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文献名1大地の母
文献名2第2巻「霊山の秘」
文献名3穴太精乳館
著者出口和明
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC B138902c03
本文の文字数16585
本文のヒット件数全 5 件/余部=5
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本文 「マンさんいるけ」
 友の和一郎だ。
「おう、安閑坊喜楽はここにいるけど、マンさんて誰のことや」
「ここらでマンガン気違いのマンさんいうたら、お前の他にいるけい」
「や、だ、誰がぬかした」
「村中みんな知っとるわい。村上の信太郎はんがふれ廻っとるさけのう。どうや、マンさん、今度はおれと組んで、いっぱつ当てに山に行こけ」
「ち、畜生」
 和一郎にからかわれた喜三郎、どうでも怨みの一言浴びせねば止まぬ勢いで、片足引きずって村上家へ乗り込んだ。
 信太郎は喜三郎の顔を見るなり、咬みつくように怒鳴った。
「そこへ来たのは狐かド狸か。年寄りのわしを騙しくさって、ようも何日も山の中引きずりまわしたのう。この山子め、何がお国のためじゃい。恥ずかしげもなく面出しやがって。謝ったかて許しちゃるけえ」
 逆に先手を打たれて、ねじこむはずの喜三郎の矛先がにぶった。
「お前こそ、あ、あんまりやないけ。その……なんじぇい、友達の大怪我見捨てて、約束も守らんと……」
「ああ、あのことかい。馬鹿らしいさけ、気が変わって、てくてく穴太へ帰って寝たわい。ちょうどこの際、見せしめのために谷に置いとってやったら、ちったあ頭も冷えるやろとの思いやりじゃ。それとも何け、文句あんのんか」 
「いや、文句はないけど……文句はないけどやのう、寒うて痛うて凍え死ぬとこやったわい。次の朝、従兄の倉吉がみつけて負うて帰ってくれなんだら、今頃幽霊になって出てこんなんとこやったで」
 喜三郎は逆ねじくわされ、しおしおと戻ってきた。夢は捨てきれぬながら、今は山子張っても無駄と知った。人間、それぞれの運をもって生まれてきたとすると、自分のはどうやら凶運らしい。所詮は、わが習い覚えた業で身すぎするしかない。牧夫・搾乳業、忘れていた乳牛の臭い。仔牛の瞳や、温かい舌の感覚がよみがえってくる。じんと涙がこみあげるほど懐かしい。しかし井上猶吉の牧場に帰るつもりはなかった。も一度やるのなら資金を集めて独立しよう。どっちみち搾取されるのが牛の一生ならば、せめて生きてる間、自分の手で出来得る限り可愛がってやればよい。よし、七転び八起きや。始めっから出直しちゃる。
 決心がつくと自分の勉強不足が気になった。乳牛について、もっと基礎的な勉強がしたい。我が国に於ける新事業の分野に属する搾乳業は、やっと開発途上についたばかりだ。井上の牧場にいた頃、牛の種つけの指導を得た京都九条の牧場を思い出した。そうだ、あそこに住み込んで新知識を仕入れる必要がある。
 勇躍、喜三郎は京へ向かった。期間はごく短かったが、井上牧場で得た体験と書籍上の勉強に、より一層みがきがかかった。神童といわれた喜三郎のこと、集中力も抜群である。ホルスタイン種やデボン種など数百頭の乳牛について研究し、得るところが多かった。
 自信を深めて園部に帰り、出資者を求めた。川辺の高屋寄り、船井郡桐の庄村垣内に住む資産家上仲儀太郎に目をつけて説いたところ、直ちに賛同を得た。儀太郎は十年前に家督を長男咲三に譲ったが、この時四十三歳、まだまだ血気盛んであつた。
 資本も意外に早く集まった。牧場は、川辺への一本道に通ずる小高い岡の上。奥は竹林、右手は儀太郎の土塀が区切る。まわりに低い石垣を築き、木柵で囲った。眺めはよい。秋の紅葉に映える青空に、喜三郎はせい一杯背のびする。
 牧場建設に奔走していると、父母から異議がはさまれた。一生牧畜で身を立てるつもりなら、いっそ郷里の穴太ではじめてくれというのだ。日夜の激しい労働で、吉松は五十四歳の年齢以上に老衰していた。次男の由松は二十二歳、今や一家の働き手であるが、暇さえあれば博奕ばかりで頼りにならぬ。今後は心を改め地道に牧畜をやりたいという長男を手元に引きつけておきたい、切実な親心であった。親思いの喜三郎はたちまち心を動かされる。しかし園部の牧場建設は軌道にのっている。止めるわけにはいかない。そうだ園部は自分が指導し、上仲に任せればいい。
 喜三郎は新しく穴太での出資者を別に探した。新しい話に今度も軽々と乗ってきたのは、村上信太郎である。少々薄情なところがないでもないが、村で信用失墜中の喜三郎には選り好みはできぬ。喜三郎が牧場の将来性について滔々と弁じ立てると、信太郎は早速算盤を持ち出してきた。資金獲得のために、信太郎の妻おえんの弟である小幡神社の神主の上田正定を加えた。正定所有の田を担保として、資金調達もうまくいった。
 三人は知恵を集めて規約を作り、組織を整え、ここに穴太精乳館上田牧牛場を結成した。上田正定は経理事務を、実務は唯一の牧畜経験者である喜三郎が指導、担当。牧場地は村上信太郎の所有である、小幡橋を渡って村道を二丁ばかり進んだ右手(現在は竹藪)六十坪余りを借り受けた。

 明治二十九(一八九六)年一月一日 穴太精乳館開業。同日に園部の桐の庄では上仲牧場も始まった。だが一つの身で、四里も離れた二つの牧場は勤まらぬ、かりに喜三郎は勤まっても、共同経営者たちは承知しない。上仲牧場の方は、上仲が実技をのみこむまで指導することを条件に手をひき、上仲儀太郎の個人経営に切り替えた。したがって、大晦日の喜三郎の多忙さといったらない。桐の庄での手引きを済まし、凍てついた明け方の四里の道のりを、穴太めざして一散にかけ戻る。新しい牛舎には、二頭のホルスタイン牛が喜三郎の帰りを待っていた。関係者たちも集まってきた。羽織袴に八字髭、すいっと長身の上田正定。傍に妻のぶが赤子(長男の正躬)を背に長女多美を連れている。五つの多美はおけしぼん(おかっぱ)のかわいい髪を肩まで垂らし、綿入れの袖を胸で合わせて、乳牛をのぞきこむ。
 正定の父正直は、維新前、京で与力をつとめた身という。禄を離れ、小幡神社に養子にきた。が、何せ世間知らずの殿さまである。長男正定が伊豫の国の下田歌子の塾から帰った時、破産して家は跡かたもなく、根太の石さえ消えていた。親戚の上田大治郎らが集まって、古い小屋に買い足した古い茶の間をひっつけて、二間ばかりの住居をつくってくれた。
 明治七(一八七四)年、正直は隠居。正定が十三歳で跡目を継いで、小幡神社の神官となる。装束も烏帽子も大き過ぎた。まだ子供の腕に、三宝に乗った鏡餅が重くて持ち上がらなかった。村社では、わずかのお初穂のほか、宮のあがりとてない。他に本梅四社、千代川八社の宮司も兼務した。神職の装束を小脇に、野道をテン、テン、テンと歩いて通う。苦学して曽我部尋常小学校の教師となった。
 明治二十九年のこの時点で三十六歳。母みねは二十二年に死んでいたから、父正直、妻、二人の子をかかえて五人家族。四円の教員の給料では心細い。彼もまた精乳館の成果に期待していた。
「喜楽は遅いのう。あいつ、口先ばっかりは達者やが……」
 ぼやきながら、村上信太郎が藁を切っている。妻えんも気になるのだろう、半歳の信男をねんねこに負い、登校姿の喜久の手を引いてやってくる。喜久は一年生だ。髪をハワシ(稚児輪)に結って、手織木綿の縞の綿入れに同じ袴をはいている。
「お早ようございます」
 喜久は、先生であり叔父である正定に、一年生らしい抑揚をつけて挨拶する。
「おい、おえん。藁切り手伝ってくれやい」と信太郎に言われ、おえんはでっぷりした腹をゆすり、小さな夫を見下ろしてぼやく。
「喜楽はん、ほんまに間に合うのかいな。初日からこれでは頼りないこっちゃ」
「あっ、喜三やんがくるで」と喜久が叫ぶ。
 牧場にとび込むなり、喜三郎は湯気を立てている頭をかいて、
「やあ、お早よう」と、とぼけている。
 どやされながらもてきぱきと飼葉をやり、搾乳の準備にかかる。手慣れた喜三郎が乳初をおろすと、左右の乳頭からザーザーザーと切れ目なく乳がとび出してくる。乳の出は快調である。まるで二本の水道栓を開けたように白く泡立ち、甘い香りを放って木桶に満ちる。喜久が嘆声を上げ、多美が足ぶみして喜ぶ。信太郎も負けずに搾るが、そこは新米のこと、張り切った乳頭をうまく左右交互に扱えぬ。ピョンコ、ピョンコと乳は上に戻って、ション、ション、ションと切れぎれに飛ぶばかり。
「あかん、こいつ何と乳の出の悪い奴ちゃ」と信太郎、牛に文句をつけている。正定はそこまで見とどけると、急ぎ足で南条の小学校に向かう。喜久が小走りについて行った。
 穴太においても、搾乳業は当時のとびきり新しい事業であった。需要者は虚弱なる子供、病人、母乳不足の母親、赤子ぐらいで消費量は少なかったが、一合三銭、米四合に匹敵する高価な飲み物であった。当時の丹波米は一石当たり(百五十キロ)七円五十銭である。
 近村の医者と連絡し、病人があれば通知してもらって遠路いとわず配達したので、得意先は日増しにふえる。精乳館のすべり出しは好調であった。
   西は半国東は愛宕 南妙見北帝釈の
   山の屏風を引き廻し 中の穴太で牛を飼う
 自作の詩を口ずさみつつ、江戸腹当てに紺の股引き、〈上田牧牛場〉〈穴太精乳館〉と左右の襟に白字で染め抜いた紺の法被をはおって、喜三郎は村々をまわる。牛乳罐から一合柄杓で乳を計り売りしながら、得意の狂歌や駄洒落がとぶ。牧場の横の小さなくずや(藁ぶき屋根)を根城に、事業に打ちこむ喜三郎にも、やっと希望の光が見えてきた。

 ――露草のような娘や
 喜三郎はじんと胸が熱くなった。
 ――なんで今まで気づかなんだやろ。
 生まれた時からの幼な馴染みであった。藪を隔てた裏隣、斎藤佐市の四人娘の次女いのである。姉のわきは気が強くて喜三郎より一歳上。子供の時からずいぶん喧嘩もした。いのはひっそりと目立たぬ子であった。明治二十二(一八八九)年十六歳の春、保津村の桂嘉十郎の後妻となり、四ヶ月たらずで離婚された。それが心の傷になったのか、いのはなおひそやかな存在となった。
 喜三郎が園部に発った翌年(明治二十七年)、いのは小幡橋のたもとにある斎藤家の養女になる。姉わきが先に養女になりながら、大阪府庁土木課に務める村上節に嫁いだためであった。養父斎藤亀次郎は、喜三郎が十三歳で偕行小学校の助教員となった前後、小学校の書記兼小使いとして共に勤めていた亀やんである。
 精乳館とは稲田を隔てた隣だから、喜三郎は心安さに立ち寄って、いのの美しさを見直した。お蘭の勝気さや志津江の華やかな雰囲気はないが、抱きしめてやりたいいじらしさがあった。足しげく亀やんの家を訪れるうち、いのも氷の溶けるように喜三郎に心を開いていた。
 真夜中に雪踏みわけて通った。表通りは人目にたつので、裏の竹藪の細道を行く。いのは待っている。縞の木綿の袷をきっちり着て、寒さと恐れにふるえながら裏小屋の軒にただずんでいる。いのには喜三郎だけが命であった。親の言いなりに嫁いだ七年前は、心のない人形であった。ただの一度も夫をいとしいと思う日とてなかったのだ。二十四歳になって初めて知った恋であった。
「喜三やん」
「あ、おいのはん」
 小暗い竹藪のしげみの陰で、ひしと抱き合う。
「待たせたのう。信太郎はんが来よってなかなか帰りよらん。憎たらしい気いきかん餓鬼や。あ、おいのはんの手、こんなに冷となっとるがな。寒かったやろ」
「ううん、熱い、ぽっぽしてるえ」
 きれいな細い声。うつむき勝ちな白い細面――激情につきあげられ、喜三郎はいのを抱き上げ、高くかざしてめちゃくちゃに廻り始める。目がまわり、雪に足をとられて、どうところがる。あわてて雪まみれで抱き合う。投げ出されて離れた一瞬も惜しむように――。
「子供みたい……」といのが笑う。笑った傍から涙があふれてくる。その涙を吸って「好きや」と喜三郎が囁く。言葉が足りぬもどかしさに、どもりつつ力をこめる。
「きっと親父を説いて許してもらう。晴れて添いとげよう……」
「でも、うちみたいな出戻りでは……」
「それ言わんとけ」
 怒って喜三郎が口をふさぐ。
「初恋や言うてくれたやんけ。それで充分や。わしも初恋や思うとる。過去のすべてはなかったんや。わしらは身も心も洗われて、いまこそ純粋無垢な恋に生きとる。神聖なわしらの仲は神かて裂けへんのや」
 いのが犬ころみたいに小さくなって、喜三郎の懐にうずくまる。これまで何度煮え湯を飲まされ、恋しい女と引き裂かれてきたことか。その苦しい思い出が、一度に沸き立ってくる。もし、いのまで奪われたら……わしの他に、いのを恋うる仇が出来たら……思うだけでも物狂おしく、喜三郎はいのをかき抱く。

 喜三郎は、意気ごんで口をきった。
「父さん、わし嫁はんもろてよいやろ。もう決めとんにゃ。反対したかてあかんで」
「誰も初から反対するけい。身を固めるのはよいこっちゃ。誰や、相手の名いうてみ」
 吉松は風邪気味でふせっていた床から身を起こした。
「今は亀やんの養女やけど、佐市はんとこのおいのはんや」
「あかん、あの娘はあかん。止めとけ」
 反対は覚悟していた。
「出戻りやさけか。父さん、あの娘ぐらい純で、素直で、やさしい女子おらへんで。体のこといえば、わしかて傷だらけや。なんせボボ喜三いわれたぐらいやさけ」
「自慢そうにぬかすない、あほ奴が。出戻りぐらいで、わしが反対すっかい」
「ほんな、なんでや」
「尻がわるいわい」
「あ、そら誤解や、おいのはんは尻ぐせのわるい女やないで。わしやさけ……命かけて、愛しとるさけ……」
 喜三郎、弁護にやっきとなる。
「その尻とちゃうわい。わしのいうとるのは、尻つき……腰格好や。喜三や、よう考えいよ。のぼせとる間は、おいのみたいな柳腰の白うて、か弱い女子がよいかも知らん。けどわが上田家は百姓やぞ。長男のお前の嫁なら、鍬も振れば車力もでき、牛の乳も搾れなあかん。もりもり食うて、子生んで、乳のよう出る……やなあ、つまりは尻太く色黒い女子がお前には必要や」
「父さんのいうような女子なら、わしの精乳館に二頭もつないどるがな。頼むさけ聞いてえな、父さん。嫁、もらうのはわしや、わしが気に入ったらええやんか」
「うるさい。おいのはあかん。気性はようても、ひょろひょろした体が気にいらん」
「母さんほど子産んで働いた女子もないやろ。けど若い時、色黒うて尻太かったこ。自分では、色の白い別嬪を嫁にしといて、息子にばっかり……」
 ついに吉松の癇癪が爆発した。
「うるさい。文句あるなら出て失せろ。牛に喰わせてもろとるくらいで、ごつい顔さらすな」
 吉松が煙管をふり上げる。喜三郎はとんで逃げながら、おろおろと叫ぶ。
「のぼせたら危ないで、父さん。静かに寝とりや。元気な時にまた来るさけのう」
 喜三郎が逃げ帰ったあと、吉松はぐったりと床に伏した。風邪とはいいながら、体力の衰えは我ながら空恐ろしいほどである。疲れも知らずにただただ働いてきた、若い日は過ぎてしまった。気がついた時には、肉体は古草履のようにすり切れてしまい、この先あまり使い物になるまい。いま次の代を継ぐ喜三郎の嫁は、どっしりと腰をすえた、丈夫な働き者でなければならぬ。百姓の女房は、それでなくてはならぬ。
 吉松は自分の半生をふり返って、そう確信していた。身を粉にして働く以外に、別の生き方があろうとは考えられぬ吉松であった。
 美人の世祢を妻とした若い日々にすら、甘い喜びの思い出があったろうか。妻が美人であるが故の、夫の悩みもなしとしない。故知らぬ空しさと淋しさに痛む薄い背をまるめて、吉松は目をつぶった。

 いのとの結婚を許さぬ頑固な父でありながら、父の病気の癒えぬことは喜三郎の心を重くした。困った時は神仏を思い出す癖がある。妙霊教会での見聞は、神仏が気まぐれにもせよ不思議な霊験を与えることを認識していた。
 小幡神社への参詣の他に、亀岡町の西のはずれ余部の太元教会へもときどき参拝し、父の病気平癒と、ついでにいのとの恋の成就を願った。太元教会は〈余部のお稲荷さん〉といわれ、霊験が高いとの評判だった。叔母賀るの死で懲りているはずの喜三郎も、何によらず頼れるものなら頼りたい心境であった。
 太元教会で春季大祭が執行されるというので、喜三郎は朝の牛乳の配達を終わって、すぐ顔を出した。と、玄関を入った受付で、服部爺さんが酒をちょびちょび飲みながら控えていた。
「服部はん、今日は大祭やと聞いたさけ、参拝さしてもろたで」
「ああ、喜楽はんか、ま、一杯やれや」
「酒はあかんのや。えらい静かやが、早過ぎたかいな」と喜三郎は服部の前に坐りこむ。服部の鼻の頭は、一足先に酔ったように、赤く光っていた。
「祭典は午後一時からとなっとるけど、遠い所からも参ってやさけ、始まるのは三時頃やろ」
「お台さんはおってけ」
 お台さんというのは、教会長高島ふみのことである。狐がかかる台という意味であろうか。
「お台さんも杉山はんも、朝早うから人集めに走り廻っとるわい」
「それにしても、受付がお祭り前に酒飲んどって、お台さんが帰ってきたら怒られへんこ」
 服部は痩せた肩を怒らした。
「かまうけい。朝から晩まで椀給でこき使われとるんや」
「椀給いうたら何んじぇい」
「給料なしや。椀に盛りきりの飯だけや。お神酒やいうて一升買っときやがったさけ、お神酒徳利に水入れて、酒はわしが飲んだるのや。へ、ざまあ見ろじゃ」
 服部は、みそっ歯をむき出して笑った。素面の時はいやにおとなしい男だが、酒が入るとこうも違うものか。相手欲しさに喋りだすと日頃の鬱憤が堰を切ったように流れ出し、太元教成立の内情を暴露しはじめる。
「明治十六年の夏は、ごっつい大旱魃でのう……」
 その時点の村の有様を、参考までに拝田の八木清之助の日誌で見よう。
 七月二日より九月十一日までの七十一日間(七月十五日、十六日、少々夕立あり)、日照りが続いた。拝田村では、八月十日に役場で水の相談あり、池の水の入札がある。翌十一日夕には雨乞いをする。九月八日にはついに水争いが起こったらしく「馬路村、池尻村、屋賀村コノ三ケ村、西田村ト水事件ニテ口論ニ及ビ四百名モ集マリ余程ノ困難、終ニハ大事ニ及ブ処、園部警察数名御出張ニ付、漸ク平穏ノ由」と書き、翌九日にも別の水事件を起こす。そして九月十一日夜に少し雨降る。十二日は一日曇り、十三日にようやく強風をともなって雨。村中で「雨歓び」として本日より三日間の休暇をとる触れが各戸にまわっている。
 その拝田村から程遠くない余部でも、御嶽の行者である山下某が来て、水のひいた保津川の河原で二週間の断食をし、雨乞いした。その上がり日(九月十一日か?)、雨がぱらぱらと降ってきた。
 余部の某家の若女房高島ふみはその神徳を目撃し、その夜から毎晩川へ行って水行をした。何日目かに体が震え出して発動状態になり、突然宣言した。
「我こそは稲荷大明神なるぞ」
 ふみが御嶽教の太元教会の支部を作って祈祷を始めるや、噂を聞いて遠近から参詣者が集まり出す。その参詣者の一人に杉山藤五郎があった。杉山は元は金岐の隠亡であり、村の戸長もつとめていた。学問も財産もあり、人格もそう悪くはなかった。杉山はふみの教会へ通い、受付などをしているうち、いつかふみとわりない仲になる。ついにふみの夫に露見し、「ド狐つれて出て行きさらせ」と追い出される。二人は天下晴れての夫婦気取りで、同じ余部の町内に広い家を借り、稲荷を祀って堂々と布教に乗り出した。
 そこまで喋ると、服部はさすがに声をひそめる。
「けどのう、舞台裏のぞいたら、阿呆らしゅうて拝む気もせんわい。喜楽はんもええかげんに目をさませ。お台はんはのう、祈祷が始まると、いかにも稲荷がうつって来たように、尻に狐の尻尾をくくりつけて出しよるにゃで。阿呆らして、阿呆らして……」
 信じられなかった。服部が不平のあまりの中傷だろう。あとは生返事しながら、弁当を出して食い始めた。やがて高島ふみが総務兼亭主の杉山をひきいて帰って来た。慌てて服部爺さん、徳利を股へ隠す。杉山は見て見ぬふりして、喜楽には笑顔を向ける。
「あれ、喜楽はん、ようお参りにならはった。お稲荷はんのお告げで楽しみにしてましたんや。そんなむさくるしいところでお茶もあげんと……まあ奥へお通りやす」
 言われるままに奥座敷へ通ると、杉山は改まって申し出た。
「実は喜楽はんにお願いおますのやが……」
「へえ、なんでっしゃろ」
「御存知の通り、この頃はぎょうさん信者が増えましてな、いつまでも不便な借家住まいもしとられまへんにゃ。それでどこかに教会を新築したい思うてますねん」
「そら結構なこっちゃなあ」
「けど先立つ物がおまへん。なんせお稲荷さまのお住まいになるとこやさけ、粗末な物ではいかず、三千円ぐらいかかるやろと思います」
「三千円……ごついのう」
「それで奉賀帳をつくって、世話方に寄附募集をお頼み申しましたんや。この大祭に信者に発表しまんのやが、わしの口から教会建築の話も何やおもろうない。そこで祭典が終わったら誰ぞに講演をお願いせねばならぬのやが、学があり弁が立つ者といえば見廻したところ喜楽はんしかおってない。一つ、わしの代わりに信者らにハッパかけてもらえへんやろか」
「よろしおます。やってみまひょ」
 喜三郎は快諾した。見台を前に浄瑠璃をうなるのも面白いが、演台に立って一度演説をぶってみたいとかねがね思っていた。しかもそれが神さまのためとあれば、ことわる理由はない。わが富楼那の弁に聴衆が酔い多額の寄付金が集まろうものなら、稲荷大明神はその功績をめで、父吉松の病気を立ち所に治し、いのとの恋に力もかしてくれよう。
 喜三郎は教会の仕様書や設計などを見せてもらい、演説の腹案を心中ひそかに練る。その間に、料亭から鄭重な料理がとり寄せられる。弁当を食った喜三郎だが、旺盛な食欲にまかせて箸をのばす。
 二時頃、受付の服部が一段と赤い顔で杉山の前にぺたんと坐り、苦しげな息を吐いた。
「世話方衆が来やはりましたわい。信者が集まるまで酒でも呑んでもろときまひょか」
「そうやな、寄附集めに廻ってもらわんなん大事な時やさけ」と杉山が言うのへ、お台さんのふみが小声でぼやいた。
「祭典が一時から始まるいうのに、いま頃のこのこ出て来たんかいさ。ふん、世話方いうても、出てきて酒呑むばっかしや」
 聞き咎めた服部は、自分のことと早合点し、巻舌になって食ってかかる。
「な、な、なにおう――朝から晩までお飯給金でこき使いくさって、たまに一升酒……」
「これ、服部はん、何も言うてしまへんがな。早うお世話方にお酒だして、気持ちよう呑んでもろていな」とふみが慌ててなだめにかかる。
「そら呑むわい。一年にいっぺんの春季大祭やさけ、わしがお神酒を呑んだからちゅうて、ごてごて言われてたまるけえ。ほんまはのう、小学校の小使いに雇うたろいう人もあるにゃど。けどのう、『お台さんが狐でも使うて仇んすると困るさけ、やめい』言うもんあるさけ、じーっと辛抱しとるにゃど」
「わかった、わかった。さ、あっち行こけえ」
 喜三郎は服部を抱えて、裏の小部屋へ寝かしつける。だらしない服部の寝顔を見ながら、この教会には不純な空気が渦巻いているのを感じた。
 神殿には、参詣人等が持ち寄った牡丹餅・駄菓子・米・豆などが三宝に盛って飾られる。広間は百数十人の参詣者で埋まる。
 四時近くになって、ようやく甲高い祝詞の声で祭典開始、護摩が焚かれる。五寸ほどに割った木切れにいちいち姓名や年齢を記し、それを大鍋の中に高く積み、火をつけて燃やす。天井からは御幣が切ってぶら下がっている。世話人たちは大鍋をぐるりととり囲み、懸命に祝詞を唱える。炎が上がって上から吊った御幣に火が燃えつこうとすると、水の垂れんばかりの青々した榊をくべて延焼を防ぐ。また燃え上がろうとすると、榊をくべる。
 神前に平伏して祝詞を唱えていたふみの体が烈しく震え出し、すっくと立ち上がると、参詣人の方へ向き直った。目は吊り上がり、口も心なしかとがり、確かに常態ではない。大鍋に近より、榊の青葉をくくりつけた御幣を火の上に振って、今度は並み居る信者の頭に左右左と打ち振るいつつ、とび廻る。護摩の火が高くなり御幣に燃え移ろうとすると、しゃくるような声で世話人の祝詞が高まる。ふみは身をひるがえして大鍋に戻り、榊を振るって護摩の火を鎮める。いつの間にかふみの羽織の下から赤色の狐の尻尾が出て、ちょろちょろ動いた。
「ありがたや稲荷大明神……お狐さま」
 信者たちは平伏したまま、懸命に祈り言をとなえる。今にも集団発狂しそうな熱狂的空気が占める。
「ははん、これやな」
 喜三郎は服部の言葉を思い出し、知らんふりして触れてみた。確かに狐の尻尾の手ざわりだ。今度は、通りすがりにぐいと引っ張った。あっとふみは立ち止まり、指でつつかれた芋虫のように、ぷりんと尻を振った。ふりむきざま御幣で激しく喜三郎を叩き、あたふたと遠ざかる。
 祭典は無事に済んだ。興ざめした喜三郎、演台に立ったが、せっかく作った腹案もどこかへ消え、よばれた御馳走の手前、十分ばかり申し訳に喋り出した。支離滅裂、何を言っているのか、自分でもさっぱり分からぬ。
「……というわけでして、まあ、その……ええと……御静聴を感謝します」と頭を下げた途端、たちまち絶賛の拍手。ふみは顔面を紅潮させてうなずき、杉山は頭の上に手をやって拍手し、他の参詣人は酔ったように、ただ有難がっている。
 ――ははん、訳のわからぬ婆嬶には、自分でも訳のわからんこというて聞かす方が、さっばり訳が分からんさけ、嬉しいんやろか。
「わしの言うたんは、とどのつまりは銭を出せいうことや」
 親切にくだいてやれば、聴衆はいっぺんに分かって、この感激もまた一度に冷え切ることは明らかだ。
 参詣者に牡丹餅が一個ずつ配られる。満面に笑みをたたえて見やりながら、杉山は、座の静まるのを待って壇に上がった。
「皆さん、いまお配りしとる牡丹餅は、新しく入信しやはった馬路村の中川はんがお礼にお供えしとくれはったお下がりどすで。これについてお話しますさけ、めんめにお神徳を頂いておくれやす。さて、中川はんの奥さんは妊娠しやはって十二か月近うなるのに、子が出てきやはらん。心配のあまりご夫婦で参られてお伺いを立てなはった。するとこうですんや。『そなたの腹の中には牛の仔が宿っとるぞ。懐妊になってから牛の綱をまたげたであろうがな』、奥さんは泣き泣き事実を告白しやはった。そこで有難い御託宣が下りたんですわ。『このまま放っといたら十二か月目に牛の仔が生まれるぞい。が、特別助けてつかわすよって、夫婦で心を改め信心せい』、そこで中川さん御夫婦は、二里もある所から熱心に御参拝にならはった。おかげでこのたび、立派な人間の男の子を安産しやはりました。今日はお祭りを幸い、みなさんにもその喜びをわけて下されと、たんと牡丹餅をお供えしなはった。皆さん、中川さんのご神徳にあやかっとくれやす。神さまは、信心さえ強うしたら、どんなことかてお聞き届け下さりますで」
 長々と信心話が続いた。それを巧みに寄附に結びつけて終わる。ようやく牡丹餅を食べられる時間が来た。と、参詣人の間に奇妙な反応が起こった。一口かぶって妙な顔をし、懐から紙を出して包み入れる者、隣の者らとひそひそ囁く者、割ってみて中をしげしげ見る者、匂いをかぐ者、たちまち誰かが叫んだ。
「もーし、お台さん、こりゃ牛糞がまざっとりまっせ」
 一せいに「わあ、臭い」という声が上がる。吐き出しに外へ走る者。上装束を脱ぎかけていたふみは、狐の尾を細帯でくくって垂らしたまま、あたふたとかけつけて叫ぶ。
「阿呆なこと言わんときいな。神さまにお供えしたもったいないお下がりでっせ」
 けたたましい笑い声が上がった。一座の中から、三十二、三歳の男がとび上がって、笑いこけている。
「ひっ、ひっひ、あれ、お台はんの尻尾みなはれ、とうとう正体現わしよったわい」
 一せいに信者の目がふみに集まる。ふみはくるくる廻り、自分で尻尾をひきちぎって次の間に逃げこんだ。笑った男は手を振って一同を制し、
「お静かに、お静かに、わしがこの牛糞入りの牡丹餅を供えた馬路の中川だす。いきさつは、いま杉山はんが喋った通りや。牛の仔が宿るなんて、途方もないことぬかしやがる。できて見な分からんと思うて参拝してました。けど信心したら人間の女子を授けてやるとぬかしといて、できた子は男の子や。ほんまに腹の中のことまで分かるような稲荷なら、牡丹餅の中へ牛糞入れて差し出したら、その場で見抜くはずや。見抜かはったら、頭丸めてお詫びするつもりだした。ところがあんた、牛糞を有難そうに供えて拝んでけつかる。わしは皆さんだまして食わせるつもりで持って来たんやおへん。ここの婆あが悪いのや。これからそこら中、婆あの正体触れ歩いてやるつもりや」
 中川はすばやくとび出して行った。大混乱になった。
 始終を目撃した喜三郎は邪教の正体に触れ、すっかり信仰心が冷めていた。この教会一つを見て宗教全般を押しはかることはできないと考えながらも、懐疑心は深く心に残った。
 隆盛なかばの太元教会も、この事件を境に落ち目となり、維持できなくなった。やがて亀岡京町の天神境内に移転し僅かに命脈を保っていたが、明治四十五年頃には消えてしまった。

 この春、いのは大阪へ去った。いのの実父斎藤佐市は家督を長男久太郎に譲り、大阪の天満橋の近く空心町に出て餅屋をしていた。姉わきも、また大阪へ嫁いでいる。親戚も大阪に大きな家を持っていて、下宿屋を始めることになった。いのはその下宿の手伝いにと、姉わきに連れられて行ったのだ。
 わきの夫村上節は府庁の役人として羽振りもよく、暮らしは豊かであった。都会生活の甘さを知ったわきは、田舎のみすぼらしい養家に美しい妹をくすぼらせておくのは我慢ならぬ。その上、ろくでもない喜三郎との噂も聞きかじっていた。わきは、貧乏な養家と信用ならぬ喜三郎から、いのを隔離したかったのだ。
「きっとわしらには杯を交わす日がくる。いま別れて住むのは辛い。けどもうしばらくの辛抱や。こらえてくれ」 
 泣きむせぶいのに、くり返し喜三郎は誓った。
 いのが浪花に発つ朝は見え隠れについていった。しかし喜三郎には牛が待っている。村のはずれで、涙ながらに踏み止まる。
   悲しみの極みは恋と聞きぬれど
       かほど辛しとおもわざりしよ
   かにかくに独り立つ身にあらざれば
       暫し離りて時を待たなん
   おぼつかなわが独立をたのしみて
       待てる彼女はいとしかりけり
 いのからは隔日に手紙が届いた。寡黙で内気で思うことの半分も口にせぬいのが、手紙には燃える心を情熱のまま書き送ってくる。心ときめく文のやりとりが、夏の間中、繁く続いた。
 八月のなかばのある日、しばらく途絶えていたいののてがみが精乳館に舞い込んだ。朝の牛乳配達を終えた喜三郎が封を切るのももどかしく読み進むうち、すっと血の気が失せていった。
 ――父や姉の言葉にはそむけませぬ。あなた様への操となつかしい思い出を守って、わたしは婚礼の日に入水する覚悟ができました。あなた様は、どうぞいつまでもお幸せに、それのみ祈っています――いのより。
 震える筆のあと、にじむ墨色。
 追っかけるように、姉わきから手紙が届く。いのには願ってもない良縁であり、いのの幸せのためにも得がたいお方と父母はじめ夫、親戚一同が喜び望んでいる。けれど本人のいのがどうしても承諾せず、毎日泣いてばかりいる。もしいのの幸福を心底から願ってくれるならば、いのを説得し、いのから身を引いてほしい。
 手紙は、喜三郎にいのを諦めるよう、幾重にも懇願していた。喜三郎は筆をとり、迷い、投げ出しておいおい泣き、また心を励まして、明け方までかかってようやく返し文をしたため終える。
 あたら世に命を捨つるには及ばぬこと、御両親、姉君の言われるように、幸福な家庭に入られるよう望んでいること。自分はまだまだ末の見込みが立たず、独立の日は遠い。命を何より大切にしてこの世に幸せに生きてくれると思えばこそ、自分も生きる甲斐がある。それのみかげから祈っていること、自分との縁は、今日かぎり忘れて新しく生きること……。
 投函してから後も、喜三郎は小屋中響き渡る大声で泣き狂った。それでも昼は牛の草刈りに山へ行き、山で泣いた。男らしくきっぱりと諦めよと自分に命じながら、燃えたつ胸の炎を消すすべもなく、煩悩の雲におおわれる。
 派手な喜三郎の泣きようはたちまち村の噂になった。喜三郎は村の青年会に呼びつけられ、一同の吊るし上げを食った。
「こら喜楽、きさま、それでも男か。青年会の風上にもおけん奴ちゃ」
「他国者と秤にかけられて恋人を奪られるような男は、末の見込みがたたんのう」
 しょげかえった喜三郎、弱々しく抗議する。
「人の気も知らんと、好きなことぬかしよるわい。畜生」
「口惜しかったら乗り込んでいって、結婚式をぶちこわせ」
「けど大阪やんけ……遠いわい」
「なにが遠かろやい。朝から夜通しかけりゃ着くわい。それだけの情熱もないのんけ」
「往きに二日、帰りに二日、その間、わしの牛、どないなるんや。臨月やさけ、明日にも仔牛が生まれるかも知れん」
「は、は、は……牛と恋人とどっちが大事やい。このド阿呆が」
「どっちも大切や。どっちゃも欲しいわい。けどおいのの親が、甲斐性なしのわしにゃ娘をくれんのじゃ。牛とる他しゃないやんけ」
 また喜三郎、臆面もなく手ばなしで泣き出した。友らは呆れはてて「こんな弱虫は青年会の面よごしじゃ。話にならんわい。除名したれ」と口々に言い出した。
 牛のお産が済み、かわいい牝牛がふえた。恋愛と事業と二つを比べて、恋を捨てた。貧しければ恋もかなわぬ世の中とは、重ね重ね骨身にしみて思い知らされてきた喜三郎だ。しかし日と共に虚しさ、やるせなさが全身を浸してくる。夜の仕事も終わって牛が寝しずまると、苦しさのあまり牧場をぬけ出して亀岡近辺をうろついた。
 亀岡には大阪の文楽座から下って来た目のみえぬ浄瑠璃の師匠、吾妻太夫がいた。喜三郎は傷心をいやそうと弟子入りし、夜な夜な通った。浄瑠璃の恋の文句につまされて、時折り忍び音に泣いた。

 その八月三十日、穴太は朝から重苦しい雲行きであった。雨まじりの疾風が、さっと襲っては止む。喜三郎は草刈りの手を急がせた。いつもの倍ほども刈りとって頭も見えぬまでに負い、殿山を下ってくると、村の女たちに出会わした。すれちがいざま、くすっと誰かが笑った。喜三郎の背に女たちの嘲笑の目が刺さってくる。
「おいのはんも哀れやなあ、牛に男を奪られるやなんて」
「うち、喜楽はんを見そこのうたえ」
「うちもやわ。弱虫の男はん、好かん」
 聞こえよがしに喋り合うと、高笑いを残して去る。
 二時――ざあっと激しい雨が叩きつけ、空が真っ黒になってきた。うなりを呼んで風も加わる。全身ずぶ濡れになって雫をしたたらせ、牧場に飛び込む。夕方の牛乳配達も、吹きとばされそうな風雨の中でどうにか済ませた。雨戸を叩いて、早めに店じまいした酒屋から酒を買った。濡れそぼち冷えきった体を暖めようと、小屋に帰って一人酒を飲む。
 飲めぬ酒は苦い。が、背骨のきしむような淋しさ、いの恋しさに立て続けに呷る。
 十時――車軸を流すばかりの雨だった。電光閃々として、暗い荒れた小屋を浮き上がらせる。轟く雷鳴。土台からゆすぶりくつがえさんと狂う疾風。すさまじい暴風雨のおたけびの中に切れ切れに鐘が鳴る。
 喜三郎はただ茶碗酒をあおり続け、索漠たる己の心象に目をすえる。喜三郎との恋に命を賭けている愛しいいの、そのいのを連れ逃げることもようできぬ己れ、面よごし・弱虫・卑怯者・屑。天も地もあげて怒号し、喜三郎を罵っている。喜三郎は大の字にころがった。
 ――畜生、どうとでもさらせやい。逃げも隠れもするけい。いのが死ぬなら、わしも死んじゃる。
 畳が波のように揺れ動いた。
 八月三十一日六時、村上信太郎は喜久の手を引いて穴太寺の裏門を出た。風雨は止んだが、曇天なお暗く、地鳴りのような響きが聞こえている。犬飼川は濁流渦を巻いて川土堤を越え、川向こうに狂奔していた。小幡橋は橋桁のかかりを残して流失。
「お父ちゃん橋がない。どないしょう、学校行けへんで」
 喜久が泣き出した。
「学校どこやないわい、牧場が大事や。喜久、お前急いで家へ帰っとんな。父ちゃん、吉川の方廻って牛を見に行くさけの」
 喜久を戻すと、信太郎は裾をまくって腰にからげ、膝まで水に没する川沿いの道を吉川さしてじゃぼじゃぼ歩いた。吉川からずいぶん迂回して、やっと牧場にたどりつく。牛舎の戸をきしませながら、力をこめて引きあける。牛は腹まで水に浸して啼き叫び、飼葉桶やら藁やらがあけた戸口めざして流れ出してくる。
「き、喜楽、喜楽はどこや」
 濁流の中を、泳ぐようにして小屋の戸を叩いた。中からは音もない。戸口をこじあけると、本・椀・桶がかたまって流れてくる。蚊帳の裾がぴちゃぴちゃ水に浸って踊っている中から、二本の足がぬっと出ていた。
 死んどる――信太郎はぞっとした。這い上がろうとしてつんのめった。「うーむ」と喜三郎が寝返る。
「こ、こいつ寝てくさる。き、喜楽、ド阿呆、起きくされ」
「うるさい。ほっとけ」
「あ、あ、安閑坊喜楽たら朝寝坊閑楽たらようつけた名じゃ。目えあいてよっく見ろ。ただごっちゃあらへん。早よう、牛を救けな」
 喜三郎、やっと起き直ったはずみにひっくり返って、濁流に頭からつかった。
 水禍のあとに立って、百姓らは呆然とした。犬飼川の流域は長年苦心の田畑の表土を根こそぎ濁流に削られて、瓦礫の山と化していた。その下にへばりついて残っているわずかな稲の一株一株を助けおこしつつ、土砂を払いのける。ナス、キュウリ、おそがけのスイカ、マクワは全滅。辛うじて親指ほどの芋をつけている甘藷の葉を泥土から助けださねば芋は腐る。稲はあきらめても、麦まきまでには、田に表土を入れて復旧させねばならぬ。大根まきの時期もせまっているのだ。総力をあげても村は人手が足りなかった。
 喜三郎は荒廃した田を借りうけた。山土を運んで表土とし、乳牛の糞尿をたっぷり入れて土を肥やした。わずかな小作田に泣いている両親を救け、牛の飼料も補いたい。失恋の痛みを忘れようと、喜三郎は夢中で働くのだった。
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