王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1出口王仁三郎著作集 第3巻 愛と美といのち
文献名2宗教 >真の宗教よみ(新仮名遣い)
文献名3宗教なしよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2016-11-28 02:53:55
ページ222 目次メモ
OBC B195303c406
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1101
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  惟神の道を宣布しつつある吾人をしていわしむれば、人間のこの地上に発生せしときにおいて、すでに、宗教なるものは生まれているのである。
 人間には智・情・意の三霊が存する以上、その内分的活動はたえず宗教心となって現わるべきものである。神が人間に愛善の心、信真の心を与えたまうたのは、現実界のみのためでなく、神霊界に永遠無窮に生活せしめんがための御経論である。ゆえに宗教は現代の政治や倫埋や哲学の範囲内におさまるような、そんな浮薄軽佻なものではなく、人間の真生命の源泉であって、人間は宗教によって安息し、立命し、活躍しうるものである。いかなる無宗教家をもって自任する者といえども、すわ一大事という場合にならばかならず合掌し、天の一方を拝して、その苦難をまぬかれんとするにいたるものである。国家も、国境も、人種も、政治も、倫理も超越して、真の生命に活きんとするのは、宗教をおいて天下一なにものかあらんやである。
 現代の宗教は政治の一部としてとりあつかわれ、天来の権威も、信用も全然地をはらい、わずかにその余喘を保っているにすぎない。実際のことをいえば、今日の世の中には宗教らしき宗教は皆無である。遠くの昔に宗教の生霊は死滅しおわって、その残骸がのこっているだけである。有害無益の厄介物となってしまったのである。ゆえに惟神の聖教を説くところの宗教は、俗悪きわまる政治の一部として、俗吏などより監督せられなくてはならなくなったのである。
 吾人の唱うる宗教なるものは、天地惟神の聖意のままに、愛善と信真の発達に向かって進むのであるから、すべてに超然として立っているのである。政治や倫理などは、じつは宗教の一部分の活用にすぎないのである。ああ、真の宗教の光は東方より輝きはじめたり。すべての人間は本然の誠、すなわち惟神の大精神にたちかえり、現界における最善をつくし、しかして後、天国永遠の大生命にいり、太元神の大意志にかないまつり、人としての本分をつくし、容易に会いがたき人生をして、酔生夢死に終わらしむることなきをこいねがわねばならぬのである。
 要するに宗教なるものは、政治でも、哲学でも、倫理でもなく、人間の真性の発露であって、大根本の意識であり、人生本来の聖糧である。ゆえに天下一人として宗教心のないものはないはずだ。無宗教者とみずからいっている人々にも、形骸的の宗教はないとしても、心の奥には歴然として宗教心がかがやいているものである。人間本来の精神に吻合するものでなくては、宗教の名を付するは少しばかり僭越である。ゆえにいわく、現代には一つも宗教なしと。
(現代には一つも宗教無し、「神の国」大正14年10月)
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki