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文献名1霊界物語 第23巻 如意宝珠 戌の巻
文献名2第2篇 恩愛の涙よみ(新仮名遣い)おんあいのなみだ
文献名3第5章 親子奇遇〔717〕よみ(新仮名遣い)おやこきぐう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-06-25 18:28:58
あらすじ秋彦と駒彦の宣伝使は、日高山の山奥に滝があると聞き、荒行をなそうとやってきた。滝の側には竜神の祠があり、社の周りには、立派な実をつけた柿の木が生えている。これは竜神の柿といわれていた。二人は社の前で鎮魂をしていたが、うまそうな匂いに、鎮魂が終わると柿をむしって食った。すると社が鳴動して怒鳴りつけられ、二人は驚いて元来た道を逃げて行った。夜が明けると、谷川で衣を洗う白髪異様の婆がいた。見ると、婆の頭からべっこうのような角が二本生えている。二人は谷を通らなければならないので、用心しながら近づいて婆に声をかけた。婆は驚いて二人を見ると、いきなり二人を泥棒呼ばわりし始めた。秋彦が憤慨すると、婆は先日、バラモン教の宣伝使だという二人連れが泊り込んだが、夜中に強盗を働き、一人娘を殺して金品を奪っていったのだ、と答えた。そしていきなり娘の敵、と二人に飛びかかろうとする。駒彦は、自分たちは三五教の宣伝使だ、と言い返し、鬼婆の報いとして自分の子を取られたのだろう、と諭した。駒彦が、自分は元の名を馬という紀の国生まれの者だ、と言うと、婆は何か心当たりがあるものらしく、態度を変えて自分の家へ来てくれと二人に頼んだ。婆の角は、泥棒を脅して寄せ付けないように被っていただけであった。秋彦は合点がゆかず、婆の家に入らず表で警護をしている。家の中では爺がいて、前のようなことがあるから旅人は泊めないと言うが、婆は紀の国出身で息子と同じ名前だというから連れて来た、と答えた。爺が駒彦に生まれのことを尋ねると、駒彦は小さい頃に天狗にさらわれたが、自分が持っていた守り袋に常、久という字があり、自分の名前は馬楠と書いてあったのだ、と明かした。その話で、駒彦は爺・常楠と婆・お久の息子であることがわかった。三人は涙にむせぶ。家の外で話を聞いていた秋彦も、入ってきて駒彦が両親に対面できたことを喜び、感謝の祝詞を唱えた。
主な人物 舞台木山の里 口述日1922(大正11)年06月10日(旧05月15日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年4月19日 愛善世界社版79頁 八幡書店版第4輯 522頁 修補版 校定版81頁 普及版36頁 初版 ページ備考
OBC rm2305
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本文  三五教の宣伝使  秋彦駒彦両人は
 言依別の御言もて  天の真浦の宣伝使
 其心力を試さむと  人の尾峠の山麓に
 姿をやつして雪の空  茲に三人は宇都山
 武志の宮の社務所に  暫し休らひ神司
 松鷹彦に巡り会ひ  秋彦駒彦両人は
 天の真浦を深雪降る  岸の上より突落し
 東を指して進み行く  神の恵に近江路や
 比叡山颪を浴び乍ら  大津伏見を乗り越えて
 小舟を用意ひ淀の川  川幅さへも枚方の
 浦に漸々舟止め  浪速の里を右に見て
 堺岸和田佐野深日  紀の川渡り和歌山を
 何時しか過ぎて日高川  やうやう川辺に着きにけり。
 日は漸くに暮れて来た。旬日の雨に川は濁水漲り、渡舟を出す由もない。二人は已むを得ず後へ引返し、日高山の山奥に滝ありと聞き、暫し川水の減く迄荒行をなさむと、月の光を力に、山奥深く進み入る。滝の辺には小さき祠があつて、竜神が祀られてある。此社の周辺には不思議にも立派な柿の実が、枝もたわわにぶら下つて居る。人も取らねば烏も取らない。竜神の最も寵愛の柿と称へられて居る。二人は夜中に人の足跡に研ぎすまされた路を辿り、漸く滝の傍に着いた。手早く衣類を脱ぎ棄て、滝水に体を清め、祝詞を奏上し終つて、社の前に端坐し、鎮魂の姿勢を執つた。たわむ許りの柿の枝は折柄の強風に煽られて二人の体を撫でて居る。二人は美味さうな匂ひに、鎮魂を終り、てんでにむしつて飽まで食つた。忽ち社殿は鳴動し始めた。其声は時々刻々に強大となり地響きがし出した。
秋彦『ヤアどうやら地震らしいぞ』
駒彦『ナアニ、地震ではない。余り烈しき鳴動で地響きがして居るのだ。それに就ても我々が此柿を取つて食ふが早いか、此社殿が鳴動し始めたぢやないか。神様は惜んで御座るのではあるまいかなア』
秋彦『ナニこれ丈沢山の柿、五つや十食つた所で、吾々でさへも惜まないのだから、況して神様は人間が喜んで食ふのを、御立腹なさる道理がない。人間が食ふ為に出来て居るのだ。そんな事は有るまい』
 社殿はますます鳴動烈しくなり、何とも知れぬ厭らしき声で呶鳴りつけられる様な気がして、知らず知らずに二人は怖気づき、『惟神霊幸倍坐世』と称へ乍ら、元来し路を倒けつ転びつ逃げて行く。夜は漸く明け放れた。谷川の清き水に衣を洗ふ白髪異様の婆がある。
秋彦『駒彦さま、向ふを見よ。出よつたぜ』
駒彦『ヤア本当に、怪体な奴が居るぢやないか。何か洗濯をして居るやうだ。此山奥に人家も無いのに、あんな年の老つた老婆が洗濯して居るとは、チツと合点が行かぬ、此奴ア何者かの化物かもしれないぞ。用心せなくてはなろまい』
秋彦『谷と谷とに挟まつた一筋路の所に居るのだから、どうしても通らぬ訳にも行かず、思ひ切つて行つて見ようかなア』
駒彦『何れ行かねばならぬ道程だが、マア一寸考へて行く事にせう。強く行くか、弱く行くか、それから一つ定めて行かうぢやないか』
秋彦『兎も角臨機応変、其時の都合にしよう』
と薄気味悪く、歩みもはかばかしからず、厭相に一歩々々進んで行く。見れば婆の頭の白髪から鼈甲の様な角が前の方へニユーツと曲つて二本、高低なしに行儀よく八の字を逆様にした様に生えて居る。
秋彦『オイ駒彦、此奴ア弱く行けば付け込まれる。強く行けば怒つてかぶりつくかも知れない。兎も角滑稽で婆アの腮を解いて通る事にしようかい。それに就ては秋彦、駒彦では面白くない。元の馬公、鹿公に、名だけ還元して掛合つて見よう』
駒彦『それが宜からう』
と小声に言ひ乍ら、婆の間近に近寄つて来た。婆は聾と見えて、二人の足音に気が付かぬものの如く、一生懸命に血の付いた衣を洗うて居る。
秋彦『モシモシお婆アさま……コレお婆アさま』
と後の一声に力をこめて高く呶鳴つた。婆アさんは一生懸命に見向きもせず、洗うて居る。
秋彦『ハハア此奴ア聾だ。併し随分厭らしい婆だ。彼処を渡らねば向うへ行く事は出来ず困つた事だなア。暫く後へ引返し、婆アが洗濯を済まして帰るまで待つことにせうかい』
駒彦『イヤもう一歩も後へ帰る事は出来ない。あれ丈鳴動しられ、厭らしい声で呶鳴られては、堪つたものぢやないからな』
秋彦『それだと云うて進む訳にも行かず、進退谷まるぢやないか』
駒彦『そこが宣伝使だ。神様のお力で突破するのだ。鬼婆に喰はれた所で構はぬぢやないか』
秋彦『こんな奴に食はれて堪るものか。お道の為に生命を棄てるのは苦しうないが、鬼婆の餌食になつちや宣伝使も駄目だ。聾を幸ひ、ソツと背後から往つて、婆を突つこかし、其間に駆歩で進まうぢやないか』
駒彦『オウさうだ。たかが知れた婆アの一人、此方は二人の荒男だ。併し乍ら騙討は面白くない。婆アに断つて通らして貰はう。万一通さぬと言ひよつたら、其時こそ我々は死物狂ひだ』
と言ひ乍ら、婆アの狭い谷川に塞がつて居る側近く寄り、俯いて居る腰を恐さうに押し乍ら、
駒彦『コレコレお婆アさま、此処を通して下さい』
と揺つて見た。婆アさまは驚いて二人の顔を打ちまもり、
婆『ヤアお前はそんな風をして、山賊を働いて居るのか。此婆はお前の見かけの通り何一つ持つて居ないぞ』
駒彦『オイ婆ア、お前は耳が聞えぬのか』
と耳の辺へ口を寄せ、力一杯呶鳴りつけた。婆アさんはビツクリして、
婆『エヽやかましいがな。聾か何ぞの様に、そんな大きな声で耳のはたで云ふものぢやない。鼓膜が破れて了うぢやないか』
駒彦『鬼婆ア、お前耳が聞えるのか』
婆『聞えるとも、耳の無いものならイザ知らず、此通り二つの耳があるぢやないか。聞えぬ耳なら、誰がアタ邪魔になる、顔の両側にひつつけて置くものかい。訳の分らぬ泥棒ぢやなア』
秋彦『是れは怪しからぬ。我々を泥棒とは何の事だ』
婆『それでも蓑笠を着たり金剛杖を突いとる奴は皆泥棒だよ。此間もバラモン教の宣伝使ぢやとか云つて、老爺と婆アと娘と三人連れの所へ、二人の奴が泊り込み、夜の夜中を見済まして、此婆アや爺どのを柱にひつ括り、一人の娘を調裁坊に致し、年寄りの蓄めた金をスツクリふんだくり、終局にや娘を嬲殺しにして帰りやがつた。大方お前も其奴等の同類だらう。あんまり胸糞が悪いので、お前達二人がコソコソ話をやつて居つたが聞かぬ振りをして居つたのだ。モウ斯うなる上は讎敵の片割れだ。皺腕の続く限り格闘して喉笛の一つも喰ひ切らねば置かぬ。サアどうだ』
秋彦『これはこれは怪しからぬ事を仰有る。併しお前さまは頭に角を生やして居るからは、人を取り喰ふ日高山の鬼婆だらう』
婆『きまつた事だ。鬼婆だから角が生えとるのぢや。サア其処へ平太れ。此婆が荒料理をして娘の仇を討つてやらう』
駒彦『コラ婆、何を吐しやがるのだ。俺は三五教の馬公と云ふ宣伝使だぞ。泥棒なんて……馬鹿にするな。さうして貴様の娘なればヤツパリ鬼娘だらう。日頃人を喰ふ酬いで吾子を取られたのだらう。鬼子母神と云ふ奴は、千人の子が有る癖に、人の子を奪つて喰ひよつた奴だが、或時に神様から、千人の中の一人の子を隠されて、朝から晩まで泣き通し、それから…わしは千人も子がある中にタツタ一人失つても是れ丈悲しいのだ、況して人間は三人や五人、多うて十人位の子を一人取られたら悲しからうと云つて、改心しよつて立派な仏になつたと云ふ事だが、貴様も子を取られて悲しい事がわかれば、是れから人間の子であらうが、親であらうが、決して取り喰うてはならぬぞ』
婆『ホヽヽヽヽ、わしを鬼婆と云ふのか、そしてお前は三五教の宣伝使ぢやなア、宣伝使なら、鬼婆か普通の婆アか分りさうなものぢやないか』
駒彦『それでも頭に角の生えてる奴は鬼ぢやないか。俺は斯う見えても、元は馬さんと云つて、紀の国の生れ、様子あつて都へ出で、立派な宅に召使はれ、追々出世し、今は押しも押されもせぬ宣伝使様ぢや。どうして見損ひをするものかい。そんな有耶無耶の事を言つて、俺を誤魔化さうと思つても駄目だぞ』
婆『ナニツ、お前は紀の国の生れ……都へ奉公に行つて居つたと……それは妙な事を聞くものだ。さうしてお前の名は馬ぢやないか』
駒彦『さうぢや、馬と云つたのぢや。それが如何したと云ふのだい』
婆『一寸此方に心当りがあるから、婆の宅まで来て貰へまいかな』
秋彦『オイオイ駒彦、しつかりせよ。計略に懸るぞよ』
婆『疑ひなさるな。爺イと婆アと二人暮しだ。一人の兄は幼い時に天狗にさらはれて、何処かへ連れて行かれたきり今に帰つて来ず、一人の妹娘は泥棒に二三日前生命を奪られ、爺婆二人が面白からぬ月日を送つて居るのだ。小さい宅だけれど、滅多に食はうとも、呑まうとも云はぬ。尋ねたい事が有るから来て下され』
 駒彦は双手を組み首を傾け、婆アの顔を熟々と眺めて居る。
駒彦『オイ婆ア、其角は何時から生えたのかい』
婆『オホヽヽヽ、あまり泥棒が出て来よるので、用心の為に鹿の角を頭にひつ付けて鬼に見せて居るのだ。それ此通り……』
と無雑作に二本の角を引むしつて見せる。
秋彦『アハヽヽヽ、ヤア是れで一寸は安心だ。さうするとヤツパリ鬼婆ではなかつたらしいな。コレコレ婆アさま、お前のお宅は何処だ』
婆『そこへニユツと突き出て居る大きな岩を、クルツと廻ると、炭焼小屋の様な家がある。そこが妾の住家だ。此村は七八軒の所だが、近所へ行くと云つても一里位行かなならぬのだから不便なものだ。サアどうぞ婆の宅まで来て下さい』
駒彦『何は兎もあれ、お婆アさま、従いて参りませう』
 婆はニコニコし乍ら先に立ち帰つて行く。駒彦は何か心に当るものの如く首を頻りに左右にかたげ乍ら従いて行く。あとより秋彦は不審相に二人の姿を看守りつつ、二三間遅れて、厭相に進んで行く。山の鼻にヌツと突出た岩の麓を廻はると、七八間向うにかなり大きな草葺の家が建つて居る。婆アさまは駒彦に向ひ、
婆『あれが妾の家だ。どうぞ今晩はゆつくり泊つて往て下されや』
 秋彦は『なんだ、合点がゆかぬ事だなア』と呟きつつ、不安の念に駆られ、手を組んで細路に佇立して居る。婆アさまは半破れた戸をガラリと開き、
婆『サアサアお若い衆、這入つて下さい』
駒彦『ハイ有難う』
と後を振り返り見れば、四五間あとに秋彦は手を組み思案らしく佇んで居る。
駒彦『オイ秋彦、早う来ぬか。何して居るのだ』
秋彦『俺は外から警固して居るから、貴様用心して中に這入れ。釣天井でも有つてバサンバサンとやられちや大変だから、よく気を付けて這入れ。俺はサア事だと思つたら、直に飛び込んで讎敵を討つてやるから……マア予備として、俺は外に待つて居る』
駒彦『そんなら宜しう頼む』
と閾を跨げ屋内に姿を隠した。爺イさまは目も疎いと見え、ヨボヨボし乍ら奥の間から現はれ、
爺『アー婆か、よう帰つて呉れた。どうも寂しくて困つて居つた。あまり帰りが遅いので、又もや泥棒に出会したのではなからうかと、気が気でなかつた。併しお前の背後に誰か従いて来て居るぢやないか。ウツカリした者を引張つて来ると、又此間の様な目に会はされるぞ。性懲りもない、道行く人間を掴まへて、善根だの、宿をしてあげようのと云ふものだから、あんな事が起るのだ。モウ今日は、お前が何と云つても私が承知をせぬ。……どこの方か知らぬがトツトと帰つて下され』
婆『爺さま、一寸此人は合点のいかぬ事があるので連れて帰つたのぢや。妾だつてモウ懲りてるから、滅多な奴を連れて帰りはせぬ。此人は馬とか云ふ男ださうな、伜の名も馬だから、何とはなしに恋しくなつて連れて帰つたのぢや。ヒヨツとしたら、子供の時に天狗に浚はれた馬ぢやなからうかと、心の故か思はれてならないから……』
爺『さう聞くと何だか恋しい様な気がする。コレコレ馬さまとやら、足をしもうて上つて下さい』
駒彦『ハイ有難う御座います。私も一人者で御座います。何だか此お婆アさまが恋しくなつて参りました』
と云ひ云ひ足をしもうて座敷にあがる。秋彦はコハゴハ乍ら門口までやつて来て、様子を考へて居る。
爺『お前は馬さまと云ふさうだが、一体何処の生れだ』
駒彦『ハイ私は余り小さい時で、しつかりは記憶しませぬが、何でも日高川の畔だつた様に幽かに覚えて居ります。併し乍らそれも夢だか現だか分らないのです。天狗にさらはれて山城の国の紫野の大木の上に引掛けられて居つたのを、そこの酋長が認めて助けて下され、それから其処の家の子となつて育つて来た者で御座います』
爺『わしは常楠と云ふ者だ。さうして婆アはお久と云ふ者だが、両親の名は覚えて居るかい』
駒彦『何分子供の事で分りませぬが、御主人様のお言葉には、私の守り袋に、常とか久とか云ふ印があり、私の名は馬楠と書いてあつたさうで、主人は馬公馬公と仰有つたのだと聞いて居ります』
爺『ナニ、常に久、馬楠と書いてあつたか。そんならお前は私の伜ぢや。ようマア無事で居つて下さつた』
と両人は取付いて泣きくづれる。
駒彦『あゝ何だかさう聞くと、御両親の様にも思ひますが、しかし私の体には一つの特徴があります。それは御存じですか』
爺『特徴と云ふのは、お前は小さい時から睾丸が人よりは優れて大きかつた。睾丸ヘルニヤとか云ふ病気ださうで、大変に吾々両親は心配をして居つたのだ。お前、睾丸はどうだな』
駒彦『ハイ仰せの如く人一倍大きいのです。松姫館で大金だと言はれて引張られた時には随分困りました。そこまで話が合へば全くあなたは御両親に間違ありますまい。あゝよう無事で居て下さつた』
と駒彦もホロリと涙を流す。お久は、
お久『せめて二三日前にお前が帰つて呉れたなら、妹のお軽もあんな目に会うのではなかつたぢやらうに……あゝ残念な事をした。お前の行方を探したさ、若いうちに夫婦が交る交る紀の国一面を歩いて見たが、どうしても行方が知れず、斯う年が寄つては歩く事も出来ぬので、人さへ見れば吾家に泊つて貰ひ、何かの手懸りもがなと、善根宿をして居つたのだ。さうした所がエライ泥棒を泊めて、妹の生命を取られて了うたのぢや。あゝ可哀相に……妹が生て居つたら恋しい兄に会はれたと言うて、どれ程喜ぶ事であらう。アーア、ア』
と婆アは泣き沈む。常楠爺イも、駒彦も共に涙に暮れ、鼻を啜つて居る。秋彦はこれを聞くより走り入り、
秋彦『ヤア駒彦、お芽出度う。お前が何時も両親に会ひたい会ひたいと云つて居つたが、思はぬ所で親子の対面が出来た。これも全く大神様のお恵みだ。お前ばかりか、俺も嬉しい。アヽ神様有難う御座います』
と涙声になつて、両手を合せ、ちぎれちぎれに咽び乍ら、感謝の祝詞を奏上する。屋根には熊野烏の群七八羽、松魚木に止まつて声を嗄らして悲しげに『カワイカワイ』と啼き立てる。天井に鼠の鳴き声『チウチウチウ孝行々々』と聞え来たる。
(大正一一・六・一〇 旧五・一五 松村真澄録)
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