王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名32 幼女の頃よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B100600c02
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数656
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  桐村家のひっそくの最中、殊に稀有の飢饉年に危うく堕胎を免れて生まれられた開祖の前途には、悲惨なる運命と申しますか、大いなる神の試練と申しますか、幾多の艱難苦労が黒い手を広げて待っていました。
 元来開祖様の父・桐村五郎三郎さんは一徹短慮の気質で、酒をたしなまれると妻子に対しても時々手荒いことをされ、開祖様が三才のとき何かお気に障ったことがあって、開祖様を簀巻にして裏庭の雪の中にほうり出されたことがあります。また五才のとき五郎三郎さんから酒を買って来るよう云い付けられた時、遊び盛りの子供のこととて、うっかり忘れておられましたため非常に立腹され、いきなり開祖様を布団にくるんで、押し入れに放り込まれたこともあります。
 その代わり、御生母さんはまことによく出来たお方で、優しい中にも平素のしつけが実に行き届かれ、殊に姑のタケ子さんという方はなかなかむつかしい人でしたが「お殿様に仕えるつもりで仕えよう」と思って、至れり尽せりにお仕えになったので、さすがの姑さんも大変お気にいり「うちの嫁は嫁は」と、いつも人々に自慢されていたほどです。開祖様の立派な人となりは、一つにはこの幼い時代の御生母の薫陶の賜であると言えましょう。
 暮らし向きは益々ひっそくして、五郎三郎さんはついには甘酒のかつぎ売りまでされましたが、弘化三年開祖様十一才のとき悪性のかくらん(食中毒)をわずらい、一日一夜苦しんでついに亡くなられました。さなきだに貧窮であったのに一家の大黒柱を失ったこととて、桐村家の当時の有様は全く想像に余りがあります。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki