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文献名1霊界物語 第74巻 天祥地瑞 丑の巻
文献名2第3篇 玉藻霊山よみ(新仮名遣い)たまもれいざん
文献名3第23章 意想の外〔1891〕よみ(新仮名遣い)いそうのほか
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
玉野比女、顕津男の神、本津真言の神たちは、主の大神の御出現を、歌を詠みながら待っていた。

すると、最後に歌った本津真言の神は、「われこそは主の大神の神言によって、この天界を支えている神である」と名乗った。

本津真言の神は、天津高宮から降り来て、主の大神の内命によって玉野比女に使え、国生みの神業が成るまで守り仕えていた神であった。

顕津男の神、玉野比女の神は、畏れ多いことと庭に下りて平伏し、畏まった。そこへ、待合比古の神と力充男の神が、生代比女を連れてやってきた。

本津真言の神は、全員がそろったところで、それぞれの神々の役割を歌によって明らかにし、自分は主の大神のご神慮を請うべく、奥殿へと入っていった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年10月29日(旧09月11日) 口述場所水明閣 筆録者谷前清子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年1月5日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 265頁 修補版 校定版392頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7423
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本文  玉野比女の神に導かれて、顕津男の神は本津真言の神と共に、主の大神の御出現までの時を待たせつつ、御歌詠ませ給ふ。

玉野比女の神『主の神の貴の神教を畏みて
  これの聖所に宮造りましぬ

 この宮は主の大神のたまの水火に
  生り出でし松の柱なりけり

 国の柱太しく立てて玉野丘に
  仕へし宮居を玉の宮といふ

 只一人時を待ちつつ主の神の
  神霊祀りて仕へ来しはや

 終日を松の梢に鶴鳴きて
  岐美を待つ間の久しき吾なりし

 白梅はこれの聖所に咲きみちて
  主の大神の霊をうつせり

 敷きつめし真砂の月の露置きて
  真玉とかがよふ清しき宮なり

 白梅の梢に来つる鶯の
  鳴く音は永久の春を歌へる

 春夏の風は吹けども秋の風
  冬の嵐のなき清庭よ

 瑞御霊天降ります日を待ち佗びて
  この清庭に年ふりにけり

 年さびし吾にありせば御子生まむ
  すべなみ岐美と国土生みなさむか

 常磐樹の松の老樹に苔むして
  ふりゆく年を吾に見るかな

 年さびし岐美にしあれど若々し
  さすがは瑞の御霊なるかも

 主の神の依さし給ひし神業に
  後れし吾は惟神ならし

 千万の思はあれど岐美に会ひて
  語らふ術も消えうせにけり

 ほほゑます岐美の面の清しさに
  わが魂線はよみがへるなり

 万代の末の末まで岐美思ふ
  わが魂線はくもらざるべし

 玉野丘のこれの聖所につきにけり
  御水火合せて国土生まむかも

 待ち佗びし吉日は来つれど如何にせむ
  わがからたまの年さびぬれば』

 顕津男の神はこれに答へて、御歌詠ませ給ふ。

『主の神の依さし給ひし神業を
  怠たりし我をくやむ今日かな

 国土稚き玉野の森に進み来つ
  公が心を悲しみにけり

 雄々しくも待たせ給ひし公許に
  感謝の言葉も口ごもるなり

 弥広き紫微天界の中にして
  この真秀良場や公の御舎

 この国土にかかる聖所のおはすとは
  我は夢にも知らざりにけり

 こんもりとふくれ上りしこの丘に
  清しく建てる宮は高しも

 この宮に公とい向ひ永久の
  国土拓かばや水火を合せて

 主の神の出でましある迄神苑に
  ひかへ奉りて語りあはむか

 遠見男の神はいづくぞ百神の
  姿は見えずこの清丘に

 何となくわが魂線はふるふなり
  おごそかにます玉の宮居よ』

 本津真言の神は御歌詠ませ給ふ。

『幾億の星の霊線つなぎ合せ
  本まつことに国土をささへつ

 月も日もこの天界も言霊の
  まことにつなぐ星のかずかず

 月も日も言霊の水火につながれて
  おなじ所を行き通ふなり

 幾万の星はあれどもほしいままに
  動き給はぬぞ畏かりける

 月も日も星も軌道を定めつつ
  紫微天界を守りますかも

 我こそは主の大神の神言もて
  この天界を支へゐるかも

 言霊の本つまことの水火をもて
  堅磐常磐に神代を守らむ

 村肝の心ゆるめしたまゆらに
  この天地は亡びこそすれ

 わが心張りきりつめきり澄みきりて
  そのたまゆらもゆるぶことなし

 この宮に主の大神の天降りまして
  宣らせ給はむ国土生みの要を

 我は今御供の神と身を変じ
  玉野の比女を守りゐたりき

 玉野比女神の神言の真心を
  うべなひ給へ顕津男の神よ』

 顕津男の神は、驚きて下座に下り合掌しながら、御歌詠ませ給ふ。

『思ひきやかかる尊き大神の
  これの聖所に天降りますとは

 本津真言の神の御名をし聞きしより
  わが霊線はひきしまりける

 主の神の生言霊に生り出でし
  本津真言の神のたふとき

 玉野比女の御魂を朝夕守りつつ
  永久にいませし大神天晴れ』

 玉野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『はしたなき浅き心の吾なれば
  かかる尊き神とは知らざりき

 この上はわが魂線を磨き清め
  本津真言の神に仕へむ

 主の神の御手代となりて現れませし
  神とは知らにあやまてりけり

 恥づかしやもつたいなやと今更に
  悔ゆるもせむなしつたなき吾は』

 本津真言の神は儼然として、御歌詠ませ給ふ。

『久方の天津高宮ゆ降り来て
  主の大神の御手代と仕へし

 玉野比女国土生みの業守らむと
  我は久しく止まりしはや

 主の神の御尾前に仕へてこの森を
  我は直ちに帰らむと思ふ

 瑞御霊ここに現れます今日よりは
  我止まらむすべもなきかな

 待ちわびし瑞の御霊の出でましに
  わがまけられし神業は終へたり』

 この御歌によりて、顕津男の神、玉野比女の神は、主の大神の御内命によりて、国土生みの神業を助くべくこの玉野丘に降り給ひたる大神なるを悟り、恐懼措く処を知らず、真砂の清庭に下り平伏嗚咽涕泣し乍ら、身を慄はせ給へるぞ畏けれ。
 かかる所へ生代比女の神を導き乍ら、待合比古の神、力充男の神は静々と現れ来り、女男二柱の神の庭上に平伏し給ふ御姿を見て、驚きの余り、待合比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『いぶかしもこの清庭に二柱
  ぬかづき慄ひ泣かせ給へる

 主の神の貴の御稜威にうたれつつ
  かしこみますか二柱神は』

 生代比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『二柱神の真言に助けられ
  この清庭に詣で来にけり

 瑞御霊玉野の比女の御姿を
  をろがみ奉りて悲しくなりぬ

 罪穢払ひ清めてわが来つる
  この聖所おごそかに思ふ』

 力充男の神は御歌詠ませ給ふ。

『主の神の御手代とます本津真言の
  神の功に驚きましけむ

 主の神の御手代として生れませる
  尊き神を百神知らざりき

 吾は只尊き神と朝夕に
  敬ひ奉り仕へ居しはや』

 茲に本津真言の神は、一同の神々に向ひて、御歌もて教へ給ふ。

『顕津男の神よ玉野の比女神よ
  心安かれ惟神なるよ

 この国土の主となりし岐美なれば
  心安かれ我にかまはず

 生代比女御子は孕めど玉野比女の
  まことの御子と育み奉らへ

 待合の神は正しく清しくも
  玉野の比女に朝夕仕へし

 待合神の誠は主の神も
  よみし給へりいやつとめよや

 我霊の真言を永久にさとりたる
  力充男の神ぞたふとし

 この国に力充男の神あれば
  いや永久に安く栄えむ

 いざさらば主の大神の御前に
  我は詣でむしばし待たせよ』

 斯く歌もて宣示しながら、本津真言の神は悠々として鉄門を押し開き、奥殿深く進ませ給ひ、主の大神の御神慮を請はせ給ひぬ。
(昭和八・一〇・二九 旧九・一一 於水明閣 谷前清子謹録)
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