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文献名1三鏡
文献名2月鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3釈迦と提婆よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1929(昭和4)年03月号 八幡書店版339頁 愛善世界社版 著作集 第五版177頁 第三版177頁 全集566頁 初版147頁
OBC kg370
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本文  基督が生前余り世間に歓待されなかつた如うに、釈迦も在世当時は極めて惨めなものであつた。支那の孔子が春秋時代に於て、孟子が戦国時代に於て不遇であつた以上に不遇であつたらしい。日本では日蓮、親鸞、乃至道元などが悲運に終つた如くであつた。春秋戦国が楊墨の思想に抑圧された如く、平安朝が天台や真言に魅せられて居たやうに、釈迦の時代もウバニシヤド哲学の分裂、所謂九十六派の哲学が、各自に鏑を削つて戦つて居た暗黒時代に、新しい信仰の燈明を掲げて人心の闇を照らした革命児が生れて来たのは、耆那教の始祖ジユナタブトラと釈迦であるが、孰れも吠陀の根本精神を失つた、婆羅門の死儀式の排斥者であつたのだ。そしてジユナタブトラは、理性に目覚めた極端な持戒者で、而も新進宗教の精彩を放つてゐるのに反し、偏を捨てて中を執る、所謂中道実相主義、人間性を失はない範囲に於て精神の向上と肉体の発達を遂げ、且つ遂げしめんと力めたのは釈迦であつた。そこで持戒を唯一の生命として居るジユナタブトラが、生臭坊主として釈迦を見くびつたのも当然であらう。勿論釈迦は余りに人間的な感情家であつたに反し、ジユナタブトラは超人的であり、自力的であり学究的であつたのだ。茲にこの両極端を調和して、其処に新しい生命を生み出さうとしたのは提婆達多である。提婆は釈迦の凡人主義、人道主義は首陀羅の蹶起に疑倶不安の淵に沈んだ王者貴族の信頼を得るとしても、永遠の勝利は民族性に徹底せるジユナタブトラに帰する、少くも理性と、淫逸と相闘つて居る印度の当時に於ては、さうでなければならぬと信じて居た。さうして提婆は心に期した「吾は今如来の許に到り大衆を求索すべし、仏若し許さば吾将に意に従うて、舎利弗等を教詔勅使すべし」と。即ち伯父なる釈迦の教壇に至りて曰ふ「願はくは如来よ、此の大衆を以て我に附属せよ、吾将に種々に法を説いて、それを調伏せしむべし」とて教壇を己れに譲り引退せよと迫つた。釈迦は提婆の智慧と勇気は認めたけれども、未だその徳の備はつて居ないのを見て「舎利弗等は聡明大智にして、世の信服する所なるに、吾は猶ほ彼に大衆を以て附属せず、况んや汝の如き痴人の唾を喰ふものをや」ときめつけた。然るに年壮気鋭の提婆は客気に任せて、釈迦の弟子五百人を誘ひ去り、盛んに釈迦の攻撃を試み出した。本仏、新仏並び立つと言はれる迄に釈迦に対抗したけれども、釈迦は提婆を愍む為めに、好意を以て居た舎利弗と目蓮を彼の教壇に遣はしたのである。然るに釈迦は説法中に、瑞月が霊界物語を口述する時の如うに、ゴロリと寝転ぶ癖があつて、疲れた時には弟子をして代つて説法せしめた。それは信者に所謂仏足頂礼させる為ばかりで無く、年も老つて居るなり、疲労をしばし休めんためである。目蓮や、舎利弗などの弟子が釈迦の言つた教理を詳論細説して、女子や小児にまで解るやうに説明した。所が人間の好い提婆が又釈迦のその態度を真似て、自己の言はんとする所を大略述べて、ゴロリと釈迦の真似を行つた。そして、目蓮、舎利弗に代らせた。然し乍ら釈迦は所謂臥禅をして居たのだが、磊落で無邪気な提婆は鼾をかいて寝込んで了つた。此の光景を打ち眺めた目蓮、舎利弗は時こそ来れと、口を極めて釈迦の功徳を賞讃し強調すると共に提婆を根こそぎこき下ろしたので、茲に又浮き草の風に従ふ如く、提婆に奪はれた五百人の弟子を、易々と釈迦の教壇へ伴れ帰つた為に、忽ち死地に陥つた提婆は、地団駄踏んで憤つた。彼は自分が釈迦に背いたのは釈迦に代つてジユナタブトラの、耆那教を打ち壊さなければ、釈迦の前途が危いと考へたからだ。吾は反抗を以て与へんとするを、釈迦は忍辱を以て奪はんとする。吾は自らを揣らざるやも知れず、されど釈迦は来るべき危険を覚らず、五百人の弟子を奪つたのも、釈迦を救はんが為であつた。然るにも拘はらず、自分を斯んな酷い目に逢はさせるとは、伯父とも思へぬ酷い行り方だと深く恨んだ結果、平素仲の好かつた阿闍世を煽動して、其父毘牟婆舎羅を殺して王位を奪はしめ、己も亦釈迦を殺して教団を奪ひ、相携へて天下の政教を擅にせんとしたが、何処までも天真爛漫にして、小児の如うな初心なる提婆は、釈迦を猛象をして牙にて引き裂かしめようとしたり、低い所へ突き落すやうな児戯に類した迫害を試みて、老熟せる釈迦に、却つて愚弄されたので、遂には爪の間に毒薬を潜めて釈迦に飛び付き、引掻き挘つて、中毒せしめんとした。すると陥穿が設けられてあつた為に、提婆は俄破と地中に落ち込んだ。仏徒はこの出来事をば、大地忽ち割れて火を発し、提婆は仏罰で阿鼻地獄へ堕ちたと誇つて居るのである。
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