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霊界物語あらすじ

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ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第78巻 天祥地瑞 巳の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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皇国日本の国体は、万世一系の天皇が統治する、神聖無比の神国である。天皇は神聖不可犯であり、天立君主である。また唯一絶対にして宇宙の中で対立するものは何もない。憲法は、君主立憲制である。
日本の天皇は宇宙絶対であるので、時がくれば、必ず宇宙を統一するお方である。
いかなる強国であっても、横暴であれば押さえつけなければならない。いかなる弱小国であっても、正義ならば、助けなければ成らない。
このように、まったく造化の心持で宇宙を生成化育することが、日本天皇の心持なのである。だからこそ、皇道においては、君と臣下は対立するものではない。皇道が、絶対唯一のものであることができるのである。
忠孝といっても、日本の忠孝は、絶対の大忠・大孝でなければならないのである。
私は、このような尊い天津日嗣天皇が君臨されている日本に、安全に生を送ることができることの大恩を感謝しなければならない。
そして、皇道の大本源にさかのぼり、その真相を明らかにして差し上げることは、われわれ臣民の一大義務なのである。
この物語も、あまりに広範にわたるので、簡単には諒解しがたいうらみはあるけれども、宇宙の大本、皇道の本源を大本信徒に理解させることができるよう、神務のひまを見て著述し、天神地祇に祈願を怠らず、発行する次第である。
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01 01 〔1957〕
万里(まで)の大海原に浮かぶ万里の島は、面積八千方里。豊葦原の瑞穂の国の発祥地である。
八十曲津神がこの島に発生し暴威を振るっていたが、八十御樋代神の一人、田族(たから)比女の神が、主の神の命により十柱の女男の神将を率いて荒ぶる曲津神たちを追い伏せ追い払った。
その後、やはり御樋代神である朝香比女の神が万里の島を訪れ、国の形が改まり、また曲神の恐れる天の真火の火打石をもたらした。
この巻では、その後太元顕津男の神が西方の国を治め、朝香比女に国魂神の養育を任せて万里ヶ島に降り立ち、田族比女の神と御水火をあわせて国魂神を生み、再び高照山北面の稚国原を修理固成するべく進んで行く、その大略を示す。
朝香比女の神とその従者神男女四柱の神々が、万里ヶ島を立ち去ろうとすると、田族比女の神は十柱の神々を率いて御来矢の浜辺まで見送り、別れの歌を互いに交わした。
朝香比女は、万里ヶ島の栄を祈り、顕津男の神に出会えたら、田族比女のことを伝えようと歌った。また、天の真火によって国を守るように諭した。
田族比女以下、みな朝香比女への名残おしさと天の真火を賜ったことへの感謝を歌った。
田族比女の従者神、直道比古は、せめて西方の国の国境まで、朝香比女一行を遅らせてくれるようにたのんだ。しかし朝香比女は、残って万里ヶ島を守るように諭した。
一同はさらに訣別の歌を交し合い、朝香比女の神と四柱の従者神は、駒とともに磐楠船にひらりと乗り移れば、すがすがしい陽気に満ちた風がたちまち吹いて来て、櫓や櫂を使わずに、舟は海上に静かに動き出した。
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01 02 〔1958〕
朝香比女の神が乗った磐楠船は、薄霞たなびく初夏の海原を、悠々としてたどって行った。
田族比女の神一行は、名残惜しみつつ、船が見えなくなるまで見送り、歌を歌った。
田族比女は、朝香比女の諭しに万里ヶ島の経営に思いを新たにし、また朝香比女の御魂を祭る宮居を立てることを誓った。
従者神たち一同も、それぞれ別れの歌を歌った。
船が見えなくなると、一行は万里の聖所に戻ってきた。そして、さっそく火の若宮の工事に取り掛かったが、十日ほどで荘厳な若宮が完成した。
湯結比女の神はこの火の若宮に仕えて、主の神と朝香比女の神の生魂に、沸かした白湯を笹葉にひたして左右左に打ち振り御魂を清め、湯を奉って、まめやかに仕えた。
これより今の世に至るまで、神社には御巫(みかんのこ、神事に奉仕する未婚の女性)というものがあり、御湯を沸かして神明に奉ることとなった。
一方、朝香比女の神一行は、田族比女の神一行に別れを惜しみ、振り返り振り返り手を上げて歌を歌いつつ、進んでいった。
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01 03 〔1959〕
紫微天界はまだ国土が稚く、国の形も完全には定まっていなかったので、あちこちに妖邪の気が凝り固まって、種々の異様の動植物を生み、それがまた妖邪の気を四方に飛散させていた。
主の大神は、完全無欠の神の国を開設しようと、天之道立の神、太元顕津男の神の二柱に、霊界現界の神業を委任した。
天之道立の神は惟神の大道を宣布し、顕津男の神は国土を治める司神を造ろうと国土を巡った。
邪神の中には、数個の頭を持った竜や大蛇がおり、翼の生えた虎、狼、熊などが水陸両面に住んでいるものもおり、容易に正しい神の経綸を許さなかった。
そこで、主の大神は、これらの妖魔を根底的に言向け和し征服全滅しようと、英雄的な資質を持った神々を、紫微天界の四方に派遣していた。
御樋代神はすべて女神であったが、みな優美な姿とはうらはらに、勇猛剛直で神代の英雄神のみが選ばれていたので、その行動が雄々しいことは何も不思議なことでないのである。
朝香比女の神の乗った磐楠船は、日のたそがれるころ、曲津神が集まるというグロスの島に近づいた。曲神の島は、突然黒煙を四方に吹き散らし、海面を闇に包んで船さえも見えないほどになってしまった。
このグロスの島には、ゴロス、グロノスという二大曲津神があり、数多の醜神を使役して、隙あらば他の島を侵そうとかまえていた。
御樋代神の船が島に近づいてきたので、ゴロス、グロノスはあらゆる曲神を呼び集め、必死に船が近づくのを妨害しようと猛り狂っていた。
朝香比女の神は、いかに曲神が抵抗しようとも、真火と言霊により、征服しよう、と歌った。そして、闇が近づく黄昏時を避けて、明日の朝を待った。
すると、グロスの島から沸き立つ黒雲は次第次第に雲の峰が湧くように膨れ広がり、あたりの海面を真の闇と包んでしまった。そして、青白い火団が、船の周囲を蛍合戦のように飛び狂い、凄惨の気が漂ってきた。
朝香比女は少しも驚かず、平然として曲神の業を眺めながら、歌を歌った。最後に天晴比女の神が天の数歌を歌い、大空の月をあらわして曲神を照らし現そう、と歌うと、黒雲は風に吹き散らされ、天空に明るく清い月影が浮かび照らした。
グロノス、ゴロスは夜が明けるまでに船を滅ぼそうと死力を尽くし、長大な竜蛇の姿を現し、剣のような角をかざしながら、船に向かって火焔を吐いた。
朝香比女の神は平然として微笑みながら、暁まではこの船に休み安らう、と歌った。
各神々は、グロスの島に向かって明日の征途を楽しみながら歌を歌い、眠らずに船の上に安座して、さまざまなことを面白おかしく語り合い、夜明けを待っていた。
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01 04 〔1960〕
東の空がようやくしののめて、日が上ってくると、真鶴の声、カササギの声が冴えて、朝香比女の一行を迎え出るごとくであった。
朝香比女の神は船を巌が並んだ浜辺に寄せると、一行は駒に乗って上陸した。そこは、萱草、葦がぼうぼうと道なきまでに生い茂った原野であった。一同は、この草原が曲神の隠れ家になっていると見て取った。
朝香比女の神は、この草原に真火を放って清めようと、初頭比古の神に命を下した。初頭比古の神は火打石を受け取ると、神言を奏上しつつカチリカチリと打ち出せば、枯草に真火は燃え移った。
おりしも、海面より激しく風が吹いてきて、火は四方八方にみるみる広がっていった。幾千里の大原野は見る見る黒焦げになり、竜、大蛇、猛獣等の焼け滅びた姿が無残の光景をとどめた。神々はそのなきがらを土中に埋め、数多の月日を費やした。
グロノス、ゴロスは鷹巣の山を指して逃げ去った。朝香比女の神は、焼き清めたこの大野原に、国魂神を移住させて島を拓こう、と歌った。
一同は、真火のいさおしをたたえ、大野原から曲神を追い払ったことを喜んだ。グロノス、ゴロスの逃げた行方を気にしつつ、この島に住むという御樋代神・葦原比女の神をたずねて、一行は進んでいった。
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01 05 〔1961〕
朝香比女の神一行は、果て無き焼け野が原を馬にまたがって進んでいった。すると、野原の真中に小さな丘があって、常盤木の松が数千本、野火に焼かれず青々と残っていた。
一行はここに長旅の疲れを休めようと馬をつなぎ、丘の上から大野が原の国見をした。すると、いづこからともなく、悲しげな声が次々に聞こえてきた。
朝香比女は、四方を見回しながら、歌を歌い、自分は天津高宮からやってきた御樋代神であるから、心安く姿を現すように訴えた。
すると、丘の南側を穿って住処にしていた数十の国津神たちがつぎつぎに現れて礼拝した。
国津神たちは、グロノス、ゴロスに虐げられ、穴に住んで日々を送ってきたのであった。
国津神の野槌彦は、このたびの野火に曲神は逃げ去ったけれど、母が火に傷つけられ苦しんでいる、と訴えた。
朝香比女は憐れに思い、野槌彦が背負ってきた老母に天之数歌を歌い息吹いた。すると、焼け爛れた老母の頭部顔面は元に戻り、髪は黒くよみがえった。
老母と野槌彦は喜び、朝香比女に感謝の歌を歌った。朝香比女の神は、いかに曲津神の禍が強くとも、天の数歌の言霊で祓うように諭した。
野槌彦は喜んで、かつてはこの丘の鶴の休む松を神として祭っていたが、これからは主の大神を斎き祭ろう、と誓った。
野槌姫は、この丘は忍ヶ丘といい、国津神一行は十数年前に竜の島というところから、やはり曲津神を避けてやってきたのだが、再び曲津神に侵されてしまっていたのだ、と由来を語った。
初頭比古は、このような荒れた曲神の島に国津神たちが先住していたことにき、この島の御樋代神・葦原比女の行方を慮った。そして、忍ヶ丘からはるかに眺めて、沼を見つけた。
野槌彦は、あの沼こそ大蛇が棲む沼であり、黒煙を朝夕吐き出しているのだ、と歌った。そして、神々一行に大蛇の征服を願った。朝香比女は、もう夕方に近いので、征途を明日に定めて国津神たちの館に休むこととした。
野槌彦は、真鶴が巣くう松だけ残して、他の松を柱にして、忍ヶ丘のいただきに主の神を祭る宮居を造ることを誓った。
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01 06 〔1962〕
国津神の村に一夜の宿を取った神々は、どことなく心が勇んで眠られず、焼野原をあちこち逍遥しながら、月を仰いで歌を歌っていた。
一同は、グロノス・ゴロスを追い払った月夜の美しさ、明日の曲神征途への抱負、顕津男の神の功の賛美、旅の述懐などを歌に歌った。
朝香比女の神はしづしづと現れ、明日の征途を前に眠れぬ神々たちをなだめる歌を歌った。最後に、野槌彦がおそるおそる一行の前に現れ、明け方も近いので、どうか床に入って休むよう一同に勧めた。
やがて夜が明けると、神々は国津神の歓呼の声に送られつつ、はるかの野辺に見える醜の沼をさして、馬上静かに進んでいった。
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02 07 〔1963〕
朝香比女の神は、忍ヶ丘のもっとも高い場所に陣を作って悪魔征伐の大本営と定めた。
野槌比古を側において観戦場とし、一方、初頭比古(うぶがみひこ)、起立比古、立世比女、天晴比女の四柱の神々を、沼の大蛇の征伐に向かわせた。
このグロス沼に、グロノス、ゴロスの邪神は永遠の住処として天地をかく乱していたのである。
出陣した四柱の神々は、駿馬にまたがり、進軍歌を歌いながら勇気凛々として進んでいった。
すると、原野の真中に大きな老松が傘を開いたように枝を伸ばしていた。四柱の神々は、ここに休息を取り、作戦計画を練った。
そして、おのおの門出の歌を歌うと、駒の背にまたがり、再び出発して進んでいった。
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02 08 〔1964〕
一行が進んでいくと、血にまみれた老婆が行きも絶え絶えに横たわり、助けを乞うていた。
老婆は、自分は名もなき国津神で、沼の大蛇のために傷つけられたため、助けてほしい、と歌うが、初頭比古は邪神の罠と見破り、天の数歌と言霊歌を歌った。するとたちまち老婆は三角三頭の長蛇と身を表し、火焔・黒煙を吐きながら沼に逃げ込んでしまった。
起立比古の神以下三柱の神々は、この様を述懐の歌に歌った。
一行はグロス沼の汀に到着し、眺めてみればほとんど東西十里、南北二十里もある大きな沼であった。四柱の神は沼の周囲を四分し、東西南北に一柱づつ陣取っていっせいに天津祝詞を奏上し、七十五声の言霊を宣り上げた。
すると、グロノス、ゴロスの邪神は言霊の力に敵しかねて、グロノスは六角六頭、ゴロスは三角三頭の姿を現して水面をのたうちまわった。そしてついに黒雲を起こし、天高く立ち昇ると鷹巣(たかし)の山の方面さして、いかづちのような音をとどろかせながら逃げ去った。
このために沼の水の大半が雲となって空に舞い上ってしまい、再び雨となって激しく下った。邪神を容易に去らせることができたのは、朝香比女の神を陰ながら守護する、鋭敏鳴出(うなりづ)の神のウ声の力であった。
四柱の神は傘松の老木まで戻ってきて、この凄まじい戦況を歌に歌いあった。そして、忍ヶ丘の朝香比女の本営にめでたく凱旋することとなった。
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02 09 〔1965〕
朝香比女は野槌彦とともに戦況をうかがっていたが、四柱の神将の先頭の初頭比古は忍ヶ丘の本営にはせ参じ、戦況を詳しく報告した。
朝香比女は四柱の神の功績をいたく誉めたたえ、歌に読み込んだ。また、邪神に長年虐げられていた国津神・野槌彦は喜びの歌を歌い、こうなった今は、御樋代神に仕えて共に聖所に進んで行こう、と歌った。
朝香比女は、野槌彦の言を承諾し、聖所に進もう、駒の用意をせよ、と歌った。
こうして朝香比女の神は、四柱の神を従え、国津神・野槌彦を案内役として、グロスの島を横切る中野河の濁流をわたる準備を整えた。
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02 10 〔1966〕
一行は忍ヶ丘を後にし、鷹巣の山の麓に葦原比女の神が守るという聖所に急ぎ進んでいく。
中野河の濁流がいたく濁っていることに朝香比女は驚くが、初頭比古の神は天の数歌を歌い、言霊歌を歌い始めた。すると、中野河の濁流も次第次第に色あせ始めた。
朝香比女はさらに、初頭比古の言霊によって、中野河を陸にしようと歌い、御樋代の葦原比女の神が、自分たちを迎えに出立したのがわかる、と歌った。
起立比古は、葦原比女の姿が見えないのに、朝香比女の歌を不思議に思うが、朝香比女は、葦原比女が共を伴って確かにやってくる、と歌った。そして、中野河の水が引き始め、川底が陸地となって向こう岸に渡るときに、葦原比女はやってくるだろう、と予言した。
立世比女は中野河の河水が引くように歌を歌い、天晴比女は河水が引いた後の魚の命を心配する歌を歌った。
朝香比女は、魚たちは上流に逃げて広い清沼に行くように歌を歌った。そして天の数歌と言霊歌を歌うと、河底は大音響とともに地底からふくれあがり、少しの高低もない平地と変わってしまった。
一行は新しく生まれた河跡の陸地を、駒を進めて渡ろうとすると、萱草の野に見え隠れしつつ、駒に乗って現れた神々があった。これは、朝香比女の神一行を迎えに鷹巣山の麓の鷹巣宮居からやってきた、御樋代神・葦原比女の神一行であった。
葦原比女の神を先頭に、真以(まさもち)比古の神、成山(なりやま)比古の神、栄春(さかはる)比女の神、八栄(やさか)比女の神、霊生(たまなり)比古の神の三男三女の天津神々であった。
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02 11 〔1967〕
島の守り神である葦原比女の神は、三男二女の従者神を従えて朝香比女の神を迎えにやってきた。
葦原比女の神は、邪神の力が強く、この島を拓くことができなかったことを語り、朝香比女の神に感謝を表した。朝香比女の神は、グロノスの島という名を改めて、葦原の国、と名乗るよう歌った。
真以比古の神は、鷹巣の山に逃げ込んだ邪神が再び襲い来ることを心配し、国土の宝として、真火の燧石(ひうちいし)を賜るよう、朝香比女に頼んだ。朝香比女の神は燧石を贈ることを約束し、真以比古の神は感謝の歌を歌った。
従者神たちは、これまでの経緯を述懐の歌に歌い、また互いの出会いを喜び合う歌を歌った。ここに、十二柱の女男の神々は、野中の常盤樹の森かげを指して、黄昏の野路を急ぎ進んでいった。
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02 12 〔1968〕
一行十二柱の神々は、黄昏の中、常盤樹茂る広い森かげに安着した。国土がまだ稚い島にもかかわらず、松の幹は太く所狭しと生い茂り、土一面の白砂は、白銀を敷き詰めたようで、所々に湧き出る清水は、底の真砂も見えるほどに、夕月の影を映して鏡のように輝いていた。
この森のところどころに空き地があって、居ながらに空を仰ぐことができるのであった。二柱の御樋代神は、笠松の根株に萱草を敷いて、安らかに息をつき、歌を歌いあった。
朝香比女の神はこの森の深さとすがすがしさを称える歌を歌った。葦原比女は、朝香比女の邪神を追い払った活躍を感謝し、真火の燧石の神徳をたたえた。
従者神たちも、星月を眺めながら、あるいは述懐し、あるいはすがすがしい森の様子を歌に歌いこんだ。そうしているうちに次第に夜はふけていった。
やがて東雲の空を寿ぎながら、十二柱の神々は、生言霊の神嘉言を宣り終わると、駒にまたがり、鷹巣の山の麓にある館をさして急ぎ進んでいった。
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03 13 〔1969〕
中野河より西の大高原は、朝香比女の神が放った真火の力によって黒こげとなり、晴れ晴れしくなっていた。
しかし中野河以東は草ぼうぼうの原野で、あちこちに大蛇や異様な動物が生息し、深夜になれば作物に害を与えたり、国津神の老人子供を傷つけたりと、まだ平安とはいえない状態であった。
葦原比女は、鷹巣の山の麓にある桜ヶ丘という小山に瑞の御舎を造り、邪神の襲来を防ぐために丘の周囲に濠をめぐらし、付近一帯の国津神を守っていた。
だから、五千方里もの広大なこの島も、御樋代神の恵みに浴すことができるのは、わずか四、五方里にすぎなかったのである。御樋代神の権威の及ぶところは、全島のわずか千分の一ほどであった。
常盤の松が生い茂る森に一夜を明かした十二柱の神々一行は、夜が明けるとともに桜ヶ丘の聖所さして進んでいった。
真以比古は馬上にこれまでの経緯を読み込んだ述懐の歌を歌った。そして、葦原の新しい国土をこれから開いて行く楽しみを歌いこんだ。
葦原比女の神は、朝香比女の神のいさおしによって、この国が豊葦原の国と開けて行くことを感謝する歌を歌った。そして、顕津男の神が天降りますまでに、この国を開こうと決意を歌った。
朝香比女の神は、勝手に島を焼き払ったことをわび、国津神が住んでいるのを見て、ここに御樋代神が居ることを知ったのだ、と歌った。そして、葦原比女に、国魂神を生むよき日を共に待とう、と歌いかけた。
従者神たち一同も、それぞれ馬上の日長の退屈さに述懐の歌を交わしつつ、日のたそがれるころ、ようやく桜ヶ丘の聖所に着いた。迎える多数の国津神たちの敬礼を受け、新しく築かれた八尋殿に上り、月を誉め夜桜をたたえながら、短い春の一夜を過ごした。
本文
03 14 〔1970〕
葦原比女は、桜ヶ丘の聖所に朝香比女の神一行を招いて大宴会を開いた。国津神たちは、高地秀の宮から天津神が救いにやってきたと聞いて、集まって踊り狂い、感謝と歓喜を表した。
葦原比女のもてなしに朝香比女は感謝の歌を歌った。そして、田族比女の神から送られたダイヤモンドを、天の真火の火打石とともに、贈り物として葦原比女に与えた。
そして、ダイヤモンドの光よりも、真火こそが真の夜光の玉である、と歌い諭した。
葦原比女をはじめ、従者神たちは感謝の意を歌に表した。一方、朝香比女の従者神たちも、桜ヶ丘ののどかで美しい様を詠み、葦原比女の神にもてなしへの感謝を表した。
本文
03 15 〔1971〕
葦原の島に潜んでいたグロノス、ゴロスの邪神は、鷹巣山の谷間深くに逃げ潜み、隙を見ては黒雲を起こして寒冷の気を四方に散布して万物の営みを妨害していた。
葦原比女の神は、朝香比女より賜った真火の燧石によって邪神の潜む山野を焼き払った。そしてようやく、グロノス、ゴロスの邪神は葦原の国を捨て、遠く西方の国へと逃げ去っていった。
朝香比女の神は、朝夕神前に神言、天の数歌を宣りあげ、葦原の国土の天地を清めた。四季の順序はよくなり、国津神の生活を安らかになった。
朝香比女の神は、いよいよ桜ヶ丘を出立する時が来たと別れを歌い、もしも曲津見に再び襲われるときが来たら、真火の力で払うように歌い諭した。
葦原比女の神を始め、桜ヶ丘の従者神一同は、感謝と惜別の歌を歌った。朝香比女の神の従者神たちも、もてなしへの感謝と別れを惜しむ述懐の歌を歌った。
葦原比女の神は浜辺まで見送ることとし、一同駒に乗って進んだ。忍ヶ丘の麓まで送ったところで日が暮れたので、その日はここに一夜の宿をとることとなった。
本文
03 16 〔1972〕
一行は忍ヶ丘の上に葦の畳を敷き並べ、おのおの生言霊を宣り、また歌を詠みながら、夜が明けるのを待った。
天の一方を眺めると、一塊の雲もない空に、上弦の月が下界を照らし、月の右下方に金星が寄り添って燦爛と輝き、月の右上方三寸ばかりのところに土星が、光薄く光っていた。これは三千年に一度やってくる天の奇現象であり、稀有のことであると神々はおのおの空を仰ぎ、葦原の国を改革すべき時が来たことを感知した。
葦原比女の神は、朝香比女の神にこの減少の意味の言解きを願った。朝香比女の神は答えて、土星は天津神の言霊が濁り、光があせていることを現している、と解いた。金星は、国津神の中から光が現れて世を守る、と言解きをした。そして、月は葦原比女自身を現している、と。
葦原比女の従者神、真以(まさもち)比古は驚いて、知らず知らず心がおごり、主の神に仕える道を怠っていたことに思い至った。そして、今まで邪神が荒んでいたのも、葦原比女につかえる天津神たちの曇りが原因だったことを悟り、御樋代神に許しを乞うた。
葦原比女の神は、土星に光が戻るまで地に下って世に尽くす役目を真以比古の神に命じ、代わって忍ヶ丘の国津神・野槌彦の神を司に取り立て、野槌の神を改名するよう命じた。
野槌彦は辞退するが、葦原比女の神は、謹んで命を受けるように改めて命じた。そして、国津神の中からも、清く正しい御魂を選んで、天津神業を任せるように用いる、と宣言した。
朝香比女の神はこの英断に感じて歌を詠じた。葦原比女に仕えていたその他の天津神たちも、自らの心持に思いを致して驕り高ぶりの罪を認め、今までの罪を悔い、野槌彦の魂の清さを認め、野に下って田畑を拓く決心を述懐した。
朝香比女の神は、葦原の国に天の時・地の時が至ったことを宣言し、今日から葦原の国の標章をスの玉(⦿)とし、玉を十並べて「真言の国土の標章」と定めるように命じた。葦原比女の神は、国の旗標まで朝香比女より賜ったことに感謝の歌を歌った。
野槌比古の神は、国津神の中から高彦、照彦、清彦、晴彦を選んで、天津神に連なる国の補佐として推薦した。葦原比女は、それぞれ高比古の神、照比古の神、清比古の神、晴比古の神を改名するように命じた。そして、急遽召集を受けた四柱の国津神たちは、夜がふける頃忍ヶ丘に到着し、葦原比女の神の宣旨のもとに、天津神の列に加わった。
本文
03 17 〔1973〕
葦原比女の神は、天体に現れた月星の奇現象に、三千年の天地の刻が至ったことを証覚し、大勇猛心を発揮して、天津神たちを残らず地に降し、また地に潜んでいた御魂の清い国津神を抜擢して国土の政治一切を統括した。
この英断に朝香比女の神は感激し、諸神に向かって新しい国土の誕生に、宣示の歌を詠んだ。葦原比女の神は、忍ヶ丘に国土の司を定めると宣言すると、ここに主の大神の祭壇を作らせ、神々の神任式の祭典を盛大に執り行った。
野槌比古の神を始め、国津神より選ばれた五柱の神々は、葦原比女の神の前に進み出ると、任の重さに身を引き締め、国土に尽くす覚悟と抱負の歌を歌った。
葦原比女の神は続いて、もと天津神として仕えていた従者神たちそれぞれに、地上の任務を言い渡した。真以比古は西の国土、成山比古は南の国原、霊生(たまなり)比古は東の国原、栄春比女は北の国土、八栄比女は、野槌比古がもと司っていた忍ヶ丘を、それぞれ任命された。
こうして朝香比女の神一行の立会いのもと、神任式は無事に終了し、天津神は国津神となり、国津神は天津神を任命され、葦原の国土は新しい生命に輝きはじめた。
本文
03 18 〔1974〕
妖邪の気が鬱積して、ほとんど亡国に瀕していたグロスの島は、朝香比女の神の降臨によって天地清まり、葦原新国と改称してよみがえった。そして国津神を抜擢して神業を司らせることとなった。
グロノス、ゴロスの曲津神たちは生言霊と真火の功によって逃げ失せたので、国土の中心にある忍ヶ丘に宮居を移し、国津神たちを治めることとなった。生きとし生けるものは忍ヶ丘の聖場に集まり来て、新しい国土の成立を寿ぎ祝うこととなった。
葦原比女は、新たに任命した天津神たちを率いて忍ヶ丘に太き宮柱を立てて主の大神を斎き祭り、大御前に潔斎して国の初めの神嘉言を奏し、感謝と喜びの歌を歌った。朝香比女の神は、寿ぎの歌を歌った。
朝香比女の神が寿ぎの歌を歌っているおりしも、鋭敏鳴出(うなりづ)の神が、天空より十曜の神旗をふりかざし、数多の従神を従えて、紫の雲に乗ってこの場に天降った。朝香比女の神はこの光景に驚き、合掌敬拝しつつ鋭敏鳴出の神への感謝と祈願を歌った。
鋭敏鳴出の神は、まず新宮に主の大神へののりごとを上げ、そして葦原比女の神に、新しい国土の誕生への寿ぎ歌を歌った。葦原比女の神は驚きと感謝の歌を歌い、朝香比女、鋭敏鳴出の神の御魂をこの国土に永遠に止めてもらうよう、歌を歌った。
野槌比古を始め、新任の天津神たちは、祝歌を歌った。天津神々は、葦原の国土の新たな甦りに祝辞を述べ、忍ヶ丘の中心地に宮居を移した大神業を謳歌しつつ、おのおの言祝ぎをして国土の前途を祈った。
本文
03 19 〔1975〕
葦原の国の建国祭が終わると、鋭敏鳴出(うなりづ)の神は、ふたたび光となって従神たちとともに天の一方に姿を隠した。葦原比女の神・朝香比女の神は、鋭敏鳴出の神への賛美と感謝を歌った。
そして、葦原比女の神は、天津神・国津神たちを率いて、朝香比女の神一行を舟のある常磐の浜まで見送るべく、続いて行った。
初頭(うぶがみ)比古の神は先頭に立って、これまでの経緯を言霊歌に述懐した。続いて、天津神・国津神たちはそれぞれ述懐の歌に、朝香比女と葦原比女の出会いや、葦原の国の立替え・立直し、新しい国の出発などについて歌いこんだ。
その日の黄昏頃ようやく、常磐の浜辺に近い楠の森に着いて、一行は一夜の宿を取った。
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03 20 〔1976〕
朝香比女の神、葦原比女の神一行は、常磐の海辺の森に一夜を明かすのに、おのおの心が時めいて眠れず、広大な森をあちこち逍遥しながら、歌などを詠みふけって明け方を待った。
空の月は晧々とさえわたり、木立のまばらな清庭に白金の光を投げている。春の夜の風はおもむろに梢を吹き、平和の光景は天地にみなぎっていた。時々、海吹く風にあおられて、磯辺に寄せる潮騒の音が静かに聞こえるのみであった。
葦原比女の神は、この光景に新しい国の門出の平和を見取り、述懐と希望の歌を歌った。朝香比女の神は、葦原比女との明日の別れに思いを馳せ、また西方の国土を巡る顕津男の神を思い、葦原の国の将来の希望を歌った。
それぞれの従者神たちも、おのおの述懐の歌を歌つつ、常磐の森の一夜は明け放れ、東の空を明かしつつ新しい太陽は静かに昇ったのであった。
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04 00 - 本文
04 21 〔1977〕
朝香比女の神一行は、葦原比女の神一行に送られ、常磐の浜辺で名残を惜しみつつ、万里の海へとふたたび船出をした。
朝香比女の神一行が舟を南へと進ませていくと、鷹巣の山の頂から黒煙がもうもうと噴出して天に立ち上り、海を指して迫ってきた。黒雲は、グロノス・ゴロスの竜蛇心の形を現して進んできた。
朝香比女の神、初頭比古の神がこの様子に警戒の歌を歌うおりしも、海上に旋風が起こり、一行の乗った磐楠舟は荒波に翻弄され、一進一退どうしようもない羽目に陥った。
しかし、朝香比女の神は平然として微笑しながらこの光景を静かに見つつ、心中に深い成算があるかのようであった。一行の神々は、おのおの少しも恐れずに勇気と祓いの歌を歌い、しばらく望見し落ち着きはらっていた。
すすと、百雷が一時にとどろくようなウーウーウーの唸り声が響き渡り、たちまちに波風は和らいで、あたりを包んでいた魔神の黒雲は薄らいで飛び散り、平静な天地と変わってしまった。
朝香比女の神は、ひそかに祈った言霊によって、鋭敏鳴出の神が現れ、その神力によって曲津神たちを追い払ってしまったことを歌った。従者神たちも、この出来事に述懐の歌をそれぞれ歌った。
しばらくして舟は、海路に横たわる巨大な巌島に近づいた。よくよく見れば、赤・黒さまざまの大蛇が何匹も巌から首を差し出し、大口から火焔の下を吐いて舟を襲おうとするごとくであった。
朝香比女の神はこのありさまに、心穏やかに微笑みながら、この巌島を火の島とするよう、言霊歌を歌った。
すると、高く切り立った周囲約三里の巌島は、たちまち一面が火焔に包まれ、海水は熱湯のように煮えたぎり、大蛇は焼かれ傷つき、あるいは雲を起こして鷹巣の山に逃げ去った。
従者神たちは、この様子を見て驚き感激し、朝香比女の神の言霊の働きを称える歌を歌った。そして、舟は東南に向けて進んでいった。
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04 22 〔1978〕
朝香比女の神一行は、グロノス・ゴロスの化身であった巌島の邪神を、言霊の光によって島もろとも焼き尽くし、万里の海原を東南に向けて進んでいった。
一行は歌を歌いつつ進んで行ったが、東北の方面に浮かんでいる島から、怪しき声が聞こえてくるのに気づいた。朝香比女の神は、その悲しい声は国津神たちの叫び声かもしれないので、一刻も早く島に向かおう、と歌った。すると、舟は東北方面に自然に舳先を向けて進んでいった。
すると、浮島の方面から、多角多頭の大悪竜が、幾千丈とも限りなく、波しぶきをたててこちらに進んできた。朝香比女の神は、これこそまさに八岐の大蛇であると見取り、舟よ広くなれ大きくなれ、八岐大蛇の数百倍となれ、と歌った。
歌い終わると、磐楠舟は膨れ広がってたちまち山のようになってしまった。多角多頭の大蛇は舟の近くまで進んできたが、舟のあまりの大きさに驚いたのか、無念そうに水中に姿を隠してしまった。
朝香比女の神は、臍下丹田に魂を鎮め、天に向かって合掌し天津祝詞を奏上し、生言霊を述べた。たちまち海水は熱湯のように煮え返り、八岐大蛇は熱湯に焼かれて全身ただれ、もがき苦しみ、ついに死体となって水面に浮かび出た。
朝香比女の神が、歎きの島に急ぎ進め、と歌うと、舟は千里を駆ける勢いで、黄昏の海原を進んでいった。
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04 23 〔1979〕
磐楠舟は、歎きの島に近づくにつれて次第次第に小さくなり、全くもとの原型に戻った。渚に舟を進ませて、駒とともに一行は無事上陸した。島は黒煙がもうもうと立ちこめて視界をさえぎっていた。
朝香比女の神は天津神事を奏上し、七十五声の生言霊を鳴り出でると、空の黒雲は南北に別れ、月はその正中を渡って晧々とした明るい光を地上に投げかけた。
朝香比女の神は、八岐大蛇が潜んでいた歎きの島も、今日からは生き返ると歌い、鋭敏鳴出の神に、国民の嘆きをとどめて国土が新生するように祈った。一行はひとまず夜をして明け方に進むこととし、おのおの述懐の歌を歌った。
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04 24 〔1980〕
一行は歎きの島の浜辺に近い松の下に一夜を明かし、夜明けの朝日を拝みつつ、この島の再生への思いを歌った。
すると、二柱の国津神が駒を並べて進み来ると、朝香比女の前にひれ伏した。国津神・島彦と島姫は、朝香比女の神によって曲津見が鎮まったことを感謝し、さらに島に潜む邪神への懸念を歌った。
従者神たちは、国津神の訴えを聞き、真火の力によって曲津を焼き清めようと歌った。起立比古の神は、朝香比女の神の許しを得て燧石を取り出し、野辺に火を放つと、折からの風にあおられて、たちまち原野は一面の火の海と化した。
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04 25 〔1981〕
島彦・島姫夫婦は、初めて真火が燃えたつ様を見て、驚嘆のあまり卒倒してしまった。初頭比古の神は天の数歌によって、二人を蘇生させた。
島彦・島姫は、この激しさに恐れをあらわにするが、初頭比古の神は、これこそ歎きの島の初光であり、真火の恵みであると諭す。
島彦は歓び、感謝の歌を歌った。
朝香比女の神は、この島の国津神たちが、邪神をまつっていたがためにこの災いが起こっていたことを明らかにし、島彦・島姫に、主の大神を祭り、朝夕に生言霊を上げて禊の神事を怠らず、神言と禊を命の鍵をするように諭した。
島姫は、真火を賜ったことへの歓びと感謝の歌を歌った。
朝香比女の神一行は、国津神夫婦にさまざまの教訓を施し、天の真火の燧石を与えた。そして再び浜辺に引き返し、磐楠舟に乗り込んで万里の海原に浮かび、西方の国土を指して進んで行った。
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