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文献名1王仁文庫
文献名2第9篇 道の大本よみ(新仮名遣い)
文献名3第8章よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-11-05 02:08:29
ページ31 目次メモ
OBC B115009c11
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本文 一、祓は戒しめ、慎み、敬虔の心である。
二、悪しき心発れば、これを除き去り、過ちては則ち改め、不浄汚穢あらば、これを洗ひ滌ぐの道である。
三、日頃かくの如くにして、心を清め身を潔むるは、祓ひの道の目的である。
四、祓のよみは払ひである、また洗である。科戸の風の天の八重雲を吹き払ひ、あるひは地の上の塵を払ひ、水の、ものの垢を洗ひ、湯の、人の身体の汚き垢を洗ひ去るが如きをいふのである。
五、祓の種類は沢山あつて、一々説き示す暇がないから、ここにその一つ二つを並べて見ようと思ふ。
六、善言美詞の祓と言ふのがある。この祓は天津祝詞太祝詞言を宣れと唱ふる神嘉言である。
七、身滌の祓は、伊邪那岐の命が、醜女きたなき黄泉津国より帰り来まして、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において、心を洗ひ身を清めたまひしことを明にせる寿詞である。
八、中臣祓、この祓は神武天皇の御時に、天児屋根命の御裔の孫天種子命、その御祖より享け嗣ぎし道をもつてこれを顕し、天皇に奏したまひし祓である。
九、この中臣祓は上御一人より、下は万民に至るまで、日毎に用ひて、家を治め身を守る言葉である。
一〇、太祓、この祓は六月、十二月の晦日に唱ふる祓である、文詞は中臣祓と大方同じ言葉である。
一一、清祓、この祓は新に築りたる宮社、神殿、または新に調へたる神の器などを、祓ひ清むる祝詞である。
一二、祓は美はしき言葉をもつて、神の申し上ぐるを主とするの道である。ゆゑにまた神嘉言と唱ふるのである。
一三、祓は祭祀の道の始祖、天の児屋根の命が、古の暗黒時代に、天津御神を讃め称へて諸々の罪穢災禍を祓ひ拭ひ去り、大神の御心を和げ奉りたる正道である。
一四、人皇二十四代の御代までは、我国の上下万民押並べて、この祓の道をもつて国の教規範となし、あへて外国の教に踏み迷ひし事なくして、我国は真に浦安国の心泰く、光り輝く神の国であつたのである。
一五、それよりして、世は追々と末に降り、人の心は愚になり、迷ひ紊れて来たので、正しき真の神の御教を疑ひ、外国の邪道を真となし、その本を忘れ、末を紊すに立到つたのである。これらは全く儒なり、釈なり、道なり、この三つの教を立てて我国の本源の道を棄ててもつて万民を応化する方便となし、異しき教を弘め布きたるの罪である。
一六、すべての祓は、我国大本の妙なる御業にして、第一に神を和め奉り、心の罪穢、身体の悪を清め、罪科、過失、疾病、曲事、祟りを祓ふ大神法である。人たるもの軽々しく看過し、打捨て置いてはならぬ。
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