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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第1篇 日本より奉天までよみ(新仮名遣い)にっぽんよりほうてんまで
文献名3第1章 水火訓よみ(新仮名遣い)すいかくん
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/12/25出口王仁三郎全集第6巻をもとに校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-12-28 12:32:33
あらすじ国照姫は国祖大神の勅により、水を持って天下の生きとし生けるものに洗礼を施そうと、明治二十五年から、霊地綾部の里で神の教えを伝えていた。水とは、自然界の生物を育てる資料なのであって、水洗礼とはつまり、天界の基礎である自然界・現実界をまず正して行く、ということである。国祖・国常立尊の大神霊は、稚姫君命の精霊に御霊を充たして、予言者国照姫の肉体に降りて来た。こうして国祖は間接内流の方式により、過去・現在・未来の有様を概括的に伝授したのである。これが一万巻の筆先(神諭)となった。この神諭は、現世界の肉体人を教え導き、安らかな生活、飢病戦のない黄金世界を建造するための神業である。これを称して、水洗礼というのである。国照姫の役割は、後からやってくる救世主出現の基礎を作るため、先駆者として神命によって地上に出現したのである。国照姫のみならず、今日まで世の中に現れていた予言者や救世主はいずれも、自然界を主となし霊界を従として、地上の人間に天界の教えの一部を伝達していたのである。しかしながら今日は人間の精神界は混乱し、無神論さえ唱える輩も現れた。水洗礼のみでは安心を得ることができなくなってきた。そこで火の洗礼である霊界の消息を如実に現して、世界人類を覚醒させる必要に迫られたがために、言霊別の精霊を、地上の予言者の体に下されたのである。火の洗礼とは、霊主体従的な神業のことである。霊界を主となし、現界を従とした教理のことである。ここにいよいよ火の洗礼を施すべく、源日出雄の肉体は言霊別の精霊を宿し、真澄別は治国別の精霊を宿し、神業完成のために、未開の地から神の教えの種を植え付けようと、神命によって活動を始めたのである。
主な人物【セ】-【場】-【名】三葉彦、松岡神使、小松林、一人の婦人(福島久子)、国照姫(出口直)、言霊別、真澄別(松村真澄)、名田彦(名田音吉)、守高(植芝盛平)、大国常立大御神、神素盞嗚大御神、国祖大神、国常立尊、稚姫君命、釈迦、キリスト、マホメット、孔子、孟子、ヨハネ、源日出雄(出口王仁三郎)、治国別 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版5頁 八幡書店版第14輯 549頁 修補版 校定版5頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm01
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本文  神の稜威も高熊山の  山の麓に生れたる
 神徳四方に三葉彦  神の精霊を相宿し
 黄金世界を開かむと  こがねの鶏黎明を
 告ぐる夕の月の空  干支に因みし十二の日
 小判千両掘出して  神の御国に献り
 三千世界の蒼生を  浦安国の心安き
 天国浄土に救はむと  一二三四五つ六つ
 七つの春の弥生空  富士の高根に仕へたる
 松岡神使が現はれて  朝な夕なに身魂をば
 守らせ玉ひ二十まり  八つの御年も如月の
 白梅かほる夕月夜  うづの霊地に伴ひて
 現幽神の三界の  其真相をつばらかに
 すべての業放擲し  不二の神山に参まうで
 神のみゐづを身に受けて  心の色も丹波の
 再び郷里に立返り  西や東や北南
 神のまにまに全国に  教を伝達したりけり
 明治は三十一年の  文月下旬となりければ
 神の御言を畏みて  西北さして出でてゆく
 西の御空を眺むれば  半国山は巍然と
 雲を圧して聳えたち  東に愛宕の霊峰は
 城丹両国睥睨し  南に妙見聳え立ち
 北に帝釈大悲山  などの峻峯青垣を
 めぐらす中の穴太より  北へ北へと歩を運ぶ
 浮世はなれし坊主池  心も高砂池の辺を
 辿りて数多の信徒を  救ひやらむと只一人
 小松林の神霊に  送られ乍ら進み行く
 小林小河鷹林  千原川関のりこえて
 虎天堰に来てみれば  並木の松の片ほとり
 いとも小さき一つ家が  物淋しげに建つてゐる
 渇を医せむと門の戸を  くぐつて茶湯を求むれば
 此家の妻と思はしき  一人の婦人が現はれて
 かけた茶碗を揺る様に  ガチヤガチヤガチヤと喋り出す
 ガチヤガチヤ話を聞きつけて  やおら腰掛はなれつつ
 船井の都会八木の町  道の広瀬や鳥羽の里
 風さへ暑き室河原  小山松原乗越えて
 花の園部に安着し  暫しはここに歩をとどめ
 観音坂や須知町  蒲生野こえて桧山
 歩みも一二三の宮  神歌を歌ひ声さへも
 枯木峠や榎山  大原神社を伏拝み
 台頭須知山乗こえて  風吹きわたる小雲川
 風にゆらるる並木松  水無月神社を右に見て
 国照姫のあれませる  裏町館に着きにけり
 あゝ惟神々々  神の使命の重くして
 二十五年の其間  艱難辛苦を堪へ忍び
 時節来りて神業の  実現間際となりければ
 言霊別の精霊を  身魂にみたし真澄別
 名田彦守高両人を  添へていよいよ大海を
 渡り蒙古の大原野  神政成就の先駆と
 大活躍を始めたる  神霊界の物語
 時節来りて説きそむる  大国常立大御神
 神素盞嗚の大御神  恩頼をくだしまし
 うまらにつばらに真相を  述べさせ玉へと願ぎ奉る。
 国照姫は国祖大神の勅を受け、水を以て所在天下の蒼生にバプテスマを施さむと、明治の二十五年より、神定の霊地綾部の里に於て、人間界の誤れる行為を矯正し、地上天国を建設すべく、其先駆として昼夜間断なく、営々孜々として、神教を伝達された。水を以て洗礼を施すといふは、決して朝夕清水を頭上よりあびる計りを云ふのではない。自然界は凡て形体の世界であり、生物は凡て水に仍つて発育を遂げてゐる。水は動植物にとつて欠く可からざる資料であり、生活の必要品である。現代は仁義道徳廃頽し、五倫五常の道は盛に叫ばるると雖も、其実行を企てたる者は絶えてない。神界に於ては先づ天界の基礎たる現実界に向つて、改造の叫びをあげられたのである。国常立尊の大神霊は精霊界にまします稚姫君命の精霊に御霊を充たし、予言者国照姫の肉体に来らしめ、所謂大神は間接内流の法式に依つて、過去現在未来の有様を概括的に伝達せしめ玉ふたのが、一万巻の筆先となつて現はれたのである。此神諭は自然界に対し、先づ第一人間の言語動作を改めしめ、而して後深遠微妙なる真理を万民に伝へむが為の準備をなさしめられたのである。凡て現世界の肉体人を教へ導き、安逸なる生活を送らしめ、風水火の災も饑病戦の憂もなき様、所謂黄金世界を建造せむとするの神業を称して水洗礼といふのである。
 国照姫の肉体は其肉体の智慧証覚の度合によつて、救世主出現の基礎を造るべく、且其先駆者として、神命のまにまに地上に出現されたのである。国照姫の命のみならず、今日迄世の中に現はれたる救世主又は予言者などは、何れも自然界を主となし、霊界を従として、地上の人間に天界の教の一部を伝達してゐたのである。釈迦、キリスト、マホメツト、孔子、孟子其他世界の所在先哲も、皆神界の命をうけて地上に現はれた者であるが、霊界の真相は何時も説いてゐない。釈迦の如きは稍霊界の消息を綿密に説いてゐるようではあるが、何れも比喩や偶言、謎等にて茫漠たるものである。其実、未だ釈迦と雖、天界の真相を説くことを許されてゐなかつたのである。キリストは、吾弟子共より天国の状態は如何に……と尋ねられた時『地上にあつて地上のことさへも知らない人間に対し、天国をといたとて、どうして天国のことが受入れられうぞ』と答へてゐる。神は時代相応、必要に仍つて、教を伝達されるのであるから、未だキリストに対して、天国の真相を伝へられなかつたのである。又其必要を認めなかつたのである。然るに今日は人智漸く進み、物質的科学は殆ど終点に達し、人心益々不安に陥り、宇宙の神霊を認めない者、又は神霊の有無を疑ふ者、及無神論さへも称ふる様になつて来た。かかる精神界の混乱時代に対し、水洗礼たる今迄の予言者や救世主の教理を以ては、到底成神成仏の域に達し、安心立命を心から得ることが出来なくなつたのである。故に神は現幽相応の理に仍つて、火の洗礼たる霊界の消息を最も適確に如実に顕彰して、世界人類を覚醒せしむる必要に迫られたので、言霊別の精霊を地上の予言者の体に降されたのである。
 曾てヨハネはヨルダン川に於て、水を以て下民に洗礼を施してゐた時、今後来るべき者は我よりも大なる者である。そして我は水を以て洗礼を施し、彼は火を以て洗礼を施すと予言してゐた。それは所謂キリストを指したのである。併し乍らキリストはヨハネより水の洗礼を受け、之より進んで天下に向つて火の洗礼を施すべく準備してゐた時、天意に依つて、火の洗礼を施すに至らず、遂に十字架上の露と消えて了つたのである。彼は死後弟子共の前に姿を現はし、山上の遺訓なるものを遺したといふ。併し此遺訓は何れも現界人を信仰に導く為の神諭であつて、決して火の洗礼ではない。故に彼は再び地上に再臨して火の洗礼を施すべく誓つて昇天したのである。火の洗礼と云つても東京の大震災、大火災の如きものを云ふのではない。大火災は物質界の洗礼であるから、之は矢張り水の洗礼といふべきものである。火の洗礼は霊主体従的神業であつて、霊界を主となし、現界を従となしたる教理であり、水の洗礼は体主霊従といつて、現界人の行為を主とし、死後の霊界を従となして説き初めた教である。故に水洗礼に偏するも正鵠を得たものでないと共に、火洗礼の教に偏するも亦正鵠を得たものでない。要するに霊が主となるか、体が主となるかの差異があるのみである。
 茲にいよいよ火の洗礼を施すべき源日出雄の肉体は言霊別の精霊を宿し、真澄別は治国別の精霊を其肉体に充たし、神業完成の為に、野蛮未開の地より神教の種子を植付けむと、神命に仍つて活動したのである。あゝ惟神霊幸はへませ。
(大正一四、八、一五、松村真澄筆録)
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