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文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名32 穴太の里よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100800c02
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本文  喜三郎さんの生まれた穴太は西国二十一番の観音の札所、菩提山穴太寺のあるところですが、穴太の名の起ったについては、次のように言い伝えられております。
 むかし、豊受大神様は現在大本の神苑になっている綾部の本宮山に奉斎されてあったのでありますが、その後、丹波国丹波郡丹波村比沼の真奈井ヶ岳の麓、今の中郡五箇村字久次の御神境に遷座されました。そして雄略天皇の二十三年伊勢へ御遷宮になります時、上田家の邸内が御旅所になりましたので、上田家の一族はよろこび勇んで鄭重に齋かれました。その時御神前へお供えされた荒稲の種子が、ケヤキの木の腐れ穴へおちこぼれ、それから苗が出たのを、日夜に育てましたところ、ずんずん伸びてその稲に美しい瑞穂を結びましたから、時の里庄が正しく神の大御心と仰ぎまつって方々の良田にまきつけ、千本という名をつけて植えひろめたところから穴穂の里といったのであります。それが後に穴生となり、穴尾となり、さらに今の穴太となったのでありまして、穴太寺の院主は代々穴穂姓を名のっております。
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