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文献名1出口王仁三郎全集 第8巻 わが半生の記
文献名2【上巻】故郷の弐拾八年よみ(新仮名遣い)
文献名305 綾部の聖地よみ(新仮名遣い)
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タグ データ凡例 データ最終更新日2023-10-01 18:23:42
ページ6 目次メモ
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本文  比沼真奈井神社の所在地は、太古は綾部の本宮山であつた。そして天真奈井川原と云ふのは、現今の和知川原のことである。丹波国丹波郡丹波村は現今の綾部の聖地である。中世、丹後国中郡久次村の真奈為ケ嶽の麓に神社の旧蹟を移遷したと云ふ伝説が古来行はれて居つたのである。然うすると、綾部の聖地から神風の伊勢の山田に遷座の途中、曽我部の郷に一時御旅所として御駐輦になつたのである。太古同社の神職は、綾部の出口家が奉仕してをつたと曰ふ事であるが、後世に至つて、山田の外宮に奉仕せる社家に出口姓が伝はつて居る。彼の有名なる神道家出口延佳は、外宮の社家中で、最も重要なる家格の人であつたのを見ても、証明する事が出来るのである。亦大神の御旅所となり、神明社を創建して奉仕せし、藤原家の末裔たる王仁が、太古の神縁ある綾部に来りて、出口家の相続者と成つたのも、不可思議な神縁であると思ふ。
 神明社が、宮垣内から川原条へ遷座されてから、後神明社と改称されたが、何時の間にやら、後神社と里人が唱へ出し、今では郷神社と曰ふやうになつて、穴太の産土なる延喜式内小幡神社の付属となり、無格社に列せられ給ふに至つたのである。
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