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文献名1大地の母
文献名2第3巻「地獄の釜」
文献名3色ぼけ欲ぼけ
著者出口和明
概要高熊山での出来事。下司熊次郎の偽神懸かりに騙される斎藤元市。
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-04-19 02:29:18
OBC B138903c03
本文の文字数11851
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本文  松の木洩れ陽が岩におもしろい絵を描き、吹く風は向つ嶺の青葉の裏々を返す。オリオンの女神エロスの妖しいまでの煌きは、まだ喜三郎の霊身に余波を残し、揺れている。それにしても天地の心をこめたという玉手箱は確かに受けながら、現身には影も形も存せぬことが、ひどく頼りない。再びオリオンへ馳せ昇り、エロスの女神の御手をとって、共に玉手箱のふたを開けよう。今度こそしっかり天地のみ心を……あの姫をわがものにしようと、喜三郎は燃え立つ。
 山麓の谷のあたりから、牛草を刈るらしい女たちのさんざめきが聞える。梢には山雀が鳴き、女たちの声は百舌に似る。先程から、蝦蟇岩の上で幽斎に入りかけていた喜三郎だが、女たちの嬌声が霊界へ飛び立とうとする魂を引き戻し、精神統一をさまたげる。これではならじと、天津祝詞を高らかに奏上した。
 草を刈っていた三人の女たちは、遥か頭上から流れる祝詞の声をいぶかしんだ。物好きにも仕事を中断し、よじ登ってきた。谷に面して切り立った崖の中腹にある蝦蟇岩まで登るのは初めてだ。
「あれ、喜三やん、こんなとこで何してはるのん」とあきれた声を上げたのはお仙、かつて喜三郎に「これは女の真心」といって赤毛布をくれた仲だ。あれからお仙は平凡な結婚をしている。後の二人も、喜三郎と顔なじみの穴太の娘たちである。
「どんな願い事があるか知らんけど、もう家へ帰りいさ。お琴はんが心配して探してはったえ」
「ほっといてくれ。修行の邪魔や、あっちへ行け」
「こんな谷に突き出た岩の上で修行やなんて、危ないことないんやろか」と、娘たちが囁く。
「変わった男はんやと思てたけど、やっぱり変わっとってやわあ」と、無精髭の伸びた喜三郎の顔をのぞきこみ、お仙が嘆く。
 さえぎるもののない岩上で、三方から女の好奇の眼にさらされるのは耐え難い。喜三郎は岩窟に移動し、奥まった一隅で鎮魂の姿勢をとる。それで帰ってくれるものと思ったのは甘かった。岩窟の中をのぞきこみ、「深い」の、「暗い」のと驚いている。現在の岩窟は穴が縮まり身をかがめてようやく入れる奥行きと広さだが、当時は遥かに奥行きも深く高かった。
「こんな白衣をつけはった姿、夜中に見たらこわいやろな」と色の黒い娘が言えば、「ほんまやなあ、うちやったら腰抜かすわ」と小肥りの娘が相槌打った。
「なあ、あんたら、どんなふうに修行しやはるのか、いっぺん見せてもらわへんか」とのお仙の提案に、娘たちが黄色い声を上げて賛成した。
「おい、無茶いうない。頼むさけ一人にしてくれ」
 押し問答の間に大空に垂れ込めた雲が破れて、篠つく雨が降り出した。女たちが悲鳴を上げて岩窟になだれ込む。四人も入れば身動きならぬ狭さだ。野良着を通して女たちの体温が伝わり、ほつれ髪がなまめかしく喜三郎の熱い頬に触れる。こういう体験が楽しいのか、女たちは遠慮ない声を上げ、お仙が喜三郎の尻を意味ありげにつねる。喜三郎は手きびしくはねのけた。それでいて、誰かれかまわず押し倒し抱きつきたい激しい衝動に、喜三郎はもだえた。どのような修行をしようとも、たぎる若い血潮は異性を求めて騒ぐのだ。
 はしゃぎ疲れて女たちは沈黙し、激しい雨しぶきを見つめる。気づまりを破るように、お仙が話しかけた。
「なあ、喜三やん、こんな役にも立たんことに血道を上げんと、元みたいに乳屋して、金儲しやはったらええのに」
「金儲してなんぼのもんじゃい。そんなことより、今のわしには、死後の世界の方が大事なんじゃ」
「あるかどうか分らん死後のことより、この世の方がよっぽど大事と違うのん。うちら、霞食べては生きていけへんのえ。しっかりしいさ。田植えの準備かてせんなんやないの」と、年下の子にさとすふうに、お仙がいう。喜三郎は相手にならず、目を閉じて合掌する。
 女たちのおしゃべりのうちに雨雲が散り、陽が岩窟の入り口までさしこんできた。
「ああ、足が痛い」とお仙は膝をなでながら立ち上がり、「こんなごつごつした岩の上に坐るんやったら、なんであの赤毛布、持って来やはらへんの」とへんになれなれしく肩を打つ。「赤毛布」の一言が、不本意にも昂りかけていた欲情を逆に吹き飛ばした。お仙のみでなく、己れの品性の下劣さがたまらない。
「そんなことより、頼みがある。村に帰んでも、わしとここで会うたこと誰にも話さんでくれや、頼むさけ」
 卑屈さを意識しながらも、喜三郎は心から女たちに願った。
「知らん。そんなこと、よう約束せんわ」とお仙はすね、娘たちと去って行く。
 お仙らに岩窟内まで踏みこまれたことは、取り返しのつかぬ痛手であった。大切な秘宝を泥まみれに打ち砕かれた思いだ。女たちの跡を潔めようと神言を奏上するが、岩窟にこもった髪油の匂いは去らず、神気は戻らない。それにこうしてはいられなかった。彼女たちが村へ帰れば、わがありかを噂しよう。今日の午後か明日の朝には、村人たちが群がりやってくるに違いない。急いで修行場を変えねばならぬ。
 高熊山の急坂を降り、谷川で禊して祝詞を上げ、夏陽を浴びて奥山へ向かう。打越坂は険阻な杣人の道だ。猪が山芋を掘った跡か、ところどころ赤土が現われている。杣道に沿った浅い谷川では、猪が水を呑む。打越坂の頂上は猪熊峠をつなぐ道、そこから西方の山道をしばらく行くと、表面が算盤の玉のようにでこぼこした算盤岩だ。松葉が散り敷いて、格好の座蒲団となり、花盛りの山つつじが周囲を飾る。
 喜三郎は算盤岩に座して、鎮魂の姿勢をとった。が、瞑想に入ろうとすれば、草刈る男女の睦び合うらしい声がする。ここもまた浮き世の外ならず。重い腰を上げ、老木の茂みや茨を分けて奥山の道をたどる。馬の背の険・玉子ケ原を過ぎ、昼なお暗い大蛇ヶ滝ヘきた。ここは穴太の隣村の犬飼村の行政区だ。
 大蛇ヶ滝は、昔から天狗や大蛇が棲むという伝説があり、杣人も恐れて近寄らぬ。滝は大小数段に別れて落下するため、谷底から見上げると、白龍が曲がりくねりながら昇天するかのように空に伸びている。
 滝壼のそばに、耳と片手の落ちた不動尊が立っていた。その横に白衣を脱ぎ、誰も見る者のない気やすさから、全裸となって滝壼に飛び込む。しびれるような冷たさ、凄さに身震いが止まらない。激しい高滝に打たれて心ゆくまで禊すると、煩悩も洗い流される心地がする。
 滝壼から上がって身を拭き清め、白衣をまとって草の上に休む。まわりは人の身を没するまでに蕗と三つ葉が茂り合う。空腹を覚えて赤く熟した蔓いちごをむしり食うと、脅えた山鳥が大きな羽音を残して飛び立つ。後は邪魔する者もない。宣る神言は谷に木霊し、滝の音と競う。
 やがて喜三郎の霊魂は肉体を離れて霊界へ飛ぶ。太陽は西空に残るが、森林の深さに四辺は小暗い。鬱蒼と天を封じて立つ杉の木下に、日がたそがれる。やがて闇が喜三郎を呑み、梢もむ風の音が激しい。
 深夜、草の上で仮眠していた喜三郎は、駒の蹄の音で目覚めた。こんな時間に、こんな場所へとはね起きて目を据えれば、僧形の男が馬を馳せて迫ってくる。不思議や、馬の蹄は地上より一丈ばかり上、頭から押しつぶされる心地して息を呑む。馬はいななき、喜三郎の目の前で前足を跳ね上げ止まった。馬上の怪僧の眼光は烱々とあたりを昼の如く照らし、鼻が見る見る七、八寸も伸びる。
「こ、こら、化物、お前はどこのどいつや」と、とどろく胸を押え喜三郎は震え声でわめいた。
 怪僧は火のような赤い舌を出し、大口あけて笑いながら、馬の背からとび下りる。思わず喜三郎は逃げ腰になった。
「おのれは仏法弘通のさまたげじゃ。今より成敗してくれん」と怪僧は鉄扇振り上げ、大声で迫る。背後の草むらよりは数百の怪僧がむくむくと湧き出し、喜三郎を押し包む。進むもならず、退くもならず、喜三郎は夢中で天地の神に祈り、神言を宣る。妖怪の姿は次第に面前を離れて遠ざかり、夜霧と化す。霧は陰々滅々として喜三郎を濡らし、絶え間なく怪声が耳朶を打つ。
 滝壼のかたえの茂みが大きく揺れるや、巨大な獅子が現われ、天地も揺らぐばかりに吠えたけった。祝詞の言霊に力を込めれば、近寄り迫る獅子は虎と化し猫となり、すごすご去る。ほっと息つく間もなく生ぐさい風が吹き荒れ、谷をどよもして大蛇が這い出る。総毛立つ全身を励まして「かんながら……」と祈ろうとしても、唇が動かない。美しい音色を響かせて、霧の中から神人があらわれたと思うや、こわばりきった唇が解け、喜三郎の言霊が大蛇をほうむっていた。
 東雲の空をあかあかと染め、霧深い谷間の夜は明ける。蘇生った心地で感謝の祝詞を奏上し、朝霧渦巻く滝壼にとびこんだ。

 夕刻、修行場を打越坂近くの精州の滝に移した。滝壼の、肩まで没するばかりの水で、禊にかかる。初夏とはいえ、滝水の冷たさに歯の根も合わず、がたがた震えた。
 夜ふけてたまらぬ眠気に誘われ、滝のそばの広い岩上に横たわった。幾ばくの時がたったか、人声に目ざめた。木の茂みからすかし見ると、十二夜の月光に照らされて、二人の人影が浮かぶ。園部の下司熊次郎と幽斎修行場を拒絶した斎藤元市だ。熊次郎は頭から滝に打たれ、元市は寒そうに浅瀬にひざまずいている。熊次郎が神主、元市が審神者と役割を分担して、見よう見まねで幽斎修行をしているらしい。
 喜三郎が熊次郎を知ったのは、斎藤元市の紹介による。鎮魂帰神術に非常な興味を示し、園部に霊学会支部の設置を望んだ。ために喜三郎は稲荷講社に推薦して「社長」の辞令をもらってやった。ところが前述のように、熊次郎は三矢喜右衛門を篭絡し、園部に主導権を奪おうと、喜三郎排斥の動きを示した。喜三郎は元市の息子仲市を使者に立て、その陰謀を一時鎮静させたが、いまだに熊次郎と元市とはひそかに連絡し合い、何かを企んでいるようだ。
 一心不乱に祈る彼らの祝詞はどこか濁っている。こんな言霊で正神の憑るはずがないと憂慮するうち、熊次郎の全身があやしくくねり出す。やがて両手を頭上にさし上げ、ものものしく宣言した。
「吾こそは正一位久吉大明神でござる。汝の信仰心を愛でて、伺いの筋あらばかなえてとらせる。遠慮のう申してみい」
 離れた岩上から、喜三郎がそっと審神してみれば、明らかに偽神がかりだ。けれど体験の浅い元市にはその判別はつかず、浅瀬に座して拍手し、とびつくように問いかける。
「これはこれは、ありがたくもかたじけなくも正一位久吉大明神さまでござりまするか」
 審神者の基本は、まず憑霊の正邪を見きわめることにある。ところが元市は、最初から正神ときめこみ、随喜しているのだ。熊次郎は調子に乗り、頭上にかかげた両手を左右に振って、
「いかにもさよう、こんな霊験あらたかな神は、めったに人の肉体には憑らへんど。下司熊次郎の清き肉体なればこそ、特別に憑ってやったんや。ありがたく思とけよ」と、方言まじりの御託宣――。
「ははあ、わしの願いをさっそくお聞き届けになり、ようこそ下司熊次郎の肉体に憑ってくれました。願いちゅうのはほかでもない、村で鼻つまみの安閑坊喜楽に憑った相場の天狗はんの御託宣では、このあたりの山中に五万円の大金が埋まっとるそうでござります。ところがあんた、喜楽の奴、宝のありかを知りながら、富を一人占めにしようと欲ぼけて、何とかかとかごまかしくさる。どうぞ久吉大明神さま、五万円のありかを、わしにだけちょこっと教えていただきとうございます」
「五万円のありかか……さて、それはのう……」
「さて、それは?……」
「うーむ、うーむ」
「どうぞどうぞ……」と元市は、白髪頭を水につけては拝み倒している。
「斎藤元市よ、肉体がこう寒くては持ちきれぬ。神は引きとる」
「そんな殺生な。ま、まっとくれやす。今引きとられてもたら、何のための苦労か分からへん。神さんが金を持ってたかて使い道はなし、出し惜しみせんと気よう教えとくれやすな」
「元市、お前はなんぼや」
「へえ、五十歳ですわ」
「人生わずか五十年、そろそろお迎えも近かろう。現界のお宝はあの世へは持って行けまい。かえって金の執着が重荷になって、地獄の底へ堕ちねばならんぞ。それよりも、この神を熱心に信仰してみい、死んだら極楽のええとこへ導いたる。現界で五万円を掘り出して永遠に苦しむか、それともそんな執着をさらりと捨てて極楽で幸福に暮らすか、どちらを選ぶかはお前次第じゃ」
「神さん次第やのうて、よかった。そんならやっぱり五万円や。さて、金のありかは」
「うーん、その……奥山の……」
「奥山いうても広い広い。奥山のどこですねん」
「つまり奥山の……屏風岩の下かげを探してみい」
「おおきに、おおきに、ほんまにおおきに……ところでことのついでに、下司熊次郎の肉体を貸しとくれやす」
「はて、熊次郎の肉体をどうするつもりや」
「奥山の屏風岩まで案内させるんですわ。もし嘘やったらあかんさけ……」
「ぶ、無礼者、神示に二言はないぞ。神の肉宮を召使いにする気か」と、熊次郎は声を荒げて叫ぶ。
「は、は、はあ」と元市は平つくばりながらも、なお執念深く言葉をつぐ。
「決して疑うたわけやおへん。けどでっせ、屏風岩ちゅう名前は聞き初めやし、場所かてかいもく分からへん。ほんでに熊次郎を連れてって、ときどきあなたさまにお指図を――」
「しからば熊次郎の肉体を貸してやらんこともない。もとよりこの久吉大明神は神やさけ報酬を求めはせんが、そやけど、そやけどやど、わしに使われる熊次郎の肉体までただ働きさせる気け。それでは熊次郎があまりに気の毒じゃわい」
「熊次郎には、さきほどどぶろくを呑ましてやったさけ……」
「ばかもん、子供の使いではないぞ。酸っぱなったどぶろくに、ひね沢庵のつまみぐらいでごまかす気か」
「そう言わはっても、十円の金もしんどいこの際やさけ……五万円を元手に相場で儲けさしてもろたら、その時に何ぼかお礼さしてもらいますわ」
「阿呆んだら、熊次郎の肉体は金などほしがりはせん。欲に目がくらむような男には、神はかからんわい」
「ほないったい、何を御礼にやったらよろしいんやろ」
「その方の義妹の志津を熊次郎の女房にやれ」
「へえ、志津をでっか。そらまあ、あいつも三十三までいまだに嫁かずやさけ、やらんことはないけど、かんじんの熊次郎がもろてくれまっしゃろか」
「それはわしに任しておけ。熊次郎は神に絶対服従のまことの信仰者じゃから、たとえ心にそまんでも神の命にはそむかんわい」
「けどよう考えたら、熊次郎にははるちゅう嫁はんも子もおりますけど……」
「はるは病身で、もう二年越しのわずらい、里に帰しておる。死期が近づいておるわ」
「ほんならおはるはんが死んでから志津を後妻に……」
「それまで待てん。神業は一刻の遅滞も許さんわい。とりあえず志津を内縁の妻として迎え、はるの死後、正式の妻にすればよい」
「そんなことで、志津が承知しまっしゃろか」
「そこを承知させるのや。熊次郎と志津は昔からの霊魂の夫婦やさけ、そこの因縁をよう説いて聞かせよ。神が頼む」
 話は容易ならぬ方向に進みはじめている。白衣の喜三郎は日漏る岩上にすっくと立ち上がり、大声でうなった。
「出、出たあ、天狗が出たあ」と元市は悲鳴を上げるなり、着物つかんで走り出す。熊次郎もわめきつつ元市の後を追う。こけつまろびつしながら、二人は見えなくなった。
 しんしんと夜は更けて行く。聞き覚えのある祝詞の声、提灯の光が夏草茂る谷道を見えつ隠れつしながら近づいてきた。喜三郎は木下暗をさいわいに岩上にひそみ、待ち受けた。提灯を滝のそばの木の枝にかけ、着物を脱ぎ捨てる女。二十貫のしろじろした巨体が、谷間の闇に浮び上がる。それが多田琴と気づいて、喜三郎の胸は騒いだ。長い黒髪を肩に垂らし、豊かな乳房を飛沫に打たせて滝あびる女の姿は、悽惨ですらある。うわごとのように叫ぶ琴の祈言を聞けば、何日も帰らぬ喜三郎の行方の詮索だ。
 女の執念に怖気立ち、心でわびながら、喜三郎はそっと滝を離れて崖を登る。尾根伝いに松林まで来ると、東の空のほのあかりの下で、熊次郎と元市がまだ何事かを言い争っている。喜三郎はそばの松の老樹に登り、また一声うなった。二人は一目散に逃げ出す。
 夜の白々明けに高熊山へ戻った。岩窟の中には村人らが訪ねてきたらしく、飯粒のついた竹の皮が残っている。急に米の飯が恋しくなった。持参のパンも尽きている。あまり琴や家族の者に心配させてもすまぬ。喜三郎は重い足を家へ向けた。

 大半の農家が麦刈りをすませ、田植えの準備をしている。上田家では、喜三郎の神さまぼけで人手が足りず、まだ麦も刈り終わらぬ。弟由松の怒声にあおられ、白衣を野良着に着替えると、喜三郎は山すその小作田へ追いたてられた。
 熟れ麦の根方に、雲雀の巣を見つけた。嘴の黄色い雛たちが、親と間違えたか、喜三郎を見上げて可憐に口を開け、鳴き立てる。
 ――この麦を刈りとったら、雛は死ぬやろ。けどここだけ残しとくわけにもいかず、どないしょ。
 手を止めて思案する間に、由松の怒声が飛ぶ。
「何ぼけーっとさらしとるねん、このせわし時に――」
 寄ってきて雲雀の巣を見つけるや、由松は兄を押しのけ、巣をけっとばして麦を刈る。羽もそろわぬ雛たちはばたばたもがき、逃げまどう。ふところにかくまってやりたくても、できなかった。博奕気違いの由松まで汗水たらして働いている。母も、琴も、十七歳になった妹の雪も、わきめもふらず麦を刈る。この農繁期に仕事を放擲して山にこもる長男に、彼らは無言で背を向けているのだ。
 小さな田を一枚刈り終わり、女たちが次の田へ移動している間に、喜三郎は牛に田をすかせる。だがその間も思いは高熊山へ飛ぶ。霊界であった神々から、もっと深く教えを乞いたい。国常立尊・日の出神・稚姫君命・木の花姫、それにオリオンの玉手箱と……エロスの女神。
 がくっと体がつんのめった。気がつけば、牛にひかせた犂の刃先がもろくも折れている。牛が振り返り、あきれたように喜三郎を見る。由松がとんできて、大声でどなった。
「おい、兄やん、なんちゅうことさらすねん。神さん祀った罰で、犂が折れたやないけい。この魂抜けが」
 理不尽な罵倒にも返す言葉がない。
「すまん、すまん、すぐ買うてくるさけ」
 穴太に犂先は売っていない。喜三郎は一里先の亀岡に走り、犂先を買ってきた。だがその犂先は大きすぎ、折れた犂に合わぬ。父ゆずりの癇癪持ちの由松は、こめかみに太い青筋をふくらませ、ぶるぶる震えながら怒りの爆発を押えている。
「く、くそ、ぼけ兄貴にはもう頼まん」と由松はしゃがれ声で呻くと、犂先を取り替えに亀岡へ走る。
 折れた犂を虚脱したように見つめながら、農事に力の入らぬおのれをしみじみ悔いるのだった。

 一日の労働でくたくたに疲労しながら、幽斎修行の誘惑には勝てぬ。この夜もそっと家を抜けだし、十三夜の月明りに魅入られたように高熊山に登った。
 琴滝の見下ろせる山腹に大岩があり、その形がどことなし女性の陰部に似ている所から、喜三郎は雌岩と名づけている。その雌岩の背に月が照り、かたえに暗く影を落とすあたりで、喜三郎は瞑想にふける。
 ひそひそ声に瞑想を破られた喜三郎は、滝の上にしのび寄り、息をころしてうかがった。裸の熊次郎と元市が細々と落ちる滝を浴びている。肋骨の壁下地が夜目にも見えるほど痩せこけた二人が全裸で滝あびる状は、さながら地獄の亡者である。月光は二人の鰈の如き背を骨も通れとさし貫く。
 やがて二人は、怪しげな鎮魂帰神を始めた。神主の熊次郎と審神者の元市は初めは小声で何かやりとりしていたが、急に熊次郎が声を荒げた。
「おれさまを疑うとは何事や。おれこそはまことの天狗、ありがたいぞ、もったいないぞよ」
「決して疑うてまへんがな。けどですなあ、あなたさまの憑ったはる下司熊次郎の行いがどうにも腑に落ちまへん。博奕を打つわ、悪どいことをして人を泣かせるわ、でっしゃろ。そんな立派な天狗はんやったら、何で熊次郎みたいな男にかからはるのか、どうにも合点がいかん」
「神の道にいながら、人をそしるとは何事じゃ。けしからん。たしかに熊次郎は悪事を重ねたけれど、改心したら、神は今日からでも使うのじゃ」
「その熊次郎を奥山まで連れ出して探したけど、五万円どころか屏風岩の場所さえかいもく分からへん。わややがな」
「ちょっと滝を浴びたぐらいで五万円が手に入ると思うなど、虫がよすぎるわい」
「ほんまに天狗はんは、五万円のありかを知ったはるんやろか」と、元市は心細げに呟いた。
「また疑う。お前の義妹を熊次郎の妻にするなら、五万円とはいわず、百万円のありかでも教えてやるわい」
「そりゃもう、金のありかさえ知らしてくれはったら、志津は今すぐにでもさし上げますわい」
「阿呆か、神に頼み事する時は、まず賽銭を上げるのが先やんか。順序が違うやんけ。まず志津をわしの妻に……」
「何やて……天狗はんの?……」
「いやいや、うん、熊次郎の妻に差し出せ」
「そやろなあ、そやけど、もし志津を熊次郎の妻にやった後でだまされたと分かったら、わしの嬶にすまんしなあ」
「現金な親父やのう、ほんまに欲ぼけくさって。お前は神第一ちゅうことを知らんのか。どこまでもこの神がかりを疑うんやったら、勝手にさらせ」
「何言うたはりまんねん。勝手にするぐらいやったら、誰が好きこのんで真夜中にこんなとこまで来ますかい」
 色と欲とに呆けた同士、どっちもどっちやと、喜三郎はこらえきれずにふき出した。しばらく沈黙の後、元市が言う。
「天狗はん、どうやらあの笑い声は安閑坊喜楽でっせ」
「うん、間違いない。探し出して八つ裂きにせい。神、今より引き取るぞ。うーん」
 熊次郎は正気に戻ったふりして、地のどら声で叫ぶ。
「喜楽の奴、きっと岩屋に行ったに決まったる。つかまえて、どつき廻したれ」
 手早く着物をまとい左右に分かれてよじ登る両人を、喜三郎は雌岩のかげにうずくまり、息を忍んでやり過ごす。見つかったら、今度こそ半殺しにされそうだ。蚊に刺され、夜霧に湿り、苦しさをこらえた。
 しんしんと夜は更けわたり、月は高く頭上の木の間に輝く。もうあきらめた頃だろうと、喜三郎は雌岩の影を這い出て、岩窟近く忍び寄った。驚いたことに、二人は執念深くまだ神がかりごっこを続行中だ。「五万円のありか、ありか」を連発する元市の上ずった声に追いつめられ、もて余し気味の、熊次郎のげんなりした声が答えている。
「どうや、元市、五万円よりも、さしあたって小判千両のありかで手を打たんか」
「小判千両がなんぼの値打ちやらよう知らんけど、それでも結構や。ほんなら千両箱のありかは?……」
「高熊山の三つ葉つつじのその下に、小判千両埋けてあるわい」と熊次郎は、もったいぶって託宣した。
「そんなん、誰でも知ってるこっちゃ。山の伝説やんか」
「確かに伝説はみな知っとるが、三つ葉つつじのありかは知らんやろ。三つ葉つつじのありかを探して、その下を掘れば出る」
「そやさけ、そのかんじんの三つ葉つつじはどこにありますのや。あんたが神さんやったら、すぐ知らしとくれやす」
「うーむ、そんな無茶いう奴は、神も困る」
「何が無茶や。三つ葉つつじのありかも知らん神やったら、偽神がかりやろ」
「お前は神信心は表向きで、ぬかすのは金・金・金ばかりじゃ」
「お前こそ、神を鰹節(だし)にして、お志津を奪ろうとしてけつかるのや。今夜中に金のありかが分からなんだら、尻くらえ観音じゃ。偽神がかりになど、大事なお志津をやってたまるけい」
「ふん、あんなちんこい女……土堤南瓜の、お多福のすべた女を誰がもろたるけい」
「ぬ、ぬかしやがったな。ああ、腹が立つ。もこもこ腹が立ってきよった。今までお志津、お志津とぬかしよってから……」
「そんな無礼な口をきくなら、絶対に金のありかは知らさんわい」
「お前みたいな偽神がかりに聞くなら、喜楽を探して聞くさけ、ほっといてくれ」
「こら、くそ親父、喜楽に聞くぐらいやったら、この真夜中になんでおれを引っぱり出したんや、馬鹿たれ」
「馬鹿やてか、馬鹿やてか、ようぬかしくさった。言うたらすまんが、この斎藤家はのう、元は持高二十七石六斗三升四合、牛一頭持った穴太の大地主やど。つまり村の公爵さまや」
「お、おれかて、尋常大学卒業生や」
「そんな大学、知らんわい」
 くだらぬ口論の果て、ついに二人はなぐり合い、つかみ合った。組み合ったまま地に倒れ、憎悪むき出しの醜い形相で崖っぷちまで転げていく。見かねた喜三郎が止めにとび出した時、二人は足を滑らして悲鳴と共に視界から消え失せた。思わず喜三郎は、天地の神に両人の無事を祈る。
 滑り落ちるようにして谷底に下りると、熊次郎と元市が組みついたまま失神していた。谷水をすくって顔にそそぎ、大声で名を呼べば、ようやく息ふき返す。
「あ、喜楽はん、助けてくれたんか。おおきに、おおきに……」
 元市は心細げに涙を流して感謝したが、熊次郎の方は意識が戻るや、手足の傷を月明りで確かめながら、ぼつぼつ喜三郎にからみ始めた。
「気絶くらい、夜霧にぬれたらほっといても戻るやろ。それを頼みもせんのに顔中べたべたにしやがって。それはまあ、ええとしょうかい。けどこの手足の傷はどうしてくれるねん」
「な、なんやて」と喜三郎はぽかんとしている。
 元市は泣きながら、熊次郎に食ってかかる。
「こら、熊次郎、なんちゅう罰あたりな。この喜楽はんのおかげで命が助かったのに、恩を仇で返す気け」
「おっさん、何めでたいこと言うとるねん。精州の滝でおれたちをおどしくさったんは、この喜楽やど。今も魔術を使うて、わしらを突き落としやがった。分からんかい、わしらに恩を売るために、親切ごかしに助けたんじゃ」
「ふーん、そう言えばそんな気がする。やっぱり魔術やろか」と、元市は考え込んだ。
「決まっとるやんけ。どうでも明日、警察へ訴えたる。この元市はんが生き証人や。いや、元市はんも被害者やぞ。それとも何け、示談金代わりに、奥条に預けたるとかいう乳牛をくれるけ」
 乳牛と聞いて、元市が目玉をむく。喜三郎は苦笑した。
「えらい言いがかりや」
「なあ、喜楽はん、ここはよう思案せいよ。警察ざたになってみい。お前はまた飯綱使いやの魔術使いやのと村中に責められて、あげくはごつい罰金払わんなんど。乳牛一頭の方が何ぼかええで。それともここで五万円のありか白状するかどっちするねん、よう」
「五万円のありかは知らんが、千両のありかなら知っとるで」
 喜三郎が言えば、二人は急にしんとなり顔見合わせた。
 やがて熊次郎がとび上がり、両手を頭上にさし上げて神がかりを始める。
「おれは大天狗さまであるぞ、こら、喜楽、大天狗が命じる。千両のありかをたった今、素直に白状せい」
「あんたも大天狗はんなら、それぐらいのこと、お見通しやろ」
「う、うーむ、おれはその大よりはちょっと下や。喜楽、頼む、金のありかを教えてくれ」
「野天狗のうつるような下司熊次郎には教えるわけにいかん。もっと修行してこい」
 元市はにじり寄り、両手を合せて涙声になる。
「喜楽大天狗さま、頼んます。これ、この通りや。千両がだめなら五百両でも百両でも……」
「よっしゃ、教えたる。万両(ヤブコウジ科の常緑小低木)は斎藤元市の屋敷にあるがな。千両(センリョウ科の常緑小低木)ならこの山にもなんぼでもある。赤い実をつけて生えとるわい。警察に訴えたかったら、遠慮なしに訴えてくれ。ほな、さいなら」
 わめき立てる二人を谷に残して、喜三郎は身軽に山を駆け上がった。
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