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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第2章 >2 教団活動の確立よみ(新仮名遣い)
文献名3あらたな展開よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ1035 目次メモ
OBC B195402c8221
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本文  みろくの世建設運動は、神教宣布の活動を中心に人類愛善運動・愛善みずほ運動・楽天社活動・社会福祉事業など多方面にわたって展開された。しかし、運動が拡大され、活発化するにつれて、これらの諸活動の総合的な調整が必要になり、一九五五(昭和三〇)年頃から審議会もその調整を要望していた。三代教主からもまた、「大本教団としてさまざまな運動が多面的に出されていることは、大本信仰の特殊性で当然のことですが、あまり手がひろがりすぎて、ともすればおのがむきむきになるという面がでておりはしないか、総合的に一本化すれば、もっと力が出るのではないかと思われます」との希望が総長につたえられた。教団は、関係諸団体(人類愛善会・大本楽天社・大本青年会・大本婦人会・木の花社)との組織・財政面における総合調整の検討をかさね、一九五六(昭和三一)年の節分大祭には、教団を一本化するための方向をうちだした。
 まず機関誌の統合が断行され、各機関の定期刊行誌「神の国」・「木の花」・「いわう」・「大本青年」・「婦人会だより」を一つにまとめて、総合雑誌「おほもと」を四月から発行することとした。同時に、「愛善苑」誌は月二回発行として、本部・地方の連絡、速報を主とすることになった。
 各部門の特質を配慮しつつ、教団一体化を促進するための努力はそののちもつづけられた。一九五七(昭和三二)年一二月八日の審議会では、もともと信仰的には一体でありながら、宗教法人法の解釈にしたがい分割して登記されていた宗教法人「大本」と宗教法人「大本総本苑」・「瑞泉郷別院」を、宗教法人「大本」に吸収合併して一本化をはかり、梅松苑と天恩郷の大本直属の諸機関を統合して「大本本部」と称し、その主たる事務所を亀岡に置くことなどを決議した。さらに一九五八(昭和三二)年二月の審議会で、これにともなう大本教則・大本規則の改正がおこなわれ、四月九日文部大臣の合併認証があり、四月一二日には登記を完了した。こうして制度上の一本化が実現したのである・この機会に、二月三日には本部機構をあらためて、総務局を総局とし、参議会に常任参議をおくことになった。また梅松苑事務所と天恩郷事務所を統合して本部事務所とし、その下に祭務・宣教・編集・庶務・財務の各部と大道場・大本楽天社をおいた。教団諸機関のほか外廓団体の調整は、総局でおこなうこととし、運営面の一本化もはかられたのである。しかしながら関係諸団体をふくむ教団体制の刷新とその機能の合理化にはなお問題がのこされていた。
 そこで、欧米・ブラジルの宣教に出張していた出口栄二・広瀬静水らの帰苑をまって、慎重かつ徹底的に教団の在り方が話しあわれた。そうしてみろく大祭を期に、長いあいだ重責をになっていた総長出口伊佐男は、教団の刷新強化をするためには最高人事から一新しなければならないとして辞任の意をかためた。審議会(昭和33・3・30)もこれを了承し、審議の結果出口栄二を新総長に推し、一九五八(昭和三三)年四月から新総長によって教団の運営が推進されることになった。これまで総務は総長ほか一二人によって組織されていたのを五人とし、組織面では文書室を総務室とあらため、別に海外宣伝課をおいて、四月一二日にはつぎのとおりの人事が発令された。

総長顧問出口伊佐男、総長出口栄二、副総長出口虎雄、総務佐藤尊勇・大国以都雄・伊藤栄蔵、内事室長土井三郎・同分室長吉田春治、総務室長出口光平(昭和34・1から広瀬静水)、祭務部長土井靖都、大道場長松永芳夫・同分室長吉田春治、宣教部長岡野常次郎、大本楽天社社長出口尚江・海外宣伝部部長代理重栖度哉、編集部長大崎勝夫、財務部長米川清吉、庶務部長出口新衛、教学院長出口伊佐男・同副院長桜井重雄、審査院長斎藤継述・同監事広瀬繁太郎、宣伝使会長出口虎雄。

 こうして一応の体制をととのえた教団は、年度当初にうちだされた宣信徒の指導育成、信徒増加・修行者送り出し目標各五〇〇〇人の完遂にむかって、ひきつづき全力を傾注した。三月から五月にかけては本部講師を動員して、全国の各主会で一日間の宣伝使研修会を開催し、約二〇〇〇人の宣信徒がこれに参加した。また四月からは楽天社運動を中心に、一日間の信徒教修講座が全国各主会で展開され、六月までつづけられた。ついで七月からは未信徒を対象として、入信・ご神体奉斎・本部修行を目標に大本巡回講座がくりひろげられた。一方本部では地方宣教の活発化に対応して、道場の受入れ体制を改善し、特別講座に三月から「大本の本質」をくわえ、五月からは「第一日芸術と生活・大本の本質・感謝祈願詞、第二日大本の教典・神の救世的経綸・宣教と体験、第三日大本の神示と世界の将来・現代に生きる道」とあらためて、内容の充実をはかった。
 さらに神書の拝読・研鑚をすすめることとし、宣信徒の内分をいっそうたかめることに努力した。あたかもこの年が聖師十年祭・聖師の高熊山入山六十周年にあたっていることを記念して、『霊界物語』縮刷普及版の早期刊行が企画され、三月に二六・二七巻を刊行し、四月以降は毎月三巻ずつが継続して刊行されることとなった。
 この普及版は一九三五(昭和一〇)年までに、聖師みずからによって校訂された原本によったものであり、現代かなづかいにしたがって、なるべくかな文字をおおくもちい、8ポイント活字の二段組み、B6判の三巻一組の函入とされ、霊界物語刊行会をとおして頒布された。二月には同じく聖師十年祭記念出版として、如是我聞集『月鏡』『水鏡』『玉鏡』から抄出した『三鏡』が出版された。さらに六月からは「愛善苑」の編集方針をあらため、一日号(B5判一六頁)は従来どおり、通達・本部地方の動き・人事移動などを掲載して信徒向の連絡誌とし、一五日号はB6判三五頁として、聖言・紙上講座・おかげ話などを掲載し、末信徒向けの宣伝誌としても活用された。
 こうして一時のたゆみもなく宣教をすすめる一方、昭和三三年の意義ふかい年をむかえて、教団の今後における基本方針や施策、それにもとづく機構や人事の刷新など、重要問題がつぎつぎに審議された。
 三代教主からは、「信者さんの一人々々が本当の御神徳をいただいて、生活の中に教を生かし、生活そのものが香りたかくうるおいのある、教のにじみ出たものとなることです。……生活の中に教を実行して、大本の信仰をすれば、これほど物心両面の生活が豊かになり、幸福になるということを、事実をもって明らかにしてゆくことが、最も大事なことではないでしょうか。……私は野中の真清水の如く心がうるおうものであってほしいと思います。そういうことからも……も一つ、自分ということを、信者さんの一人一人が今までより、より一層信仰を深めてゆくあり方が大切なことで、そうなればおのずから求めて来ることになろうと思います」(「愛善苑」昭和33・6)との意向がしめされ、六月二九・三〇日におこなわれた刷新後はじめての審議会・主会長会議で、「開祖の大精神に強く生きる」「みろく社会建設に奉仕する」「教団活動の基礎を定める」の三つの大綱がさだめられた。新方針の実施にあたり、出口栄二総長は「昭和三十三年は教団にとっても大事な年であるが、国内的にも世界的にも重大な転換の年である。この秋に当り、大本の本質をいよいよ高揚発揮して活動する必要があり、あくまで実行実践の決意で進みたい」(「愛善苑」昭和33・8)とのべ、信徒にいっそうの奮起をうながした。
 ついで八月の瑞生大祭にさいして教主から、「新方針の第一は『開祖の精神に強く生きる』ことであります。このことは私が教主になりまして以来の強い念願でありまして、私か常々開祖さまからうけとらしていただきましたことは、静かな中に折目正しい厳しさの溢れるまことに端正な御風格であります。……このような開祖さま時代のけだかく純真な教風を昂めつつ、聖師さまが生涯を捧げられました地上天国の実現にむかって進みたい」(「愛善苑」昭和33・9)との力づよい挨拶がなされた。教団の大躍進の源泉は根本を大切にすることにあり、開祖がみずから行じられた烈しいひとすじの信仰情熱に一人一人がたちかえり、生活のなかに信仰を具現する「脚下照顧」こそ大切であるとされたのである。また「みろく社会建設に奉仕する」ことは開教の大精神であり、そのため祈りに徹し、神の子神の宮としての人間の尊厳性に徹して神教を宣布し、世界平和や社会福祉の増進のために奉仕するという社会的実践もまた、信徒に課せられた尊い使命であると明示された。この大方針にそって教団活動の基礎をさだめ、現実に即応した本部・地方体制の実現は、教団の直面するおおきな課題となった。
 教団はまず従来の主会・支部の地方組織を温存しつつ、事情のゆるすところから大本独自の理念にもとづく「教会制度」への移行を実施した。教会制度は、「新時代に適合した最も理想的な制度によって、積極的に活動を展開しようとするもので、教会とは開祖・聖師の御教を取次ぐ神定の聖地をいい、天国の姿を地上に写した祭政一致の『神の家』であり、地方教会も綾部・亀岡を根本聖地として、地方に移写された『神の家』であり、共に両聖地を中心に一大神人体を形成して、地上の神業を推進する経綸の拠点である」とするものであった。地方教会には「本苑」と「分苑」の二種がある。本苑は、主会の機能を統合し、所属の分苑・支部を統轄して、祭儀と定例講座をいとなむことが出来る独立の施設を有し、役職員のほかに専任の宣伝使と事務要員がおかれることを原則とした。「分苑」はこれに準じるものとし、この教会制度の実施によって宣教の重点は漸次地方にうつされ、地方の自主的な活動態勢の強化がはかられた。
 八月七日、大本北海本苑(本苑長猪子幸治)・大本北陸本苑(嵯峨保二)・大本東海本苑(桜井光夫)・大本大阪本苑(久井勇蔵)・大本島根本苑(安本肇)の本苑設置の指定と本苑長の任命が発表され、翌八日に第一回の本苑長会議が亀岡天恩郷でひらかれた。九月一六日には出口栄二が大本東京本苑長を兼任し、その後教会制による「分苑」としては、大本福岡東分苑(昭和34・11・15─のち大本筑紫分苑と改称)・大本長崎分苑(昭和34・11・25)・大本奄美分苑(昭和36・7・28)・大本鹿児島分苑(昭和36・10・22)・大本五島分苑(昭和36・10・25)が発足した。また、沖縄はいぜんとしてアメリカの信託統治下にあり、奄美大島との連絡がとりにくいため、昭和三二年一二月に波之上主会を一時解散して、琉球分会・奄美大島分会として本部に直属することとなったが、昭和三三年の一〇月にはそれぞれ主会に昇格された。
 一九五八(昭和三三)年八月七日には、信徒の赤誠による万祥殿が完成した(四節)。かつて一九三五(昭和一〇)年に、〝コスモスをなぎはらひつつ生誕祭露天の下に行ひにけり〟と出口聖師によって詠まれた、その聖師八八回の生誕をいわうこの年の瑞生大祭が、木の香も清々しい万祥殿で、完成奉告祭をかねて執行された。全国各地から参集した四〇〇〇余人の信徒は、教風をいかしたきよらかな万祥殿の姿にふれ、大本信徒であることの感激をあらたにするとともに、神業奉仕への決意をますますかためた。万祥殿の完成を機に道場講座は万祥殿にうつされ、社会・人事・家庭の諸問題や病気など、一般求道者の初歩的指導にあてるため、一日修行「座談会」が開設された。このころから道場講座の開始前には、鎮魂自修が実施され、一一月からは特別講座の毎月開講をとりやめて、正月・節分大祭・みろく大祭・大本開祖大祭の年四回とし、その他春と秋には特別なテーマの講座をおこなうことになる。
 そして一〇月には新方針にもとづいて本部機構が大幅にあらためられた。本部機構を祭務部(祭事・霊祭・指導・厚生・作業・庶務の六課)、宣教部(大道場・地方・海外宣伝・芸術・編集・婦人・青少年の七課)、財務部・庶務部(庶務・厚生・作業の三課)の四部門に集約し、とくに宣教の集中的機動性を発揮するため、関係各部門を統合して大宣教部とした。人事も一部更迭され、教学院長に桜井重雄、宣教部長に出口新衛、庶務部長に山内俊明が任命された。関係諸団体のうち、大本宣伝使会・大本青年会・大本婦人会を所属団体、人類愛善会・愛善みずほ会・大本楽天社・信光会・天声社・エスペラント普及会・花明山窯芸道場・木の花社は外廓団体となった。またあたらしい教会制度の実施にともない、教職者として教司・教司補の制度がもうけられ、教職者の育成機関として大本学苑の開設が決定された。さらに八月には聖師著の『惟神の道』(教学資料タイプ印刷)、一〇月には教学院から『大本の神示と世界の将来』についで、三代教主の『続・私の手帖』が刊行され、四月以来の新執行部による指導体制も軌道にのる。
 新体制の三大方針は一九五九(昭和三四)年にも踏襲され、教団各面にわたる刷新強化が着々とすすめられたが、その最後のしめくくりとして、外廓団体の統合整備が、一九五九(昭和三四)年六月の通常審議会で議決された。これによって八月以降、教団と人類愛善会は表裏一体のあたらしい体制となり、信徒即人類愛善会員として重要人事も一本化された。教団はもっぱら神教宣布に力をそそぎ、人類愛善会は主として社会的活動を担当し、いっそう緊密な統一ある神業の展開をおこないうるようにはかられた。この機会に木の花社は解散し、大本楽天社は教団の所属団体となった。花明山窯芸道場はもっぱら教主の作陶塲とし、匿名組合花明山窯芸道場・花明山窯工房は解散した。このような整理の結果、愛善みずほ会・信光会・天声社・エスペラント普及会の四団体が人類愛善会の外廓団体として指定され、人類愛善会運動に必要な運動・事業を、それぞれの立場からおこなうこととなった。そして八月六日の瑞生大祭を機に、人類愛善会の人事がつぎのごとく発表された。

名誉会長出口伊佐男、会長出口栄二、副会長出口虎雄、理事佐藤尊勇・大国以都雄・桜井重雄。

 また教団には名誉総長がおかれ、八月七日出口伊佐男がこれに推された。さらに教団運営の適正を期するため、総局の諮問機関として参与会をもうけ、従来の参議制度を廃止し、教団功労者にはあらたに栄誉称号としての「参議」を贈ることが決められた。参議としては、藤原勇造・三上三樹・西村昂三・高木孝子・梅田やす・湯浅小久・桜井たね・奥村つる子・梅村隆保。参与としては、三谷清・三木善建・関谷繁蔵・中野清行・高須令三・堤清彦・中曽良逸が任ぜられた。
 なおこの機会に、教主は人類愛善会・大本婦人会・大本青年会の名誉会長、大本楽天社社主、信光会総裁、匿名組合花明山窯芸道場主などの役職からいっさい退かれ、今後は教主という立場で指導されることになった。
 機構の整備をおえた教団は、宣教の活発化にそなえて道場講座の改善をはかり、八月からは二部制を採用して第一部は初修行者、第二部は再修行者を対象とし、各四日(亀岡三日、綾部一日)とした。第一部は「第一日大本の使命・信仰の手引・幻灯、第二日霊界は実在する・人は神の子・座談会、第三日祈りと感謝・信仰と生活・懇親会、第四日聖地の意義と祭りの仕方・神苑巡拝」、第二部は「第一日開祖伝・聖師伝・幻灯、第二日霊界と人生・大本教旨・座談会、第三日生活の原理・大本の現勢・懇談会、第四日聖地の意義と祭りの仕方・神苑巡拝」の内容とした。九月からは「愛善苑」の一日号を増頁して、通達・連絡事項のほか、聖言・講話・神徳談を掲載して信徒の指導を強化し、一五日号は不定期刊行で対外宣伝向とした。
 これにさきだち一九五九(昭和三四)年一月二一日に、宇宙紋章が大本信徒章として制定され、従来の会員章は廃止された。ついで宣教活動の統一を期するため、「大本運動の原則」がつぎのようにさだめられた。

一、万有は神の生成化育し給うものであって、人類は兄弟同胞であり世界は一つである。
二、神あっての人、人あっての神であり、ここに神人合一して無限の神徳を発揮する。
三、霊界は厳然として実在し、人間は死後も永遠の生命をもって活動する。
四、宗教、思想、人種、国籍、性、階級等の相違による偏見は除去されねばならない。
五、各宗教は万教同根の真理に立ち、共通の使命にむかって協力す
べきである。
六、政治、経済、教育、芸術等は、宗教理念に基き正しい文化を樹てなければならない。
七、宗教と科学は、霊と体の如く一致して、人類の幸福と進歩に寄与すべきである。
八、戦争と暴力を否定し、世界の軍備は撤廃されなければならない。
九、民族固有の文化を尊重するとともに、人類大家族的世界機構の実現をはかる。
十、神の無限の愛と経綸により理想の世界に立替立直され、人類はその神業に奉仕する。

 こうして教団は、その発展の基礎固めとしての教団一本化と内部充実強化の施策を完了し、しだいに新方針にもとづく神教宣布の活動に重点をうつしてゆく。
 瑞生大祭をおえた教団は、九月以降、総長以下幹部が総出動して、全国各主会で巡回講座を展開した。北海道・大阪を特別宣教地区として宣教を集中的におこない、関東・東北は東京本苑が企画し実行した。講座は一主会で三、四ヵ所・一会場二日間とし、一日目は支部長・指導者研修会、二日目は一般講座とした。「大本出現の意義」を積極的に宣布し、新方針の趣旨の徹底をはかり、入信の経路・神徳談・み手代お取次など、身近な問題や信仰のよろこびをとおして大本の主張がつたえられた。一方、『霊界物語』縮刷普及版の刊行は毎月順調に進捗して九分どおりおわり、宣教パンフレットとして『大本信仰のしおり』『支部長必携』『おほもと』『大本の聖地とまつり』『大本運動の十原則』がつぎつぎと配布された。
 またこの年の四月からは、京都放送で毎週金曜日に大本講座が放送された。一〇月には、節分大祓運動の推進を契機として映画班(16ミリ)が編成され、「天恩郷をたずねて(色彩)」「大本節分大祭」「一つの世界」「永遠の平和」や劇映画をたずさえて、翌年二月までに関東・東北・東海・近畿各地区をやすみなく巡回した。8ミリ映画とテープレコーダーも積極的にとりあげられ、文書・ラジオ・映画など視聴覚宣教を動員して、教えの浸透がはかられた。

〔写真〕
○大本信徒章 p1035
○教団の新体制のもと本部地方一体となって新方針と施策が審議された 大本審議会 正面右 教主 中央 第1回から12年間議長をつとめた嵯峨保二 瑞月舎 p1038
○花影…… 左 出口直日 右 出口直美 綾部 p1039
○開祖の精神につよく生きる…… 出口直日筆 p1040
○万祥殿へご神体の渡御 p1042
○万祥殿の完成 弾圧をこえ23年の歳月をへて聖師の夢が実現した 亀岡天恩郷 p1043
○大八洲神社参拝 修行者はりゅうぐう丸で金龍海をわたり道場講座修了の奉告にむかう 綾部 p1045
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