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文献名1霊界物語 第74巻 天祥地瑞 丑の巻
文献名2第2篇 真鶴新国よみ(新仮名遣い)まなづるしんこく
文献名3第19章 玉野の神丘〔1887〕よみ(新仮名遣い)たまののみおか
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
一行は、玉野の森の白砂の上を馬に乗って、ようやく玉野比女の館のある丘に着いた。

玉野丘と言われる平坦な高台の聖地である。

顕津男の神が丘のふもとから見上げると、丘の上には紅・白・紫・黄・青の五色の幔幕が張りまわされており、尊い神がご降臨されている様子であった。

顕津男の神は、なるほど、それで玉野比女が出迎えに来られなかったのか、と歌を歌う。後から来た生代比女は、どうやら主の神がご降臨されているらしい、と顕津男の神に歌いかける。後から来た神々は、丘の厳かな様子にいっせいに馬を下りた。

従者神たちが述懐歌を歌っていると、玉野比女が大麻を手に悠然として現れた。玉野比女は、顕津男の神を待ちかねて老いてしまったこと、今まさに主の神がご降臨されて、顕津男の神をお待ちになっていることを告げる。

玉野比女と生代比女は対面する。玉野比女は、生代比女が自分の代わりに御子を身ごもったのは、神の神言によってであったと述懐し、ともに神国を作ろうと呼びかける。

玉野比女に仕える本津真言の神・待合比古の神は、瑞の御霊来着の喜びを歌う。

一方、顕津男の神の従者神たちは、主の神のご降臨をかしこみ、丘のふもとで神言を奏上していた。一行は、大神のご降臨とは知らずに馬で聖地を汚してしまったことを悔い、いったん森の入り口まで戻った。そして清水に身を清めてから徒歩で戻ってくると、もうあくる日の夕方になっていた。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月27日(旧09月9日) 口述場所水明閣 筆録者林弥生 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年1月5日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 242頁 修補版 校定版305頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  白梅の薫る玉野の森の白砂を、馬の蹄に踏みなづみながら、老松の蔭を潜りて、漸く玉野比女の神の鎮まり給ふ聖所に着き給ふ。
 この丘は、玉野丘と称し、南北一里、東西二里にわたる平坦の高地にして、白銀の砂は、天津日に照りかがよひ、神苑を包める常磐樹は蜿蜒として枝を交へ、紫微天界の粋を集めたるばかり思はるる聖所なりける。
 顕津男の神は、山の麓に駒乗り降り給ひ、丘の上をふりさけ見給ふに、紅、白、紫、黄、青の五色の幔幕を張り廻され、何事か尊き神の御降臨ありし様子なり。茲に顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『国土生むと駒に跨り来て見れば
  箒目正しく清められあり

 何神の天降りますかは知らねども
  いと尊くぞ思はれにける

 玉野比女わが出で立ちをよそにして
  出迎へまさぬは訳あるらしも

 ともかくも謹みいやまひこの丘を
  心清めて登り見むかな』

 斯く歌ひ給ふ折しも、駒を早めて入り来りし生代比女の神は、ひらりと駒を飛び降り、御歌詠ませ給ふ。

『瑞御霊早くも此処に来ませるよ
  吾は急ぎて後追ひまつりぬ

 この聖所主の大神の天降りますか
  いと厳かに思はるるなり

 神生みの神業に仕へし吾にして
  岐美に後れむ事をはぢけり

 主の神の天降りますにや吹く風も
  かをり妙なり白梅の丘に

 いざさらば前に立ちませわれこそは
  御後に従ひ御山に登らむ』

 斯く歌ひ給ふ折しも、遠見男の神一行其他の神々は、漸く駆けつけ給ひ、一斉に駒を飛び降り、老松の枝に手綱を結びつけ、息を休ませながら、遠見男の神は御歌詠ませ給ふ。

『道遠み白駒かけて漸くに
  岐美の在所をさぐり来にけり

 何神の天降りますにやこの聖所
  空吹く風も妙にかをれり

 真鶴の国の真秀良場この聖所は
  国土生み給ふにふさはしきかも

 此処にして国の御柱たて給ひ
  真鶴国を治め給ふか

 この丘に繁れる常磐の松並木
  すぐれて太く栄えけるかも

 松毎に千歳の鶴の巣ぐひたる
  この清丘は神の御舎

 主の神の天降りましたる心地して
  登りなづみぬこの清丘を』

 圓屋比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『如何ならむ尊き神の天降りますか
  わが足さへも縮まりにけり

 稜威高き神の鎮まる神の丘を
  わけは知らねど吾は畏みぬ

 吹く風も穏かにしてわが面を
  清しく照らす木洩陽のかげ』

 斯く歌ひ給ふ折しも、玉野比女の神は大麻を手にしながら、悠然として現れ給ひ、御歌詠ませ給ふ。

『岐美待ちて気永くなりし玉野比女
  常磐の松と共に老いぬる

 神生みの神業に仕ふと永年を
  岐美待ちかねて老いにけらしな

 幾万里の荒野をわたり訪ひ来ます
  岐美の真心嬉しかりける

 幾度か指折り数へよき月日
  待つ甲斐ありて岐美に逢ふかも

 主の神はいと厳かに天降りまし
  奥殿深く臨ませ給へり

 いざさらば顕津男の神登りませ
  われは御前にたちて仕へむ』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『千万里の大野をわたり公許に
  今日は漸く訪ね来つるも

 苔むして神さびたてる老松の
  かげをし見れば公の偲ばゆ

 姫小松はや老松と栄ゆまで
  待たせる公をいとしみ思ふ

 かくならば神生み為さむ詮もなし
  心を合せて国土を生まむか

 生代比女吾を迎へて貴の御子
  孕ませ給へり公に代りて』

 生代比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『音に聞く玉野の比女の御姿の
  尊さ清しさ畏みまつる

 真鶴の山の精より生れ出でで
  吾御子生みの業に仕へし』

 玉野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『愛らしき生代の比女の心かな
  心安かれ吾も祝はむ

 神業を果し給ひし生代比女
  神の神言を尊しと思ふ

 今よりは御腹の御子を育みて
  ともに神国を造らむと思ふ』

 生代比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『有難し玉野の比女の御言葉
  いくよの末まで忘れざるべし

 国魂の神を孕みし吾にして
  公の言葉を有難く思ふ』

 顕津男の神は御歌詠ませ給ふ。

『けなげなる玉野の比女の言葉かな
  我はいふべき言の葉も無し

 ともかくも玉野の比女に従ひて
  この清丘に進み登らむ』

 玉野比女の神の御供に仕へまつり、此処に現れ給ふ本津真言の神は、御歌詠ませ給ふ。

『吾こそはウ声に生れし本津真言の神よ
  今日嬉しくも岐美を迎へし

 比女神の待ちに待たせる瑞御霊
  迎ふる今日ぞ嬉しかりけり

 はろばろと荒野をわたり海を越え
  来ませる岐美を尊く思ふ

 主の神の天降りましける聖所に
  着かせる岐美は雄々しき神はも

 真鶴の国のひらけし始めより
  かかる目出度き例はあらじ

 主の神は天降りましまし瑞御霊
  此処に現れます今日ぞ目出度き

 玉野比女は岐美迎へむとおぼせども
  大神のみそば離れかねつつ

 はろばろと岐美の出でまし出迎への
  後れし罪を許させ給へ

 玉野比女神に代りて今此処に
  ことわけのぶる本津真言の神よ』

 待合比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『朝まけて主の大神は降りまし
  瑞の御霊は今現れましぬ

 愛善の紫微天界の真秀良場に
  今日は嬉しも神々迎へて

 いざさらば玉野の比女の導きに
  登らせ給へこの清丘へ』

 顕津男の神は、

『有難し三柱神の出で迎へ
  厚き心を我は嬉しむ』

と歌ひ給ひつつ、しづしづと緩勾配の丘道を登らせ給へば、遠見男の神以下の神々は、主の神の御降臨と聞きて畏み、山の登り口に両掌を合せ神言を奏上しながら、時の到るを待たせ給ひける。
 遠見男の神は御歌詠ませ給ふ。

『思ひきや瑞の御霊に仕へ来て
  主の大神の天降りにあふとは

 主の神の天降り給ひしこの国は
  いやますますに栄えますらむ

 鬱蒼と天を封じてそそり立つ
  常磐樹の森によき事を聞くも

 かくならば吾等は謹み畏みて
  主の大神に清く祈らむ』

 圓屋比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『老松の四方をかしこみしこの森に
  かかる目出度さ思はざりけり

 主の神の天降り給ひしこの丘に
  紫の雲棚引きにけり

 五色の幕を清しく張り廻し
  主の大神を斎きたるらし

 この幕を越ゆる術なきわが御魂
  まだ晴れやらぬ心の曇りに

 智慧証覚未だ足らねば主の神に
  まみえむ術の無きが悲しき

 久方の天より降りし主の神の
  功を拝む丘の麓に』

 多々久美の神は御歌詠ませ給ふ。

『智慧証覚よし劣るとも真心の
  光しあらばのぼり得べけむ

 よしやよしわが真心は足らずとも
  神国を思ふ心は尊し

 さりながら瑞の御霊の大神の
  御許しなくばのぼる道なし

 玉野比女瑞の御霊と生代比女に
  生言霊をのべて帰らせり

 神々に一言だにもかけまさず
  帰り給ひし事のうたてさ

 真心の光は未だこの丘に
  のぼらむ力無きぞうたてき』

 宇礼志穂の神は御歌詠ませ給ふ。

『うれしくもこの清丘の麓まで
  御供に仕へしわが幸を思ふ

 言霊の澄みきりあへぬ吾にして
  これの聖所に来りしを喜ぶ

 老松のかげに心を清めつつ
  この真清水にうつしてや見む

 あちこちに魂を洗へと真清水は
  湧き出でにける神の功に

 幾何の御手洗池のある中を
  ただによぎりし事のくやしさ

 わが来る右りと左に湧き出でし
  清水は魂を洗ふ真清水』

 美波志比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『宇礼志穂の神の言霊に照らされて
  われ恥づかしくなりにけらしな

 身を浄め魂を洗ひて進むべき
  真清水の池通り来しかも

 黙々と神は教を垂れ給ひ
  魂も洗へと清水湧かせり

 瑞御霊御供に仕へてしらずしらず
  わが魂線は傲ぶりにけむ』

 産玉の神は御歌詠ませ給ふ。

『幾百と限りもしらぬ玉野池の
  かたへをただに通りしを悔ゆ

 この森のあらむ限りの真清水の
  池を求めて魂洗はばや

 取返しならぬ過ち為しにけり
  この御手洗を軽く見なしつ

 自ら森の樹蔭に湧きし水と
  軽く思ひしことを今悔ゆ』

 魂機張の神は御歌詠ませ給ふ。

『たまきはる生命の清水を見ながらに
  掬はむ道を忘れゐたりき

 行く先をただ急ぎつつ目の下の
  清水をよそにわが来つるかも

 主の神の天降りましたるこの森は
  清き御魂の進むべきのみ

 玉野森馬蹄にけがせしわが罪を
  許させ給へ主の大御神』

 結比合の神は御歌詠ませ給ふ。

『いざさらば元来し道に引返し
  駒を止めて徒歩歩きせむ

 主の神の今日のよき日に天降りますを
  知らず進みし迂濶さを悔ゆ』

 美味素の神は御歌詠ませ給ふ。

『常磐樹の松に清しく鳴く鶴は
  吾をいましむ神声なりけり

 愚しき吾と思へば恥づかしく
  瑞の御霊にまみえむ術なし

 瑞御霊生代の比女は吾を後に
  かけ出でましし御心悟りぬ

 今となり瑞の御霊の御心を
  思ひはかりて恥づかしくなりぬ

 何時の間にかわが魂線は傲ぶりて
  禊の業を忘れゐたるよ

 主の神の天降りましたるこの森を
  馬の蹄にけがせし悲しさ』

 真言厳の神は御歌詠ませ給ふ。

『今となりて吾恥づかしくなりにけり
  真言いづみの禊忘れて

 いざさらば神々たちよ駒並めて
  元来し道に引返し見む

 この森の外に抜け出で数多き
  泉に御魂洗ひて進まむ』

 斯く神々は、馬の蹄に知らず知らず聖所を汚せし事を悔い、一目散に元来し道に引返し、駒を玉野の森の入口遠く繋ぎ置き、各も各も真清水に身を清め心を浄め、天津祝詞を奏上し、再び主の神の天降ります丘を指して、真砂に足を踏みなづみつつ、其翌る日の黄昏るる頃、辛うじて丘の麓に着き給ひける。
(昭和八・一〇・二七 旧九・九 於水明閣 林弥生謹録)
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