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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第3編 >第2章 >2 事件の影響よみ(新仮名遣い)
文献名3大本教改良の意見よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-11-22 11:22:12
ページ591 目次メモ
OBC B195401c3223
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本文  大本事件にたいする記事が解禁となり、予審決定の発表によって、大本教団が不敬不逞の大陰謀団であると、各新聞が極端な捏造と悪罵をあびせかけている折りしも、京都府警察部高等課は、五月四日王仁三郎が予審に差しだしたという「大本教改良の意見」を、五月一二日午後三時、非公式で発表した。その内容はつぎのとおりである。

一、大本信条の改正
右は第五条、第六条、第七条、第八条、第九条、を改正又は削除すべき必要ありと自覚致し候
一、大本誓約の改正
右は第三条の「神を敬する如く人を敬し身を敬すべし」とあるを、「一、大神を敬し皇室を敬ひ国を愛すべし」と改正したき事
一、出口直及び王仁に神憑りして、書きたる所謂神諭(筆先)なるものは今日に至り熟考致し侠へば第一に不敬なる文辞ありて畏れ多く且正しき神の教と認むる事能はず、次に予言等も偶々あれども的中せず万々一的中せし如く見ゆるところあるも偶然の暗合なりと考へられ候
今まで私は明治三十二年頃筆先を初て見て、半信半疑なりしところ日露戦争ありて稍之を信ずる様になり、次に欧洲大戦争に見て筆先を九分半程も信じ浅野氏の来綾と共に全部信じたる次第に候。今日思へば実に私の精神も余程妙になり居りしことと思はれ畏れ多く且つ愧しさに堪へ兼て居ります。最初は極めて冷静なる態度を以て筆先に臨み古い信者や直より反対者と看倣され居りしものが二十余年の間にチクチクと曳き入れられ最早大正六年頃には筆先に対して抜く可らざる信仰を持し居りました。夫れが為に今回の如き不調法を致しました。今日考へますれば神憑の筆先なぞは邪神のイタヅラにて有害無益の代物とより考へられず今の内に直及び王仁に憑りて書きたる筆先を全滅させたきものと中心より考へ神様へお詑申上げ
大君様へ朝夕謝罪致して居ります。
次に私は今まで大正六年以来神諭(筆先)なるものに盲目的に信従いたしました為不敬の記事も余り不敬と強く感ぜず、邪神の為に良心を魅せられ居り実に今日となりては畏れ多く且つ愚昧なりしことの愧かしくて向ふむいて歩くのも心苦しく御座います。今日目が醒めてみれば一日も早く筆先を何とかして滅尽させ度く絶対に発布すべからざる物と覚悟致しました。是は私の神に誓っての真心であります。
一、次に出口直及び私自身帰神の筆先を基礎として書き著したる文章や論説の脱線気味あるものも出口王仁三郎及び浅野和三郎以下役員信者の著作物も採用せざる決心に御座候。世の立替立直しの所説等は余り平穏ならず却て世の誤解を招く虞あり故に皇国固有の純の神道の教を以て大本教の教義と改める覚悟に御座候
一、出口直及び出口王仁の神憑りの作物なる筆先は全部焼却して向後の迷ひの種を消滅せしめ度き覚悟致し居候
一、皇道大本の名称は宗教的団体たる綾部大本教に対して不適当なるのみならず天下の誤解を招く虞ありと思考いたし候に付断然皇道の二字を遠慮し単に大本教と改称致し度候
一、従来大本の祭神は出口直の唱導に従ひまして 日の大神 月の大神 天照皇大神 国常立命 艮の金神 坤の金神 金勝要の神 竜宮の乙姫 日の出の神 雨の神 風の神 荒の神 岩の神 大将軍 のこらずの金神 みろくの大神等の我国の古史典籍になき神名混合しありて、神道か仏道か区別し難きに就き奉祭神を改め度く候
即ち皇典古事記に基きて
一、天津神様にては天御中主大神 皇産霊大神 神皇産霊大神 天照皇大神 皇孫命 伊邪那岐神 伊邪那美神を奉祭主神と仰ぎ
一、国津神にては 国常立命 豊雲野命 大国主命 須世理姫命 産土神 氏の神を奉祭崇敬することに改め真正の国教に致したき覚悟に候
一、従来の大本の教義に就き誤れる点を指摘して各支部会合所及び信徒等に印刷物を以て通知致し度候
一、旧信徒又は一部の信徒にして瑞の身魂、又は大化物の変性女子の言として反対に感取せざる様説明を為し且つ又能ふべくは身を以て之に当り疑惑を晴らし度く候
一、私にして一身上の自由を得たる上は飽く迄も改革を断行し再び従来の如き不都合を来さざる様致し度考回り候
一、大本神諭天の巻及び足立氏の写しの筆先其他の不合理不都合なる事由も神霊界紙上か或は他の方法にて発表し世人及び信徒の迷はぬ様に致し度考へて居ります。
   大正十年五月四日   出口王仁三郎(拇印)

 その「意見」によれば、これまでの大本のあり方とその教典であった神諭を否定して、そのために筆先を焼却し、皇道の二字を廃し、立替え立直しの主長をひっこめ、祭神までをあらためるというのである。この「大本教改良の意見」の発表は、教団をことさら混乱におとしいれんがための、記事解禁にはじまる治安当局の術数のひとつであったことはいうまでもない。しかし、この改良意見がひきおこした波紋はおおきかった。
 責付出獄後の八月、王仁三郎は「弁護士のために」という小冊子をだしている。そのなかで神諭について、上の「一番大将」とは神界では盤古大神を指し、現界でこれをたとえれば、総理大臣や大統領などを指し、「一の番頭」とは八王大神、現界では各省の大臣を指すと、「予審決定」とはことなる解釈をのべて、予審廷の発言を全面的に否定している。そして、予審廷において四月九日から「心にも無き事を陳述した諸種の理由」をのべている。その要点はおよそつぎの三点にまとめることができる。
 第一に、王仁三郎の陳述は憑霊現象にもとづくものである。すなわち、大正五年一二月から守護神小松林命のほかに天魔坊、転倒坊なる憑神がかかって、それらが今回の事件を惹起し入獄せしめたのであるが、その二憑霊は、予審で一切を正直に陳述せよと主長して、彼の本来の憑神である小松林命と対立していたが、四月八日になって肉体から分離した。残った小松林命は、「予審の早く済む様答弁せよ」と命じ、かつ、「神界の消息は予審にては容易に了解を得難ければ今は予審判事の意向に従ひ答弁をなし置き、公判廷に於て更に詳しく事実を陳述し、公明正大なる裁判を受けよ」と諭したので、その命令にしたがって四月九日から心にもない陳述をすることになったという。
 第二は、入監中発病(慢性胃カタルなど)したために予審を早くおわって保釈出獄し静養したかったからであるという。
 第三は、教内事情によるものであるという。すなわち、予審がながびくと入獄中に経営不振の「大正日日新聞」が瓦解するおそれが多分にあり、また教内に内訌が生じて、大本が根底からくつがえされるおそれがあるので、保釈を焦慮したというのである。
 王仁三郎の「弁護士のために」によれば、「心にも無き事を陳述した」理由は、憑霊現象などによるものであったということになるが(「大朝」大正10・6・18夕刊)、強要を背景とするこの改良意見がはたした客観的な役割は重要であった。というのは改良意見の眼目である「筆先の焼却」は、信者の反対によって実行されなかったけれども、筆先を中心とする宣教は実際上おこなわれなくなり、筆先にかわって、あらたな教義づくりがすすめられるコースをひらいていったからである。

〔写真〕
○予審調書と訊問事項 p591
○未決監での王仁三郎 p592
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