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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第5篇 雨後月明よみ(新仮名遣い)うごげつめい
文献名3第34章 竜口の難よみ(新仮名遣い)たつのくちのなん
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/2/15出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-02-16 20:49:31
あらすじ
日出雄は武装解除となった上は、パインタラで武器の授受終了の後、ひとまず日本に帰って再来しようという覚悟で、パインタラに向かったのであった。

途中、パインタラ官兵の将校が、あなたは日本人であるから逃げなさい、と諭したが、他の日本人を置いていくわけにはいかないと、パインタラにそのまま進んで行った。

城門を入って旅団の兵営内に入って挨拶をなすと、盧占魁が来るまで休息するように、と言われた。日出雄も井上も夜中行軍のために疲れていたので、前後も知らずに寝についた。

三四時間も眠ったころ、兵士たちに揺り起こされると、後ろ手に縛り上げられてしまった。やがて盧占魁が到着すると、日出雄らの縛めを解くことになり、また親切に饗応し始めた。

盧占魁はついに武装解除に至ったことを告げ、ただ自分の部下もパインタラには多くいるために、身の安全は心配しないように、と言った。やがて、数千の兵士が盧占魁の残部隊を引き連れて市内に戻ってきた。

真澄別らも一緒にやってきて、鴻賓旅館で合流することになった。その日は一同、官兵たちに饗応を受けたが、日出雄はその日に限って気分が進まず、食事には箸をつけなかった。

その夜、盧占魁が二人の副官とともにやってきて、なんだか雲行きが怪しいようなので、これから熱河、綏遠、チャハルの特別区域に逃れて再起を図るつもりだ、と告げた。そして日本への旅費として一百円を差し出したが、日出雄は固く辞して受け取らなかった。

官兵たちは盧占魁の兵士たちを歓待しておいて安心させ、真夜中に寝ているところを一人ひとり営門外へ引き出し、機関銃で銃殺を始めたのである。

日本人一同も、鴻賓旅館で寝ているところを夜半一時ごろに揺り動かされ、捕縛されてしまった。そして、旅館の庭前に立たされた。井上は支那語がわかるので、「先生、兵士どもが我々を銃殺する、と言っております」と通訳した。

一同は覚悟を決めた。そして、パインタラを引き回されて、刑場に送られていった。白凌閣ら蒙古人、支那人は別に銃殺場へと連れて行かれた。

日出雄、真澄別、萩原、井上、坂本、守高らは並べられて、機関銃の弾が飛んでくるという矢先、射手は銃の反動を受けて倒れたため、数分を要した。真澄別は救世主である日出雄がここで命を落とすことなど決してありえない、と強く主張した。

日出雄は霊魂が中有に迷わないようにと真澄別を諭し、一同の霊魂を救うよう、それのみに心を集中していた。そして辞世の歌を詠んで弾丸が飛来するのを待っていた。

しかしそうするうちに銃殺は中止になり、またもや兵士が一行を引き立てて監獄へ連れて行った。堅固な手かせ足かせをはめ、麻縄にて縛り、厳重な死刑囚の取り扱いをなした。
主な人物【セ】源日出雄、盧占魁→王祥義、通遼旅団の参謀長、参謀官、支那の少佐、井上兼吉、坂本、真澄別【場】孟秘書長、何全孝、守高、萩原【名】張貴林 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版307頁 八幡書店版第14輯 660頁 修補版 校定版310頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  是より先き日出雄は井上兼吉を従者とし、盧占魁、外十数名を伴ひ、二十名の支那官兵に前後を守られ乍ら、五十支里を隔つる白音太拉に向つたが、彼は七月二十日の大本裁判に出頭する為に、白音太拉に於て武器の授受終了の上、一先づ日本へ帰国し再び出国する覚悟で、勇み進んで白音太拉に向つたのである。
 三十支里許り来た所に通遼県の兵営分隊駐屯所があつた(通遼は白音太拉の支那名である)支那の将校と共に此兵営に暫し休息し、盧は兵営長と少時談合の上再び東に向つて進んだ。殆んど夜の明けむとする頃、前方より数百の騎兵隊が進み来り、盧占魁と再び何事か交渉の上、もとの軍営に引帰し行く。此時盧は井上に向つて、
『大先生を宜しく頼む』
 と幾度も繰返し繰返し言残して行く。日出雄は井上と共に馬を下り傍の青草を喰ませてゐたが、一時間許りすると通遼旅団の参謀長が十数名の騎兵を引連れ来り、日出雄に向つて日本語にて、
『貴方は日本人、一時も早くお逃げなさい お逃げなさい』
と手を振つて南の方を指して教ふる。日出雄は、
『真澄別其他の日本人を後に残して遁走するは日本男子の恥辱だ、兎も角どうなるも神様の御経綸だ、寧ろ自分の方より兵営に飛込んで武器受取の談判をやらう、その間に盧が出て来るだらうし又後に残つた日本人の消息も分るだらう』
と又もや駒に鞭ち、白音太拉に向け駆け出した。後より孟秘書長は一人の従者と追かけ来り、一行四騎は轡を並べて堂々と通遼県の西門に進んだ。
 城門の前迄進んで行くと、太陽は草の中から赤い顔をして昇りかけた。門の両方には厳めしく武装した兵士が数名立番をして居て、一人につき五十銭宛の通行税を徴収した。日出雄と井上は旅団の所在地を尋ねると、衛兵四名が前後となつて兵営へ案内した。
 日出雄は営内に入り、高等武官らしきものに井上の通訳を介して挨拶をなし、且つ
『盧占魁の来るまで当営に休息したし』
 と申込んだ。将校はいと慇懃に美しい座敷を与へ、茶菓子を出して饗応し、柔かい毛布を敷いて、
『先づお休みなさい』
 と勧めた。日出雄も井上も夜中強行軍の為身体が疲れてゐるので、其好意を感謝し乍ら、前後も知らず寝に就いた。殆ど三四時間も眠つたと思ふ頃、参謀官は四五名の兵士と共に銃口を向け乍ら、井上兼吉を揺り動かし懐中の十連発のモーゼルや六連発のピストルを捲き上げ、且つ所持品を調べた上、後手に麻縄を以て縛り上げ、次に日出雄を揺り起した。日出雄は安らかな夢を結んでゐた所を起されて、目を擦り乍ら四辺を見れば、井上が已に縛されてゐた。参謀官は金盥に湯を汲みタオルを浸し
『先づ之にて顔を洗ひなさい』
 と日本語にて親切に云ふ。日出雄は、
『ハイ有難う』
 と其湯に浸したる手拭にて顔を拭ふた。兵士は代る代る湯に浸しては絞り日出雄に渡し、首筋や手を洗つて呉れた。さうして日出雄の所持品を調べ
『天国』
 の銘刀や如意の宝玉並びに白金の時計、所持金八百七十円を目の前で調べて、
『盧占魁が来る迄お預りします』
 と云つて持つて行つた。次の室を見ると、孟秘書長及び一人の支那兵が井上同様に縛られてゐる。日出雄は意外の出来事に訝かり乍ら参謀に向つて、
『何故井上を縛りましたか』
と尋ねた所
『井上は武器を携帯してゐたから馬賊と認めて縛つたのだ。彼等二名の支那人も馬賊だから縛しめたのだ。そして盧占魁が来る迄貴方もホンの形式乍ら縛ります』
 と云ふので、日出雄は
『御自由になさい』
 と手を後へ廻した。参謀は形式的に極ゆるやかに手を縛り、日人二名支那人二名と共に兵営に坐らせ置き、いろいろと日出雄に向つて日本語にて話を交換した。さうして
『貴方は武器を携帯せず且つ宗教家であるから、貴方は直ぐに放免されませう』
 と云つて慰めた。ここで日出雄は愛馬に涙と共に別れた。愛馬も亦日出雄の心中を解するものの如く落涙したと云ふ事である。
 其日の午後四時頃、盧占魁は二十数名の幹部連と共に支那軍隊に送られて、日出雄の繋がれて居る旅団司令部に到着した。そして盧占魁と参謀長と交渉の結果、日出雄外三人の縛を解き茶菓等を運び、又もや親切に饗応し始めた。参謀長は、
『今晩は是非貴方方の歓迎の宴を催し度いから、兵営に泊つて下さい』
 と勧める。そこへ盧占魁、何全孝がやつて来て、日出雄を旅団長室へ誘つて行き筆談を以て、
『愈々武装解除の止むなきに立到りました。乍然、ここの旅長も自分の義兄弟でもあり、又自分の部下もここに沢山ありますから大丈夫です。安心して下さい。万一非常な事が起つても私等は生命に別条はない、さうして日本人は猶更安心して宜しい。私は王祥義と変名し盧占魁と云ふ名は今日限り葬つて了ひます。もし私が殺されるやうな事があつたら、此際貴方の生命もないでせう。兎も角明日は私と奉天に参りませう』
 と云つた。日出雄は
『フンフンフンフン』
 と首を竪に二つ三つ振り乍ら、再び参謀長の室に這入つて
『今晩はあまり疲れたから何処か好い日本のホテルに案内して欲しい、そして久振りに日本料理を食べたいから』
 と云つた。さうすると参謀は答へて言ふには
『一昨年頃迄は日本人の旅館がありましたが、今はもうありませぬ。鴻賓館と云ふ支那の一等旅館がありますから、それに案内させませう』
 と日本語の解る若い兵士を案内役として馬車を命じ、日出雄、井上を鴻賓旅館に送り届けた。白音太拉の街は人山を築いて日出雄の通行を物珍らしげに眺めてゐる。そこへ数千の兵士が盧占魁の残部隊を引連れて、ラツパの声も勇ましく帰つて来た。真澄別、守高、坂本の三人は日出雄の荷物を積んだ轎車に乗り、萩原は騎馬にて帰つて来るのに途中で出会した。日出雄は車上より声をかけ
『今晩は鴻賓旅館に泊るから白凌閣と共にホテルに来てくれ』
 と呼はりつつ、日の暮るる頃旅館につき一室に入つて休息してゐた。
 一時間許り経つと真澄別一行四人と蒙古人一名、支那人一名と共に旅館に着いた。此蒙古人は張貴林の片腕の副団長であつた。彼は銃弾を胸に受けて居たが、平気な顔で坐つてゐた。支那の将校で少佐の肩章をつけた軍人が、非常な愛嬌を振りまいて日出雄一行を歓待した。膏の多い支那の料理に何れも舌鼓を打つた。然るに日出雄は其日に限りて気分が進まず、食事は箸もつけなかつた。今や寝に就かむとする時、盧占魁は二人の副官と共に日出雄を訪ねて来て筆談を始め
『今晩は何だか怪しいやうだ、乍然自分は先刻申上げた通り大丈夫だと思ふ。之から熱、察、綏の特別区域に部下と共に身を以て逃れ再挙を図る考です。之は日本への旅費の足しに……』
 と云つて一百円を差出したが、日出雄は固く辞して受取らなかつた。そして盧占魁は日出雄と握手を交換し涙を払つて別れて行く。其夜旅団の兵営では数十人の妓チヤンを呼んで芝居をしたり、いろいろの面白い事をして盧以下を歓待し、阿片をふるまひ、沢山の馳走を饗応したのであつた。大勢の将卒は
『一先づ安心』
 と酒を飲み、馳走を喰ひ、妓チヤンの芝居を見て、十二分の歓を尽し寝についた。
 其真夜中頃下着一枚になつて寝てゐる所を、一人々々営門外へ引出し、機関銃を以て、小口から射殺を始めたのである。
 支那の少佐は
『今晩はお湯に御案内が致し度いのですが、あまり遅くて汚れてゐますから、明朝新しい綺麗な湯に案内しませう。散髪は如何ですか、大分に髪が延びてゐますが、理髪師を呼びませうか』
 と親切に云ふ、そこで萩原、井上の二人は理髪師を呼んで貰ひ散髪した、日出雄其他は
『明日にする』
 と云つて眠つて了つた。表門には官兵数名、巡警数名が固く警護してゐた。此少佐は蜜峰の如うな男で口に甘き汁を含み、尻に鋭き剣を隠してゐた。夜半一時頃になると、ドヤドヤと室内に沢山な足音がしたと思ふと矢庭に兵士が室内に闖入し、先づ第一に萩原を揺り動かし、五六の兵士がピストルを向けて
『神妙に縄にかかれ』
 と云ふ。次に守高、井上、坂本、真澄別、日出雄と云ふ順に、ガタガタ慄へながら漸く日本人六名、支蒙人二名を捕縛して了つた。よくよく見れば此宿に一行が泊つた時、親切さうにお世辞を振り廻はしてゐた少佐が指揮をやつて居た。日出雄は少佐に向つて
『何故こんな事をするか』
 と詰問すれば
『俺は何も知らぬ知らぬ』
 と首を左右に振るばかりだ。そして十数名の銃を擬した兵が身構へをして居る。そして最後に此旅館の庭前に引出され一列に立たされた。日出雄と真澄別、井上と萩原、守高と坂本と云ふ組合せに、二人づつ綱にかけ、一行の携帯品は残らず、少佐始め部下の兵士が先を争ふて分捕し、只ラマ服のみを轎車に乗せ、何処かへ持つて行つた。此騒ぎの中に、支那語に通じた井上は支那兵の囁きや罵り声を聞き、日出雄に向ひ、
『先生、只今支那兵が吾々一同を銃殺すると云つて居りますぞ、もう仕方がありませぬな』
 と泰然自若として叫んだ。此声に応じて日出雄は
『ウン、さうだらう。支那の奴は御馳走政策で卑怯にも騙討をせうとするのだらう、それでは私は愈々キリストとなつて昇天すべき時期が来たのだらう。君達も盧の部下も皆天国に連れて行くから、君達は霊が離れないやうにするが良い』
 と二三回繰返へし、且つ死後の世界の壮厳なる事を説いた。井上、坂本は之に答へて
『どうか、宜しくお願ひ致します。仮令地獄の底へでもお伴を致します』
 と答へた。他の四名は平然として沈黙してゐた。此時日出雄は
『惟神霊幸倍坐世』
 と三唱し、真澄別は天の数歌を大きな声で唱へ出した。支那兵はビツクリして
『八釜しく云ふな』
 と叱りつけたので、両人は更に中声になつて、
『ワイワイ』
 と騒いでゐる沢山の兵の中を、宣伝歌を歌ひ乍ら、白音太拉の長い町を引廻され再び兵営の門内に送られた。其中支蒙人二名は日出雄一行と離され、銃殺場へ送られる。日出雄一行六人は再び営所の門を出で、北へ北へと引かれて行くと、道の両端には盧の部下が大の字になつて血潮に染まつて倒れてゐるのが沢山にある。そして大車を持つて来て兵士が運んでゐる。日出雄は一々其大車の死骸を電燈の光に査べ乍ら進んで行くと、やがて一列に並べられた。
 真澄別、日出雄、萩原、井上、坂本、守高と順に並べられ、今や機関銃の弾丸が此等日本人の胸先に飛んで来ると思ふ矢先、射手は銃の反動を受けて後方に倒れた為数分を要した。日出雄は日本人一同に向つて云ふ
『最早かくなる上は昇天の時が来たのだ、自分は之から天国へ上り霊国天人となつて日本は云ふに及ばず、世界の守護をする考へだ。君達も俺について来い、そして男らしう討たれて死なうぢやないか。日本男子の名を汚すやうな、卑怯な真似はしともないからのう』
 と諭すやうに云つた。坂本は涙声を出して
『どうか、よろしくお見捨てなきやう』
 と云つた。真澄別は日出雄の言葉を遮つて云ふ
『先生、決して貴方は生命を取られる気遣はありませぬよ。貴方は今天国へ行くと云はれましたが、今度の世の立替は肉体がなくては出来ないのです。若し貴方がここで生命を取られるやうな事があれば、神様が人間を騙したことになります。私は屹度お助かりになると思ひますから……』
 と確信あるものの如く主張する。
『それでも真澄別さん、何程神の道に仕へてゐると云つても、日出雄の体は肉体だ。鉄砲が中れば死ぬのが当然だ。あんたも死なないと思つて安心して居る途端に一発食つたならば、あなたの霊魂は予想に反して中有に迷ふだらう。それだから死ぬものと覚悟して居ればよいぢやないか』
 と諭す。真澄別は頑として其説をまげず、
『イエイエどうあつても先生は死んで貰ふ事は出来ませぬ。もし貴方が生命が無くなる事があれば、神様は私を身代りに立てられるでせう。私は初めから貴方の身代りと云ふ名義で来て居りますから、そんな心配は要りませぬ』
 と云ふ。日出雄は
『何も心配はして居ないよ。何事も惟神と諦めてゐるのだ。畳の上でも死ぬ時は死ぬのだ。日本男子が蒙古の野辺に骸を曝すのも愉快だ。然し死後の生活が肝腎だから……』
 と一同の霊魂を救ふべく、それのみに心を集注してゐた。それから日出雄は

 よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ

 と辞世を詠み、銃弾の我胸に飛来するを待つた。それから井上兼吉は
『早く討たぬか、俺の胸を討て、下手な打ちやうをすると弾丸が余計いつて損がいくぞ、見事一発で俺を打殺せ』
 等と怒鳴つてゐる。日出雄は又

 いざさらば天津御国にかけ上り日の本のみか世界を守らむ
 日の本を遠く離れて我は今蒙古の空に神となりなむ

 等と辞世を七回迄詠み、大日本帝国万歳、大本万歳を三唱した。真澄別は
『どうか止を得ざれば大先生と井上とを助けて下さい。井上は屹度先生を目的地へ連れて行く事が出来ませう。私が身代りになります』
 と祈願してゐた。さうかうするうち銃殺は止めになつて、又もや兵士が日出雄一行を引立てて通遼公署附属の監獄へ連れて行つた。一々堅固なる足枷をはめ、手には手枷をはめ、二人づつ繋いで尚其上に麻縄にて六人を一つに縛り、窓を通して外の材木に括りつけ、厳重な死刑囚の取扱ひをした。
(大正一四、八、筆録)
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