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文献名1三鏡
文献名2玉鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3扇、団扇よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1933(昭和8)年11月号 八幡書店版377頁 愛善世界社版214頁 著作集 第五版314頁 第三版316頁 全集 初版269頁
OBC kg766
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本文  秋立つて後、扇や団扇で人をあふぐものでは無いと云ふ事は嘗て話しておいたが、之は秋風を送るといふ事になるので甚だ面白くない。うち扇は又打つと云ふ事にもなるので、立秋後は用ふべきものではないのである。それなのに王仁が巡笏中、どこへいつても少し暑いとすぐ団扇を持出してバタバタ四方から扇ぐ、玉鏡に書いてあつても一向読まないものと見える。自分で扇ぐのなら立秋後と雖も一向差支へないのである。若し人を扇ぐ必要があるならば檜扇を用ふべきである。団扇に至つては尊き人の前などにて使ふべきものではない。団扇の起りは遊女高尾で有名な石井常右衛門が彼の一件から相手に恨まれねらはれて、止を得ず之を斬つて江戸を立ちのき、三島まで落ちのび、三島明神の社殿で一夜を明かせし折、盗賊の為めに旅銀を奪はれ無一物となり、彼方此方流浪して歩くうち蚊にせめられ、竹をたたいてササラとし之を追うたのが初まりで、晩年京都深草のあたりの佗住ひにこの事を思ひ出し、団扇を作つて売りそれを生活の料としたもので、これが深草団扇の初まりである。今は種々に改良せられて美しいものとはなつて居るが、こんな来歴をもつもの。極く打ちとけた内輪同志の間ならいざしらず、チヤンとした客の座敷などに持ち出すべきものではない。有職故実は知らないものばかりで、礼儀作法も乱れた現代だ。不愉快の事のみ多い。
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