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文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名310 獣医学の研究よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100800c10
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本文  明治二十六年七月、二十三歳の時であります。喜三郎さんは園部の従兄で獣医をしている井上直吉氏のところで、獣医学を研究されることになりましたが、研究というのは名ばかりで、牧畜場の世話をさせられたのであります。
 当時近所の南陽寺に国学の大家・岡田惟平翁が来ましたので、昼の労働につかれた身体を奮いおこして、夜間岡田翁について国学の研究に熱中されました。また南陽寺で毎月開かれる歌会に出席されたり、俳句に趣味をもたれたのも、この頃のことであります。
 喜三郎さんは学校教育としては小学校の三年までしか行かれませんでしたが、学問はいろいろな方面にわたって造詣があり、ことに国学にいたっては追随をゆるさぬものがありました。園部で書生をされていた頃は、ふところから本を離さなかったということであります。
 喜三郎さんは獣医学の研究に従事されましたが、明治二十八年二月、二十五歳のとき、園部を辞して穴太に帰られました。獣医の試験に合格されたので、精乳館という牛乳搾取場を穴太に設立されることになりました。喜三郎さんは牛を飼うことから搾乳、配達、経営など、ほとんど一手でやられたのですから、実に多忙をきわめた生活でありました。
 二十七歳まで聖師の前半生は、実に貧乏と労働と研究の連続だったのであります。
 こうした労働生活の中にあった喜三郎青年を、いつも慰めたものは文芸でありました。また二十一・二歳の頃、ホゴ紙の裏に絵をかいて楽しまれたり、また師匠について浄瑠璃や舞曲を習われたこともありました。
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