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文献名1霊界物語 第54巻 真善美愛 巳の巻
文献名2前付
文献名3総説
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ誇張なく単純なものほど至高の芸術であると喝破したワルト・ホイットマン氏に、瑞月王仁は賛成する。この物語が単純であり一定の分体が具わっていないと言われようが、少しも意に介せない。
神の著せしものはすべて単純であり、一定の文体無きをもってかえってその博き文想に感嘆するものである。瑞月は決して物好きで口述するのではない。ただ吾が口を通じて著されたその作物に、邪魔物を垂れないように勉めているのみである。
吾々が今表白するところのものは偽らず、飾らず、惟神のままである。本書もまた吾が大本の信仰に対し現代を救うの道として止むに止まれない場合が差し迫ったために神勅によって編述することになったもので、決して瑞月王仁や真澄、隆光、明子、介昭氏らの物好きで作ったものではない。
大本においても、この書を変性女子の遊戯的作物として軽視し、一回も本書を手にしない方々があるのは実に遺憾の至りである。
予言的精神に充たされた本書は、あらゆる形式美を尽くして朝日に輝く雲のように虹色を呈して虚空に架かっている程の覚悟をもって進んでいる。もし人が言わざるを得ないものを持っているならば、石が地に落ちるように、何事もなく単純に率直に漏れ出ずるものである。
すべて現れ出たものの根底には、必然なるものが潜んでいるものであると思う。記してもって総説に代える。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年02月21日(旧01月6日) 口述場所竜宮館 筆録者松村真澄 校正日 校正場所
OBC rm540002
本文の文字数1335
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本文  『至高の芸術表現の栄光、文学の光明の輝きは単純である。単純より善い物はない、実相の誇張や欠乏を矯正し得るものは単純を除いて外にない。衝動の澎起を持続して智力の奥底に滲徹し凡ての楽旨に音節を与ふるのは平凡な力でも無ければ、極めて突飛な力でもない。けれども動物の動作の極めて正しく、しかも無遠慮奔逸なものや、森の木立、路傍の草の云ひ知れぬ感じを文学に表はすのは芸術の瑕瑾無き勝利である。それを完成したものを見たらば、即ち国家と時間とに超越した一大芸術家を見たのである。大詩人は一定した著しい文体を持たず、思想と事物との水脈は増加することも無く減退することも無く、彼自身が自由なる水脈である』
とワルト・ホイツトマンは言つたことがある。瑞月王仁はこの物語が単純であり、一定の文体が具はつてゐないと言はれやうが少しも意に介せない。否吾々はワルト・ホイツトマン氏の意志に賛するものである。神の著せしものは凡て単純であり且つ一定の文体なきを以て却つてその博き文想に感嘆するものである。瑞月は決して物好きで口述するのでは無い。只吾口を通じて著はされたその作物に優美、原因、結果を描いて幕のやうに自己と人との間に邪魔物を垂れないやうと勉むる而巳である。神の著述には断じて邪魔物はない筈だ。又決して美しい幕さへも張られて無い物だ。神示に由りて吾々が語る所は正に斯くあるべき物なるが故に語るのみである。吾々が今表白する所のものは佯らず、飾らず、惟神のままである。凡ての立派な芸術作品は必然即ち止むに止まれぬ要求と絶対の真実を持つてゐなければ成らぬと云ふ観念を持つて居なければ成らない。本書も亦、吾大本の信仰に対し現代を救ふの道として止むに止まれない場合が差迫つた為に神勅によつて編述することになつたもので、決して瑞月王仁や真澄や隆光、明子、介昭氏等の物好きで作つたものでは無い。何れも神の命のまにまに著者は病躯を起して、止むに止まれず着手したものなることを御了知の上御愛読あらむ事を希望する次第であります。今日の処では未だこの書が地方によると、役員や信者に読まれない所も沢山あるやうなり、大本に於ても変性女子の遊戯的作物として軽視し、一回も本書を手にしない方々が在るのは実に遺憾の至りであります。本書は古き神代の物語と云ひながら、時代に先んじた文語や文学的形式を採用してゐるのは、不都合だと言つてゐる人があるが、それでは表現の範囲を拡めることは出来ない。予言的精神に充された本書は、所在形式美を尽して朝日に輝く雲の様に虹色を呈して虚空に架つてゐる程の覚悟を以て進んでゐるのである。又従来人の云はなかつた新しい事も云ひ、人間の表現の限界を拡張せむが為に、原始的法則に帰らざるを得ない場合も稍多くある。即ち人間の感情そのものが自ら流れ出た言葉に、惟神の詩韻が現はれるものである。人にして若し言はざるを得ないものを持つて居るならば、石が地に落ちる様に、何事もなく単純に、率直に、自然に洩れ出づるものである。石が落ちて来るのには決して二つの形式は無いのを見ると、凡て現はれ出たものの根底には、必然なるものが潜んでゐるものであると思ふ。記して以て総説に代ふ。
   大正十二年二月十八日
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