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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第6章 >2 水と火のご用よみ(新仮名遣い)
文献名3出雲の火のご用よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-08-15 12:32:46
ページ227 目次メモ
OBC B195401c1622
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本文  「もう一ど出雲へ行て下されたら、出雲のご用を出来さして、天も地も世界を平均すぞよ。このご用をすまして下さらんと、こんどの大もうなご用はわかりかけがいたさんぞよ。わかりかけたら速いぞよ」(明治34・旧3・7)との神示によって、一九〇一(明治三四)年七月、開祖は上田会長(海潮)・すみ・四方平蔵・福島寅之助・木下慶太郎・竹原義房・上田幸吉・四方藤太郎・野崎宗長・福林安之助・杉浦万吉・内藤半吾・村上房之助・四方甚之丞らの一行一五人で、出雲大社へ参拝することとなった。筆先に「三十四年に世の立替えをいたして、世界には火と水とで不思議があるぞよ」とあって、前年の末以来、立替え立直しの切迫を信じこんでいた多くの役員たちは、この参拝がすめば神界の因縁がわかり、大望が成就するものだと考えていた。
 当時会長は神経痛で足がいたみ、歩行が無理であったから参拝をことわったが、開祖はこれを許さず、ぜひとも一家そろって参詣せねばならぬとした。そこで、古い人力車を買い求め、木下慶太郎ほかの役員たちが、これをひいて参拝することになったが、いよいよ出発というときに足の痛みがとまったので、もはや車は不用になった。
 七月一日(旧五月一六日)一行は例によって、ござと笠、さらしの脚絆に紙まきぞうりで、今回は、とくにそろいの浅黄のかみしもを着用して綾部を出発した。開祖は六十五才の老齢であったが、二〇〇キロの長途を、往復ともいつも一行の先頭にあった。まずその日は、福知山市竜原の大勝旅館で宿泊(宿泊料一人三五銭)、翌二日は兵庫県養父郡堀畑(二四銭)、三日は関の宮をへて但馬の村岡町に宿泊(二五銭)、ここでは宿屋荒しにねらわれたが、開祖のけい眼で難をのがれることができた。四日は因幡の岩井温泉駒屋に宿泊(三〇銭)、五日鳥取県の米村字平方で宿泊(三五銭)、六日は鳥取市市川端二丁目の大社分院に参拝し、茶町・鋳物師町をへて千代川を泥舟で下り、当時山陰一の漁港・加露の船問屋・雲井旅館に投宿(三五銭)した。
 ここからは、海路をとる予定だったが、荒天のために八日まで逗留することになった。おりから日露戦争前のこととて、伊藤祐亨海軍中将が日本海岸視察にきて同宿していたので、開祖は伊藤に紙の話をし、筆先を一枚わたした。加露の宿では、会長に三代直日の誕生にちなむ霊夢があった。この逗留中に烏賊の中毒で、下痢をし疲労した者もあったが、日和が定まらないので、コースを陸路に変更し、徒歩で東伯郡橋津字梅原で宿泊(二八銭)、ここからさらに舟を仕立てて美保神社に参拝し、松江までいって大橋旅館に宿泊(二八銭)した。一一日は小蒸気船で平田へ向った。そのとき開祖は、海上で梅の杖をもって一行に指示し、「このあたりは神がお仕組をされている」といったが、そののち山陰地方で大本の教が早く開けたのは、この松江附近であった。平田から鳶巣をへて夕刻大社の町に到着、一行は千家邸門前の宮亀旅館におちついた(六五銭)。館主は佐藤亀之助といい、出雲大社の役職をもっていたという。
 一二日には、出雲大社に参拝して神楽をあげ、八足門内に参入して祈願をこめた。そして、大社から神火の消えずの火と、御饌井の清水と、社殿床下の土をもらいうけ、火は桧皮製の火縄に点じて持ち帰ることにした。帰路は、稲佐の浜から松江丸(大阪商船の西回り船)に乗り、島根半島を回って、境港に上陸して一泊(船賃七五銭、宿泊料三七銭)、米子をへて逢坂村下市で泊り(二五銭)、赤崎から乗船して船中で夜を明かし、浦留についた。ふたたび岩井温泉の駒屋に泊り、ついで村岡、八鹿の宮田(二七銭)、福知山(三五銭)と旅を重ねて、七月一九日には福知山で役員・信者二百数十人の出迎えをうけ、二〇日無事綾部に帰着した。
 綾部は、このころ日清戦争後の景気の影響をうけ経済界は活気づいていたが、小額紙幣不足のため、綾部貯蓄・明瞭の二銀行が私製の不換小額紙幣を濫発したので、悪性インフレの空景気となった。六月一八日、銀行は取付けにあって破産し、地もとの資産家・門閥・顔役などが打撃をうけて没落するなど、大騒ぎの最中であった。開祖は一ヵ月前預金をしていた二〇〇円を引出して今回の旅費に当てられていたので、その被害をまぬがれることができた。
 出雲まいりの主たる目的は、大社の神火をもらってくることにあった。筆先に「元伊勢のうぶのお水で世界の泥を澄ますのであるから、水は元伊勢、火は出雲、水と火とで世界には厳しきことがあるによって、世界の人民の身魂の洗濯いたさんと、厳しきことが始まるぞよ」(明治37・旧2・10)とあり、また「世の立替えは、水の守護と火の守護とでいたすぞよ」(明治34・旧3・7)とあって、大社の火は元伊勢の水とともに、「世界の泥を澄ま」し「世界の人民の身魂の洗濯」をするはたらきとなり、この水と火の守護により、世を立替えられるというのである。出雲大社の神火は、社伝によれば、天穂日命の神代から引き継がれて代々消えずの火として点火されていたものという。また、国造代替りの相続式には、熊野神社から新しい火燧臼、火燧杵をもらって点火するという火継ぎの神事がながく行なわれており、国造は一代その火で煮たきした物を食し、残りは他人に食させずにすて去るのがならわしであった。火種は番人をおいてたやすことなく、これを他に譲与した例はこれまでにはなかったという。歌集『浪の音』に〝火と水と砂を請へどもなかなかに与へざりけり大社の教師ら〟〝宮亀を介して相当の金を出し砂と火水をようやく貰へり〟とあって、容易にもらえなかったことがわかる。
 砂は瑞垣内の土であり、水は御饌井戸の水である。消えずの火は、三本の火縄に点じて持ち帰ることにした。一本は米子で煙草の火に使用されてけがれ、他の一本は伯耆からの船中で天井につるしておいたのが、波のしぶきに濡れて消えた。会長が所持していた残りの一本が大切に保管されていたが、福知山で竜神の巻きついた火鉢(三円五〇銭)を売りあるく者があったので買い求め、それに納めてもち帰った。綾部では、火を点じて祭典をおこない、火を絶やさぬよう番人をつけて見守っていたが、その後、開祖に相談したところ、天に預けることにせよとのことであったから、その火を蝋燭一五本にうつして天にかえすことにした。
 出雲のお土は七月二三日(旧六月八日)、開祖のいいつけで三班に分かれ、宮屋敷とりをした。第一班は木下慶太郎・中村竹蔵が、大本から和知川に沿って下流位田渡場まで撒き、中筋をへて帰ってきた。第二班は四方平蔵・村上房之助で、大本から和知川に沿って上流に上り、本宮山側田野川をのぼり、安場から四ツ尾山を一周して中筋をへて帰ってきた。第三班は八月二一日(旧七月八日)田中善吉・杉浦万吉が、京都市二条城の周囲、鞍馬山表坂から裏坂へでて貴船神社まで撒布した。出雲のお水は金明水の井戸に差し入れ、残りの水は金明水と合わせて、七月二五日(旧六月一〇日)、開祖・会長・すみその他の信者ら六八人が沓島参拝をし、竜宮海へ注いだ。
 出雲のご用は、火と水と土のご用であったが、開祖は神懸りになったはじめのころ、隣り屋敷へ小石を投げて、ここへ出雲の社が建つと予言していた。
 また、神諭には「綾部町本宮神宮坪の内は、神に昔から因縁のある結構な神の元の霊地であるから、明治二十五年から、神界の経綸で、世界一切の大本と相定まりたから、八百万の神を集めて、世の立替えの本をはじめる所であるから、人民では見当のとれんところであるぞよ。神宮坪の内に御三体の御宮を建て、天の大神さまをお祭り申し上げてあるのは、毎年旧七月七日天地の大神が御相談あそばす元の場所、陸の竜宮と相定まりたからのことであるぞよ」とあり、これまでは神々が出雲で集会していたが、明治二五年の神定以来、綾部の大本で集会するさだめになっていたといわれている。その集会が七日間おこなわれるという旧七月六日には、七夕祭をおこなってきたが、現在は神集祭とよび、旧七月六日より一週間、鶴山で毎夕祭典をおこなっている。

〔写真〕
○駒屋旅館(のち「霊界物語」口述の場所ともなった) p227
○賀露の浜 p228
○綾部では私製の不換小額紙幣が濫発された p229
○出雲大社の火きりの行事 p230
○御饌井戸-出雲大社の拝殿横 p231
○元伊勢・内宮-皇大神宮社 p232
○出雲大社 p232
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