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文献名1三鏡
文献名2玉鏡
文献名3瑞穂神霊
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC kg651
本文の文字数585
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本文  神勅が下つたので穴太の郷は瑞泉郷と命名せられ宮垣内の跡は瑞泉苑と名づけられ、そこに「瑞穂神霊」の四字を記されたる大石碑が建つのである。玉の井の水に育くまれたる瑞穂の稲は全国中最も秀でたるものにて、灘の生一本は、この米によつて醸造せらるるのであるが、今後瑞泉苑の神業として、この瑞穂の種が全国の信者に頒布せらるるのである。この事は神代の昔よりの約束事であつて穴穂(後世穴太と転訛す)の地名のよつて来るところである。
 大本の歴史を繙くものは誰もが知つて居る如く雄略天皇の二十二年戊午の年、天皇の御夢により豊受大神様が伊勢の山田にお遷りになる時、途中上田家の庭内即ち宮垣の里が其御旅所に選まれ、上田家の一族(聖師の祖先)は喜び勇んで鄭重に斎きかしづきしが、其時御神霊に御供へせし荒稲の種子が、欅の老木の腐つた穴へ落ち零れ、それから苗が出たのを日夜に育てた所ずんずんと伸び、其稲に美はしき瑞穂を結びたれば、時の里庄が正しく神の大御心と仰ぎ奉つて、所在の良田に蒔きつけ、千本と云ふ名をつけて四方へ植ゑ拡めたのが穴穂の里の名の起つた始まりである。最初は穴穂と書いたのが後に穴生となり、穴尾となり、更に今の穴太となつたので西国二十一番の札所、菩提山穴太寺の院主は代々今に至るまで、穴穂の姓を名告つて居るのであるが、其穴太の瑞泉苑より種子の頒たれると云ふ事は有意義な事である。
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