪滅ぼしのために巡礼となったのだ、と語った。前妻の幽霊に悩まされて、お勝を置いて家を飛び出したのだが、旅の途中に自分を追いかけてきたお勝にばったり出くわして、一緒に巡っているのだ、と言う。
しかしお勝は、先に巡礼に出たのは自分であり、それを宗彦が追って来たのだ、と明かすと、宗彦は真っ赤な顔で俯いてしまった。松鷹彦は笑って、二人を羨ましいと言う。三人は四方山話に興じている。
そこへ、留公と田吾作がねじり鉢巻でやってきて、バラモン教の巡礼をかくまっているだろう、と血相を変えて松鷹彦を問い質す。そして、武志の宮の神主がバラモン教徒を家に入れたと非難する。
留公は宗彦に、この村でバラモン教は禁止だから出て行け、と言う。宗彦も、自分は巡礼であって宣伝なんぞはしない、と返して、ただ今女房に肘鉄砲を食わされて、談判をしていたものだから、と答える。
留公は面白がって話に入り、宗彦・お勝をからかいだす。田吾作も、自分も女房が欲しいのだが、誰か適当な女性はないものか、と脱線する。
宗彦は翻然として、身に着けていたものを川に投げ込んでしまい、生まれ赤子になって女房とも別れよう、と言い出す。しかしお勝も同じように、所有物を捨てて改心を示した。
留公と田吾作は、二人のために服を調達した。松鷹彦はこれも三五教の感化力のおかげだと喜ぶ。
本文
02 06 〔668〕
松鷹彦は川漁をさっぱりと止め、武志の宮の社務所に移転して、宗彦・お勝とともに神に仕えることとなった。
田吾作とお春は、松鷹彦の話を聞くべく、参拝の後に立ち寄った。田吾作は、松鷹彦が神主に専念するようになってから、村がうまくいくようになった、という。そして、村人が、宗彦とお勝を養子にして後を継がせたらどうか、と話題にしていると伝えた。
お春も老後の面倒を見る者がいた方がよい、と勧めるが、松鷹彦は固辞する。田吾作は、松鷹彦には子供は無かったのか、と問う。
松鷹彦は、自分は紀の国の者だが、昔悪者が横行した時代に、二人の息子と一人の娘を奪われてしまい、生き別れになってしまったのだ、と明かした。それから十五六年前にこの村にやってきて、村人の情けで婆と暮らしていたのだ、と語る。
宗彦はそれを聞いていて、実は自分も元は紀の国生まれだと聞いているのだが、幼い頃に悪者にさらわれてきて、岩窟に閉じ込められていたのだ、と明かした。そして、兄弟がやはり三人いたこと、立派な神様に岩窟から助けられたが、その神様から浪速の里に出て苦労せい、と命じられたことを語った。
松鷹彦は自分の子供には、腋の下に、梅の花の形の痣がある、と語り、宗彦に痣がないか聞いた。宗彦は痣を見せる。松鷹彦は、宗彦が自分の息子・竹彦であることを知った。
松鷹彦と宗彦は、思わぬ親子の対面に、感動の涙に咽んでいる。松鷹彦は、娘のお梅には、へその上に三角形に並んだ三つの黒子があるはずだ、と言う。それを聞いたお勝は、心当たりがありながら、宗彦と夫婦となってきたことから、名乗りもならずにひとり心を痛めている。
田吾作は感動の対面にはしゃぎだした。松鷹彦が、まだしばらくは村人に言ってくれるな、と止めるのも聞かず、おめでたいから村中でお祝いをするのだ、と飛び出した。
田吾作は真っ先に、天の真浦宣伝使に聞かせようと、逗留中の留公の屋敷に向かった。慌て者の田吾作の報告に、留公と真浦は混乱して話がかみ合わない。
そこへお春が追いついて、宗彦が松鷹彦の生き別れの息子であることがわかった、と報告した。その報告を聞いて、真浦は手を組んで思案にくれている。
田吾作は真浦の様子を見て、禊のときに真浦の腋の下にも、梅の形の痣があったことをはたと思い出した。田吾作は、松鷹彦のもうひとりの息子は真浦だと断定すると、今度はそのことを松鷹彦に注進するのだ、と武志の宮に駆け出した。
真浦は、まだそうと決まったわけではないと、留公に田吾作を止めてくれるように頼んだ。田吾作は慌てたはずみに崖下の畑に転落した。そこに留公がやってきて、自分の畑の麦をつぶした、と非難する。
ちょうどそこに松鷹彦が杖をついてやってきた。田吾作は、真浦にも梅の痣があることを松鷹彦に告げた。松鷹彦は半信半疑ながらも、何か胸に期するところがあるもののごとく、武志の宮に引き返して行った。
今度は真浦が、武志の宮に向かっていくのが見えた。留公と田吾作はその後を追う。
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02 07 〔669〕
松鷹彦が出て行った後、宗彦とお勝は庵に残された。お勝は、宗彦に暇乞いを切り出す。お勝は松鷹彦と宗彦の話により、自分が宗彦の生き別れの妹だということを悟り、気に病んでいたのであった。
そこへ松鷹彦をはじめ、田吾作、真浦、留公、お春らが四五の村人たちと共に、戻ってきた。松鷹彦は真浦の脇の下の痣を見て、確かに真浦が自分の生き別れの長男であることを確認した。
真浦は涙にくれるが、田吾作がその場の湿った雰囲気を吹き飛ばそうと、歌を歌いだす。その歌は、普段のひょうきんな様子に似ず、真面目な歌だった。
田吾作は歌の中に、お勝が真浦、宗彦の妹であることを歌いこみ、知らずに犯したのであれば、兄妹婚の罪も必ず赦されるだろう、と歌い込んだ。
田吾作の歌で、宗彦はなぜお勝が突然暇乞いを言い出したのか悟り、離縁を受け入れた。松鷹彦と真浦は、お勝が生き別れの身内と知って、驚きかつ喜んだ。
真浦は立ち上がり、悪魔の荒ぶ世の中に生き別れた一家が、再び再開できた歓びを、大神に感謝した。村人たちは武志の宮に集まり、祝いの宴に夜を明かした。
真浦はお春と夫婦になって、松鷹彦の後を継ぎ、武志の宮の神主となった。お勝は田吾作と添うことになった。
宗彦と田吾作は聖地に上り、言依別命に会って三五教の教理を体得し、世界いたるところに足跡を残して神業に参加した。後に二人は遂に神素盞嗚大神に見出されて、大宣伝使となるのである。
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02 08 〔670〕
宗彦は聖地に上り、言依別命から宣伝使に任命され、三国ヶ嶽に割拠する魔神を言向け和す任務を与えられた。武志の宮に奉告祭をなし、親子兄弟、村人たちに別れを告げて宣伝の旅についた。
村はずれには、留公と田吾作が先回りして待っていた。宗彦が来ると、二人は宣伝の旅に供として一緒に連れて行くようにと頼み込んだ。しかし宗彦は、宣伝使は一人旅だと行って断った。
二人は先回りして、明石峠の大滝に禊をしながら、宗彦が来るのを待っていた。宗彦は明石峠の大滝にさしかかったが、丹波霧にさえぎられて、二人が禊をしているのに気づかず、通り過ぎてしまった。二人も滝の音で宗彦が通り過ぎたことに気がつかなかった。
宗彦が明石峠の長上に着くと、一人の四十くらいの女が登ってきた。宗彦が訳を尋ねると、その女・お露は語って、夫の原彦という者が憑き物病で伏せっていて、その祈祷に滝に打たれに行くところだという。
宗彦はそれを聞くと、自分は宣伝使だから診てやろう、と言って村に案内してもらうことになった。村に着くと、相当に広い家があり、そこが女の家であった。宗彦が通されると、病人は次の間でしきりにうなされている。
家の者に病状を尋ねると、男はしきりに「田吾が来る、田吾が来る」とうなされるという。また、自分が過去に人殺しをした罪をうわごとに告白するのだという。
天罰だという村人に対し、宗彦は、誰でも心に知らずに罪を犯すものだ、と説いた。そして罪を憎んで人を憎まずと諭し、公平無私な神様は肉体を罰し給うということはない、と教えた。だからこれは、原彦が自らの罪のために苦しんでいるのだろうから、罪が取れれば本復するだろう、と診立てた。
宗彦は、むしろデモ学者やデモ宗教家がもっとも罪が思い、と説いた。なぜなら、神様からいただいた結構な魂を曇らせる、誤った学説や宣伝を為すからだ、という。
心の罪や、デモ学者・デモ宗教家の罪は、どうやって裁かれるのか、という村人の問いに対して、宗彦は、不完全な人間が、善悪や功罪の判断をつけることはできない、と説いた。神が表に現れて善悪を立て別けるのであるから、人間はただ、自分が最善と信じたことを貫くのが、天地経綸の司宰者としての本分だ、と説いた。人間の法律上の善悪は、あくまで有限的なものであって、神界とは矛盾している場合もあるのだ、と続けた。
すると次の間より病人が、田吾作赦してれ、と叫ぶ声が聞こえた。原彦は自問自答で怒鳴っている。宗彦は禊をして天津祝詞を奏上し、病人の枕頭で天の数歌を唱えた。
そして病人と問答し、田吾作という者の特徴を問いただした。宗彦はその答えで、田吾作とは宇都山村の自分の義弟・田吾作その人だと確信し、生きていることを原彦が知れば、全快するであろうとお露たちに告げた。
宗彦が休んで待っていると、留公と田吾作が家の戸を叩き、宗彦を探しに来た。宗彦はさっそく、田吾作を病人の間に連れて来た。田吾作は合点がいかなかったが、やがて原彦が、十三年前に橋の上で争った泥棒だということに気がついた。
その当時、原彦は、田吾作が持っていた玉を狙っていた。橋の上で争ううち、田吾作は濁流の大井川に落ちてしまったが、宇都山村の村人たちに助けられたのであった。
田吾作は、逆に自分の玉への執着のためにこのようなことになってしまったことを原彦に詫び、その玉を懐から取り出すと、原彦に手渡した。
それより原彦は回復に向かい、十日ほどですっかり健康になった。原彦夫婦や村人一同は、執着心から来る心の罪の恐ろしさを悟り、宗彦の教えを奉じた。熊田村はすっかり三五教を信じることとなった。
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03 09 〔671〕
宗彦、留公、田吾作に加えて、原彦が供をすることとなり、四人は三国ヶ嶽の山麓までやってきた。四人は、山麓を流れる深谷川のほとりでひそびそ話にふけっている。
留公は寒気がすると弱音を吐いている。宗彦から、帰ってよいと言われ、田吾作と原彦に、一緒に帰ろうと誘うが、断られる。留公は二人を罵りながら去ってしまう。
田吾作は、留公がいつになく臆病な様子だったので、これはきっと、逃げた振りをして我々の先回りをし、鬼の真似でもして驚かそうといういたずらの魂胆でしょう、と流した。
三人が川を上っていくと、向こう岸に四五人の男女が、熊の皮を干しているのが見えた。原彦が、三国ヶ嶽の鬼婆の岩屋を尋ねるが、皆言葉が話せない。ただ手振りで、川を渡って東へ行け、と指差している。
原彦が川を渡って向こう岸へ着くと、山人たちは逃げてしまった。田吾作は宗彦に勧めて、続いて向こう岸へ渡らせるが、渡った後に、実は登り道はこちらにあるのだ、とからかう。そして、熊の皮を全部取って来るようにと二人に言う。
仕方なく二人は、熊の皮を取って戻ってきた。三人は羊腸の小道を登っていくと、やや平坦な地点に着いた。すると突然、五六才と思しき三人の童子が現れた。一人は怒り、一人は泣き、一人は笑っている。
三人の童子の背後から五色の光明が輝いていた。田吾作はそれに気がつかず、原彦の手から熊の皮をひったくると、三人に着せて回った。三人は無言のまま、皮を脱ぐと下に敷いて座った。
宗彦は、三人が神様だと悟り、岩窟の鬼婆を言向け和すのに守護を頼んだ。しかし笑い童子はその依存心を笑い飛ばした。泣き童子は情けない、と泣いている。怒り童子は、難を避けて易きにつく心根を叱った。
三人は平伏して、取り違いを陳謝した。しかし三童子の説教は続き、三人が山人の熊の皮を奪ったことを責める。三人は平伏したまま返す言葉もなく、震えていた。半時ばかりして、麗しき音楽が聞こえてきたかと思い、ふと頭を上げると、童子の姿も熊の皮もなくなっていた。
さすがの田吾作も、反省の弁を口にする。宗彦は、三童子は我々の本守護神が現れて、戒めをなさったのだ、と説明した。田吾作と原彦はしばしおかしな問答を交わすが、宗彦に促されて山道を登っていった。
たちまち、右側の谷間から女の悲鳴が聞こえてくる。田吾作が様子を見に行くことになった。しかし戻ってきた田吾作によって、猿が喧嘩をしていただけだとわかり、三人は先に進むこととした。
本文
03 10 〔672〕
田吾作は、おかしな宣伝歌を出任せに歌いながら山道を登っていく。すると上から赤子に乳を含ませながら下ってくる妙齢の女があった。田吾作は山女に話しかけるが、女はただ笑っている。
三人は女についていろいろと議論していると、女は毛むくじゃらの獣の下半身を表して、山の上の方に歩み出した。少し行っては後ろを振り向き、三人を見ている。三人は、悪魔が正体を表したことを知り、敵地に警戒を強めた。
やがて日が没し、闇が辺りを包むと、猛獣の声や怪しい物音が間断なく聞こえてきた。原彦は肝をつぶしてしまう。田吾作は原彦の気弱をなじり、昔、原彦が自分の玉を盗もうとしたときの話をして気を保たせようとする。
耳の痛い話を持ち出されて、原彦は宗彦に話しかけるが、宗彦は眠ってしまっている。田吾作はさらに、当時の話を面白い節回しで歌いだした。すると、自分は鬼婆だという声が聞こえてきた。田吾作は、留公の作り声だとすぐにわかって、声に対して怒鳴り返す。
原彦はおびえているが、鬼婆の振りをした留公はどこかへ行ってしまった。宗彦も起きて、留公に似た声だったと言うと、宗彦・田吾作は寝込んでしまった。原彦は二人の間で一睡もできずに震えていた。
本文
03 11 〔673〕
夜が明けて三人が登っていくと、大岩窟と、その前に三四十軒の萱葺きの家が建っているのが見えた。
田吾作はさっそくほらを吹き始めるが、宗彦がたしなめた。この部落の人間は、岩窟に居を構えるバラモン教の蜈蚣姫が毒茶を飲ませて、話ができないようにしてしまっていた。
田吾作は、宗彦に村人の調査を任されるが、みな言葉が話せず、アアアと言うのみであった。三人が腰を下ろしていると、赤子を抱いた女たち数十人を従えた、容色の勝れた女が現れ、アアアといいながら北の谷間へ三人を招く。
この女は、玉照姫の生母のお玉であった。蜈蚣姫の手下にかどわかされて、毒茶を飲まされてこの山村に住まわされていたのであった。三人はお玉の顔を知らなかったが、後をついていった。
そこは、蜈蚣姫が拠点としている岩窟の奥であった。そこには鬼婆となった蜈蚣姫がいた。蜈蚣姫は三五教に対するバラモン教の優位をしきりに説く。三人は、蜈蚣姫が勧める毒茶を知らずに飲んでしまい、たちまち言語を失い、動けなくなってしまった。
蜈蚣姫はこのままバラモン教の修行をさせてやるのだと言って悦に入り、八岐大蛇に勝利を報告している。
そこへ、岩窟の入口に宣伝歌を歌いながらやってくる一人の男があった。また岩窟の奥からは、宣伝歌を歌う女の声が聞こえてきた。宣伝歌が響くと、三人はにわかに動き話すことができるようになった。蜈蚣姫は逆に身体がすくんでしまった。
入口に現れた男は留公だった。また、玉照姫は話せるようになっていたのだが、蜈蚣姫にそれを隠して、蜈蚣姫が奪った黄金の玉のありかを密かに探っていたのであった。
一行は、黄金の玉を取り返すと、硬直している蜈蚣姫をその場に置いて、宣伝歌を歌いながら山を下り、聖地に向かって戻っていった。
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03 12 〔674〕
聖地では、高姫、黒姫、若彦、紫姫ら幹部が集まって、夜もすがら秘密の話にふけっている。高姫は、元々青雲山から持ってこられて埴安彦が桶伏山に隠していた、黄金の玉がバラモン教に奪われたことを明かした。
高姫、黒姫、若彦は、その責任の所在を巡って言い争いになる。その声を聞きつけて、言依別命が部屋に入ってきた。
悠然としている言依別命に対して、高姫は、黄金の玉紛失の事態の責任を問う。しかし言依別命は、すべて神様の仕組がしてあるから大丈夫だと請合う。
そこへ、夜警の鬼丸から、お玉の方と黄金の玉が戻ったと注進があった。言依別命は祝意を表して立ち、宣伝歌を歌った。
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第一天国の天人の姿は、花の如く、黄金の如く、瑠璃光の如く、金剛石の幾十倍もの肌の色を保っている。たいていは有色人種であり、中でも黄色人種が多い。
これを第二、第三天国の住民から見ると、強い光が放射していてよく見ることができない。第二、第三の天国では人種ごとに団体を作っている。
また、宗教によって、至る天国はそれぞれである。それ相応の神業に従事し、歓喜に浴して天国の生涯を楽しんでいる。
どんな宗教も善を賞して、悪を良しとするような教えが含まれていない限りは、その信者はそれぞれの天国に昇る資格がある。しかし霊界の消息に暗く、倫理のみに堕している宗教の天国は最下方にあり、また信者が中有界に迷いやすい。
不信仰にして天国に至る者は、ごく小数である。しかし神や霊界の存在を知らずに天国に行った者は、たいへんにまごつく。
現界で熱心に信心をして神を唱えながら、中有界に迷ったり、地獄に落ちる者もある。また神仏商売の宣教者は、地獄に落ちる者が非常に多い。
天国の団体は、自分の団体が一人でも多くなることを望んでいるので、天国に来た人間に対して好感を抱き、歓待する。
天人は、男は三十歳前後、女は二十歳前後の姿をしている。人間の霊魂や情動は不老不死であるからである。そのため、霊界で自分の親子兄弟、知己に会っても、すぐにはそれと気がつかない場合がある。しかしよく見ればその面影が残っている。
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すべての人は、死後に天国浄土に昇っていく資格がある。これが神道で言う、神ごころ・大和魂である。また仏教で言う仏性である。
高天原の天人の男女が情交をなすと、霊子が因縁のある現界の男女に宿って、生を享ける者もある。
人の霊魂は至精至微である。過去現在未来の区別を知らずに生き通しである。幾万傲の昔から生死の途を往来し、善果を積んで人間として生まれるのである。
天国へ昇る神性をすべての人間が持っているのだが、根底の国へ落ちて苦しむ者があるのは、体主霊従・利己主義や、我生我執の雲に覆われて自ら身を破るのである。
天地を造った主の神は、極悪無道の人間をも天国浄土に救おうと、地に天の使いを遣わして、人々を神の教えに導こうとされている。
神の御眼より見れば、智者と愚者の区別はなく、一切平等に映じ給う。これが仁愛の心である。
現世の人は例のない聖代に生まれ合わせて、天国浄土の手引きを受けたことは、渡りに舟を得たようである。金剛不壊の宝珠を授けられた如くである。
そもそも人の心霊は、幸福以外のものに無感覚でであるように造られている。だから心霊は、無限の歓喜を永遠に享けるために造られているのである。
人の心霊の歓喜とは、一々のことをことごとく知って理解することに由って生じるのである。だからこの世に生まれて何も理解せず知らないまま生涯を送るほど、悲しいことはない。
死後の生涯に無知識であることは、悲哀の中の悲哀なのである。
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王仁DB (王仁三郎データベース、略してオニデビ)by オニド /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。凡例はこちら。/データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
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