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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第5編 >第2章 >1 満州事変と大本よみ(新仮名遣い)
文献名3満州事変の突発よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-08-29 11:26:17
ページ96 目次メモ
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本文  一九三一(昭和六)年九月一八日、満鉄柳条溝で鉄道の爆破事件が突発した。これが満州事変の発端となる。
 中国大陸と日本との歴史的なつながりは古く、かつ、すこぶる深い。昭和の年代にはいってからも、昭和二年三月二四日の南京事件・七月八日第一次山東出兵、昭和三年四月一九日第二次山東出兵・五月八日第三次山東出兵・六月四日張作霖爆殺事件、昭和六年六月二七日中村大尉殺害事件・七月二日には万宝山事件などがあいついでおこっており、紛争がたえなかった。日本の中国大陸にたいする国策は、中国の内紛や内政にまで干渉する結果となって、激しい排日の運動がことあるごとにもりあがり、加うるに欧米列国の中国にたいする利害・勢力の動きとからみあって、いたるところで険悪な空気がかもしだされていた。柳条溝事件もその対立と矛盾のひとつの現われである。満州事変の勃発にたいして大本はいかなる対応を示したのか。またどういう態度をとったのであろうか。
 大本では事件を重大視して、ただちに奉天駐在日本憲兵隊にあてて、「全満州院会(道院・紅卍字会)の人々をご保護を乞ふ、大本王仁」との電報をうった。さらに全満各地の世界紅卍字会にあてては、「日華の衝突はなはだ遺憾なり、各院会の安全を神に祈る、大本王仁」と打電し、また満州(中国の東北)の大本および人類愛善会の各支部にたいしては「神の守りあり、安心あれ、大本王仁」の見舞電報を発した。
 これにこたえて二〇日から二一日にかけて在満各支部から、いずれも無事をつたえ、かつ感謝の意を表明した返電がきている。なかには、「聖師の予言出現せり、今後のことお指図こひたし」というのもあった。事変当時の奉天憲兵隊長三谷清夫妻は熱心な大本信者であったので、陰に陽に各支部・道院の保護に配慮し、その後の活動にも注目すべきものがあった。
 一方、聖師は東京方面に巡教中であった出口日出麿総統補に急電を発した。総統補は予定の巡教を中止し、二〇日に天恩郷に帰着、ただちに聖師と打合わせの上、早くも二四日には加藤明子・宇城省向を帯同して満州へ出発した。二六日には安東に到着し、三〇日には奉天(瀋陽)にはいった。そして奉天を拠点として、四平街(四平)・鉄嶺・開原・鄭家屯・公主嶺・長春・吉林・大連など、大本や人類愛善会の支部、道院・世界紅卍字会の設置されているところはあまねくかけめぐり、会員信者に面接して、それらの人々の不安の除去につとめた(四三頁の地図参照)。
 ことにこのたびの総統補の渡満は、時が時であっただけに、道院関係の信者会員からは大いに歓迎され、事態に対処する指導が求められた。
 総統補が四平街を訪ねたときに、道院ではつぎのような壇訓がだされた(「真如の光」昭和6・11・5)。

老祖の訓を奉じて伝ふ。抑も運霊(日出麿)再び中華に渡航せしは其機会絶好にして、万世不朽の大功徳を樹立するは即ち今回の行脚なり。其至清至光の霊性を運用し、各地に照翹せられ、到るところ霊光を感ずる者已に無数の災劫を化去し得べし。又今回将に待発せんとする険悪なる濁気も、法を設け之を化免すれば功徳更に言を待たず。只に中日両国の幸福のみならず実に世界人類の福祉なり。我道慈は世界の平和を促進し人類の幸福を企図するを以て主旨とす。運霊は霊に通ずるの第一の門徒なること已に詳知の事実にして今回の行脚は専ら災劫の化免に渡来し効果の総てに超越するもの、此の運化の賜に付尚一層勉励せられんことを要す。民国二十年十月九日

 総統補の渡満は「まさに待発せんとする険悪なる濁気も、法を設けこれを化免」するため、「専ら災劫の化免に渡来し、効果のすべてに超越するもの」とのべられている。したがって壇訓をあおぐ道院・世界紅卍字会員は、事変の災劫にさいして、天降った天使のごとく日出麿総統補の来訪をうけとったのである。
 戦禍はしだいに拡大していった。そのため政治経済の機能はまひ状態におちいり難民は各都市にみちあふれた。この惨状をみた総統補は九月二七日から、世界紅卍字会員・人類愛善会員の協力による難民救済を指示した。その活動について加藤は「食糧品を満載したるトラックの上には人類愛善会旗と紅卍字会旗と相交わり、翩翻と風にひるがえり居り候、食を求めて寄り集ふ人達は、アリの甘きにつくが如く大騒動にこれあり候」と通信している。一方、戦火のなかにきずついて倒れている兵士やまた流弾にあたって負傷した民衆にたいしても、世界紅卍字会と人類愛善会は救いの手をさしのべた。こうした活動が間断なくおこなわれたこともあって、日出麿総統補にたいする信頼と、道院・世界紅卍字会・人類愛善会にたいする声望もたかまり、人類愛善会の活動について大きな期待と信頼がもたれるようになったのである。
 一一月二日には、宇知麿は桜井重雄をともなって在満中の総統補と打合わせするために渡満し、現地を視察して帰国した。一一月一五日には、奉天でおこなわれた日本居留民による満蒙問題解決デモンストレーションに、「左経右剣、理想郷新建、万民大同楽、平和確立、撤兵反対」のスローガンをかかげて参加している。
 日出麿総統補はまた、すみやかに民心の安定をはかるために他の宗教団体とも提携を計画した。そして一一月の一〇日には、回々教のシベリア協会との提携を成立させた。シベリア協会は白系ロシア人の回教信者の集団で、その協会長はポロチコフであった。一一月二三日には、同協会に人類愛善会シベリア連合会を設置した。さらに一二月一八日、明朝の末期から活動し、儒仏道三教をとり入れた在理会(聖道理善会)との提携がおこなわれた。在理会は中産階級に勢力をもち、観世音菩薩・老子・孔子を信仰の目標としている。教会は中国全土に約三〇〇〇ヵ所、満州では約三〇〇ヵ所といわれているが、人類永遠の平和のために安楽郷を建設するというのが提携の理由である。ついで翌昭和七年一月、仏教系の普清会、禅・儒教をあわせた安清会との提携がなされた。六月には満州におけるラマ教との提携もおこなわれている。
 こうした各宗教団体との提携が促進された裏面には、各教団が戦火と混乱をまぬがれ、大本および人類愛善会の下に保護指導をうけようとしたことがあるが、また彼らは大本および人類愛善会と協力して、すみやかな宗教的楽土の実現を待望していたのである。
 こうした社会的活動にたいして、感謝状や礼状がぞくぞくよせられてきた。そのなかには、大本が衣類金品をおくって朝鮮人救済にあたったことに関して居留民会からよせられたもの、治安維持に関する協力にたいして奉天警察署長からよせられたもの、独立守備隊や関東軍からの戦死者慰霊や傷病者救済慰問に関する感謝礼状などもある。当時きびしい戦時体制下にあったので一般の通行は極度に制限されていたが、人類愛善会章のある腕章をつけておれば自由に通行することができ、守備隊もすべてフリーパスであったのをみても信頼のほどが推察される。そのため世界紅卍字会から愛善会の腕章を利用させてもらいたいと要望されたほどである。
 大本・人類愛善会の活動がこのように自由にできた前提には、出口聖師の入蒙、道院・世界紅卍字会との提携、世界宗教連合会の創立、またその後の満州方面への宣教などがあった。はやくから中国人・蒙古人たちに大本や人類愛善会の名が知られ、また親しまれていたのである。
 総統補は一九三二(昭和七)年の一月にひとまず帰国した。満州の事態を重視していた大本は、前年の一一月六日に、特派宣伝使として井上留五郎を派遣して、大本の宣教と人類愛善会の活動にあたらせていたし、また高木鉄男を派遣して奉天に駐在せしめ、本部との連絡にたずさわらせていた。

〔写真〕
○満州での難民救済 救援物資におしよせた群衆 p98
○他宗教との提携がすすめられた 出口日出麿総統補らと在理会 p99
○出口日出麿総統補らとラマ教 p99
○前列左から高木鉄男 井上留五郎 出口日出麿 人類愛善会満州本部 p100
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