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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第3章 >2 小学校の生活よみ(新仮名遣い)
文献名3代用教員よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ115 目次メモ
OBC B195401c1322
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本文  小学校中退で代用教員になるというようなことは、現在ではとうていできないことだが、当時としても珍しい例であった。普通小学校の教員養成のためには、すでに師範学校が設けられていて、教員の資格については、小学校教員は年齢二〇才以上の師範学校又は中学校卒業の者、中学校教員は二五才以上の大学卒業者をもってあてることが規定されていた。喜三郎はもちろん正式な教員ではなかったのだが、たとい助教員としてでも、わずか一二才の若さで一年余り教鞭をとったことは、その才能の一端を物語ってあまりがある。
 教育内容の基準については、一八七二(明治五)年に公布された「小学教則」によると、「下等小学教書」─綴字(読み並びに盤上習字)・会話(読み)・書牘(解意並びに盤上習字)・養生法(講義)・体操・習字(字形を主とす)・読本(解意)・文法(解意)・地学大意・唱歌(当分これを欠く)・単語(読み)・修身(解意)・算術(九々数位加減乗除)・理学大意であった。
 一躍生徒から先生になった喜三郎は、黒板に字を書くのにもふみ台が必要で、満一二才の少年では、教授法の心得がある道理もない。教室では、法も型もなく思うとおりにしゃべり、生徒の質問がむつかしいときは、「そないこと先生は知らん、あした調べて来ておしえたげる」と正直にカブトをぬいだ。生徒はかえって非常な親しみをおぼえ、先生のいうことを素直に聞いてくれるので、生徒のとりあつかい方は、喜三郎の方が、教授法を何冊も読んでいる他の教員よりも、うまかったという。それにはなにも秘訣はなく、喜三郎は、ただ弟か妹のように生徒を愛し、寸分もごまかすことをしなかったのである。のちに、大本教義のなかで教育の本義を論じているが、それらもこのころの体験と無関係ではないと思われる。

〔写真〕
○1872(明治5)年ころの「小学読本」 p116
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