王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち
文献名2美 >俳茶一味よみ(新仮名遣い)
文献名3茶道よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2016-11-28 13:38:55
ページ210 目次メモ
OBC B195303c336
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1094
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  裏表四十八手を叩き折る隻手の声の聞こえる人間でなければ、茶道の神髄は分からない。
 茶事はすなわち禅の具体化、俳味の生活化で、そこに俳茶一味の響きが味わえるのである。東漸してきた仏教が、民族的体験、人格的発揮によつて原形を破壊し、新しい生命を生みだしたのであつて、宗教であるとともに芸術であり、また科学ともみられる。形の上から見て茶道と呼び、内容に聞いて俳味ととなうが、究竟すれば同根で、日本文化の洗練されたる紅白二種の色である。
 維摩の方丈と月宮殿の宝座に大千世界を観ずるの人は、四畳半裡の閑寂を破る風炉の音に、天地の父音母音を聞く人である。一句、一歌にして、江山万里を髣髴せしむる大詩客である。紹鴎や利休は一代の詩客であり、躬恒や、西行は一世の茶人である。大威神力はすべて孤寂の相に潜んでいるものだ。孤節飄然として、鴫立つ沢の秋の夕暮れに寂寥を歌つた西行は、北面随一の荒武者義清であつたではなかつたか。無言の言に○○をひざまずかした国師大燈は、橋下塵上の流れを枯木叫風と観じたる乞食である。豊公が掻乱反正の深謀秘策も、利休の四畳半から叩きだしたというのも不可思議ではない。東風ひとたび荒野を撫すれは千紫万紅一時に匂えど、九旬の春過ぐれば青一色で、ただ一月の天半にあつて然するのである。千億万を知るよりも、この究竟の一事に参徴すればたる。水泳は鱗族と競い泳ぐためではない。牛馬と駢馳してその健脚を誇つてはならぬ。
 人世を茶化して一個半個を説得せんがために、茶を鬻ぎつつお経の文句を書いていた売茶翁の行為も、あまり徹底したとはいえないが、死にのぞんでまず茶器を荼毘に付した風懐や、十徳幇間とはいえ「浄らけき布巾だにあらば茶は飲めるものに候」と、茶器を購いくれと某藩主から送つてきた三百金に添えてかえした利休の風流にも、また一顧の価値はあると思う。西行や、芭煮の簔笠相に捉えられて、その残糟をすするの従や、達摩の不識や自隠の毒を喫するの輩や、道具好みに浮き身をやつす成り金茶客、比々形式に堕し言筌にもてあそばれる徒輩である。ゆえにどうして捨てることがつかむことであり、亡びるは得たと思う刹那と気注うぞ。栂尾の明恵が茶をつくつて弟子に飲ましたのは、千八百則の公案よりも、一服の茶が正眼を開かしめたからである。栄西の「興禅護国論」よりも「喫茶養生記」の方が、禅味があるようである。
 反省一番、真の俳味を復活せんとして、宗教家たる瑞月は茶器をつくり、茶道を奨励し、俳句、和歌、詩を弘通し、花壇、温室などを開いて、真の宗教すなわち俳道、茶道、芸術を専心唱導するゆえんである。
(「明光」昭和4年3月)
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki