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文献名1大本七十年史 上巻
文献名2第1編 >第1章 >2 おいたちよみ(新仮名遣い)
文献名3奉公時代よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
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ページ36 目次メモ
OBC B195401c1121
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本文  なおが生まれると間もない一八三七(天保八)年に祖父の五郎三郎が七四才で没し、つづいて兄大吉が疱瘡にかかって七才で死亡した。こうして、なおの家族は、祖母たけ・父五郎三郎・母そよ・兄清兵衛・なお・妹りよとなった。
 桐村家は、そのころますます困窮におちいり、五郎三郎はあいかわらずわがままで、酒を好み、怒りっぽくて、妻子にたいして手荒いことをすることも多かった。なおが二才のとき、五郎三郎は自分の不気嫌から、なおを簀巻きにして、雪のある裏庭にほりだしたことがあった。また四才のなおに酒を買ってこいといいつけたが、なおが遊びにふけり忘れていたというので、布団に引くるみ押入れの中に入れた。外出していたそよが帰って、その仕打ちにおどろき、あわてて、なおを押入れから出したところ、こんどは、そよを裏庭でひどいめにあわしたという。この短気は酒をのんだとき、ことに手荒い行動になってあらわれた。またこういう話もあった。ある時、なおが父に命じられて酒を買いに行く途中、いつも兄清兵衛をいじめて泣かす近所のこどもにであったので、徳利でゴツンと、その子の頭をたたいて兄の仕返しをし、知らぬ顔をして家に帰ったことがあったという。
 なおが六才の年、いよいよ家計が苦しくなり、父は甘酒屋を開業した。三年もたたぬうちに「甘酒五郎三」といって町の人々に名を知られるようになった。一八四六(弘化三)年の秋、福知山では悪性の霍乱(コレラ?)が流行したが、五郎三郎もこれにかかって、一日一夜苦しみつづけたはてに亡くなった。ときに同年一〇月一五日(旧九月一五日)、五郎三郎は四一才で、甘酒屋をひらいてから五年めであった。ときに、なおは一〇才、兄清兵衛は一三才、妹りよは五才であった。
 このころ、清兵衛は油屋五郎助の店に奉公しており、母は甘酒屋のかたわら、内職に糸紡ぎをしていたが、父が死んだために生活はますます窮迫してきた。そのため、なおは一〇才で上柳町のかな屋新兵衛の宅へ奉公にでることになった。なおは骨身をおしまず、かげひなたなくよく働いて、主人にかわいがられ、夜業には糸紡ぎにいそしんだ。また、母が病身であることをたえず気にかけて、主人から物をもらうと、自分は食べずにもって帰り、お盆などに、主人からもらった本裁ちの単衣や浴衣など手に通さずに母にとどけ、母はそれを金にかえてくらしの足しにした。給金もそのまま母にとどけ、なおは母の喜ぶのを何よりも楽しみとした。
 母はあう人ごとに、「これも、なおのおかげや、これもそうじゃ」と娘の孝行をよろこんで人に話した。やがて、なおの孝行娘としての評判が高くなり、福知山藩から一二才のころ、三人孝女の一人として表彰されたという。
 なおの孝行のかげには、母としてのこまやかな愛と心づかいのあったことはいうまでもない。それとなくひとり言のように、母そよが、なおをいつくしむ言葉をもらしていたのを、幼ないなおは、いつまでも記憶していたという。
 一三才から一四才までは、川北の衣川家や衣類仕立を業とする港家重助の家につとめ、つぎに一軒おいた隣りの泉屋清兵衛の宅で手伝いをした。泉屋は福知山でもっとも大きい饅頭屋で、昼は饅頭、夜分は、ぜんざい餅となんば餅とを売り、よくはやった。深夜の一二時ごろまでどんな遠いところへでも、なおは注文をとどけにいった。そこでは、毎日、二升の小豆を近くの川岸に出て洗うのが楽しみであったという。この家でも、主人の信用を得て、金庫や貴重品のおいてある部屋に寝泊りしていた。またこの時の経験が、のちに饅頭や餅をつくって糊口をしのぐことに役立った。
 さらに一五才から一六才のころまでは、米久呉服店に奉公した。米久呉服店は店員や女中などを一〇数人もおいていたかなり大きな店で、主人は中井久兵衛といった。そして、彼は町役人をつとめていた有力な商人でもあった。その主人にも、なおの気質やつとめぶりが気に入り、いつもほめられていたという。一六才の九月には自宅に帰り、母を助けて朝早くから夜おそくまで働き通した。夏は糸引きをして、その賃金も、奉公の時の給金と同じように母に渡していた。こうして、なおは寺子屋に通うこともなく、ついに読み書きを習得することもできずに成長してゆく。

〔図表〕
○開祖の生家・桐村家系図 p36
〔写真〕
○もと泉屋清兵衛宅 p38
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