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文献名1霊界物語 第76巻 天祥地瑞 卯の巻
文献名2第1篇 春風駘蕩よみ(新仮名遣い)しゅんぷうたいとう
文献名3第4章 怪しの巌山〔1921〕よみ(新仮名遣い)あやしのいわやま
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2018-07-03 17:53:21
あらすじ
一方、鋭敏鳴出の神に吹き散らされた曲津神たちは陣容を立て直し、雲を次々と吐き出して重なり合わせ、延々数百里にもまたがる巖山を築き上げ、その前に千尋の谷川を作って一行を阻もうとした。

しかし、再び鋭敏鳴出の神が、千引巖を頭上の高く差し上げ、「うん」という一声と共に深い谷川の巖が根に打ち付ければ、巖と巖がぶつかってほとばしりでた火の光に曲津神は驚き退いてしまった。

紫微天界における火は、鋭敏鳴出の神の神の巖投げによって始まった。

曲津見の神たちは、火の光に驚き肝を冷やし、数百里の巖山も次第に影が薄らぎ、白雲となって空に消えてしまった。

さらに鋭敏鳴出の神の神は言霊歌により風を呼び、空に漂ってなおも日の光をさえぎっている曲津神の雲を晴らしてしまった。

一行一同は、鋭敏鳴出の神の言霊の神徳をたたえる歌を歌ったが、同時に、曲津神の根源が、百神たちの曇った水火(いき)が固まって生まれたことを悟った。そして、自分自身の心の曇りが高地秀の宮にも曇りを生んだことを悔いた。

高野比女は、鋭敏鳴出の神に先頭を、天津女雄の神に後方の守りを任せ、一行は春風渡る青野ケ原を、駒に乗って東の宮への帰り道を進んで行った。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月05日(旧10月18日) 口述場所水明閣 筆録者白石恵子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月23日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 515頁 修補版 校定版226頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  八十曲津見の神は、鋭敏鳴出の神の生言霊にうたれて、雲霧となり、西吹く風にあふられて、一度は東の御空遥かに逃げ失せたれども、ここに再び陣容を立て直し、飽くまでも神の神業にさやらむと、古綿をちぎりたる如く、雲を次々吐き出だし、幾千丈とも限りなく重り合せて、遂には天を貫く大巨巌となり、蜿蜒数百里にまたがる巌骨の山を築き上げ、その前面に千尋の深き溪川をつくりて、一歩も進ましめざらむとし、力を尽すこそ忌々しけれ。
 ここに、高野比女の神一行は、駒の轡を並べて、夜を日についで進ませ給ふ折しもあれ、前途に横はる思ひがけなき巌山に、行手を遮られ、暫し思案にくれ給ひけるが、ここに鋭敏鳴出の神は、曲津見の醜の雄猛びものものしやと宣りつつ、かたへの千引巌を、頭上高くさし上げながら、「うん」と一声、深溪川の巌ケ根に向つて打ちつけ給へば、巌と巌とは相摩して、迸り出でたる火の光に、曲津神は驚きて、さしもに堅き巌山も、どよめきそめつ梢後方に退きにける。
 紫微天界に於ける、火の生れ出でしは、鋭敏鳴出の神の巌投げによりて始まれるなり。曲津見の神は激しく飛び出でし火の光に、驚きて肝を冷し、今までの勇気はどこへやら、数百里にまたがる巌山も、次第々々に影うすらぎ、遂には白雲となりて、御空遠く消え失せたるぞ不思議なれ。
 高野比女の神はこの態を見て、感嘆のあまり御歌詠ませ給ふ。

『鋭敏鳴出の神の功に生れ出でし
  火は曲神を追ひ散らしける

 巌骨の山と変じて曲神は
  わが行先をさへぎりしはや

 千引巌の摩擦によりて現はれし
  炎はすべてを焼きつくすらむ

 天界に始めて見たる火の光
  四方を照らして曲をやらへり

 巌ケ根ゆ火の出づること悟りけり
  鋭敏鳴出の神の神業によりて』

 鋭敏鳴出の神は御歌詠ませ給ふ。

『曲神は巌骨の山と変じつつ
  行手にさやれど何か恐れむ

 巌と巌の軋りて生れし火の神の
  功たふとくわれをろがみぬ

 谷底に散りたる火花に怖ぢ恐れ
  ときはの巌山も崩れ初めたり

 堅磐常磐の巌の山と見ゆれども
  雲と雲とのかたまりなるも

 アオウエイ生言霊を宣りあげて
  この巌山を雲と散らさむ』

 かく歌ひつつ、鋭敏鳴出の神は、声も朗かに御歌詠ませ給ふ。

『アオウエイ天津真言の言霊に
  巌骨山は跡なく消えむ

 カコクケキ輝き渡る大空の
  天津日光に亡びよ曲津見

 サソスセシ
 さやりたる醜の曲津見の曲業も
  生言霊の水火に消えなむ

 タトツテチ
 たつくもの重り合ひて巌となりし
  曲津の山をば崩してや見む

 ナノヌネニ
 ながながと広野の中に尾をひきし
  この巌山もいまに消えなむ

 ハホフヘヒ空吹く風の功績に
  雲と散るべしこの巌山も

 マモムメミ
 曲津見の醜の猛びの深くとも
  われには言霊剣ありけり

 ヤヨユエイ
 八十曲津見力の限りさやるとも
  如何で悩まむ神なるわれは

 ワヲウヱヰ
 わくらはに力あつめて生り出でし
  曲の巌山いまに砕かむ

 一二三四五六七八九十
  百千万の神守らせたまへ』

 斯く歌ひ給ふや、蜿蜒として幾百里にわたりたる巌骨の山も、次第々々に煙となりて砕けつつ、風のまにまに散り行くぞ愉快なれ。
 天津女雄の神はこの態を見て、御歌詠ませ給ふ。

『天晴れ天晴れ鋭敏鳴出の神の功績に
  醜の巌山早や崩れたり

 曲神の奸計の深溪川さへも
  底あせにつつかくろひにけり

 天地の中に生れて主の神の
  恵みを知らぬ曲津神はも

 火の神の在処を始めて悟りけり
  巌と巌との中にいますを

 曲神の醜のとりでを亡ぼさむ
  ためには強き力の火なるよ

 あらがねの地にも火にも神ますと
  われは始めて悟らひしはや

 曲神は火の御光に怖ぢ恐れ
  雲の彼方に影をかくせり

 かくのごと力の限りを集めたる
  曲の仕組の山は崩れぬ

 言霊の水火に生れし天界に
  尊きものは言霊なるかも

 何一つ武器は持たねど言霊の
  水火の剣に守られ行かむ

 真心をつくしの宮居より降り来し
  われ面白きことを見たりき

 駿馬は勇みすすみて天界の
  この清しさに嘶き止まずも』

 梅咲比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『面白き旅に立つかも行先に
  曲の構へし砦を破りつ

 主の神の御稜威は高しわが岐美の
  功は広しと思へば楽し

 曲神の心つくしの巌山も
  生言霊に跡なく亡びぬ

 曲神は偽りごとをたくみつつ
  さやらむとする心浅ましも

 天津真言の生言霊の幸はひに
  生りし森羅万象は永久に亡びじ』

 香具比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『御樋代神とわれは選まれ東の
  宮居に仕へておもふ事なし

 今までの心の雲り晴れにつつ
  わが背の岐美を尊くぞ思ふ

 恋しさの心は消えて背の岐美を
  敬ふわれとなりにけらしな

 鋭敏鳴出の神の功の尊さを
  悟りてわれは心はづかし

 力なき女神の身もて神業に
  仕ふる日々の重さを思ふ

 さりながら辞まむ術もなかりけり
  神の依さしの尊かりせば

 わが心曇らひにつつ背の岐美の
  神業にさやりし事を悔ゆるも

 言霊の水火も清めずひたすらに
  岐美を慕ひし愚かさを恥づ』

 寿々子比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『ここに来て神の奇しき神業を
  近く眺めつおどろきしはや

 何事も生言霊の幸はひに
  生り出づるよしを悟らひにけり

 やすやすと神に仕へて朝夕を
  過せしわれは愚かなりける

 朝夕の禊の神事をおこたりし
  われは御子生み叶はざりしよ

 今日よりは瀬見の小川に禊して
  生言霊を清め澄まさむ

 鋭敏鳴出の神の言霊清ければ
  流石の曲津見も逃げ失せにけり』

 朝香比女の神は御歌うたひ給ふ。

『御樋代の神とはいへど言霊の
  濁りにそひます神はあらまじ

 わが岐美を恨みし事の今更に
  はづかしきかも水火の曇れば

 曇りたる水火もて少しも曇りなき
  水火にあはすと思ひし愚かさ

 吾のみか八柱比女神も悉く
  生言霊は濁らひますらむ

 御子生みの神業に離れし過も
  みな言霊の濁ればなりけり

 今日よりは心の奥より清め澄まし
  神の依さしの神業につくさむ

 御樋代の神と任けられいたづらに
  この年月を暮すべきやは

 言霊の清くありせば曲神の
  千引の巌も崩れこそすれ

 朝な夕な瀬見の小川に禊して
  慎しみ敬ひ神業に仕へむ

 曲神の強き猛びも恐れずに
  進み行かむか言霊剣もて』

 宇都子比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『宇都子比女われは御樋代神として
  今日が日までも待ちあぐみたり

 真心をつくしの宮居に詣でつつ
  主の大神の光りにうたれつ

 主の神の依さしの神業成らずして
  あだに月日を過す苦しさ

 鋭敏鳴出の神の言霊清ければ
  御空の月日も澄み渡りつつ

 曲神は雲霧となり雨となりて
  わが行先にさやりこそすれ

 万世の末の末まで生き生きて
  神業に仕へむ若返りつつ

 若返り若返りつつ神業に
  仕へむとして言霊磨くも』

 狭別比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『いざさらば進み行かなむ曲津見は
  影だにもなく逃げ失せにけり

 うづ高く積みて造りし巌山も
  跡なく消えて春風わたる

 言霊の旅を重ねてをりをりに
  曲津の奸計をめづらしみ見つ

 言霊に消えて跡なき巌山の
  あとに匂へる百花千花よ

 言霊の水火の濁れば雲となり
  曲津見となりて世を塞ぐなり

 百神の曇れる水火の固まりて
  八十曲津見は生れ出でにけむ

 斯の如悟りしわれは今日の日を
  さかひとなして言霊みがかむ

 わが神魂清まりぬれば自ら
  生言霊も澄みきらふらむ

 天界の旅をつづけて今更に
  生言霊のたふとさを知る

 洗へども磨けどおちぬ魂線の
  曇りを如何に払はむかと思ふ

 神を愛し神を信じつ朝夕に
  魂洗ふよりほかに道なし』

 花子比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『われもまた御樋代神と仕へつつ
  高地秀の宮居に年をふりけり

 高地秀の宮居の聖所に朝夕を
  曇りし心に仕へ来しはも

 愛善の真言の光におはす神は
  われをきためず許しましぬる

 今日よりは心の駒を立て直し
  小さき事にかかはらざるべし

 大らかにいます岐美ゆゑ大らかに
  仕へて神業に勉むべきなり

 村肝の心の闇は晴れにけり
  主の大神の御旨さとりて

 何事も神の御心と知りながら
  をりをり小さき心のわくも

 妬み嫉み今まで続けし八柱の
  御樋代神を愚かしみおもふ

 御樋代の神の中にもすぐれたる
  きたなき心持ちしわれなり

 花のごと清くあれよと主の神は
  花子と名づけ給ひしものを

 花も実もなき言霊を宣りにつつ
  わが背の岐美を悩ませしはや

 わが罪の深さ重さを悟りつつ
  神の御前に詫びつつ泣くなり』

 小夜子比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『夜も昼も神の恵みに抱かれて
  天界に住むわれはたのしも

 楽しかるこの天界に生れあひて
  かこち過せしことを今悔ゆ

 言霊の幸はひたすくる天界に
  われは亡びの道を歩みし

 知らず識らず亡びの道を辿りけり
  妬ましき心いやかさなりて

 御樋代神かたみに妬み嫉みつつ
  高地秀の宮居を曇らせしはや

 清らけき心の玉をかがやかし
  かたみに仕へむ神の御前に

 主の神の七十五声の言霊に
  国津神たち数多生れにき

 国津神の上に立てよと主の神の
  依さし給ひしわれ等なりける

 国津神の心におとる魂線を
  もちて仕へむことの難きも

 真心のあらむ限りを照らしつつ
  世のため神のためにつくさむ

 いざさらば百神駒に召しませよ
  東の宮居は遥かなりせば』

 高野比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『鋭敏鳴出の神はわが行く先に立ちて
  進ませたまへこの広原を

 天津女雄の神は後方を守りつつ
  進ませたまへ東の宮居へ』

 斯く歌ひ給へば、鋭敏鳴出の神は、高野比女の神其他一同に黙礼しながら、ひらりと駒に跨り、いざや道案内せむと、馬背に鞭うち蹄の音も勇ましく、鈴の音を四辺に響かせながら、春風わたる青野ケ原を進ませ給へば、一行は轡を並べてしづしづと御心も朗かに進み出で給ふ。
(昭和八・一二・五 旧一〇・一八 於水明閣 白石恵子謹録)
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