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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第7編 >第1章 >1 信教自由の実現よみ(新仮名遣い)
文献名3戦後の宗教界よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
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ページ723 目次メモ
OBC B195402c7114
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本文  敗戦後の国民生活の荒廃と窮乏、占領軍による民主化政策、そのなかから成長した民主主義運動の高揚は、占領下の宗教界にはげしい変動とあらたな展開をもたらした。「家」の解体と科学的なものの見方の浸透、民主主義運動の高揚は、国民の宗教にたいする無関心の風潮をつよめ、反面、昭和初期とはことなった形で、宗教と唯物主義の問題をあらためて提起した。唯物論にたつ革新政党にたいし、友情と相互信頼をもって協力できるとする宗教者もあらわれてきた。占領政策によって、かつての特権の座から追放された神社神道は、占領当初から占領軍当局の意向を打診し、その示唆にしたがって一九四六(昭和二一)年伊勢神宮を本宗とする神社本庁を設立、地方には神社庁をおいて、全国の神社の八〇%余を傘下におさめた。
 「神国」日本が敗れ、天皇が神性を放棄したことによって、戦争に協力して露骨な活動をつづけてきた既成の神仏基諸宗教の権威は、いやおうなしに低下せざるをえなかった。戦争に協力した神道・仏教・キリスト教の指導者たちは、敗戦直後、一億総懺悔の平和決議をした。仏教者・キリスト者の間では、戦災者・浮浪児の救済や、深刻な食糧難にたいしての施粥、生活物資の寄付などの運動がつづけられた。しかし宗教界全体としては、日本再建のために積極的に発言するエネルギーを、ほとんど喪失したかの観があった。
 民主化の進行によって従来の封建的家族制度がゆらぎ、また寄生地主制の廃止、自作農育成を目的とする農地改革によって、農村の構造はおおきく変化した。この変動は、農村における寺院の基盤を掘りくずし、「家」の宗教として固定化した仏教各宗に、深刻な打撃をあたえた。仏教では、指導者の戦争責任の追及、教団の民主化がさけばれたが、教団の旧体制は形を加えながらも温存された。
 占領軍は、新旧キリスト教の布教を支援し、マッカーサーは日本のキリスト教化の意図を表明した。カトリックは皇室に接近し、援助物資を背景に農村に進出するなど、戦前を上回る教勢をしめした。プロテスタントは、戦時下の圧迫で信者が減少していたが、敗戦とともに、文化・社会の面で活発な活動を展開し、その教勢も漸増した。しかし、キリスト教は占領軍の支持にもかかわらず、全体として信徒の都市中間層・知識層への固定化の壁をやぶれず、入信者数は、一九四七(昭和二二)年を頂点に急増したのち停滞した。
 敗戦後の日本国民がうけいれた宗教は、圧倒的に、現世利益中心の新興宗教であった。これらの新興宗教には、日本の民衆が生活のなかで育ててきた、根づよい救済の要求が生きつづけていた。敗戦の混乱でひろがった世直し的な気風を反映した爾宇教は、天変地異を予言して評判となったが、一九四七(昭和二二)年、金沢で一斉検挙された。教祖の長岡良子は、浅野和三郎の心霊科学研究会の系統の人であった。また山口県の中農出身の北村サヨは、戦争中神がかりし、敗戦後に天照皇大神宮教をひらき、天皇はぬけがら、人間はうじ虫ととなえて、敗戦による天皇制と諸宗教の権威失墜のムードに投じた。一九四八(昭和二三)年には東京に進出して、街頭でも無我の踊りで布教し、「おどる宗教」として有名になった。
 新興宗教の源流をなす教派神道各教は、明治以来、「教派神道」のわくを課せられていたが、この人為的な国家神道体制への従属は、敗戦とともに消滅した。天理教では、本部を中心に、教祖の精神にかえる「復元」運動を展開し教勢を拡大した。金光教は、敗戦によって、はじめて教祖を生き神とする本来の教理にたちなおった。
 一九四六(昭和二一)年には、弾圧によって禁止されていた天理ほんみちが復活し、また、ひとのみち教団は、パーフェクト・リバティー(完全な自由)の頭文字をとったPL教団として再出発した。PL教主御木徳近は、生活と芸術の一致を強調し、階級協調的な心の和をとなえて教勢を拡大した。
 大本から分派した大日本観音会は、観音教、ついで世界メシヤ教(のち世界救世救と改称)とあらため、お光さまとよばれた教祖岡田茂吉は、信仰療法と自然農法をつうじて教勢を拡大し、熱海・箱根の強羅を本拠に有数の新興教団に成長した。
 生長の家は、戦争中のファシズム讃美・天皇中心主義をにわかにきりかえ、心身医学をとりいれて近代的な外装で復活したが、やがて逆コースの擡頭とともに右傾化した。
 法華信仰系の在家教団では、祖先崇拝と法華経の功徳を結合した霊友会が、戦争中農村に教勢をひろげ、戦後、家族主義的な保守ムードを基盤に信徒を獲得した。戦前、霊友会から分立した立正佼成会は、祖先崇拝を霊友会からうけつぎながらも、法華経の現世利益と個人の人格完成を強調した。一九四九(昭和二四)年ごろからの立正佼成会の急激な発展は、占領期の新興宗教のうちでもとくにいちじるしく、法座とよぶサークル形式の小集会を中心に、都会の家庭婦人を大量に組織することに成功した。
 PL教団・世界救世教・霊友会・立正佼成会等は、主として都市の中下層を基盤に占領期に教勢をおおきく発展させた。新興宗教の簇出と爆発的な発展は、社会のひろい関心をよんだが、新興宗教にたいする批判には、敗戦後の混乱した社会の異常な現象としたり、その「反動」性、「低俗」性を指摘したものがおおかった。しかしその根づよい組織力の基底には、民衆の生活に直結した布教と、生活に根ざした要求に応える教義の展開があった。日本の民衆がはじめて獲得した信教自由の積極面として、宗教状況の変化と新展開をみることができる。
 第二次大本事件により弾圧をうけ、苦難のなかに信仰の光をまもりつづけてきた大本は、こうした敗戦直後の激動する日本のなかに、新生のあゆみを開始するのである。

〔写真〕
○この母と子に宗教は何をしえたであろうか 廃墟にたたずむ親子 p724
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