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文献名1二名日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35月26日 於道後鮒屋よみ(新仮名遣い)
著者月の家(出口王仁三郎)
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-08-19 19:38:38
ページ220 目次メモ
OBC B117500c22
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本文
朝雨の晴れ行く後に雨蛙声悲しげに庭の面に啼く。
一行は朝早くより温泉にひたらんとして立ち出でにけり。
王仁一人宿に止まりて新聞紙切抜き手帖に張りて遊びぬ。
御田村氏東上せんと吾許に諾否問ひ来ぬ昨日の夕暮。
渓川の水音高く聞えつつ鮒屋の庭の若葉清しき。



勝れたる大馬鹿者の出でずんば此の政局を治むる術なし。
当人の心汲みつつ政治をば行ふ人の心弱きかな。
此の際は思ひ切つたる改良を為さずば又も政局乱れむ。
今代の政治は腕の喜三郎氏数多出でずば治まり難し。
一月の間にも政局変化する日本の国の情けなきかな。
改造か将改悪か知らねども我国民は良い面の皮。
唐土の国の乱れを治めんとすればする程猶乱れ行く。
東洋の盟主となりて我国は平和の為に盡すべき国。
満蒙の空に心を配らずば我日の本の国は栄えじ。
衆議院議員岩崎一高氏鮒屋旅館に吾を訪ひけり。
現今の政局及び満蒙に関する政談為して別れし。



信徒に頒たんとして絵短冊百五十枚染めにけるかな。
霏々として小雨降りしく庭の面に鵯鳥三羽来たりて啼けり。
道後にて一等旅館と聞えたる鮒屋は設備整ひてあり。
午後の二時道後を立ちて松山の分所へ一行急ぎ出で行く。
大空に雲あり乍ら雨止みて吾行く松山清く凉しき。
半切紙廿八枚揮毫しぬ分所や支部へ頒たんとして。
風呂に入り身を清めてゆ神前に宣信倶に神言を宣る。
人力車数台並べて松山市金亀支部へと礼拝に行く。
松山市北蛭子町金亀支部到れば又もや雨降り出だしぬ。
夕晴れの空暖かに風もなく物静かなり松山の町。
金亀支部立ち出で腕車に揺られつつ道後湯の町支部をさし行く。
午後の五時半に湯の町支部の門一行倶に潜りけるかな。
栗原氏松山高小講堂に講演のため急ぎ出で行く。
青山に雨はけぶりて湯の町の人のゆききの跡絶えし今日かな。
新緑の萌ゆる林に雨降りて葉蔭にしのぶ蝶のあはれさ。
せせらぎの音弥高くなりにけり水上山に雨しきりにて。
黄昏れて雨尚やまず田の面に蛙の啼く音高き宿かな。
松山の城はかすみて夕暮の宿の庭の面雨蛙なく。
前後して岩田宇知麿両弁士講演の為松山に行く。
雨しげき夜に拘はらず聴衆は三百余名集まりにけり。
三弁士帰りし頃は草臥れて前後も知らず吾寝ねて居り。
真夜中に眼さませば三弁士帰りてけりと近侍子報じぬ。

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