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文献名1その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3所謂世界的秘密結社の正体よみ(新仮名遣い)
著者吉野作造
概要
備考『中央公論』大正10年(1921)6月号
タグアンチ マッソン フリーメーソン データ凡例算数字は漢数字に置き換えた/印刷がかすれて判読できない文字は「〓」で示した/「×」は底本でも伏字になっている。 データ最終更新日2016-12-08 18:16:31
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本文 所謂世界的秘密結社の正体

吉野作造


(一)序言


 今年春東宮殿下御外遊の御内諾が発表された際、一部真面目な人々の間に、之をお留め申さうと云ふ運動が可なり猛烈に行はれた事は、今尚我々の記憶に鮮かである。中にも浪人会の如きは其中堅となつて堂々と活動して居つた。国民の大多数が急に御外遊と御決定遊ばされた理由の如何に拘らず、等しく之れを誠に喜ばしい事と考へて居つたのに、何故に此等の人々のみが斯くまで反対の見解を固執せられたのであらうか。それには天皇陛下の御不例と云ふ事や、不逞鮮人の跳梁と云ふやうな事も数へられて居つたが、之と相並んで矢張り重大な原因の一つとして猶太人の陰謀と云ふ事の挙げられて居つた事は、特に我々の注目を惹いたのであつた。現に東宮殿下御出発後に於いて、浪人会が発表した疏明書の中には、「世界に瀰漫せる猶太人の陰謀が根底深く且つ辛辣を極め居り」云々の文字がある。そこで問題となるのは、猶太人と云ふものは、一般に今日右のやうな怖るべき陰謀を本当に企てて居るのであらうかと云ふ事である。
 其後注意して新聞雑誌の報道や論説を見て居ると、猶太人の怖るべき秘密の陰謀と云ふ事がちよいちよい見える。猶太人と云ふものはおしなべて陰険なものであるとか、社会に迷惑をかけて喜ぶものであるとか、社会、秩序を破壊し、就中君主国を撲滅することを主義とするものであるとか、此目的を達するが為めには全然手段を選ばないとか云ふのである。併し常識から考へても、猶太人が一人残らず斯う云ふ陰謀に関係あるとか、又斯う云ふ陰謀の遂行の目的で、すべての猶太人が固く結束して居ると云ふやうな事は有り得べきこととは思はれない。斯種の陰謀を企んで居ると云ふものがあると云ふ丈けなら、そは只猶太人に限つたことではない。それにも拘らず猶太人については一種妙な考の我国の一部に行はれて居ることは争はれない。然らば特に我々日本人は猶太人について委しく研究して居るのかと云へばさうでもない。猶太人について多く知る所なく、而かも猶太人には警戒せよ警戒せよと云ふのだから可笑しい。之には何か由つて来る所がなければならない。而して私の観る所によれば之が原をなすものは、恐らく彼のマツソン秘密結社の流説ではあるまいかと思ふ。

 マツソン秘密結社の事については一昨年の暮頃一度本欄に於いて、一応其荒唐無稽なる旨を述べた事がある。然るに其後此流説は消滅しないのみか、益々頭蔓延するの傾がある。其云ふ所の大要を聴くに、猶太人は古来頗る堅い結束をなしを秘密の間に怖るべき陰謀を廻らして世界全体を転覆し、自己の掌裡に完全な支配権を握らんとして居る。之をマツソン秘密結社と云ふのであるが、非常に巧妙に秘密な運動を続けて居つた所から、久しく世間に知られてなかつた。之が昨今吾々に知らるるやうになつたのであるが、露西亜の過激派の運動は即ち其露骨なあらはれの一つで、之を手初めに漸次世界を征服せんとして居る。実に戦慄に値する怖るべき陰謀であると。大本教などは之を其儘取つて彼の予言せる日本の事変は即ちマツソンの襲撃に因るのだと誠しやかに説いて居るさうだ。独り大本教ばかりではない。其外いろいろな方面に所謂マツソンなるものについての流説が持ち廻られて居るが、要するに之が本となつて猶太人に関する途方もない誤解が形造られて行くものと見える。
 然らばマツソン秘密結社なるものの演説は何処から来たか。一つの淵源は西洋に在る。もともと斯う云ふ演説の起りは西洋にあるので、恰度巴里講和会議のあつた頃、之に関する或本が西洋でも問題になつて居つたとて、之を持ち帰つた人が可なりある。其本の一つは「シオン長老決議録」(Protocols of the Learned Elders of Zion)であるが、之に基いて一篇の猶太人論を書いたものに「時事新報」の下田君がある(四月中旬頃所載)。三月十五日発行の「外交時報」に出た今井帝大助教授の長篇は主として之と、猶太牧師の猶太民族に与へたる訓令」との紹介である。之等の材料を氏は欧羅巴に留学中露西亜に於て手に入れられたものだと云ふ事である。何にしても斯う云ふ方面の紹介は極く最近の事で、日本の一部の人の間に深く此流説の〓を植ゑ付けたものは恐らく西伯利方面から来た材料であらう。予の聴く所によれば其頃西伯利出征軍の最高幹部に居つた某将軍が、矢張り前記の書物を手に入れ、之を盲信せられたものと見えて態々翻訳して印刷に付し、多くの人に之を頒つて此怖るべき運動に対する警戒と覚醒とを促したとの事である。西伯利在住の将校官吏の間には可なり広く布り撒いたたものと見えて、予の知れる青年中西伯利に居る親や兄から大事な、又は有益な書類として送つて来たと云つて之を見せて呉れたものが少からずある。而して之を原として日本内地の或筋で作つた出版物で「過激思想の由来」と題するものがあるが、之がまた一部有力なる人々の間に、可なり弘く布り撒かれたので、そこで彼の所謂危険なる猶太人の陰謀と云ふ誤解が強く広く信ぜらるるやうになつたのである。

 思い出せば一昨年の春頃の事であつた。西伯利に居る一友人から書画を貰つた。目下当地方で猶太人及マツソン結社なるものについて斯々の説が行はれて居るが、之に対する御意見は如何、当地に流布さるる印刷物を送るからよく見た上で意見を聴きたいと云ふのであつた。右の印刷物は内地の或る官憲の手を通じて届けらるる筈と申して来たのであつたが、遂に今日に至るまで僕の手元には届かない。同年夏の終り頃になつて西伯利から帰つて来たと云ふモ一人の友達が西伯利に於ける印刷物に基いて内地で作つた或筋の出版物なるもの一冊を持つて来て予の批評を求められた。之が予のマツソン結社に関する邦文の書き物を手にした初まりである。五六頁繰り返して見ると、其荒唐無稽なる事がすぐに眼に着いた。そして少しでも斯くの如きものを信ずる人の愚かさと、又斯う云ふものを利用して新思想圧迫の用に供しようと云ふ人々の浅果敢さとを嘆ぜずには居られなかつた。段々読んで行くと、之が西洋に其頃行はれて居つた或種の運動を無反省に翻訳したものなることが分つた。斯う云ふものを持て囃すことの寧ろ大きな恥辱であることを話し合つて別れたのであつた。

 併し斯んな見え透いた方法で新思想の圧迫を遣らうとする浅果敢な態度は、我国の頑迷者流の間には珍しい事ではないから、其後夫れとなく此問題に関して注意を怠らなかつた。すると之についていろいろの事を耳にした。マツソン結社の事は此春以来随分隠密の間に内地の各方面で宣伝されて居ると云ふ事を聴いた。軍事に関する或有力なる雑誌には春頃数回に亙つて連載されたとか、中国辺の或新聞には同地某師団長の談として二三回に亙る記事があつたとか、又或方面の或筋では、急に猶太人の身分調べをやつたとか、新たに来朝する猶太人には誰彼の区別なく尾行を付けたとか云ふ風説もあつた。当局までが、此流説を信じてすべての猶太人を猜疑の目を以て視ると云ふ説は恐らく誤りであらう。けれども猶太人と云へば只何となく世人が不安を感ずると云ふ風はちよいちよいと見えた。嘘から出た真も、斯うまで発展しては猶太人こそいい面の皮だと心窃かに気の毒にも思つたのであつた。
 同じく一昨年の十月末頃であつたと記憶する。「東京朝日新聞」に東北の某県で、過激派の陰謀と題する出版物を広く県下の役場、学校、図書館其他民間の有志に配り、其中にあらゆる新しい運動を罵り〓う文句が沢山あると云ふ批難の記事が載つて居つた。段々研究して見ると、県庁の肝煎りの下に出来て居る民力涵養委員なるものが、中央の或筋からの配布を受けた此の出版物を見て、極めて時勢に適切な有益なるものとなし、公費を以て多くの部数を複製し、態々推奨の書面を添へて之を配つたと云ふ事が分つた。之も後で聴いた話であるが、流石東北の僻陬でもかかる荒唐無稽の説を流布するに公費を濫費するの失当を鳴らすものがあり、為めに之が表沙汰となつて、民力涵養委員の代表者が出版法違反に問はれ、罰金刑に処せられたとやら、何れにしても斯くして此流説は可なり広く伝はつたものと見える。よく読んだ人は無論其荒唐無稽なるに気付く筈だけれども、世間には読まずに只大きい声で叫び〓てる方に馳せ集まるものが多いものだから、案外にまた猶太人に対する誤解が解けずして伝はつて行くかも知れない。而して之が単に猶太人の迷惑丈けで済むならまだいいが、我々は斯くの如き笑ふべき手段によつて、新思想対抗運動を講ぜんとするものが、今尚有力なる人々の間にあるのを見て、之によつて仮令一時でも文化の開発が如何に妨げらるるかを思ひ、遂に黙視するを得ずと云ふ考を起したのである。
 之より予は現に我国に流布さるる流説の内容如何を明かにし、之と一時西洋に行はれた其種本とを比較し、更にかかる流説の西洋に特に行はれた所以と、又日本の頑迷者流が之を悪用して、為めにする所あらんとした魂胆を明かにし、更に之が為めに不当の冤罪を被つたフリー・メーソンリーについて一言弁明する所あらんとする。


(二)マツソン秘密結社


 前掲出版物は「過激思想の由来」と題して居る。タイプライターで刷つた百四十頁斗りのものである。之によつてマツソン秘密結社の何であるか、及び之によつて猶太人が何を計画して居るかの大要を有りの侭に紹介しやう。
 マツソンとは云ふ迄もなく秘密結社の名称とせられて居る。之を中心として猶太人の企てて居る陰謀は、「全世界を征服し猶太血統の王を立て世界に猶太人の主権を確立しやう」と云ふ事である。(一〇五頁)此事の外国に知られたのは比較的最近の事で(此事後に詳説する)あるが、「陰謀其物は遠く猶太国滅亡の時に始まり、以て今日に至つて居るのである。其間苟くも猶太人が国家組織の中に深く喰ひ込んだ国は、何れも崩壊して居るのを見る」(一〇六頁)。何故に彼等は斯くの如き陰謀を企つるに至つたかと云へば、二千年以来基督教国民に散々に苦しめられたからである。即ち陰謀の動機は基督教並びに基督教国民に対する猶太民族の復讐と云ふにあるが、今日では単にそればかりではない。総ての国家に挑戦することになつた。「若し今日まで基督教との応戦に全力を傾倒したとすれば、そは基督教が各国に於て民衆の獣性を抑圧し、国家組織安康の基礎を形成して居ることを知つて居るからである。マツソンの究極の目的とする所は、基督教の撲滅ではない。更に進んで現世界に於て猶太血統の王の下にマツソンの主権を確立しやうとするのにある」(一一三頁)。
 斯くの如く猶太人は、すべての国家を滅ぼして猶太人専制の下に世界を征服統一せんとして居るものと見られて居るが、斯くの如き観察の真面目に受取らるべきものかどうかは姑く之を措く。予輩の特に茲に注意先せんとするは、西洋に於ける流説は、此秘密結社の挑戦せんとする対手を只基督教国ののみ云つて、すべての国家と云はないと云ふ点である。マツソン結社なるものを日本にとつても怖るべきものだと説く為めには、此点に手加減をする必要を見たのであらう。

 マツソン秘密結社とは実はフリー・メーソンリーを指して居ることは、マツソン結社を注釈して「フリー・メーソンなり」と書いてあることによつて分る(一〇六頁)。処が西洋に於てフリー・メーソンリーの事は可なり広く知られて居るが、其会員は実は猶太人に限つて居るのではない。殆んど世界の人が洽ねく網羅されて居る。而して後にも説くが如く、之には三十有余の階級があつて、上の階級の事は下の階級のものに秘密にされて居ると云ふ仕組になつて居る。そこで我が流説は「入社するのは猶太人のみには限らぬ。三十二の階級があつて……下級の〓輩は、大工左官等と称する階級に属し、段々昇進して秘密を明かさるるのであるが、最後の秘密は最上級の社員たる猶太人の外誰も窺ふ事が出来ない」(八頁)と云つて居る。そこで第二級以下の社員はすべて最後の秘密を知らず、何の為めかを明かにせずして最上級のものに頤使せらるるのであるから、随分沢山の基督教徒なども社員にはなつて居るが、結局猶太人の為めの運動に外ならない事になる。
 然らば所謂最後の秘密とは如何なるものか。それは即ち前記の「シオン長老決議録」に〓されて居ると云ふ。之れ丈を聴いても段々荒唐無稽の作り話しらしい臭ひがして来るが、更に此決議録が如何にして今日我々に知らるるに至つたかの説明を聞くと、紛ふ方なき妄説であることが明白になる。彼等は云ふ、猶太人は実にこんな怖ろしい陰謀を企てて居る。又云ふ、彼等の運動の巧妙なる、此運動は二千年来殆んど外界に知られなかつたと。又云ふ、今や此陰謀の暴露に逢つて我々は其陰険残虐なるに戦慄を禁じ得ないと。そこで問題になるのは、二千年も隠し了ふせた陰謀が、どうして昨今急に知られたか、と云ふ事である。彼等の云ふ所によると、米国にある全結社の首領が同社総会の席上で述べた報告書の中に、秘密の条項を掲げてあるが、「此報告をした首領が自分の妻を捨て他の女と関係したので、其妻君が該報告の原稿を盗んで仏蘭西に逃げて行つて、当時仏蘭西に住んで居た露西亜の大地主なる某富豪に之を売つた。こは多分一八八〇年乃至一八八五年の事であらうと思ふ。売却後二年を経て、此女は仏蘭西で毒殺せられて了つたが其下手人は遂に不明に終つた」(一二四頁)と云ふのである。其後右の原稿は或る裁判官に遺贈せられ、一八九五年露訳の上出版せられたが、秘密の手が忽ち之を買ひ占めて焼棄し、一般読者の手に入らなかつた。次いで一九〇五年に第二版、一九一一年に第三版が出たが、其都度初版同様の運命に逢つたと云つて居る(三四頁)。重大事件の秘密を握つて居るものが、他の女と関係した為めに妻君の嫉妬に逢ひ其処から秘密が漏れたと云ふやうな事は、此種の作り話によく出る手である。生中こんな来歴語を書いて居る為めに、此流説は益々其真実性を失つて行く。

 斯くしてマツソン結社の本当の中堅は、猶太人だとなつて居る。猶太人以外の社員も沢山ある。が其等は本当の目的を知らずして盲動して居るものに過ぎない。一番奥にあつて操つて居るのは猶太人だから、此結社は即ち時代人の秘密結社と云つていい。マツソン結社は即ち「猶太人を結束せる団体である」(五頁)。而して「彼等は一定の領土を有せず、一地に固着せず、世界の隅々到る所に散在して居るから、仕事が為し易い。彼等は世界に散在して居るが、結束鉄の如くで夫、互に気脈を通じて世界革命の計画の実行に努めて居る」と云つて居る。之によつて見ると、世界中の猶太人が悉く一つになつて、同一の目的を意識して熱心に活動して居るやうに見えるが、之なども事実を飛び離れた飛んでもない独断である。

 斯う云ふ怖ろしい陰謀のあると云ふ丈けで、可なり世界の人が脅かされる訳であるが、更に進んで該書は此結社と露国革命との関係を説き、ボルシエヴヰズムの運動が即ち此陰謀の最も雄弁ならあらはれだと云ふて居る。此書の標題が「過激思想の由来」としてあるのを観ても、其趣意は明かであらう。
 彼等は云ふ。露国革命の先鋒たるリボフ公やミリユーコフ公は窮極の目的を意識せざる第二級以下のマツソンである。彼等は民意に副ふ政府を作らうとして君主政治を殪した。豈に図らんや、之れ猶太人の操る所なることを。やがてケーレンスキーが出て来た。「兵卒は将校に敬礼するを要せず」との命令に次いで「兵卒は将校を監視すべし」との命令を発して軍隊の破壊を企てたのは彼であつて、而して之はマツソンがなさしめた仕事に外ならない。併し彼はマツソンの旨を徹底的に奉ずる事を躊躇したが故にやがて排斥され、レーニン、トロツキーの徒が之に代つて出て来た。此両人によつてボルシエヴイズムは初めて徹底された(一四-一七頁)。「以上革命の経路を一覧した丈けでもマツソンの分子が加はるに従つて破壊の程度が濃厚になつた事が窺はれるではないか」(一七頁)と。「彼等は先づ軍隊に入り込み、非戦論を鼓吹し軍隊の解散を主張した。彼等は実に露国に於ける革命の扇動者である。彼等は今日尚依然として印刷物や流説によつて盛んに下層民を扇動して居る。──要するに露国革命は猶太人の陰謀の実現である。」(一八-一九頁)斯くして過激派は即ち猶太人の怖るべき世界顛覆の陰謀の有力なる発現であるから、我々は厭くまで之が撲滅を期せなければならない。過激派の侵略は如何なる形に於て来るものでも、我国とつて最も怖るべきものである。之れ容易に西伯利撤兵を断行し得べからざる所以で、又厳しく過激派かぶれの思想の横行を抑圧せざるべからざる所以であると云ふのである。


(三)世界征服の方法


 然らば猶太人がマツソン秘密結社を通じて世界を征服する方法は如何。彼等の云ふ所によると、第一には、自由平等博愛の思想を鼓吹することによつて、民心の社会的〓〓を紊乱することである。第二に猶太人の有する広大なる金力によつて世界の人の物質生活を極度に苦めることである。第三には更に種々の手段を講じて人心頽廃の勢を助長することである。第四には此種の運動の遂行に最も邪魔になる君主制を何よりも先に打破することである。第五に斯くして尚世界征服の功を完うし得ざる時は、遂に最後の大々的革命手段に出づると云ふのである。此等の点が「決議録」と猶太民族に与へたる訓令とに詳しく説かれてあるが、更に之を簡単に要約したものが前掲出版物の二箇所に出て居る。

 フリー・メーソンリーが自由平等並びに四海同胞の人道主義の基礎の上に立つて個人的道徳修養を専らとする団体であり、又一つには人種宗教等の差による各種族の抗争を排し、純乎たる四海同胞の大義の上に完全なる人類和親を主張するものであることは公知の事実である。而して之が危険なる世界顛覆の陰謀の巣窟だと云ふのだから我々には不思議である。何故斯くの如き団体が世界顛覆の陰謀を企てて居るのだと伝へるか、と云へば、彼等は云ふ、自由、平等、平和の思想によつて民心を荼毒弛頽し、主権と国家とを崩壊せしめ、暴民の台頭を促し、〓を以て之を猶太人の支配下に置かんとすると。自由平等と云ふと一寸見ると人道的だと云つて人は喜ぶ。「而して其後ろの陰謀を知らぬから、自分が人道の為めに盡して居ると思ふて居るが、何ぞ知らん其陰には破壊、革命、暴動、延いては国家の滅亡と云ふ怖ろしいものが〓らんで居るのである」(八頁)。彼等は自由平等の主張によつて先づ君主独裁制を破り、盲目な群集の手に政権を移す。立憲君主制になつたと云ふ事は夫れ自身己に主権を弱めることになる。何故なれば、之は「主権者が政治の一部を臣民に与ふることになる。即ち主権を弱めたものである」(十頁)から。更に進んで彼等は立憲政体を共和政体に導き更に無政府状態に引張つて行く。此点に至つて、天下は全く猶太人のものになる。「各国が無政府状態とまで行かなくとも、民主政体まで崩れた時は、彼等の目的が達せられたのである」(十頁)。斯くして彼等は今日自由とか平等とか、四海同胞とか真面目になつて唱へて居るものは、皆人道の為め、世界平和の進歩の為めに盡して居る積りであらうが、其努力の為めに何物があらはれ来るかと云へば、猶太人の陰謀の遂行に便利な状態に外ならない。かかる状態を来さんが為めに初めから悪意を以て自由平等を唱へて居るものも〓なくないが、善を以て之を唱ふるものと雖も、畢竟マツソンの傀儡に過ぎぬから、我々はウツカリ此等に雷同してはならないと云ふのである。
 自由平等の思想を鼓吹する事が、政治方面から壬申の頽廃を誘致するばかりでなく、又宗教の方面からも混乱を導かうといふのである。「基督教会は吾人の最も怖るべき敵の一つであるからして、吾人は其勢力を失墜させる為め不断の努力をしなければならぬ。即ち之が為め基督教を信ずる知識階級の間に極力自由思想(懐疑思想)を注入し、宗派教派の分裂を来たさしめ、其間の争闘を激烈ならしめるやうに力めなければならぬ」(九九頁)と。前記「猶太牧師の訓令」中に述べて居る。
 斯くして人心を頽廃し、国家的精神を打破する事が隠れたる最後の目的であるから、此為めには自由思想の鼓吹の外、どんな手段でも取る。戦後頻りに「国際」と云ふ文字を使ふが、之も其震源は此処に在る。「彼等は盛んに国際といふ言葉を振廻して居る。曰く国際連盟、曰く国際警察、曰く何々など、孰れも国際といふ形容詞付きで、要するに国家といふ境界を取除いて世界の人心を統一し、金力に依つて猶太の主権を全世界に樹立しようといふのである」(一一頁)。又曰ふ、「彼のウイルソンが主張して居る国際連盟や国際警察なんどといふ事は、猶太人の政策をそつくり其儘提議したものと云つてよい」(一二頁)と。
 要するに「自由・平等・同仁なる語は盲従的な吾人の諜者によつて世界の隅々まで喧伝せられ、幾千万の民衆は吾人の陣営に投じ、此旗幟を担ぎ廻つて居る。然るに実際をいふと、此標語は到る処平和安寧一致を破壊し、国家の基礎を顛覆し、非猶太人の幸福を侵蝕する獅子身中の虫であつて、従つて吾党の幸福を大いに増進し、事は諸君の直ちに首肯せらるる所であらう」(四一-四二頁)。と「決議録」第一に述べて居る。荒唐無稽の作り話であるといふ面目は、此処に於いて遺憾なく発揮されて居る。

 猶太人がどれ程恐ろしい陰謀を企てて居るとしても、彼等は差当り領土を有つて居ない。又兵隊も有つて居ない。然らば吾々から見て少しも恐るべき理由は無いではないか。と云ふに、否、さうではない、彼等は実に何よりも恐るべき金力を擁して居る、金力の巧妙なる利用によつて武器以上の効果を収める事を知つて居ると云ふのである。猶太人は今日まで金の力で基督教国民を虐めたといふ事は、殆ど欧羅巴人の迷信と云つてもいい位だから、猶太人は其有する金力の方面から恐ろしいものと説くのは、少くとも彼等の間には十分の効き目があるのである。其処で「決議録」の第二十二には、猶太人をして斯ういふ事を云はしめて居る。曰く「吾人の掌中には現代の一大威力なる金力がある。吾人は如何なる巨額の金であつても、之を二日間に取出す事が出来るのである」(八六-八七頁)。彼等は如何に金力を利用して其目的を達せんとするのであるか。自由思想の鼓吹によつて小作人を地主に背かしめ、労働者を資本家に反かしめ、遂に労働者をして工場を奪はしめ、小作人をして土地を奪はしめる。併し乍ら「農民の地主から奪つた土地は、地主が経営したやうに開拓発展せしむる事が出来るであらうか。労働者は工場主の様に企業を経営し得るであらうか。今の彼等の教育程度を〓つてしては到底出来ようがない。とどのつまりは土地なり工場なりの経営、尠くとも其利益は、秘かに手を拡げて持つて居る猶太人の手に落つるのである」(一三-一四頁)。斯くして先づ各国に於ける産業の根本要素を猶太人の手に収めると云ふのである。
 次ぎに彼等は各国政府の財政の鍵を握らうとする。今や欧米諸国の大都市に於ける経済界の中堅は、殆ど例外なく猶太人である。而かも各国の政府は軍備の競争の為めに財政上大いに苦んで居る。其処で仮想的平和の下に各国を滅亡の淵に進ましめる為に、「吾人に残されて居る問題は、各国の国債の成立を容易にし、斯くして世界財政の支配者となる事である。さうすれば遂には各国の鉄道を奪ひ、森林を奪ひ、大工場を奪ひ、同時に他の不動産の形に於いて関税並に国税を手にする事を得るに到るであらう」(九八頁)。
 それでもまだ完全に各国各民族を従へる事は出来ない。其処で「尚ほ騒乱を続け、平和を与へずに国民を苦しめる。即ち生活難で苦しめるのである。彼等(猶太人)の手で金融界を左右する事が出来る以上、極めて容易に生活難を惹起する事が出来ると彼等は信じて居る」(一一頁)。即ち広大なる金力を以つて生活必需品の買占めによつて一般人民を苦しめるのである。「生活難の為め一般人民は奴隷制度の下に於けるより以上の苦を嘗めて居る。既に国によつては擾乱が起つたのもある。やがて到る処に蔓延するのであらう」(四五頁)。〓え「苦しめ抜いた揚句に、彼等の所謂一片のパンを人民に与へて其主権に帰属させるのである。……非猶太人を奴隷のやうに労働さして其金を絞り上げ、そして時々パンを与へつつ人心を緩和し、世界を支配しようと云ふのである」(一二頁)。言葉を換へて云へば「各国民の経済を破壊し、自己の掌中に富を収め、各国民間の和平を奪ひ、民衆を飢餓と失望との極度まで到らしめ、困窮疲弊の極遂に世界の経済的優越権を掌握する猶太王に頼り、随喜の涙を流すに到らん時機を待つ」(一一四頁)と云ふのである。随分人を食つた話である。

 右のやうな方法で、武力に依らずして世界を征服しようといふのであるから、非猶太人に対しては自由平等の思想を鼓吹すると同時に、淫靡・贅沢・〓偽凡ゆる悪徳の注入を〓らず、殊に文学の鼓吹によつて少しでも多く人心の頽廃を謀らんとする。「決議録」の第十四に、「所謂一等国といふ国々に、吾人は馬鹿な淫靡な実に唾棄すべき文学を作り上げた。吾人が政権獲得の後、暫時は之を奨励する」(六六頁)と云つて居る。又曰ふ、「マツソンが文学美術の方面から風俗破壊を企てて居る事は、マツソン自身之を自白して居る。……現に一時猶太人が根拠を据ゑた仏国に於ける文学の如きは其適例である。モウパツサンやゾラの作、其他有象無象の小説、一つとして然らざるはなしだ。……然るに日本の文士は社会を荼毒すべく猶太人が故意に流し込んだ排泄物が入つて居るのを知らずに、西洋文学をそつくり其儘日本に紹介するから堪らない。……近来頻々起る裸体画問題なども亦然りである」(二六-二七頁)と。
 さうすると昨今世界に淫靡の風の流れて居るのは、猶太人の為す所である事になる。さうすると木乃伊取りが木乃伊になるといふ譬の通り、猶太人自身も亦一緒に頽廃する事がないか。此点について本書の作者は「彼等自身は如何に己を持し、又如何に彼等の主権を擁護しつつあるか」の点につき大いに学ぶべき点があるとて、次のやうな事を云つて居る。「彼等は非猶太人に対して自由・平等を鼓吹し、代議制を慫慂し、民権伸長勧告して居るが、彼等自身は「カガル」(秘密結社長)に対しては絶対の服従を為して居る。一例を挙ぐれば彼等は自ら餓えても「カガル」に納付を怠らない。又非猶太人民に対しては階級の軋轢を助長して居るが、自らは階級制を遵守して居る。又、非猶太人に向つては贅沢を鼓吹するに反し、自身は如何に富んで居つても極めて質素で虚栄に走らぬ。夫婦の関係の如きも、非猶太人に鼓吹するのと反対で、頗る厳格である。彼等は人前に於ては一見淫靡の如く見ゆるが、実際は必ずしも然らずである。そして彼等の結束と相助の観念とは鉄の如くであつて、非猶太人をば欺きもし、苦しめをもするが、猶太人が猶太人を欺き又は見殺しにする事は稀である。又子弟は最も厳重な監督と制裁との下に教育し、所謂猶太魂の涵養に努めて居る。それであるから殆んど二千年間流浪の生活を送り乍ら、彼等の民族性は今も昔も変らないのである」(二九-三〇頁)と。酔払ひの道楽親爺が自分の小供にだけ品行方正ならん事を求むると同じ様に、他人を散々堕落せしめて自身だけ一人厳格な生活を送らうといふのは、無論初めから出来ない相談ではあるまいか。若し夫れ「貴族富豪の家庭に入込んで居る男女の家庭教師、奴婢、番頭、執事及び非猶太人の歓楽場に出入せる猶太の女性、就中此最後のものは……非猶太人の淫楽贅沢を故意に幇助して居るものであつて」(四〇頁)、之れ取りも直さず殉教の精神に富む吾党の諜者であると云ふに至つては、呆れて物が云へない。猶太人で妾を持つものがあるか、其女は非猶太人に限るとか、又露西亜では婦人共有法律を作つて居る所もあるが、此法律の適用を受くるものは事実上純露国婦人に限られ、猶太婦人に及んで居ない、之れ皆非猶太人を堕落せしむる為めの魂胆に出づると云ふに至つては、人を馬鹿にするも程があると云ひたくなる。

 以上のやうな方法で、猶太人は結局世界を征服先として居るのであるが、それがすらすらと目的が達成られるかと云へば、其処に一の大いなる障害がある。「猶太人の世界掌握の陰謀の邪魔は、勲章を戴いた国家である。何となれば聡明なる君主は彼等の跋扈や主義の実行を許さないからである」(九頁)。「決議録」の中にもマキアヴエリ流の独裁君主制を謳歌し(三九頁)又「政治問題とは社会の指導者が知つてさえ居ればよいのであつて、社会一般民衆が容喙すべきものでではない」(五二頁)などと云つて居る。其処で世界の表面から君子国を絶滅するといふのが彼等の最大の急務になる。「××××××××、×××××××××××××××××××」(××)。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××。
 君主制を打破するには君主と民衆とを離反せしめなければならぬ。之が為に自由平等を説くのだ。而して君主に背いた多数の民衆は常に之を友として置く必要がある。それが為には「凡ての社会問題殊に労働者の運命を改善しようとするやうな問題に対しては熱心な見方であるかのごとく仮面を冠る事」(一〇三頁)が必要である。斯くして暗に最近労働問題など担ぎ回るものは皆マツソンの手先であるといふやうな意味を仄めかして居る。何れにしても、柔順にして且つ無智なる民衆の大部分は吾人の味方になつて居るから大丈夫である」(一〇一頁)勝利は疑ない云つて居る。けれども万一計画の破れる事あらんか、其際は「吾人は如何なる勇敢な人間でも、之を聞けば直ちに縮み上つてしまふやうな準備をなしつつある。準備とは何ぞ。地下道の開設之である。吾人の計画の一般に関付かれる頃迄には、各国の首都に於いて地下道の完成を見るであらう。そうなれば一朝事ある時は、吾人は国家の重要機関を爆破する事が出来る」(六八-六九頁)と云つて居る。

 以上述べたやうな方策を更に数箇条に要約して、次の如き行動計画なるものを掲げて居る(二二頁-二八頁及一一四)。(一)、自由平等の思想の鼓吹に依り、個人的権利の拡張の名義の下に漸を以て主権を薄弱にし、愛国心を弱め就中君主国の〓〓を図る事。(二)、貧富の〓〓を大ならしめ、階級闘争助長し、下層民の手を借りて貴族富豪の撲滅を図る事。(三)、非猶太人の間に隠微放縦の風を助長し、人間の劣情を発達せしめ、殊に人倫上最も大切なる貞操の如きは迷信として嘲笑するの風を流行し、殊に青年の気風を薄弱ならしむる事。(四)、猶太教以外の総ゆる宗教の撲滅を図る事、殊に基督教撲滅の為めには最も慎重なる方法を講ずる事、之れが為めには表面から露骨に攻撃する事を避け、基督教の仮面を被つて基督教の根底を覆す手段を執る事。(近頃基督教が社会主義や危険思想の根源となつて居るのは、実はマツソンが基督教を利用して居るのだと云つて居る)。(五)、以上の計画の実行のために新聞雑誌の言論機関を盛に利用する事。(世界の新聞の八割は猶太人の手に帰して居るとか、所謂世界の大勢などと云ふものは之等の新聞が国家思想破壊するがために〓〓するものだなどと云つて居る)。(六)、斯くして非猶太人の民心の退廃を極度に進めた後、徐ろに其膨大なる金力を利用して確実に世界の制服の地位を占むる事。


(四)マツソン結社の組織


 マツソン結社は全猶太人の固い〓結で、彼等は全世界に散在して居るが、其結束鉄の如く、互に気脈を通じて熱心に計画の実行に努めて居る。如何にして気脈を通じて居るかと云ふに、七十七の支部を全世界に設け、北米合衆国南カロライナ州のチャールストンに設けられてある本部に於て之れを総括して居ると云ふ。支部はアジア方面にもあるが日本にも四箇所あると云ふて居る(六頁)。
 マツソン結社は前に述べた如く表面は正義人道の〓〓を掲げて居る所から、其本当の魂胆を知らない者は、世界の平和の為めだ、正義人道の為めだと考へて入会して居るものが多い。斯くして其「組織は一寸見当が付かぬ程複雑である。即ち社会階級の総てを包括したもので、宗教、政治、経済、総ゆる方面に亘つて居り、学者、政治家、論客、芸術家、俳優、番頭、給仕等に至るまで総ての階級を網羅して居る。而して入社する者は猶太人とは限らない。三十二の階級があつて、社員は其一階級に属する。下級の雑輩は、大工、左官等と称する階級に属し、段々昇進して秘密を明かさるるのであるが、最後の秘密は最上級の社員たる猶太人以外誰れも窺ふ事が出来ない」(八頁)。之れは即ちフリー・メーソンリーを眼中に置いたものである事が明白であるが、而もフリー・メーソンリーの事を知らずして恁んな事を云つて居る所に無邪気な滑稽が表はれて居る。

 そこで彼等の云ふ所によるとマツソン結社の社員は三十二の階級に分かれて居るが、之れを大別して二つの階級に分ける事が出来る、即ち一つはマツソンの悪辣陰険の真の目的を意識して居る最上級の者で、他の一つは只正義人道の看板に眼が眩み、其陰に潜む陰謀を知らずして善意を以て世界破壊の運動の手先きとなつて居る者即ち之れである。決議録の第九に曰く「目下世界各国に於ては、我党の作つた種々の意見を鵜呑みにした連中が吾人の為めに犬馬の労を取つて居る。曰く君主制復興家、曰く専制政治家、曰く社会主義者、曰く共産主義者云々」(五七頁)斯くして此種の正直なる愚民を使つてマツソンの最高幹部は着々として世界顛覆の陰謀の遂行に努めて居るのである。
 併し乍らマツソン結社は、如何にして本来馬鹿正直なる青年輩を自〓の陰謀に〓致する事を得るか。非猶太人の〓服の為めに其非猶太人の子弟を使ふと云ふのだから余程巧みな手段を執らないと底が割れる恐れがある。之れに就いては次ぎのやうな事を云つて居る、「一例を挙ぐれば最高秘密結社が基督教の権威を失墜せしめやうとする時は、基督教的教育又は訓練を施して幾多の人民を牽き着ける。…………表面では基督教的道徳の涵養を以て其社の根本目的と揚言し乍ら、実際に於ては基督教の根本義を迷信なりとして排斥し、次いで基督教道徳の破壊に手を伸すのである」(一〇六-一〇七頁)。又云ふ、最高秘密結社が〓道人心を〓〓せしめんとする時は、適当な人士を選んで青年会を設けしめ、青年の気質に統合するやうな説を餌として徐々に目的を〓せんとする。譬へば子たる者は父母の要求が正当なる時に於いてのみ服従すべき者であるなどと説いて、子女して父母を批評するの位置に立たしめながら、父母に背くの習慣を助長し、遂には親〓の破壊を来さしめんとする。其他の政治的、文化的事業に至つても一として然らざるものはない。「彼等が国民の政治思想涵養の目的を以て社を〓す事があらば、そは如何なる愚者にも主権の活動に対し絶えず批評を加へる特権を与へて、主権の権威を堕し、国家組織の解体に導かうとする陰謀から之れをを為すに外ならぬ」(一〇七-一〇八頁)と云つて暗に社会党や労働党若しくは急進党を呪ふて居る。
 斯う云ふ目的を達する為めに特にマツソン社の骨を折る所はあ、飽く迄天下の耳目を欺くために世界各国に亘つて増設さるべきマツソン社には現在及び未来の大家を網羅すると云ふ事である。フリー・メーソンリーには、後にも述ぶる如く今日の政界で云ふならロイド・ジョージとか、ウィルソンとか云ふ第一流の人物が皆這入つて居る。夫れ丈けで見ても此結社が猶太人の世界顛覆の陰謀の手先きなどになる筈はない。況んや知らずして之れを助長して居ると云ふが如きおや。けれども何処までもフリー・メーソンリーを猶太人の陰謀たるマツソン結社に結び着けやうとするには、ロイド・ジョージも、ウィルソンも皆マツソンの徒と云はなければならない。斯くして彼等は云ふ、出来る丈け世間の耳目を瞞着する為めに我々は一流の大家を網羅するのだと。斯うなると馬鹿も休み休み云へと云ひたくなる。


(五)「シオン決議録」の内容


 二千年来猶太人の抱いて居つた陰謀、而して久しく秘密の中に隠れて居つたのが前に述べたやうな不図した事から最近やつと世界に暴露された陰謀計画の内容は、所謂「シオン長老決議録」に列挙されて居る。前に述べた事とは重複するが其大要を次ぎに示さう。決議録は全体で二十四の項目がある。けれども之れを系統的に分けると三大綱目になると思はれる。

 第一に掲げて居る事はマキアヴェリー流の独裁君主制の謳歌である。政治と道徳とは全く没交渉のもので、徳義を基礎とする為政家は政治家でないとか、苟くも政治家たらんとせば偽善を旨として奸策を弄さなければならぬ、公明と正直とは政治家にあつては寧ろ罪悪であるとか、吾人が今日止むを得ず行ひつつある所の罪悪は後日善となるの日があらう、吾人の計画は、是非善悪の点よりも寧ろ必要、不必要、利害得失の観点より判断されなければならぬとか云つて、「政治の本領は幼少より専制政治の訓練を受けた者に限りて之れを発揮する事が出来る。独裁君主のみが諸計画を概括し、国家機関の間に之れを案配し、秩序を立てて之れを処理して行く事が出来るのである」(三九頁)。之れはマツソンの政治理想が如何に現代欧米の自由主義と相容れないものであるかを明かに示すものである。

 第二の項目には斯くの如き猶太人の独裁的主権を確立する前提として、先づ如何にして世界の擾乱を来すべきかの方法を論じて居る。猶太人には武力がない。従つて世界征服の事業を全うするためには、いろいろ特殊の方法を講ずるの必要があるのである。之れに就いて彼等の最も得意気に主張して居る所は世界各国至る所に数百万の諜者を配置し(四三頁)金力を以て言論機関を左右するのみならず、更に行政官を左右し、(四八頁)各国の国家機関の運転を彼等の手に収め(五二頁)次いで又大統領の地位を自分の思ふがままに左右する(六〇-六二頁)。斯く国家の政治〓〓を掌中に収むる方策を講ずるの他の一方に於いて、又盛んに民心を混迷させる方法を怠らない。彼等は刊行物の力を借りて科学に対する盲従を絶えず鼓吹し、ダルウイニズムやマルキシズムやニイチエズム等の成功に依つて思想界を混乱したのは我々の力であると云つて居る(四三-四四頁)。表面飽く迄も労働階級を助けるやうな顔をして資本主義攻撃の経済学説を流布したのも我々だと云つて居る(五四頁)。
 自由の看板の下に政党を作らしめ、政権争奪の為めに争はしめたのも我々だ。生活難の為めに彼等を苦しめたのも我々だ。「斯かる状態の所へ持つて行つて、我党の士は人道とか四海同胞とかを標榜して、社会主義や無政府主義や、共産主義を我々が援助を与へて居る労働者に勧説するのであるから」、彼等は期せずして我々を救済者と仰ぐ。斯くして我々は民衆を唆かし「其手を借りて五人の前途を妨げる者を撲滅すべきである」(四五-四六頁)。斯う云ふと詰り貧乏人が金持に反抗するのは自ら手を下さずして貴族富豪を撲滅せんとする猶太人の陰謀に基くと云ふ事になるが、併し金持の大部分は猶太人である部の何う説明するか。そこで彼等は云ふ。「併し乍ら彼等は吾人に猶太人の富豪には手を触れないだらう。何となれば吾人には彼等の攻撃の時までに事情が分かつて居るから、予め適当の予防手段は講ずる事が出来るからである」(四六頁)と。
 此方法を以て進むに当り、「現今吾人を倒す事の出来る勢力は国際間には何もない。何となれば一の勢力が吾人を攻撃すると他の勢力が吾人を防護するからである」(四七頁)。
 要之猶太人は斯う云ふ悪辣な方法で世界を苦しめる。昨今世界を騒がして居る所謂危険思想や乃至其運動は皆猶太人に淵源する事だと云ふ意味がよく表はされて居る。
 終りに第三の項目には、猶太人が愈々其目的を達して世界を掌握した時には、何う云ふ風に之れを治めるかと云ふ事が述べられて居る。
「吾人の天下となつたならば………法律に依り世間に対して絶対的服従を要求する」(七〇頁)。之れまで大いに擾乱されて愛国心も、宗教心も滅却して居るのだから、恁う云ふ社会を治めるには圧制の外にないと。「吾人は社会の一切の勢力を掌握するため極度の中央集権を取り」彼等を治むる法律は極度の圧制的なものでなければならぬと云つて居る(五〇頁)。さうして置いて段々人民に服従の徳を教へて行く。
 此目的を達する為めには「主要官庁から一切の自由主義者を駆逐し、之れに代うる吾人が行政教育を施した者を以て」しなければならない。「我党の裁判官は詰らない慈悲寛恕は正義の法則に違反する者なる事を知らねばならない」と(七一頁)。弁護士の制度は「無責任な放縦な人間を養成するものである。弁護士は……只管被告のみを弁護する習慣を持つて居る。……此故に吾人は此職業を極限する必要がある」。(七五頁)更に吾人は大いに言論の取締りを厳重にする必要を認める。免状を持たずして出版業者、印刷業者たる事が出来ない。総ての刊行物に保証金を徴し、一頁毎に課税し且つ二十頁以上のものには倍額の税を課する。雑誌の如きは大半之れを国有にしなければならぬ(六四-六五頁)。斯くして厳重に取締つた上広く諜者や密告者を放つて秘密の探偵をするから、殆んど不穏の陰謀の企てられやうがない。それでも若し警戒を厳にする必要な出来事が起つた場合には、紛擾診断なるものをやる(七七頁)。それは雄弁家に頼んで不穏の演説をさせる。若し之れに共鳴する者多かつた時には、直ちに警察の力を以て之れが一掃を図るのである。
 次に宗教に就いては猶太教以外の他の一切の宗教破壊するとか、其ための過渡的の現象としては無神論者など跋扈させるとか(六五頁)、教育に就いては「総合大学を吾人の方針通りに教育して無害のものにする必要がある。此目的を達する為めには、総長や教授に詳細な秘密教程を授け、少しでも之れに違反したら処罰する事とする」(七三頁)。今までは非猶太人の国家組織を覆すために故意に政治法律の課目を設けて来たが、我々の時代になれば之れ等は悉く省いて了ふ事にする。本当に我党の機密に参与して居る少数者丈けに之れを授ければ好い。一般の人には寧ろ為政者の善い事計りを教へる事にする(七三-七四頁)。
 財政並びに公債政策に就いても詳細に述べてあるが〓々しいから今は省く。要するに猶太人の天下になれば、如何に現代の世界が苦しまねばならぬかを特に欧米の下層階級の神経を悩ましめるやうに説明してある。

 以上を以て「決議録」の内容を大体述べ終つた事にする。もつと詳しい紹介は、三月十五日発行の「外交時報」紙上に乗せた今井文学士の論文に詳しいから、就いて参照せられん事を希望する。唯此処に一言付け加えて置きたい事は此「決議録」を振回すものが、此猶太人の陰謀の計画が其通り今日の世界的擾乱に表れて居る、予言の斯くまで的中して居る所から観ても、現代の世界的擾乱は取りも直さず猶太人の為す所に相違ないといふ風に見て居る事である。我々から見れば、猶太人の希望するやうな状態は一つも現はれて居ない。現に現はれて居る事は、猶太人の予言を俟たなくとも予想され得るべき事柄である。之を予言の的中などと云ふのが分らない。且つ又予言の的中だとしても、今日の世界的擾乱を見て〓かに之を猶太人の計画に帰して、彼等を陥れんが為めに本書を拵へたものでないかといふ疑もある。其為にや「決議録」の発行者は之は最近に作つたものではない、一九〇五年に出版されたもので、現に大英博物館には一九〇六年八月十日の日付けで十七門三千九百二十六号として一本が保存されてあると態々断つてある。恁んな事を弁じ立てて居る丈け此本の下らないものであるといふ真相が益々明白になるやうな気がする。


(六)マツソンの余毒


 我が「過激思想の由来」は更にマツソン結社の秘密陰謀が古来幾度も世界の擾乱を企てたといふ事実を立証せんとして居る。其の滑稽な立証方法の一つ二つを御目に掛けよう。

 第一に来るのが仏蘭西革命である。仏蘭西革命は正にマツソンの起したものだと断言して居る(一一五頁)。それからナポレオンとマツソンの関係の説明が面白い。ナポレオンは仏蘭西の帝位に即くまではマツソンの徒で、又其指示を受けて居たが、皇帝となつてからは〓に其勧告に従はざりしのみならず、国内に在る猶太人を公然敵視したので、遂にマツソンは種々の画策を廻らしてナポレオンを仆した。即ち一方に於いてマツソンの徒が多数を占めて居る当時の英、露、墺諸国の政治家を動かして欧州連盟を造り、他方に於てはナポレオン腹心中のマツソンを唆かして陰に陽にナポレオンの虚栄的野心を煽り、遂に滅亡的の事業を決行せしめたと云つて居る(一一九頁)。
 次に露国を倒したのも亦マツソンだと云つて居る。露国にマツソンの入つたのは余程以前の事で、アレキサンドル一世時代には既に廷臣の多くが之に加はり、皇帝自身又其真目的を知らずして之に帰依し、為めに其勢力は益々張つて来た。然るに一八九五年最高幹部の総会は、露国の勢力を弱むる為めに全力を注ぐ事を決議したが、当時の露西亜は実に此陰謀の為めに絶好の機会であつた。何故ならば政権は剛毅果断なアレキサンダルから優柔不断のニコライ二世に移つたのみならず、帝は即位の当初より露国マツソンの首魁たるウヰツテの薬籠中のものであつたからである。日露戦争を起したのは露国の〓〓を希望するウヰツテ一味のマツソンがやつたのである。此戦争に露西亜が敗けたので、マツソンの〓〓は一時私かに喜んだが、其後露国の国力回復が案外〓かなるを見て、之れではならぬと直ぐに又革命運動を起したが、〓、国民多数のまだマツソンに〓〓れて居ないのと、外、独逸皇帝の来〓あつて、運動は忽ち鎮定せられた。けれども彼等は之に屈せず、言論機関を利用して盛んに破壊思想を注入した。露国に代議制を設けしめたのが即ち此運動の一大成功であると云つて居る(一一八-一二〇頁)。

 今次の世界大戦とマツソンとの関係については次のやうな事を云つて居る。「マツソン秘密結社は欧州大戦の準備に着手した。此決議は一八九八年になされて居る」(一二〇頁)。之が為めには、独逸をして世界政策を取らしめ、之と英吉利とを〓〓せしむるに努めた。而して最初の計画では〓〓〓問題で世界戦争を勃発せしめようといふ予定であつたが、一九〇六年に至つて多少計画を変更し、三国同盟にはトルコ、ブルガリア等を加盟せしめ、又露仏同盟には英吉利、日本を加へ、此二大同盟を争はしめて欧亜の大国を疲弊せしめ、やがて之等の国内に革命を起さしめようと云ふのであつた。而して米国は既に著るしくマツソン化して居るから、将来欧亜を併せてマツソンの世界的主権を樹立する時に策源地とする必要もあるから、二大同盟の何れにも加はらしめなかつた。此目的の為めにマツソンは露西亜に入つては英露同盟の必要を説き、仏蘭西に入つては英仏同盟の必要を論じ、独逸に入つては英仏露対戦準備が急務なる事を力説した。是等の国がうまうまと此議論に乗つたのは、彼等の為めに考へて見れば誠に危険な事であつた。併しマツソンは果して此計画通りに行くか何うかを多少懸念して居つたが、愈々大戦が勃発すると予期以上の成功で、有〓強大を謳はれた露国も、見る影も無く崩壊したので、マツソンは大いに狂喜した。所が之が為めに独逸の勢が馬鹿に強くなり、自国の君主制を益々堅固にするので、之れではマツソンの計画の進行に邪魔になるといふ所から、更に改めて独逸圧迫の新方針を執る事になつた。之が為めにマツソンは先づ以つて米国を利用した。従来首鼠両端を持し、多少独逸に同情を有するかに見えて居た米国が、忽ち豹変して独逸の敵となつたのは之が為めであると云つて居る(一二〇-一二三頁)。
 次ぎに巴里の平和会議に於いても亦マツソンが大いに活躍したと云ふて居る。彼等は国際連盟や民族自決主義などは共にマツソンが之を説かしめたものだと云つて居るが、国際連盟の方は此「美名の下に各国家の経済的政治的境界を取除き、各国の戦後の疲弊に乗じ全力を以て世界の覇権を握り、其盟主にならう」(一二一頁)と云ふのであり、民族自決、の方は「列強の多くは植民地又は多数の民族から成立つて居るから、各民族が独立を宣言主張する事になると、列強が自然に崩壊しないまでも紛擾が絶えない事になる」。(一二一頁)畢竟米国以外の列強を弱める手段であると云つて居る。

 彼等は又云ふ。若し欧州大戦前に日露独の如き純粋な君主国がなかつたならば、マツソンは其予ねてより準備して居つた社会革命運動を一二ケ月以内に勃発せしめ、無政府状態を現出せしめて、遂に彼等の陰謀の目的とする所を達する事が出来たであらう」(一一七頁)。故にマツソンの何よりも撲滅せんとする所は君主国である。そこで「露独の君主制を倒した今日、マツソンの徒は全力を挙げて×××××××を企てて居る」(一二三頁)。一九〇六年以来多数のマツソン結社が日本に設立せられたが、昨今普通選挙運動や労働運動や、其他日本固有の伝統に知られてなかつたいろいろの新運動の起つて居るのは皆其陰にマツソンの魔の手が潜んで居るのだと云ふやうな事が仄めかされて居る。×××××××××××××××××××××××××××××××××××××× ×××××××××××××××××××××××××××××××××××(一二三頁)と云つて、盛んに米国の対日脅威を説いて居る。斯くして該書の結論に曰ふ「××××××××××××××××。×××××××××××××××××××××××××、×××××××××××××××××××××××××××」(一二五頁)と。


(七)前記出版物の正体


 以上述ぶる所によつて当該出版物の荒唐無稽を極めて居る事が、最早や極めて明白であらう。若し之が民間射利の徒の手によつて作られたものであつたなら、殆ど識者の知る所とならずして終つただらうが、或る方面の有力なる筋よりに非常な大発見でもしたかの如く勿体をつけて頒布されたので、意外にもそれからそれへと伝唱され、遂に動かす可からざる一世界的事実として受取らるるに至つたのは、不思議と云ふよりも寧ろ滑稽の沙汰である。而して斯くの如き事になつたのは、畢竟人々が単純な伝聞によつて軽率に信ずるといふ所から来るので、若し其半分でも又は三分の一でも精読したなら、恐らくは直ちに其途方も無い出鱈目である事が感知せられたであらう。予の前段に照会した所はそれ丈けでも其荒唐無稽なる事を証明するに十分であると信ずる。
 更に当該出版物が如何なる拠り所があつて出来たか、又之を作る時の考は何ういふものであつたか等を考察して、該出版物の正体を解剖して見ると、其出鱈目なものである事は益々明白になる。予輩の観る所に拠れば、作者も云つて居る通り、之れには西洋の種本がある。而して其種本はフリー・メーソンリーと猶太人とに対する西洋人伝来の反感を利用して、ボルセ井゛ズムに対する不信を〓らんが為めに作つた、所謂為めにする所ある〓様本に外ならない。然るに我国の読者は恐らくフリー・メーソンリーの事も又アンチ・セミチズムの事も余り能く御存知なく、従つて種本の真意を諒解せず、漫然之を卒読して、自分達の頑迷な思想の宣伝に利用しようとしたものだと考へる。次に簡単に此等の点を説明しようと思ふ。

 マツソン結社とは即ちフリー・メーソンリーの事だといふ事は読んでも分るが、又明白に断つて居る所もある。而して読者はフリー・メーソンリーについて殆ど何等知る所なかつたと見えて、到る所に其無智を暴露して居る。例へば、「久しき以前より世界を擾乱し、遂には世界を支配しようとする組織立つた秘密の結社がある。其名称は時代によつて異つて居るが」目下はマツソン結社と云つて居る(五頁)とあるが、併しフリー・メーソンリーは時代によつて名称を異にした事はない。一体マツソン結社といふ名から可笑しい。フリー・メーソンリーは時としてマソニツクといふ形容詞で呼ばるる事はある。現に「決議録」の中には、ジユーウイツシ・マソニツク・コンスピラシイ(猶太人のマソニツク陰謀)などと罵倒して居るが、併し何うもぢつて読んでもマツソンといふ発音は出て来ないのである。甚だしきは英国では此結社をフリー・メーソンの名称で呼ぶが、独逸、仏蘭西方面ではマツソン結社と云ふなどと出鱈目を云つて居るものもある。独逸ではフライ・マウラライ、仏蘭西ではフラン・マソンヌリーで、マツソンとは何うしても読めないのである。
 又該書は此団体の総本山を「全世界最高バトリアーク社」(他の一本に、社の代りに座の血を用ひたものがあつた)と書いてあるが(八頁)、バトリアークを社だの座だのと訳した丈でも甚だしき無学を暴露して居るではないか。
 序でに訳者のもつもつともひどい無学の一例を示して置かう。該書の十八頁に斯う云ふ注釈がある。「目下吾人はボルセオキを称してタワ゛ーリシチと云ふて居るが、之は猶太人たる煽動者が群衆なり軍隊なりに向つて演説する時に此言葉を用ゆるのである。タワ゛ーリシチとは朋友、同輩の義で、諸君の代りである、猶太神話の中にある該〓である」(一八頁-一九頁)。と。タワ゛ーリシチが猶太神話と関係があると云ふ事は、露西亜語学者に聞いても明かではないが、唯此言葉は純粋の露西亜語で同輩の義であり、昔から社会主義者の好んで使つた言葉である事は何人も知つて居る。社会主義者が普通日常の会話に用ゆる君、僕といふ言葉の起源が、封建時代の主従の階級的意味を帯べるを不快とし、全然同列の人格だと云ふ意味を表はす為めに、殊更に同輩と云ふ言葉を用ひて居る事は、今に初まつた事ではない。英人がお互にカムラードと呼び合ひ、独逸人がコレーグ、仏蘭西人がコンフレールと呼ぶと同じく、露西亜人は多年タワ゛ーリシチと呼び合つて来た。聞く所によれば日本の社会主義者の間にも、お互に呼び合ふ時にはカムラードと云ふ言葉を使ふさうだ。之れ丈けの事を知つて居れば、西伯利に於ける露西亜人がタワ゛ーリシチと云ふ新しい呼び方をするからとて、少しも怪しむべき理由は無かつたのである。之を猶太神話に出るものなどと云ふのに、随分人を馬鹿にした牽強付会ではなからうか。

 当該出版物が「過激思想の由来」と題するも、全体四部よりなつて居る事は前にも述べた。此第一の「世界革命の陰謀」はあと三篇の翻訳に与つた日本人たる「某憂国の士」への起稿に懸ると断つてあるが、予の観る所では最後の「マツソンの陰謀」も亦日本の作ではないかと疑はるる。第二「シオン長老決議録」と第三「猶太牧師の猶太民に与へたる訓令」の二つは、共に明かに翻訳である。前者は僕の手許にもある。そこで第二第三の両篇は、余り正確ではないが西洋の種本の翻訳であり、第一第四の両篇は之を翻訳せる某日本人の註解と見て可い。而して少しく精密に研究して見ると、其注釈がまた全然原書の真意を取違へて居るから面白い。最初僕が此本を読んだ時、日本人の起稿と断つてある第一篇の趣意と、第二第三両篇の趣意とまるで違つて居るのに驚いた。やがて第四篇を見ると、之が又全然第一編と同趣意で出来て居るから、之は翻訳とは云ふものも、恐らく日本製の偽物であらうと考へたのである。何れにしても本書は過激思想の由来を説いて猶太人の陰謀の怖るべきを警告せんとしたものであらうが、西洋の種本の作者の着眼点と、日本で之を利用せんとするものの着眼点とまるで違ふ。そこで予は故らに第二と第三とよりの引用は洋字、第一と第四とよりの引用は日本字で頁数を示して置いたから、読者に於いて少し此点を注意して読まれたなら、直ちに矛盾のある所が明白になるであらう。
 先づ日本の訳者は何の目的に之を利用せんとしたかと云へば、極端に頑迷な保守思想の擁護に在る事は疑を容れない。尤も表面は露西亜の過激思想と云ふものは斯ういふ恐ろしいものである、之が日本に入つては大変だから何うしても喰ひ止めねばならぬと云ふて、或は西伯利駐兵の口実にしたり、又支那に於ける新運動排斥の論拠としたりする点はある。之にも可也重大な誤解はあると思ふが、それでも単に猶太人の陰謀といふ恐るべきものが我々を脅かして居るといふ事実丈を紹介するのなら可い。作者は此処に止まらず、更に労働運動を初め其他凡ゆる社会的の運動より、普通選挙運動、否、立憲政治其物までを罵倒し、更に国際聯盟や平和運動の如きまでをも呪ひ、自由、進歩、平和等の目的を有する凡ゆる運動を皆マツソンの為す所だと云つて排斥して居る。即ち日本に於ける是等の文化的新運動の凡てをマツソンの汚名と共に排斥せんとするのが其根本目的であるやうだ。驚くべき頑迷な反動思想で一貫して居る事は、前段の紹介によつても分るだらう。此点が又実に此書が其傾向の頑迷者流に喜ばれ、秘密の間に大いに広く持囃された所以である。東北の或県では県庁の役人の肝煎りで民力涵養委員なるものが数万部を複製し、時勢に適切な極めて有益な読み物として、各郡市町村公〓、学校、図書館、青年団、婦人会より誰れ彼れの有志にまで配つて、一時大いに物議を醸した事は前にも述べた。さう露骨に反動思想を宣伝して居る丈け、また少しく心あるものが見れば荒唐無稽を極めて居る事が直ぐ分る。唯露西亜の過激派が引合ひに出て居る丈け、而して過激派に対する疑惑不信の念は今日一般識者の間にも相当に強い丈け、鳥渡之に迷はさるる事はある。
 併し西洋の種本も亦同じやうな目的で書かれたものかと云ふに、さうではない。西洋の原書は猶太人の決議とか猶太牧師の訓令とかいふ謂はば猶太人自身の書いたものといふ形で書かれてあるから、一見すると日本の訳者と同じやうに、極端な反動思想の宣伝のやうに見ゆるけれども、実は之は非猶太人が書いたもので、猶太人がこんな不都合な事を考へて居るから、我々は自由と進歩と平和と人道とのために之に警戒し、又之と戦はなければならないといふ趣意を述べたものである。即ち此本の原作者の結局に於いて擁護せんとするものは、日本の訳者の極力排斥せんとするものと同一なのである。日本の訳者は自由と平和とを呪ひ、更に進んで此種の思想並に運動の策源地として基督教会及び青年会を罵倒して居るが、原作者は猶太人の陰謀の怖るべきを説き、基督の光りと教会のそれとのみが能く此魔手を抑へる事が出来ると説いて居る。(「シオン長老決議録」英文原書九五頁)。西洋の作者は猶太人は斯ういふ不都合な事を考へて居るから、真の自由の為めに起てと云ひ、日本の訳者は自由進歩などといふ奴等は皆マツソンの手だから之を排斥せよと云ふ。単純な利用の方法としては鳥渡巧妙のやうであるが、能く読んで見ると、まるで真意を取違へて居るから可笑しい。
 「能く泳ぐものは水に溺る」の譬で、能く利用したがるものは兎角飛んでもない誤りをする。日本の頑迷者流は日進月歩の自由平和の大潮流に、なかなか正面から抵抗する事が出来ない所から、兎角裏面から凡ゆる手段を弄して其陰険なる目的を達せんとする。西洋の本などで鳥渡都合の好ささうなものがあると直ぐ之を利用したがる。昔山縣公が内務大臣であつた時、露西亜のボビエドノスチエツフの本を翻訳して物議を醸した事があつた。併し之は正面から立憲政治を呪ひ、民主主義を罵倒したものであつた。今度又同じ目的の為めに「シオン長老決議録」を利用したのであるが、〓んぞ知らん、之は立憲政治や民主主義や並に其根底となる思想の擁護の為めに書いた本である。唯書き方が猶太人が盛んに之を罵倒するといふ形を取つた所から西洋人なら直ぐに之に唆かされて猶太人に対する反感を催す丈けであるのに是等の点に諒解のない日本人は、浅墓にも直ちに之を取つてボビエドノスチエツフの本と同じやうに利用し得ると考へたのであらう。

 右の如く日本の方では飛んでもない読み損ひをして居るから益々荒唐無稽なものになつて了つたが、併しさうでなかつたにしろ西洋の原書其物が既に途方も無い出鱈目である。そこで問題は何故又何の目的のためにこんな出鱈目が西洋で白々しくも説かれて居るかと云ふ点に集る。之には又其由つて来たる理由があるのである。
 第一に何の為めに此本が作られたか。と云ふに之は欧米の民衆をボルセ井゛ズムから引き離さんが為めのものである。之は予輩一人の考ではなくして西洋の批評家も既に之を喝破して居る。ボルセ井゛ズムが独り露西亜の天下を風靡して居るのみならず、欧州一般の下層階級に伝播して、政府当局者は勿論一般ブールジョア階級を非常に苦しめて居る。尤もブールジョアジーの立場が正しいのか、或は之に対抗する過激派感染れの民衆の立場が立つ正しいのか、之は一つの大いなる問題であつて、又人によつて各々其観る所を異にするであらう。之れについての議論は問題外だから特に之を避くるが、唯疑のない点は、各国の政治家、資本家、其他中産以上の階級が過激派感染れの流行を非常に苦として居る事である。而して如何にかして之を撲滅せん事に心を砕いてゐる事も公知の事実だ。彼等は各自国の民衆の過激化を防がんが為めにいろいろの手段を講じたのみならず、何よりも先づ其源を一掃するのが先決問題だと云ふので、露西亜本国に於いて反過激派勢力の勃興を助けた事も既に人の知る所である。けれども此目的は容易に達せられない。レーニン政府は露西亜の民衆の間になかなか堅い根底を有つて居る。のみならず、自分達の国に於へてもプロレタリアート階級は動もすればレーニンに加担して自国の政府の反過激派〓〓の行動を妨害せんとする。之には政府も資本家も手古摺つた。又現に手古摺つて居る。何とかして一般の民心をレーニン一派に〓かしめんと苦心するけれども効果が揚らない。そこで最後の窮策として所謂マツソン結社の説を作り出したのである。何となれば欧州の人民の大半はフリー・メーソンリーと猶太人とに対して歴史的に特別な反感を有し、此の二者の為す所だと観ゆれば、訳も無く民衆の反感を唆るに都合が好いと考へられるからである。斯くして吾々は遂にフリー・メーソンリーと猶太人とについて少しく考へて見る必要がある。
 フリー・メーソンリーの事は今詳しく之を説明して居る暇が無い。何れ他日を期して之を紹介して見たい。唯簡単に其輪郭丈けを述ぶるなら、之は名称の示す通り建築石工の組合から発達したものである。起源については色々説があるが、広く欧羅巴に広がつたのは、中世石造建築が伊太利方面から北欧に広がつた頃にある。此石工が同時にある精神主義を伝へたので、今日では純然たる道徳的修養団体となつて了つた。唯昔石工組合から発達した所から、今でも石工に絡んだいろいろの伝説を有つて居る。彼等の集合所をロツヂ(小屋)と云ふのも此処から出て居る(但羅典諸国ではオリエントと云ふ)。三十二の階級に分れて居る事は前にも述べたが、更に之を大別すると親方、中〓、徒弟の三級に分れること、当時のギルドと同一である。而して各階級に於いて守るべき又養ふべき道徳が夫々設定され、それが又皆石工の道具に縁んだ名称を有つて居る。物指しの道徳だのか、水盛りの道徳だのといふ種類である。物指しはものを測る標準だから即ち正義を表はすとか、水盛りは公平を表はすと云ふやうな意味に解せられて居る。而して上の階級の事は全然下の階級には秘密になつて居る。総じて此組合は非常に秘密を重んじ組合其物が所謂秘密結社となつて居る所から、いろいろの誤解を招いた事は今に初まつた事ではない。今日はいろいろ其内部の事も世間に分つて居るが、併し大体に於いて今なほ秘密結社として発達して居る事は云ふまでも無い。
 此団体の標榜する精神主義は何かと云ふに、四海同胞と云ふ事である。仏蘭西革命の標語たる自由、平等、四海同胞は実は此団体の旗幟に外ならない。之れ仏蘭西革命は彼等の陰謀に出づと昔から信ぜれた事のある所以である。兎に角四海同胞と云ふ点が彼等の最も重んずる所だから、昔から欧羅巴に絶えなかつた人種宗教の争などに対しては、極めて激しい反感を有つて居る。人類は凡て唯一人の神の子だ。いろいろの教は明暗の差こそあれ等しく皆神の光りを反映するものである。神は即ち宇宙の大建築師で、吾々は其一材料に過ぎない。石塊は其儘では立派な建築材料とならないやうに、吾々も亦神の建築せんとする精神的宇宙の一分子たる使命を果すには、錐や鑿でいろいろ削りこなされなければならない。荒削りの儘では駄目だ。即ち道徳的修養を必要とする。而し吾々個人個人を神の目的に応ふ立派な建築材料たらしめんが為に、いろいろの宗教が生れたのだ。故に宗教も人種もいろいろあるが、帰する所は唯一つの神だ。然らば吾々は唯一つの神によつて繋つて居る兄弟ではないか。末節に拘泥して争ふのは以ての外の僻が事がであると云ふのである。さういふ立場であるから、一方には人種、宗教の争を緩和すると共に、更に進んでいろいろの平和的国際運動の原動力ともなつて居る。其極、時として国境を無視し、反国家的なコスモポリタニズムに堕する事はある。けれども今日殆ど凡ての国際的運動は悉く此フリー・メーソンリーに関係ありと云つても敢て誣言ではあるまい。加之、有名な世界の宗教家政治家学者文人にして此団体に入つて居るものが又非常に多い。当代の偉人としてはウィルソン、ロイド・ヂヨーヂ、ブリアン等を数へられ得べく、少し古い所ではイギリスのエドワード七世陛下、露西亜のトルストイ、アメリカのマツキンレー皆フリー・メーソンである。更に遡つてはカント、ゲーテ、フランクリン、ワシントン其他数へ挙げればいろいろの方面に際限はない。フレデリツク大王を始め独逸の皇室にも、之に帰依する者頗る多くがある。(最近では前カイゼル、ウィルヘルム二世を除いては殆ど皆フリー・メーソンであつた)。して見るとフリー・メーソンリーは危険どころか非常に結構な、此上も無い立派な団体と云はなければならない。僕自身にした所が縁故が無いから入らないものの、出来るなら是非之に入りたいと考へて居る位だ。西洋滞在中適当な機会があつて之に加入した日本人は、私の知人の中にも多少はある。知名の人としては嘗て外務大臣であつた故林〓伯は熱心な団員の一人であると聞いて居る。兎に角フリー・メーソンリーは危険な団体でも何でもない。寧ろ其一員たる事を誇つて然るべきものと云つていい。
 然らば之れ程結構なものが何故欧米の一部の人の間に非常に嫌はれて居るかと云ふに、之れには歴史がある。中世以来天主教会が之を蛇蝎の如く嫌つた為である。それが今日も残つて居る。何故に天主教が蛇蝎の如く之を嫌つたかと云へば、フリー・メーソンのやうな主張が通れば天主教会の根底が動揺するからである。同じ耶蘇教でも天主教会はプロテスタントのやうに個人銘々の信仰を大事だと云はない。信者として最も尊重すべき徳は聴従である。蓋し全智全能の神は、自分の名代として此世の中に基督を生れしめ、基督は自分の精神的後継者として羅馬法王を立てたから、羅馬法王が法王といふ位に於いて発言する時は、即ち神其物の発言であるから、彼は間違つた事をしようたつて間違ひやうがないものである。而して法王の旨は大僧正之を奉じ、大僧正通して更に幾多の階段を通して教会の教師が之を教へるのだから、各信徒は即ち其教を金科玉条として守ればいい。なまなか自己の判断を加へるのは、人間の智恵を以て神の智恵に対抗するものである。之即ち聴従を以て信徒最高の徳となす所以である。天主教会は即ち斯くの如き形式的論理によつて神の意思の本当に表はれて居る所だから、人間の魂を預り得る真の教会は此外には無い。天主教会は即ち唯一の教会であると云ふ。プロテスタントは無論の事、其他の境界は真に人間を救ひ得るものでないから、之は言葉の正しき意味に於いて教会と云ふ事は出来ない。さういふ所から天主教会以外の教会を彼等は教会(英語の所謂チャーチ)とは云はずして殿堂(テンプル)と云ふ。だから天主教国なる仏蘭西では、英語のチャーチに当るイグリーズといふ字は初めから天主教会丈けを意味するものと定まつて居る。之を英語のチャーチや独逸語のキルヘと全然同一と見てはいけない。英語のチャーチは独逸語のキルヘを仏蘭西語に訳す時は、其天主教会を意味するかプロテスタントを意味するかによつて、或はイグリーズと訳し、又或はテムベルの字を当て嵌めなければならない。斯く天主教会では自分の教会丈けが唯一の正しい教会であると云ふ事を非常に強く主張して居る。吾々の想像にも及ばない程力瘤を入れて居る。成程、プロテスタント教会でも矢張り人間の魂を預り得る教会だと考へるやうになつては、天主教会は立ち行くまい。自分の教会が立ち行かないとなると、利己的主張だと気付かずして遂に其反対の意見に極度の反感を抱くやうになるものだ。日本の官僚軍閥が真に国家の為めになるか否かを考ふるに〓あらずして、吾々を危険思想家扱ひするのと同一の心理状態である。文明の今日フリー・メーソンリーを極端に憎むといふやうな事は有りさうがないやうに考へられるけれども、然し熟く考へて見れば、同じ様な事は日本にも存するのだから、其実毫も怪しむべきではない。
 斯くして天主教会では非常にフリー・メーソンリーを憎んで居る。中世ジエスイツトの盛んな時、宗教裁判の制度を利用して厳刑を以つて迫害した事もある。之れがフリー・メーソンの秘密結社として発達し来れる原因である。石工の技術を盗まれまいといふ所から秘密結社として発達したといふ説もあるが、主としては天主教会の迫害の為めだ。斯う云ふ歴史があり、且又現に教会の当局者が非常な憎悪の念を向けて居る所から、今日でもフリー・メーソン自身が戦々競々として教会の耳目を脱がれんとするの風がある。若し夫れを一般教民に至つては、平素フリー・メーソンの頗る憎むべきを教はつて居るから、フリー・メーソンが吾々の村に入つて来たと云ふやうな話でも聞くと、如何にも極悪非道の人間が吾々を脅かして居る位に考へて心配する。而してフリー・メーソンを嫌悪するのは主として天主教会だけれども、之れに次いで希臘教会や独逸のやうな旧式の新教徒の間にも多い。要するに余程開けた人間でないとフリー・メーソンの事は分つて居ない。大体としては厭なものと云ふ風に考へて居る。日本で云へば不敬罪に対するやうな、又は年を老つたものが社会主義者に対して抱くやうな考を有つて居る。であるから欧羅巴で人を陥れる場合に、彼はフリー・メーソンだと云ふのが頗る有効に効くのである。

 フリー・メーソンと猶太人とは直接の関係は無い。猶太人も沢山入つて居るには居る。が、併し国によつては基督教徒でなければ入れないと決めて居る所すらある。故に此両者をゴツチヤにするのは大変に間違であるが、之をやつたのは畢竟フリー・メーソンリーに対する反感のみでは足りない。併せて猶太人に対する基督教と一般の反感をも利用せんとしたのである。そこで吾々は次にまた猶太人に対する反感即ちアンチ・セミチズムの事について少しく考へて見る必要がある。

 アンチ・セミチズムの事も詳しく云へば際限も無い。之も欧羅巴の社会状態の内面的構成には非常に深い関係があるから、何れ他日の機会に於いて述べる時があらう。兎に角欧州人は一般に猶太人に対して迷信的に反感を有する事、有田ドラツクが尾崎島田両氏や僕等を嫌ふの比ではない。主としては彼等の祖先が基督十字架に掛けたといふ考から来る。其他猶太人が常に基督教の敵として発達して来たと迷信し、其金銭欲の強くて又残忍非道の事などを数へ立てて、小説や戯曲や其他の物語を通して人々の頭に非常に深く植えつけた。「ヴェニスの商人」を読んで見ても、欧羅巴人が猶太人を何う見て居るかが分る。であるから最近まで猶太人をば法律上又は少くとも社会上普通の市民と同等に取扱はれないやうになつて居た。例へば猶太人は弁護士にはするが裁判官にはしないとか、兵隊にはするが将校にはしないとかいふ類である。比較的猶太人の寛大に取扱はるる英吉利に於いてすら、十九世紀の初めまでは、猶太人に対して種々の拘束があつた。最近まで最も烈しく迫害されたのは露西亜に於いてである。居住移住の自由が大いに拘束されて居るのみならず、時々大挙虐殺の厄に逢ふた事もある。それほど嫌悪されて居るのであるから、人を陥れるに、彼はジユーらしいと云ふ事程有効に効くものはない。従て又左したる事でない出来事でも、それは猶太人がやつたのだと云ふと、格別民衆への反感を興奮せしめる事も出来る。殊に天主教や希臘教等の盛んな所に於いて然うである。
 そこで露西亜の過激派を徹頭徹尾猶太人の仕事といふ事に付会したのであらう。且つ之に加ふるにフリー・メーソンリーに対する反感を以てすれば所謂鬼に金棒だ。大いに民衆の血を湧かし、以つてレーニン一派を精神的に孤立させる事が出来ると考へたのであらう。であるからマツソン結社の最高の階級は猶太人だと云ふ出鱈目を延べ(此事の事実に反するは英国に於けるフリー・メーソンリーの総大将が、其即位までエドワード七世陛下である、陛下の即位以来はコンノート殿下であるといふ公知の事実に見ても分る)。而して偶々猶太人でないものがあると、無理に之を猶太人だと付会する。ケーレンスキーについては、「彼は姓名こそ露人であれ、出生は猶太人である事が今になつて明白になつた。彼の父は学校教師であつた。此教師は先妻を失ひ、後妻に猶太の女を迎へた。其間に出来た子がケーレンスキーである。一説には彼は後妻の連れ子で、元の父も猶太人であつたといふ。兎に角彼が猶太血統を継いで居る事は明白である」(一五-一六頁)と云ひ、又過激派頭目中唯一の非猶太人と知られて居るレーニンについては、本当のレーニンは二年前独逸で客死した。「現在のレーニンは此死んだレーニンの旅行券──露西亜の戸籍制度は我国のと聊か趣を異にし、各々皆我国の旅行券のやうな体裁の戸籍券を有つて居る。之れが重要の戸籍證明書である──を盗んで、露人に化けて居るフオキルバウム(一説によればニコライ・イリツチ・ウリアノフと云ふ)といふ猶太人である」(一七頁)と云つて居る。随分白々しい牽強付会と云はなければならない。
 一体冷静に考へると、如何に欧羅巴人でも、凡ての猶太人が皆鉄の如く堅く結束して恐ろしい陰謀を企らむと聞かされて直に、之を本当と信ずる筈は無い。何千万といふ人間が悉く同一の目的に結束するといふ事は不可能の話だ。支那人や朝鮮人から観れば、日本人は一人残らず侵略的軍国主義に凝り固つて居るやうに見えるさうだが、併し内部に入つて観れば、老人をして思想の混乱や国家の危機を叫ばしめる程バラバラになつて居るではないか。政治的に統一されて居ない猶太人は尚更らの事であらう。尤も猶太人は随分欧羅巴で迫害されて居る丈け極端にひねくれたものはなかなか多い。権力を以つてする迫害がある丈け極端な無政府主義などを唱へるやうなものも多く猶太人の中から出る。西洋で能く自由思想家同盟といふ会合に出席して見た事があつたが、看板は名ばかりで実は猶太人の旋毛曲りが中堅になつて基督教徒たる友人を誘つて教会を欠席させたり、其他普通人の厭がる事をさせやうといふ団体であつた。余り官憲が社会主義者を矢釜しく取締ると、穏健な日本人でも法廷で肌を脱ぐと云つたやうな態度に出づるものも出る。而して斯う云つたものが沢山になると、もともと虐めたのが悪るいと云ふ方は忘れて、人の厭がる事をやる奴が憎いといふ感情が先に立つ。斯う云ふ所から昨今に猶太人が又格別嫌はれて居る。
 併し猶太人だからとて皆々斯ういふものばかりではない。オルソドツクスの方は今日尚ほ厳格に昔ながらの態度を改めないし、其改良派に属するものは、其生活の様式を出来る丈け基督教的に改め、之に属する知識階級の中にはフリー・メーソンリーなどに関係して居るものも少くない。此等の者の間には固より全部結束して不逞の陰謀を企てるなどと云ふ事は考へられない。要するに猶太人が凡て固い結束をして居ると云ふのは、凡ての日本人が固く結束して世界の併呑を企てて居ると云ふのと同じく、愚民はいざ知らず、識者は固より文字通りに之を受取らない。唯猶太人の間に起つて居るシオニズムの運動は、各国に於いて政治的陰謀の嫌疑を受けて居る所から、ひよつとすると軽率なる人には猶太人の陰謀と聞いて、若しやと疑はねばならない事がないとも限らない。だから猶太人の陰謀と云ふ流説は、昨今のやうな時代に於いて猶太人を陥れるには最も都合の好い話なのである。従つて又或る者に対する反感を起さしめる為めに、之を猶太人と引つつけるのは最も好都合なのである。

 斯く考へて見ると、西洋に於いて如何にかしてボルセ井゛ズム対する一般民衆の憎悪反感を醸成する為め、最後の窮策としてフリー・メーソンリーとアンチ・セミチズムとを利用した魂胆は略ぼ推察し得られる。作者と雖も其余りに馬鹿馬鹿しい事は知つて居るに相違ない。が、斯うでもしなければレーニン一派を精神的に孤立せしめる事が出来ない。背に腹は代へられないので、馬鹿馬鹿しいとは知りつつ斯う云ふ流説を流布したものだらう。従つて作者の目指す所はフリー・メーソンと猶太人とに対して最も強き反感を有する天主教徒である事は、出版物の随所に之を推知する事が出来る。現に「決議録」の最後には、此風潮に対抗して悪魔の陰謀を看破るものは天主教会の外にはない、此悪風潮と戦ふ為めには第八回のエキユメーニカル、カウンシルを開くの必要ありと云ふやうな事を云つて居る。此カウシセルは専ら天主教会の会議である事は云ふまでもない。
 天主教徒を特に眼中に置いたと云ふ事は、最近英仏諸国が頻りに羅馬法王庁に秋波を送つて居るといふ事実と対照すると面白い。米国と法王庁との間に密接な交渉のある事は、新聞の電報にも明かである。ルーベーの伊太利訪問以来国交断絶の姿となつて居つたのを、昨今もと通り公使を授受しようといふ話合が、仏国政府と法王庁との間にある事も〓々電報せられた。それかあらぬか日本までが法王庁に人をやつたりして居る。兎に角欧州に於ける民心の左傾に対する有力なる防波堤として、法王庁の勢力を利用せんとして居る事実は極めて明白である。併し斯くして結局其目的を達し得るか何うか、又此目的を達するが為めに斯う云ふ反動思想に頼る事が得策であるが何うかは問題である。が所謂苦しいときの神頼みで、政治家や資本家の天主教会の勢力に結ばんとして居る形勢は之を看過する訳には行かない。
 併し乍ら斯う云ふ魂胆は、前にも述べたやうな特別の事情があるので、欧羅巴人になら幾分か効く。又欧羅巴の民衆を瞞着する目的を以つて斯かる魂胆に出たものである事にも諒解は出来る。けれども欧羅巴とはまるで事情を異にする日本に之を利用しようと云ふのは、恰かも肺病病みに能く効いたからとて、其の同じ薬を胃病患者に与ふるやうなもので、何等の効目のあるべき道理は無い。故に此流説を日本で振り回す段になると、其運命は唯一笑に付せらるるのみであらう。有繁の西洋に於いてすら、今や此魂胆は正体を見露はされて三文の値打ちも無いものになつた。それを日本に利用しようと云ふのだから、其愚寔に嗤ふべきであるが、偶々之を本当でもあらうかと若干気にするものがあるから呆れる。一昨年の三月、朝鮮の万歳運動の時、民族自決主義を提唱したウィルソンが、飛行機に乗つて朝鮮救済の為めに来ると盲信した或る田舎の朝鮮人が、暗夜目標が無くては着陸するに困るだらうとて小山の上に焚火して待つて居つたと云ふ話がある。吾々は其無智を嗤ふたのであるが、然し生真面目にマツソン結社の流説を信ずるものは、之れ以上の無智を告白するものと云はねばならない。
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