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文献名1霊界物語 第14巻 如意宝珠 丑の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3跋文よみ(新仮名遣い)ばつぶん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ現幽神三界を説いた第十四巻の終わりに、三途の川の真相を述べておく。三途の川は、現幽神三界に、諸人たちの霊魂が行く先が定まる場所である。八洲の河、またヨルダンの河とも言われる聖場である。悪の御魂には脱衣婆が現れて衣服をはぎ、善の御魂には美女が錦の服を授ける。善悪未定の霊魂は、婆が竹箒で娑婆へ追い返す。善悪正邪を立て別ける、御魂の分水嶺である。川水は、集まってきた人々の霊魂によって清くも濁りもする。激しい上の瀬を渡るのは、現界に生まれ変わったり蘇生したりする霊魂である。弱い下津瀬を渡るのは、根底の国に落ち行く人たちである。温かく美しい中津瀬を渡るのは、天国に行く人たちである。一方一途の川は、至善至真の天国に一直線に上って行く稀有な御魂や、地獄に一筋に堕ち行く極悪の御魂が渡る、善と悪の一途の川である。物語は滑稽交じりに述べたが、ぜひ意を留めて反省悔悟の念を起こし、人生の行路を清く正しく歩ませ給え。神諭にミロクは宇宙一切万有の親神であるとあるが、仏教においてはそうではない、という人がある。仏典にある菩薩は、それぞれ何神・何命にあたるのかは、物語を全部通読すれば、わかってくるのである。大本教祖の筆先は、仏神一体の神理によって、現代人の耳に入りやすいように仏教の用語を用いられているのである。筆先は、仏教の用語が主となって現れていることを、ここに示しておくものである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年11月04日(旧09月16日) 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年11月15日 愛善世界社版284頁 八幡書店版第3輯 265頁 修補版 校定版297頁 普及版133頁 初版 ページ備考
OBC rm149901
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本文の文字数3140
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本文  神の御諭を蒙りて  述べ始めたる霊界の
 奇しき神代の物語  神代許りか幽界も
 また現界も押並べて  神の随に随に口車
 現幽神の三界の  峠に立ちて三ツ瀬川
 三ツ尾峠や四ツ尾の  峰の麓にそそり立つ
 黄金閣の蔭清き  教主館に横臥して
 三途の流滔々と  瑞の御魂の走り書き
 十四の巻のいや終に  その真相を示すべし
 三途の河は神界と  現界又は幽界へ
 諸人等の霊魂の  行衛の定まる裁断所
 八洲の河原とヨルダンの  河とも唱ふ神聖場
 悪の霊魂が行く時は  その川守は鬼婆と
 忽ち変じ着衣剥ぎ  裸体となりて根の国や
 底つ幽世へ落し捨て  善の御魂の来る時は
 川守忽ち美女となり  優しき言葉を使ひつつ
 旧き衣服を脱却し  錦の衣服と着替へさせ
 高天原の楽園へ  行くべき印綬を渡す也
 善悪未定の霊魂が  来たれば川守また婆と
 忽ち変り竹箒  振り上げ娑婆へ追返し
 朝と夕の区別なく  川の流れの変る如
 千変万化の活動を  いや永遠に開き行く
 善悪正邪を立別ける  是ぞ霊魂の分水河
 千代に流れて果もなし  抑もこれの川水は
 清く流るることもあり  濁り汚るることもあり
 清濁不定の有様は  集まり来たる人々の
 霊魂々々に映り行く  奇しき尊とき珍らしき
 宇宙唯一の流れなり  激しき上つ瀬渉るのは
 現実界へ生れ行く  霊魂や蘇生する人許り
 弱き下津瀬渉り行く  霊魂は根の国底の国
 暗黒無明の世界へと  落ち行く悲しき魂のみぞ
 緩けく強く清らけく  且つ温かく美はしき
 中津瀬渉り行くものは  至喜と至楽の花開く
 天国浄土に登る魂  それぞれ霊魂の因縁の
 綱に曳かれて進み行く  神の律法ぞ尊とけれ
 三途の川の物語  外に一途の川もあり
 抑も一途の因縁は  現世に一旦生れ来て
 至善至真の神仏の  教を守り道を行き
 神の御子たる天職を  尽し了はせし神魂
 大聖美人の天国へ  進みて登る八洲の川
 清めし御魂も今一度  浄めて進み渉り行く
 善一途の生命川  渡る人こそ稀らしき
 一旦現世へ生れ来て  体主霊従の悪業を
 山と積みたる邪霊の  裁断も受けず一筋に
 渉りて根底の暗界へ  堕ち行く亡者の濁水に
 溺れ苦しみ渡り行く  善と悪との一途川
 実にも忌々しき流れ也  アヽ惟神々々
 御霊幸へましまして  三途の川や一途川
 滑稽交りに述べ立てし  この物語意を留めて
 読み行く人の霊魂に  反省改悟の信念を
 発させ給ひて人生の  行路を清く楽もしく
 歩ませ玉へと天地の  神の御前に澄み渡る
 大空輝く瑞月が  天照し坐す大神の
 遍ねく照す光明に  照され乍ら人々の
 身魂の行衛を明かに  説き示し行く嬉しさよ
 朝日は照るとも曇る共  月は盈つとも虧くるとも
 たとへ大地は沈む共  誠の神の御諭しは
 万劫末代いつ迄も  天地の続くその限り
 変りて朽ちて亡び行く  ためしは永遠にあらざらめ
 アヽ惟神々々  御魂幸はへましませよ。
    ○
 神諭に『松の代弥勒の代神世に致すぞよ云々』とあり、弥勒は至仁至愛の意にして、宇宙万有一切の親也師也主也と説きたまへり。読者の中には、仏教の教典に由りて釈迦の説と引き合せ、ミロクは七仏出生説の中にある一仏にして、大本の神諭にある如き尊き位置にある仏又は神にあらずと云ふ人あり。仏書のみを読みたる人の意見としては、最も至極なる見解と謂ふべしである。王仁は、序を以て本巻の末尾に於て仏典に現はれたる弥勒の位置を茲に掲載して、読者の参考に供して見ようと思ふ。
 法華経の序品第一に
 前略
 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず、皆陀羅尼を得、楽説弁才あつて不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植ゑ、常に諸仏に称嘆せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。その名を、
  一 文珠師利菩薩
  二 観世音菩薩
  三 得大勢菩薩
  四 常精進菩薩
  五 不休息菩薩
  六 宝掌菩薩
  七 薬王菩薩
  八 勇施菩薩
  九 宝月菩薩
  十 月光菩薩
 十一 満月菩薩
 十二 大力菩薩
 十三 無量力菩薩
 十四 越三界菩薩
 十五 跋陀婆羅菩薩
 十六 弥勒菩薩
 十七 宝積菩薩
 十八 導師菩薩
 右の如き菩薩摩訶薩八万人と倶也
と記してある。この菩薩も霊界物語を全部通読されなば、何菩薩は何神何命に当たるやといふことは自ら判明することと思ひます。
 釈提桓因その眷属二万の天子と与に倶なり。復
  一 名月天子
  二 普香天子
  三 宝光天子 四大天王あり、其眷属万の天子と与に倶なり。
  四 自在天子
  五 大自在天子
 その眷属三万の天子と与に倶なり。
 娑婆世界の主
  六 梵天王
  七 尸棄大梵
  八 光明大梵
 等その眷属万二千の天子と与に倶なり。
 八の竜王あり、
  一 難陀竜王
  二 跋難陀竜王
  三 娑伽羅竜王
  四 和修吉竜王
  五 徳叉迦竜王
  六 阿那婆達多竜王
  七 摩那斯竜王
  八 優鉢羅竜王なり。
 各若干百千の眷属と与に倶なり。
 四の緊那羅王あり
  一 法緊那羅王
  二 妙法緊那羅王
  三 大法緊那羅王
  四 持法緊那羅王 なり。
 各若干百千の眷属と与に倶なり。
 四の乾闥婆王あり。
  一 楽乾闥婆王
  二 楽音乾闥婆王
  三 美乾闥婆王
  四 美音乾闥婆王 なり。
 各若干百千の眷属と与に倶なり。
 四の阿修羅王あり
  一 婆稚阿修羅王
  二 佉羅騫駄阿修羅王
  三 毘摩質多羅阿修羅王
  四 羅睺阿修羅王なり。
 各若干百千の眷属と与に倶なり。
 四の迦楼羅王あり、
  一 大威徳迦楼羅王
  二 大身迦楼羅王
  三 大満迦楼羅王
  四 如意迦楼羅王 なり。
 各若干百千の眷属と与に倶なり。
 韋提希の子阿闍世王若干百千の眷属と与に倶なり云々。
と、示されてある。之を以て之を見る時は、大本教祖の筆先なるものは神の道とは云ひながら、最初より仏神一体の神理により、現代人の耳に入り易きやうに仏教の用語をも用ゐられてあることを覚り得らるるのである。明治二十五年正月元日に初めて艮の金神様が出口教祖に神懸された時の大獅子吼は、
 三千世界一度に開く梅の花艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を懸け艮の金神世界を守るぞよ云々。
 三千世界も仏教中の用語であり、艮の金神も神道の語ではない。須弥仙山は仏教家の最も大切にして居る霊山である。またミロク菩薩とか竜宮とか竜神とか、天子とか、王とか現はれて居るのは、悉く仏教の語を籍りて説かれたものであります。故に筆先にある王とは、八大竜王及諸仏王の略称であり、天子と云へば明月天子、普香天子、宝光天子、四大天王その他諸天子、諸天王の略称であることは勿論であります。自在天子、大自在天子、梵天王、その他王の名の付いた仏は沢山にあり、仏も神も同一体、元は一株と説いてある。また大自在天子のその眷属三万の天子と与に倶なりとあるを見れば天子とは即ち神道にて云ふ神子又は神使であります。要するに、神の道、仏の道に優れたる信者の意味になるのであります。天子は、また天使エンゼルとキリスト教では謂つて居ます。大本の筆先は教祖入道の最初より仏教の用語で現はせられたのであるから凡て仏教の縁に由つて説明せなくては、大変な間違ひの起るものであります。王仁は弥勒菩薩に因める五百六十七節を口述し了るに際し、仏教に現はれたるミロク菩薩の位置を示すと同時に筆先は一切仏の用語が主となりて現はれて居ることを茲に説明しておきました。
 アヽ惟神霊幸倍ませ。
   大正十一年十一月四日
(昭和一〇・三・一七 於嘉義公会堂 王仁校正)
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