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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第76巻 天祥地瑞 卯の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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この巻の総説においては、東西各国に伝わる、宇宙創造説や天地開闢説を列挙している。そして、天祥地瑞の宇宙創造・天地開闢と比較し、深浅・真偽の判別を意図している。
本文では、高千秀(たかちほ)の宮居に仕える八柱の御樋代(みひしろ)比女神たちが、紫微天宮の天津高宮(あまつたかみや)に参向し、主の神より、強雄な二柱の男神の派遣を得て筑紫の宮に帰ってくる物語、そしてその中の朝香比女の神が、顕津男の神を求めて単騎荒野ヶ原を打ち渡り、いたるところ曲津見の災いを打ち払いながら西方の国へ旅立つ物語が語られる。
本文
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言霊学上の見地から、皇典である古事記の本当の意義を解釈し、皇道の大本を一般に知らしめようとして、霊界物語を著述している。
天地開闢とか宇宙創造の説については、世界各地の宗教や歴史詩の中にあるけれども、太古未開の人の想像力から生まれたものが多く、どれもその真相を把握するのが難しい。
言霊学から見た天地開闢・宇宙創造の説と比べると、雲泥の差があることを明らかにし、霊界物語がかつてない神書であることを示すつもりである。
まずは、皇国日本の神話から例に挙げる。
日本所伝の天地開闢説
最初は天地・陰陽が別れておらず、万物がまだできあがっていないときの状態は、混沌として脂が大海原に浮かんでいるような、卵の黄身白身が散り混ざっているような、形も区別もない状態。
後に、軽くて清んだ気は昇って天となり、重く濁ったものは沈んで地となった。
天が高天原、地が国。その間は大虚(おおぞら)があった。
国がわかく、水の上に漂って固まらないとき、葦の芽のような物が成り出でて、萌えあがって大虚の中に現れた。これが、高天原に生り出でた最初の神、天譲日天狭霧国譲月国狭霧尊(あめゆづるひあめのさぎりくにゆづるつきのくにのさぎりのみこと)=天祖と申し奉る神である。
その後に自ずから化り(なり)出でた神々のうち、独りづつ化り出でた神々を独化天神と言い、二柱づつ化り出でた神々を倶生天神と言う。また別に化り出でた神々を別天神(ことあまつかみ)と言う。
天地が開け初めたときに、高天原に化り出でた神は、第一に天之御中主神、第二に高皇産霊神、第三に神皇産霊神。以上三神以下、五柱神までが独神(ひとりがみ)で、別天神と言う。
その次に国之常立神、豊雲野神の二柱が独神であった。以下十神は配偶の神々であった。以上、国之常立神から伊邪那美神までを、神世七代という。
支那の開闢説
太初には何も存在せず、気がもうもうと広がり満ちているだけだった。その中に物の生じる萌しがはじまり、やがて天地が現れた。
天と地は陰陽に感じて、盤古という巨人を生んだ。盤古が死ぬときに、その体がいろいろなものに変化して、万物が生まれた。たとえば、息は風になり、声は雷、左眼は太陽、右目は月、手足と体が山々、血は河、肉は土、髪・ひげを星、皮膚の毛は草や木、歯や骨は金属と石、汗は雨、等々。
また別の話では、盤古が成長して一万八千年の間に九万里もの背丈になったので、天と地がわかれた、といわれている。
また、地下界に根を張り、天界にまで達している巨大な木を「世界樹」といい、スカンジナヴィアを始め、世界各地に言い伝えがあるが、中国にも世界中の神話があった。
波斯(ペルシャ)の宇宙創造説
世界の初めには、アフラ・マズダという尊い神と、アングラ・マイニウという邪悪な精霊があった。アフラ・マズダは光明の世界に住み、アングラ・マイニウは暗黒の深淵に住んでいた。
アフラ・マズダはさまざま生物を造りだした。アングラ・マイニウはそれを邪魔しようと、自分の召使となる悪魔を造った。
両神は、争いの期間を九千年と定めたが、最初の三千年はアフラ・マズダの思うことが何でもかない、次の三千年は互いにかちあって何事もうまくいかず、最後の三千年でアフラ・マズダはアングラ・マイニウを征服することになっている。
善悪両神の争いによって、大地やさまざまなものが作られていく。アフラ・マズダはアングラ・マイニウからすべてのものを保護するために、ゾロアステルという預言者を創造して、この世に送り出した。
希臘(ギリシャ)の天地開闢説
ギリシャの神話は天地開闢であって、宇宙創造ではない。すなわち、世界は長い年月を経て次第に現在の状態になったのであり、創られたものではない。神々も世界の初めから存在していたのではなく、後からこの世界の中に生まれてきたものである。
第一にこの世界を支配したのは、ウラノス(天)とガイア(地)の二神であった。続いてクロノスとレアの治世(黄金時代)が、そして最後にゼウスとヘラがこの天地の主宰者となった。
それぞれ、前代の父神を倒して治世が交代したが、最後は正義の代表者ゼウスが勝利した。
エジプトの開闢説
世界の初めには、ただどろどろした水のようなものが果てもなく広がっていた。
その中に一つの神があった。神は自分の名前を「夜明けにはケベラ、日中はラア、夕刻はツーム」と名乗って現れた。そして、種種の神々や男と女、動物や植物が生まれた。
メキシコ・コナファ族の天地創造説
太初、ただどこまでも広がっている水があり、その中からいつとはなしに大地が現れた。大地ができると、ある日二人の鹿の男神と女神が現れた。
マヤ族の万物創造説
太初にはただ闇が広がっていた。そして、ただ神々だけが存在していた。一人の神が大きな声で、『大地よ、現れよ』と叫ぶと、たちまちその声に応じて大地が現れた。
最初に作られた人間たちは悪事をなしたので、滅ぼされた。次にとうもろこしの粉を練って男女8人の人間をつくった。
最初、人間は火を持っていなかったが、トヒル(ぶらつく者)という神が自分の両足をすり合わせて火を燃やし、人間に与えた。
トヒルは8人の最初の人間たちを率いて、太陽が見える地に導いた。人間たちはキシェ族の祖先となった。
ある日、キシェ族の前に神々が幻のように現れて、人間のいけにえを要求した。キシェ族たちは、近くの他の部落を襲い、激しい抵抗にあったが、神々の助けで打ち破った。
やがてキシェ族の祖である最初の人間8人のうち、4人の男は寿命が近づいた。男たちは子孫たちを呼び寄せ、別れの言葉を言った。たちまち4人の男は姿を消してしまい、あとに大きな巻束が現れた。キシェ族はその巻束を、「包まれたる厳の宝」と名づけ、決してそれを開かなかった。
北欧に於ける宇宙創造説
太初は空の空であった。そこにはただ、無限に広がる虚無の深淵があった。この深淵「ギンヌンガ・ギャップ」の北の果てには極寒の世界「ニフルハイム」があり、南の果ては極熱の世界「ムスベルハイム」があった。
極熱世界から飛び散る火花が、深淵の底にある氷を溶かして蒸気を生んだ。その蒸気が、極寒世界の冷たい風にあたって凝り固まり、氷の巨魔イミルと巨大な牝牛アウヅムブラが生まれた。
牝牛は氷の塩をなめているうちに、氷の中から神「ブリ」が生まれた。神は神々を生み、巨魔イミルはその敵となる巨人たちを生んだ。神の中でもオーディンが神の王者となった。
最後に神々は巨魔イミルを打ち倒し、その体から大地を造って世界の中心におき、また海や草木を作った。頭蓋骨から天蓋を造って、四隅を小人たちに支えさせた。
太陽と月は馬車に乗せて、それぞれ巨人の子に引かせた。
太平洋西北岸創造説
世界の初め、水だけがあった。天には銀狐と狼が住んでいた。狐は天に穴をあけて地に降り、小さな島を作った。狼もそこに降りてきて一緒に暮らした。
狐は島を踏み伸ばして、現在の世界のような大きな世界にした。狐は人間や動物、木や泉などを作っていった。狐と狼は議論の末、一年を春・秋・冬の三つの季節に区切った。
英領北亜米利加(アメリカ)創造説
天上世界には、ウィアンドット族が住んでいた。ある日、酋長の娘は天上世界の床を掘りぬいた穴から、りんごの木と共に下界に落ちてしまった。
娘は白鳥の背に助けられた。動物たちは相談の末、がまが落ちてきたりんごの木から土を取り、亀の背中に塗りつけて大地を造った。そして娘はそこに住んだ。
つぎに、大きな亀と小さな亀が天上に昇り、光を集めて玉にし、太陽と月になった。
阿弗利加(あふりか)神話
怠惰カメレオン(ベチュアナ族、バロンガ族、バスト族などに伝わる)
世界の初めに、ウンクルンクルという神さまががカメレオンを呼び、人間たちを不死にすると伝えるように言った。しかしカメレオンは途中で居眠りをしてしまった。
その間に、神の考えが変わってしまった。そして、蜥蜴に人間は死ぬようになると伝えるように言った。蜥蜴は居眠りをしていたカメレオンを追い越して、先に死の知らせを人間に伝えたため、人間はいつかは死ぬ者となってしまった。
兎の粗忽(ホッテントット族)
月が兎を呼び出して、人間を不死にすると伝えるように言った。しかし兎は間違えて逆のことを伝えたために、人間は死ぬ者となってしまった。
月は何故欠けるか
太陽が、月に腹を立てて、少しずつ小刀で見を削っている。しかし、月がなくなってしまってはかわいそうなので、小さくなると削るのをやめる。そして、月が回復すると、また削り始めるのである。
太陽の出現
昔あるところに、不思議な男が住んでいて、脇の下からまばゆい光が出ていた。人々は、男が眠っている間に男を大空へ投げた。男は仕方なく天上界に住むうちに、次第に体が丸くなり、太陽になった。
死の起源
昔、月が生き物たちを不死にしてやろうといったが、兎がそれを決して信じなかった。月は腹を立て、生き物を死ぬ者と定めてしまった。
ヘブライ天地創造説
神は始めもなく終わりもなかった。神が天地を創造する前は、世界は暗黒のみであった。
神は「光あれ」という言葉で光を創造することから世界創造の第一日を始めた。最後に人間をはじめ生物を6日目に作って、7日目には安息をとった。神は最初の人間アダムを楽園に住まわせ、その肋骨から伴侶のイブを作った。
パレスチン創造説
昔、神は土からアダムという人間を造った。そして、天使たちにアダムをあがめるように言ったが、イブリスという天使だけは従わなかったので、楽園から追い出されてしまった。そのため、イブリスはアダムを恨んだ。
アダムは両性具有に造られていたが、やがて男と女に分かれた。男はアダム、女はリリス、またはエル・カリネーと呼ばれた。
エル・カリネーはアダムにことごとく逆らったので、神の怒りをかって楽園を追い出され、イブリスの妻となった。そして二人の間にたくさんの悪魔が生まれた。
神はアダムの肋骨からエバを作った。二人は夫婦となって楽園で暮らした。しかし、イブリスは蛇の口を借りて、エバに、禁断の食物である小麦を食べさせた。神は怒って、アダム、エバ、イブリス、蛇を楽園から追い出した。
アダムとエバは離れ離れに地上に降されたが、アダムは罪を心から悔いていたので、天使ガブリエルが二人をアラファト山で再会させた。
ミクロネシヤ創造説
ナウリ島の創造説:天地ができるまえ、果てしなく広がる海に、年老いた蜘蛛が浮いていた。あるとき蜘蛛は、非常に大きな貝を見つけ、その貝の口を押し開き、中にいた2匹のカタツムリと地虫の協力で、貝を天と地とした。小さなカタツムリが月になり、大きな方が太陽になった。地虫の汗から海ができた。
マーシャル群島の創造説:ロアという神が、暗礁を陸にし、植物と島々を造った。
また別の創造説では、世界中から生まれた女が、天空神エラファズから与えられた砂を撒くと、大地ができた。
また別の創造説では、タブリエリックという神が鳥となって混沌の世界を翔け、リギという蝶が大地と海の上を飛んで二つを分かち、他の神々が天と大地を分けて上に押し上げた。
日月神話
ギルバート諸島:昔、神ナ・レアウが二人の人間、デ・バボウという男とデ・アイという女を造った。神は二人に、決して子供を作ってはならないといったが、二人は三人の子を産んだ。それが太陽、月、海となった。
註:この太陽・月・海を産んだ神話は、伊弉諾、伊弉冊の二神が天照大神、月読命、素盞嗚命を産んだという神話を連想させる。
人類の起源
人間は、昔天から降ってきた神の子である、または神の娘が水と一緒に小さな生き物を飲み込んで、人間の祖先を生んだ。また、神が樹に火をつけた火花と灰から、人間の祖先が生まれた。
インドネシヤ創造説
ミナハッサ島:海の中に岩があり、岩から鶴が生まれた。また、そのとき岩が流した汗から、女神ルミム・ウットが生まれた。女神は、鶴の助言に従って砂を撒き、世界を作った。女神は西風に体をさらしているうちに、一人の男の子を産んだ。母と子は別れて世界を廻るうち、お互いを見忘れてしまい、出会ったときに結婚してしまった。そしてたくさんの神々が生まれた。
中央ボルネオのカヤン族:天空から海の中へ大きな岩が落ちてきた。その表面が粘土に覆われ、虫に岩が噛み砕かれて砂土に覆われた。また、太陽から刀の柄が落ちてきて根をおろし、大きな樹になった。次に月から葡萄の蔓が落ちてきて、樹にまつわりついた。樹と葡萄が抱き合って、男の子と女の子が生まれた。二人が結婚して、カヤン族の祖先となった。
中央ボルネオ:世界の初めに一匹の蜘蛛が天から降りてきて、巣を作った。その巣に小さな石がひっかかり、だんだん大きくなって大地になった。天から樹が落ちてきて、そのあと葡萄が樹に巻きついた。すると、一人の男と一人の女が天から木の上に降りてきて、男は刀の柄を、女は紡錘を地面に落とした。刀の柄と紡錘が男と女になって、子供を産んだ。その子は体と頭を持っているだけで、手も足もなかった。その子がひとりでに子を産み、その子達が結婚してまた子供が生まれた。こうしていろいろな神々が生まれた。
蛇の頭の上の大地
東南ボルネオ:世界の初めには天空と海があった。海の中に蛇が泳ぎまわり、その蛇は光り輝く石をはめた黄金の冠を頭にかぶっていた。神はその頭に土を落とし、それが大地となった。
スマトラ島のトバ・バタク族:空に七つの世界があり、もっとも偉大な神ムラ・ディアディが二羽の鳥を召使として住んでいた。神は大きな樹を生やして天を支えた。神は、雌鶏の卵から生まれた3人の女と、神が作った3人の男を結婚させようとした。しかし、一人の男の顔は醜かったので、その男と結婚するはずだった女は下界に逃げた。神が男を水筒に入れて投げたので、ついに女は拒みきれず結婚した。それが人間の祖先となった。
スマトラ島のハイリ・バタク族:偉大な神バタラ・グルの妻がお産のとき、鹿の肉を所望した。神は召使と共に鹿を求めて行くうちに深い穴を見つけて入り、海に下り立った。神は光で闇を払い、持っていた土で大地を作った。
以上、古今東西各国の天地開闢・宇宙創造の説は、日本の皇典の所伝のほかは荒唐無稽なものである。天祥地瑞に比べて、天と地ほどの違いがあるのである。
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01 01 〔1918〕
太元顕津男の神が、国生み御子生みの御神業のために、高地秀(たかちほ)の宮(東の宮)をただ一人出立したそのあと、残された八柱の御樋代神たちは、天津高宮に詣でて宮の司となる神の降臨を願い出た。主の大神はそれに応えて、鋭敏鳴出(うなりづ)の神、天津女雄(あまつめを)の神、二柱を降して宮仕えを命じた。
顕津男の神の妻神・高野比女は天津高宮の大前に、感謝の歌をささげた。それに対して、鋭敏鳴出の神、天津女雄の神の二神は、顕津男の神の後任として高地秀の宮司として仕える抱負を歌った。
高野比女に仕える侍女神たちは、宮司の神の降臨に、祝いの神楽を催すように進言する。高野比女は喜んで、鋭敏鳴出・天津女雄の二神に、白幣(しろにぎて)・青幣(あおにぎて)、そして二振りの五百鳴(いほなり)の鈴を授けた。
二柱の宮司神は大地を踏み鳴らし、五百鳴の鈴をさやさやと響かせて、右手に持った白幣・青幣を打ち振りながら舞い踊った。
それを見た天津高宮に仕える百の神たちは、天地が一度に開けたような心地がして、喜び勇んだ。鳥たちは微妙の声で御神楽の拍子に合わせて歌い、天と人が和楽する境界を現した。主の大神も、天津高宮の扉を内側から押し開け、この光景をご覧になった。
侍女神たちはこの様を喜び、御神楽をたたえ、主の神への感謝と喜びを歌った。神々はそれぞれ歌を歌い、大御前に祝詞を奏上すると、天津高宮に仕える神々に別れを告げて、高地秀の宮に帰っていった。
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01 02 〔1919〕
高地秀の宮への帰り道、鋭敏鳴出の神は行進歌を歌いながら進んで行った。
すると、行く手に断崖の渓流が現れた。天津高宮への詣でのときにはこのような渓流はなかったので、一同は曲津神にたくらみであると悟った。そして、心身を清めて言霊で渓流を退けようと、まず高野比女が言霊歌を詠み始めた。
鋭敏鳴出の神は、言霊の限りを尽くして『ウーウーウー』と唸り出れば、渓流の水はたちまち雲となって天に上り出し、風になびいて東の空に立ち去ってしまった。
一同は鋭敏鳴出の神の言霊をたたえる歌を歌い、引き続き高地秀の宮へ進んで行った。
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01 03 〔1920〕
一行は、曲津神の妨げを見破り追い払い、行進歌を歌いながら進んでいく。一応は鋭敏鳴出の神のウの言霊を賛美する行進歌を歌っていく。
各々神々は歌を歌いながら進んでいき、狭別比女は、言霊歌によって黒雲を跡形もなく吹き散らした。
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01 04 〔1921〕
一方、鋭敏鳴出の神に吹き散らされた曲津神たちは陣容を立て直し、雲を次々と吐き出して重なり合わせ、延々数百里にもまたがる巖山を築き上げ、その前に千尋の谷川を作って一行を阻もうとした。
しかし、再び鋭敏鳴出の神が、千引巖を頭上の高く差し上げ、「うん」という一声と共に深い谷川の巖が根に打ち付ければ、巖と巖がぶつかってほとばしりでた火の光に曲津神は驚き退いてしまった。
紫微天界における火は、鋭敏鳴出の神の神の巖投げによって始まった。
曲津見の神たちは、火の光に驚き肝を冷やし、数百里の巖山も次第に影が薄らぎ、白雲となって空に消えてしまった。
さらに鋭敏鳴出の神の神は言霊歌により風を呼び、空に漂ってなおも日の光をさえぎっている曲津神の雲を晴らしてしまった。
一行一同は、鋭敏鳴出の神の言霊の神徳をたたえる歌を歌ったが、同時に、曲津神の根源が、百神たちの曇った水火(いき)が固まって生まれたことを悟った。そして、自分自身の心の曇りが高地秀の宮にも曇りを生んだことを悔いた。
高野比女は、鋭敏鳴出の神に先頭を、天津女雄の神に後方の守りを任せ、一行は春風渡る青野ヶ原を、駒に乗って東の宮への帰り道を進んで行った。
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01 05 〔1922〕
大野ヶ原を、一行十一人は、駒のくつわを並べつつ勇み進んでいく。
曲津神の妨害を退け、高地秀の宮も近づいてきた。一同は順番に旅の様子を述懐歌に歌いつつ、駒を進めていく。
野辺に一夜を明かして、翌日の昼には、無事に高地秀の宮に帰りついた。
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02 06 〔1923〕
春の陽気に桜の花が爛漫と咲き乱れる真昼頃、高野比女の神一同は、高地秀の宮居の清庭に駒のくつわを並べ、顔を輝かせて帰りついた。
留守を守っていた胎別男(みわけお)の神は、一同の無事の姿に喜び、長旅をねぎらおうと、諸神に命じて別殿に歓迎の宴の準備を始めた。
高野比女の神は大宮居の大前に禊祓い、感謝の祭典を行い太祝詞をあげた。その概要は:
掛巻(かけまく)も畏き紫微天界の真秀良場(まほらば)である高地秀山の岩底深く、宮柱を立て、高天原に千木が届くほど高く宮を構えて永遠に鎮まっておられる主の神、その大前に、御樋代の神である高野比女らは、謹んでかしこみかしこみも申し上げます。
そもそも、天界(かみくに)は、主の大神の広く厚い大御恵みと、赤く直く、正しい生言霊の神聖な威力によって鳴出でてできあがった国土である。
だから、わけ隔てなく大神の恩頼(みたまのふゆ)によって永遠に栄えるものであるし、大神の御恵みがなければ、立ち行かないものである。
そのことを深く悟り広く知って、ますますその偉大さを恐れ敬い奉ろうと、某吉日に万里の道を馬に乗って旅立ち、草枕の宿を重ねて、天津高宮に詣で奉った。
そこで、大神御自ら清く赤きご託宣を承り、一言も漏らさず肝に銘じて、その大御恵みをかたじけなく受け取らせていただいた。さらに、恐れ多くも主の神より、高地秀の宮居の宮司として、鋭敏鳴出(うなりづ)の神、天津女雄(あまつめを)の神の二神をお授けいただいた。
これで高地秀の宮居も栄えるだろうと思って嬉しく、おのおの御樋代神たちは玉の泉に禊を修め、感謝言を宣り、再び駒にまたがって大野ヶ原を帰り来た。
途中、多くの曲津神の妨害も、主の大神の深く厚き守りに、事無く乗り越えて、今日この吉日に帰り来ることができた。
その嬉しさの千分の一でも報い奉ろうと、海河山野さまざまの美味のものを、机に横山のようにいっぱいに置き並べて奉ります。
この様子をよろしくご覧になりご理解いただきまして、この宮居に仕える者たちが、主の神の大御心に違えたり逆らったりすることがなく、いただいた真言の光を照らして仕え、罪穢れ・過ちなく、よろしく仕えられますよう、かしこみかしこみもお願い申し上げ奉ります。
また、別に申し上げます。高地秀の宮居を真中として、四方にある未だ若い国土の国津神たちが、おのおの日々の業務を励み勤めて、緩んだり怠ったりすることがありませんように。この天界がさらにさらに拓き栄えますように。また、紫微天界の真秀良場である貴い御名を落とさないよう、皆が励んで活動できますように。たった一つの我が膝をおり伏せ、鵜のごとく首をついて、かしこくもお願い申し上げます次第です。
惟神霊幸倍坐世、惟神霊幸倍坐世。
高野比女の神は、祝詞を終わり、諸神とともに直会の席につき、しばらく合掌しながら、この旅を振り返る述懐の歌を詠んだ。
次に鋭敏鳴出の神が述懐の歌を詠んだ。すると、ちょうど桜の花びらが一枚、ひらひらと、朝香比女の神の持った盃の上に落ちてきた浮かんだ。
朝香比女の神は微笑みつつ歌を歌った。
背の岐美(きみ)の 清き心の一弁(ひとひら)か わが盃に浮ける桜は
背の岐美の 心と思へば捨てられじ 花もろともにいただかむかな
そして花びらの浮いた神酒をぐっと飲み下し、次の歌を歌った。
背の岐美の 深き心の花弁(はなびら)と 神酒諸共に飲み干しにけり
御樋代の神と選まれ 背の君の水火(いき)と思ひて 飲みし花酒(はなざけ)よ
斯くならば 吾は御樋代神として 岐美の在所(ありか)をたづね行くべし
そして、各御樋代神たちはそれぞれ、この旅が成功に終わったことを寿ぐ述懐の歌を歌った。
十柱の神たちは、大宮に詣でた報告祭を奏上し終わると直会の席についた。そして、今回の旅で学んだ言霊の真理を告白しつつ、各々の居間に戻り、休みを取った。
折りしも、吹き来る春風に、庭いっぱいの桜は雪のごとく夕立のごとく、算を乱して清庭のおもてに散り敷き、庭は一面の花筵となった。そこに名残を惜しむように数多の胡蝶がやって来て、低く舞い遊び戯れていた。
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02 07 〔1924〕
旅に疲れた諸神たちは各々眠りにつき、高地秀の宮居の広庭は水を打ったように静まり、小鳥のさえずる声のみが聞こえていた。
胎別男の神は神駒の疲れを休ませようと、外苑の庭に放して遊ばせていた。春風は花の香りを四辺に送り、いたるところおぼろのもやが立ち込めて、のどかな晩春の景色となっていた。
そんな中、ひとり朝香比女の神は、長閑な春の日に眠るのは惜しいと、清庭に立ち居で、心静かに歌を歌っていた。
晩春の景色を述懐していた朝香比女だが、その歌は次第に、旅立っていった顕津男の神への思慕に変わっていった。そして御樋代の神として顕津男の神をどこまでも探し追い求めて行こう、高地秀の宮居を旅立とう、という思いにまでなっていった。
その歌を耳にした胎別神は、大いに驚いて宮居に急ぎ帰り、他の御樋代神と鋭敏鳴出神、天津女雄の神に報告した。一同は驚いて外苑に出てきてみれば、朝香比女はすでに駒の背に倉を置き、片手に手綱を取ってまさにあぶみに足を掛けて乗り出でようとするところだった。
高野比女は急ぎ馳せよって駒のくつわを固く握って押さえ、出立をいさめる歌を歌った。
朝香比女は右手に手綱を取りながら、返答歌にて、顕津男の神への恋しさに、道にそむくと知りながらも、旅立つ心を押さえられない気持ちを伝えた。
高野比女は厳然として諭しの歌を歌うが、朝香比女はさらに強い自分の思いを返答歌にして返すのみであった。
朝香比女の神の勢いに驚いたその他の神々も、比女を思い止めようとさまざまに諭しの歌を歌うが、朝香比女はそのたびに自分の強い決意を歌にして返した。
最後に天津女雄の神がいさめの歌を歌うが、朝香比女は決然として別れの歌を歌い、駒に一鞭あてると、まっしぐらに夕闇の中へ旅立っていってしまった。
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02 08 〔1925〕
朝香比女の神は、顕津男の神を慕う狂おしい心に、御樋代神たちや宮司神たちのいさめを聞かず、白馬に鞭打ち、黄昏の空を東南指して駆け出でてしまった。
後に残された宮居の神々たちは、朝香比女の短慮を怒り嘆いたが、高地秀の宮居の聖殿に心静かに帰って朝香比女の神の旅の無事を祈るしかなかった。
一同は祭典の準備が整うと、鋭敏鳴出の神が宮居の司の務めとして、自ら高御座の大前にひれ伏し、声さわやかに、朝香比女の無事を願う祝詞を奏上した。
高野比女の神は御祭りの庭に立って朝香比女の行動を述懐し、皆のいさめを聞かずに飛び出した比女を「面勝神」と宣すが、無事を祈る歌を歌った。そして最後には、朝香比女の内に秘められた、激しく顕津男の神を思う心に思い至り、その心を汲むことができなかった自分を悔い、宣りなおした。
神々はそれぞれ、西方の国へ向かった朝香比女の無事を祈る歌を歌い継いだ。そして御樋代神の中には、「面勝神」である朝香比女が、実は曲津神をも糺す力を持った雄雄しい神であることを悟るものもあった。
最後に天津女雄の神は、朝香比女の雄雄しさに打たれ、西方の国魂神を生むべく旅立っていったその心をたたえた。
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03 09 〔1926〕
太元顕津男の神を探して、朝香比女の神はとある河辺に着いた。闇の中、駒に水をやりながら顕津男の神を恋うる歌を歌い、河を越える術を思いたたずんでいた。
すると、八十曲津神は、青白い大火団となって朝香比女のそばに来ると、目ひとつ口八つの怪物となり、口から蜂を吐き出しながら、襲い掛かってきた。
駒は驚いて河の中に飛び込んでしまったが、朝香比女は気丈にも八十曲津神を迎え撃つ歌を歌いかけた。
ますます襲い来る蜂と怪物に、朝香比女は一計を案じ、懐から火打ちと石を取り出して曲津神に向かって打ち出した。たちまちほとばしり出る真火の光に、曲津神は驚き、怪物の姿は煙と消えてしまった。
この勝利に朝香比女は勇気百倍し、火打ちを懐に収めると、両手を合わせて天に向かって感謝の御歌を歌った。
そのうちに日が昇り、かささぎの声が河辺に響いてきた。朝香比女は水馬の法に長けていたので、駒の背にまたがり、たてがみにつかまって河を泳ぎ渡り、激流をこえた。
朝香比女は感謝と馬の働きをたたえる歌を歌い、再び駒の背にまたがると、大野ヶ原の草原を東南指して進んで行った。
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03 10 〔1927〕
見渡す限り夏草が萌える大野ヶ原を進みつつ、朝香比女は馬上に歌を吟じながら進んでいた。昨日の曲津神の来襲と勝利をふりかえりつつ、顕津男の神への思いをつづっていた。
比女は駒をひらりと降りると、二本松の樹下にしばし休らった。どこまでも広がる青空の下の草原の木陰で休息を取った朝香比女は、顕津男の神への思いを述懐歌に歌った。
日のまだ高いうちに再び馬上の人となった比女は、栄城山を目指して進んだ。顕津男の神が、御樋代神もおらず、スウヤトゴルの大曲津神が待ち受けている西方の国へと向かったことを風の便りに聞き、かの地に思いを馳せた。
その日の黄昏頃、比女は栄城山に着いた。栄城山の神々たちは、御樋代神がやってくることを伝え聞いており、山麓の谷川の岸辺まで出迎えに来ていた。機造男の神、散花男の神、中割男の神、小夜更の神、親幸男の神の五柱、いずれもウ声の言霊から生る出でた神々だった。
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03 11 〔1928〕
栄城山の五柱の神々は、高地秀の宮居から使わされた雁の文によって、朝香比女の来着を知ったのであった。
朝香比女は、顕津男の神を追って高地秀の御樋城神の地位を捨てて来た自分の身の上を歌い、一夜の宿を乞うた。神々は各々歓迎の歌を歌って朝香比女を迎えた。
栄城山の中腹の休憩所に長旅の疲れを休めた比女は、旅の述懐歌を歌った。神々は新築の離れの宮居を比女の寝床とし、朝香比女は疲れに前後を忘れて寝入った。
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03 12 〔1929〕
暁を告げる山烏の声に、早朝目を覚ませば、栄城山の朝風は颯颯と吹き入り芳しく、大野が原に霧が棚引き日陽に映え、えもいわれぬ美しい景色であった。
比女はこの景色を歌に歌い、東に高照山、西に高地秀山を眺めては来し方を述懐し、顕津男の神への思いをつづった。
そのうちに、神々が迎えにやってきた。小夜更の神が奉った石楠花の花を見ても、顕津男の神への思慕を深くする比女であったが、神々の案内で、山頂の宮居の大前に上って行った。
栄城山の宮居の聖所に立った朝香比女は、顕津男の神自らが開いた宮居に感無量となり、声もさわやかに神言を奏上した。
比女の礼拝に聖所もいつになく晴れ渡り、その清清しさを栄城山の神々は述懐歌に歌い、一同は再びつづら折の山道を下って休憩所の八尋殿へと下っていった。
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03 13 〔1930〕
栄城山の五柱の神々は、朝香比女をねぎらおうと、八尋殿に集まってご馳走をならべ、にぎやかに歌い舞い、宴を張った。
機造男の神が歌を歌えば、四柱の神々は調子に合わせて足を踏み、手を打って舞い踊った。
朝香比女の顕津男の神への恋を歌った歌に、比女は恥ずかしがりながらも、顕津男の神への恋の思いを燃え上がらせ、今すぐにでも発って顕津男の神を追っていきたい、と歌った。
比女の思いの強さに、神々はその強さを驚きあきれ、またたたえる述懐の歌をそれぞれ歌った。
こうして無礼講を終え、朝香比女はもう一泊栄城山にとどまり、魂を養った後、翌朝駒に鞭を打って大野ヶ原へ出立した。
五柱の神々は別れを惜しみ、また旅の無事を祈る歌で比女を送った。比女は神々に感謝の歌を歌いつつ、もや立ち込める朝の大野ヶ原を進んで行った。
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03 14 〔1931〕
夕暮れ近くなったころ、前方に横たわる沼にさえぎられたところで、駒が突然一歩も動かなくなった。朝香比女はその様子を怪しんだが、ともかく休みを取って様子を見ようと、萱草の芝生に降り立った。
比女は萱草にどっかと腰を下ろして様子を見守っていたが、果たして駒は次第に後じさりし、驚きの声を上げて凶事を知らせるようなそぶりをした。
どうやら曲津神が罠を張って待ち構えていると察した比女は、火打ち石を取り出し、かちかちと打ち出だせば、枯草に燃え移って風に乗って広がり、沼の岸辺まで届いて止まった。
すると、辺りを包んでいた深い霧が晴れ、空も晴れ晴れとして月が地上に光を落とし始めた。これは、八十曲津神が比女の真火の功に傷つき追いやられた結果であった。
一度は退いた曲津神たちであったが、今度は比女を沼に迷い込ませて仇を取ろうと、第二の罠をはって待ち受けていた。
朝香比女は心落ち着き、広く広がる沼の岸辺に駆け寄って、波間に浮かぶ月影を眺めながら今の事件を述懐する歌を歌った。
ふと見ると不思議なことに、小石一つない沼の水際に、長方形の巌が横たわっていた。比女は言霊にて、主の神の恵みにより休み所となる巌を賜ったと歌い、まだ若い巌なので、舟にして沼を渡ろう、と歌った。
するとまた不思議なことに、比女は、巌がまるで柔らかい粘土でもあるかのように、中をえぐって舟の形を作り、天の数歌・言霊歌を歌った。たちまち巌舟は木の舟に変じ、自ずからするすると水際にすべり出た。
比女は駒と共に舟に乗り込み、沼の果ての岸まで渡り来た。そして、この舟は千引きの巌となって、永遠にこの岸辺にあるように、と言霊歌を歌うと、舟は元のような巨巌となって、水際に屹立した。
この巌を御舟巌という。そのうちに東雲の空が次第に明らみ、日が雲を押し分けて昇り来たり、沼の面をくまなく照らし渡った。
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03 15 〔1932〕
八十曲津神たちは、沼に変じて朝香比女を待ち伏せていたが、あべこべに比女の言霊に固められて、本物の沼となって大野ヶ原に永遠に横たわることになってしまった。また、曲津見の本体であった巨巌も、比女の沼渡りに逆に使われた挙句、御舟巌と固められてしまった。
その他の悪神たちは沼底の貝と変じて、わずかに命脈を保つことを許されたのみであった。
朝香比女は沼と巌に、魚貝を育てて国津神たちにを養う糧を生み育てることを命じて、東南方を指して進んで行った。
程なくして、国津神たちが住む集落にたどり着いた。国津神の長、狭野比古(さぬひこ)は、比女の前にひざまずき笑みをたたえ、高天原より降り来た女神に、飢えに悩む国津神を救ってくれるよう懇願した。
朝香比女は、湖水の魚を食べるように諭すが、狭野比古は、国津神は木の実を食べて生きるもので、魚は食べられない、と答えた。そこで比女は彼らに火を与え、魚貝を焼いて食べることを教えた。
国津神たちは、その美味さに先を争って魚貝を食べた。狭野比古は、湖水に豊富に生息する魚貝を食料にできるならば、もう飢えに悩むことはないと喜び、感謝の歌をささげた。
朝香比女は、御舟巌の回りだけは漁をすることを禁じ、また必ず湖水の魚貝に火を通してから食べることを教えた。
すると狭野比古は次に、この近辺は水が悪いために、病気になり命を落とすものまでいることを訴えた。朝香比女は土を練って瓶を焼き、水を満たして沸騰させることを教えた。以後、国津神たちは白湯を飲んで水あたりすることはなくなった。これが、火食の道の始まりである。
狭野比古は感謝の歌を歌い、また真賀の湖水の湖辺に新しい宮居を造り、主の神の神霊を祀り、相殿に朝香比女の神霊を祀り、国津神がかわるがわる奉仕することとなった。
朝香比女は狭野の郷を発って、さらに西方の国に進むことになった。狭野比古は別れ惜しさに、比女の逗留を懇願するが、比女の心は固かった。そこで、狭野比古はせめて曲津神の多くなる先の道中を守るため、比女の共を申し出た。
朝香比女は快諾し、かくして比女は狭野比古を従えて大野ヶ原を西へと進んでいくこととなった。
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