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文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第5篇 皇道と国体よみ(新仮名遣い)
文献名3第4章 神国の研究よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-05-31 16:35:19
ページ279 目次メモ
OBC B121801c37
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本文の文字数9030
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本文  大本開祖の神書に曰く、
『日本は神の国神の道にさへ叶へば教なぞは要らぬ国云々………。』
実に至言と謂ふべし。
 国家を経綸するには、天地自然に定まりたる天賦の法則あることは、皇祖皇宗の御遺訓の明かに是を示し玉ふ所なり。
 天地自然、一定不変の法則を知らざる人為的経綸に由りて、司配せられたる過去三千年間、世界は常に治乱興廃を繰返し、世界人類は人生天賦の根本義を知らず、故に強食弱肉の悲惨を極め、生存競争の渦中に浮沈し、酔生夢死顕幽に出没しつつあるなり。
 茲に万世一系の御血統を保全し玉ふ、天津日嗣天皇の座在す大日本神国は、天地間一切を統括する要素を具備して、天地の開闢より天賦の徳を保有せり。世界の物事動植一切の天賦の活用を司るべき人類を統治する天職を保たせ玉ふ天津日嗣の天皇は、天地自然の経綸を実行すべき時機に至る秋を待たせ玉ふ。

   時機の到来

 鴻業を大成し玉ひたる皇神
明治天皇陛下は、時機到来の機運を知ろしめし、明治の初に当りて「天運循環百度維新」と詔玉ひしは、実に尊き惶きの極みと云ふべし。
 過去幾千年間天職を遂行し玉はんが為め、治乱荒廃の渦中に没して共に辛酸を凌ぎ玉ひ、明治の聖代に至りて、世界の交通全く整備し、世界の文物自然に集中し、金枝玉葉は益々栄へ玉ひ、中世以来殆んど忘れられたる祖先崇拝、神社崇拝の風、自然に唱導せられるるに至りしこと、大日本神国の曙光と謂はざるべからず。
 明治天皇陛下は夙に国家経綸の要旨を示して、其赴くべき道を明訓し玉ひぬ。
  神津代の事を詳に誌したる書をしるべに世を治めまし。
  神代よりうけし宝を守りにて治め来にけり日の本の国。
 苟くも生を神国に稟けたる者は、此の神意の在る所を奉体し、大に努力して国体の精華を発揮する事を、寸時も忘却すべからざるなり。

   研究の目的

 和魂漢才、和魂洋才の時代は既に過ぎ去れリ。神国研究は宜しく和魂漢済、和魂洋済を旨として研究すべきなり。
 時代の要求せる国際的生存競争、世界的生活難、人世的宗教教育の根本的解決は、実に神国研究の大目的にして、是れ正に皇道大本の天賦に属する者なりとす。研究の活路は大道坦々たる皇祖皇宗の御遺訓、並に皇道大本開祖の神書あり、大本言霊学あり、本田先師の発見せられたる霊学あり。是れ最も便とすべきものなり。
 即ち天武天皇が『邦家乃経緯、王化乃鴻基焉、故惟撰録帝紀、討覈旧辞削偽定実欲流後業。』との詔旨によりて、太安麻呂朝臣が撰録せし古事記を研究し、開祖の神書を研究するは、唯一無二の大道路なり。
 古今数多の国学者の古事記を解説せる著者ありと雖も、真正なる神国の光輝を、典型的完全に鮮明ならしめたものあるなし。
 其原因は天運の然らしむる所、各々其時代に応じたる産物なる事と、尚ほ一つは研究の根本を誤りつつありしに職因せずんはあらず。

   研究の方法

 古事記を撰録せる大朝臣安麻呂氏が、其の序文に宣明せるが如く、
 謹随詔旨子細採庶然上古之時。言意並朴敷文構句於字即難。已因訓述者。詞心不逮。
即ち文字の意味や、文章的の解釈にては、誤解に陥らんことを注意せられたる也 故に神典古事記皇道大本を解釈せんとするには、必ず神代の言意を明かに説明し得る資格を具有せざるべからず。
 即ち是を解説するには、言霊学を応用するより外に道あるなし。
 抑も言霊学は中村孝道氏の発見にかかり、爾来百有余年間、幾多犠牲者の貢献に依りて、漸く完成の域に達したるなり。
 言霊学は実に学界の宝鍵にして、古事記の一字一句一音を悉く解説することを企て、大成したる古事記皇道大本は、実に天下の珍宝、皇祖皇宗の御遺訓の資格を備へたる、金甌無欠の皇室の尊厳を顕彰し得るなり。
 由来万世一系の皇統を保ち、大日本神国に在坐す天皇が、天下を治むる皇基の経綸を保ち玉ひて、其天賦を実行するの時運を待ち玉ふ所以なり。
 大日本神国に皇基を振起する本能の存在せる事を知りたる日本人は、実に暁天の星の如し。惰眠を覚せ、既往千有余年間我日本国は神業の発作に由りて、皇威の光輝を消没し、神明の洪慈大徳を忘れて、長夜無幻の状態なりき。
 此の長期間に於て世界の人智は自然に発達し、人文学芸世界的の文物は、明治の聖代に至りて悉く我が神国の東天に出現するに及びては、多種異様なる色彩的天職の本能は、明かに識別し得るに至るべし
 大本開祖の神書に曰く、
  いままではなにもかも、まぜこぜの世、くらがりの世であつたぞよ。むかしのもとの生神があらわれて、世界一切の事を説ききかすから、あけのからすとなつてきて、そこらぢうがまばゆきほどてりかがやくぞよ。これも時節であるぞよ。時節ほどこわいものはないぞよ。云々
 東天の陽光は天津日嗣の経綸、皇祖御遺訓の発揚即ち是也。この皇基を照して幾千年間馴化せる鵺的経綸を淘汰革正し、天津日嗣の正しき経綸は大日本神国に整然として確立せらるるに至る。是れ大日本修斎の神業成就せるものと云ふべし。
 而して古今我国に学芸を輸入せし東西洋の国々に向ひ、翻つて彼等の天賦の本能を発揮すべき国家経綸の要道を教へ導き、永遠不易の平和を保たしめ、人世の根本義を明示して、真正なる教育の淵源を教導し、併せて人心害毒の本源となる空想的各種宗教の迷夢を醒まさしめ、安心立命の要道を世界に宣布すべき大事業は、日本神国たる大和民族の天命たる事を忘るべからず。惰眠より未だ醒めざる日本人は、斯の言を以て或は空想なりと謂はん。
 されど、吾人は苟くも大神の神示を奉じて皇道を主張し奉るものなれば、苟説に一言半句も空論虚言を用ふるを許されず。これ皆畏くも皇祖の御遺訓(古事記)皇道大本神書に明示し玉へる実正を絶叫する而巳。
 大本神書に曰く、
  むかしの神代がめぐり来て、もとの昔にかへすぞよ。今まではからと日本がたてわかれてあつたが、からてんじくも一つにいたしておさめるぞよ。日本は神国外国の自由にはさせられぬ国云々
と天運循環王政復古の神則を明示せられたり。
 抑も大日本神国は天運循環の神則に法り、自然に経綸の進運を開展すべき機運に向ひつつあるを自覚するものなり。即ち近く歴史を繙くに、元治慶応の元号時代に於て王政復古の大業を起し、明治元号の時代に於て地上の文化悉く招致せられたり。
 この鴻業を大成せられたる明治天皇陛下は、来るべき国際的人生大問題の到来すべき事を覚知し玉ひ、世界を救済すべき天津日嗣の皇基を発揮せる神政復古の曙光を示し玉へり。
 御製に
  あし原の水火の国のよろづよも みだれぬ道は神ぞひらきし
 聖旨は明白に神国研究に存することを示し玉ひ、大日本神国の採るべき道と、将来の進路を教へ玉ひて、遂に神去りましぬ。誠に尊く畏こき極みならずや。然るに時運は益々進展して、世界の大動乱起れり。要するに是又神業の発作にして、慥に神国研究の着手を促し玉ふものと謂ふべし。
は大日本国の古神道たる皇道大本は、天津日継天皇の統べ給ふ、治国平天下の大道、安心立命の根元なり。然るに斯道久しく煙滅して其跡を没せリ。これ蓋し皇祖皇宗の遠大至深なる御神慮に出で、和光同塵以て世界万邦の文化をして自由に発達せしめ給ひしに外ならず。
 爾来世界の文化は一盛一衰し埃太希臘罵馬を経て、現代西欧諸国の文明を形成し、印度に起りし者は東漸して支那に入り、朝鮮を経て日本に移り、支那の文化亦た甚だ盛なりしも、悉く日本に入り来り、天運循環して東西の文明は元治、慶応明治年間に欧米文明の輸入を終へて、今や悉く我国に来集し、神政復古の現実を茲に見るべきの時期に到来せしこと、神典研鑽上些疑義なき事となれり。

   皇国の明鏡

 皇国に明鏡あり。之を八咫鏡と名づけ奉る。天下至宝の神鏡なり。この宝器の伝はりますこと万有万姓の至幸にして、遠津祖神の御仁慈なり。この宝器は皇国に伝はりてこそ、無始無終に通じて血脈承継の由来を知る事を得、本来の真面目を知悉する事を得るなり。
 宝器の前に一毫の虚偽あるなく、微毫の陰匿あるべからず。宝鏡の権威に、何者か畏怖し、何物か戦慓せざるものやある。霊威照々として光明無碍なり。古今の学者輩この宝器の威徳を拝せず、この宝鏡の偉力を夢にだも知らざるなり。八咫鏡の宝鏡を知るものは誰ぞ、徒然草諸抄大成、御鈴の章の頭書に曰く、
  八咫鏡は神書なり。神代の事懇にして、鏡にむかふて物を見る如くに明なれば、鏡と云ふなり。又八咫と云ふは、八方の事明に知る故に八咫と云ふ。已上秘説なり。
 吾人の知れる書籍の内にて、斯の如く明瞭に八咫の鏡の秘奥を探り得たる書に接したる事なし。秘説とは何者の秘説にや。兎まれ角まれこの秘説、実に八咫の鏡の御霊徳を漏したり。八咫鏡は神書なり。之を一名言霊とも名づけ奉るべし。

   真正の皇道大本

 真正の皇道大本とは八宝鏡の御学問なり。八咫とは八方の事明かに知る故に八咫と云ふなり。学者多く日本の古典学を指して国学と謂ひ、又本教と称すといへども、本教とは然る狭隘なるものにあらず。本教は万有の真性真体真作真相を知悉するの真教にして、世界一切学問の叢源、万教統理の主学なり。
 故に之れを皇道大本とも謂ふべく、根本学とも謂ふべく、学王学とも謂ふべし、万国の言辞多しと雖も、万邦の言語は皆悉く本教の根元たる神典に出でざる無く、言霊の作用に出でざるはなし。言辞は万学の根基なり。万学の根基を総攬するもの、之れ即ち日本の明鏡八咫の鏡にして、万有発生の根元は、一に言霊の威徳に出づ、言霊の威徳は天地に根ざせる神業の発動なり。神は言霊に生き、言霊は神を離れて存在せず、言霊即ち神にして、神は即ち言霊なり。言霊即ち八咫の鏡なるが故に、八咫の鏡は即ち神に在しませり。
 天照大御神の鏡を執り給ひて
  此之鏡者、専為吾御魂而、如拝吾前伊都岐奉
と宣り給ひたり(八咫鏡―即ち天照大御神―即ち 皇祖皇宗の御遺訓)。宣なる哉、内待所に御鈴を懸けさせ給ひて、之を鳴らし給ふ神秘は、七十五声発音の本源を示させ給ふ大秘事なり。本居翁の居室に三十六個の鈴を懸けて、之を揺りて楽しみしも、実に古学復古の偉人に神慮の恵み伝はりけるなり、奥床しさの限りならずや。真正本教の根元は実に茲にあり。新約全書約翰伝首章は伝えて
  太初に道あり、コトバは神と偕にあり、コトバは即ち神なり、このコトバは太初に神と偕にありき 万物これに由て造らる、造られたる者に一として之に由らざるは無し。
と謂へり。実にコトバは神なり。コトバはかがみなり。八咫鏡はコトバの大本源なり。万有何物か之に由て解けざらん。真正の本教は先づ其の出発点を茲に発せざるべからず。

   斯道の範囲

 前述の義を解する者は、大本の範囲の洪大無辺なるを了知すべし。科学、宗教、倫理道徳、芸術に論無く、大凡一切万事の学は皇道即ち皇道大本にあるべきなり。本教の範囲以外に何等の教理学問あるなく、一切の研究は悉く皆皇道大本に帰着す。故に天照大神は曰く
  此葦原中国者、我御子之所知国、言依所賜之国也。
と故に皇国は世界を統一する国の徳と、教の徳と、人の徳を保つ所以にして、以て御神慮の程を遙察し奉る事を得べき也。本教の範囲はやがて皇国の範囲なり。皇国の範囲は本教と其の範囲を斎しくせり。されど吾人の言を以て、直に、皇国は世界各国を侵略奪取すべしと為す者と誤解する事勿れ。奪取は皇国の真正の意義を解せざる者の口より出づ。皇国は常に奪取せず、日本皇国は日本の日本にあらずして世界の日本なり。又日本の世界たればなり。

   宝剣と宝鏡

 現今の教育は真個の文明、平和………天国本来の大思想を根底とせず、目前の利害を標準と為す所の教育なるが故に、世界人類の安寧幸福に利害ある事頗る尠なく、本来の人生に資する所ただ乏し。故に曰く『現今の教育は盲唖の教育のみ』と、現今の宗教の成仏を説き、個人の永生を説きて足れりと為せども、元と成仏は万有に関聯して之を分離する事を得ず。
 天国浄土を遠所に求めて現在現土を疎に為すの結果は、国家の血脈に切断を来し、宗教即ち亡国の因を為す。宗教にして政治を忘れ、宗教にして地上の各国土に天賦の使命あることを知らざる者は、迷妄の教義のみ。故に曰く現今の宗教は亡国の因のみと、現今の政治は神勅を知らずして、国体と政体とは等しからずと説く。斯の如くんば何時の日ぞ治国平天下の実や学らん。故に曰く現今の政治は天魔の所為なりと。
 現今の実業は実業の根底を忘れて、私利私慾の奴僕たり。万有万性の天賦の行動を忘却して、国土の人生本来の使命を軽んず。故に曰く実業は国賊の所為のみと。観来れば最後の福音を伝へて世を廊清すべきの要は、吾人の膓を抉りて痛恨限りなし。噫々降れよ宝剣の威徳。吁々照らせや宝鏡の光。

   宝玉

 皇国の神宝として、鏡剣の外に八坂瓊曲玉ある事を知らざるべからず。明鏡の御稜徳も玉璽玉体を通し奉りてこそ其御神威も添ひ奉るべく、神剣の威厳も玉体を通し奉りて其の神威も実に添ひ奉るにてあるなれ。
 蓋し八坂瓊曲玉は万有を唯一体に蔵め賜ひ、天運循環の根本主脳にましまし、玉体の中自から明晃の鏡の大能はあるなり。統治の主体は玉にして鏡剣は其用なり。天運循環の毫も支障の生せざるは、これ明鏡の最も明に照します時にして、玉体至静の御時也。之に反し循環に支障有る時は、之を修斎するの要あり。
 之れ当に神剣を要すべき時にして、玉体不安の時なり。故に剣は之を徒に用ふべきに非ず、剣を用るは変事にあり。修斎の時にあり。今や神国に封建の思想跋扈して不祥の事あり、神剣を云々するは止を得ざるに出づ。国民豈畏れざる可んや。忠勇の士猛然として立たざる可んや。

   大権の授付

 天孫の宏業は、神倭盤余彦之尊に到りて完成の域に達したり。神倭盤余彦之尊の名義は、日本の国の玉帝として、万世不窮に幾千万劫の大御代を継承して統治し賜ふと言ふの義なり。後世玉帝に神武天皇の漢名を奉りて、御一代の如くに思ひ誤りたるは、古義に違へる也。
 万世一系の皇統、地球の中心地に基礎を鎮め給ひて、天攘無窮に御代治しめし給ふぞ尊ときの極なり。
 神界の、茲に、宇内の統治の神権を授け給ひしこと、三度在しき。即ち第一次には、天神諸の詔命以ちて伊邪那岐、伊邪那美の二尊に国土修理固成の神権を授付し給ひ、賜ふに天の沼矛を以てし、第二次には伊邪那岐尊が御頸珠の玉の緒母由良に取り由良迦志而、天照大御神に高天原統御の神権を授付し給ひ、賜ふに、御頸珠、名は御食棚之神を以てし、第三次には、天祖が蘆原の中津国を皇孫瓊々岐尊に授け賜ひ、統治の神権を付属し給ひ、賜ふに八咫鏡を以てし『此の鏡は専ら我御魂として吾前を拝くが如伊都岐奉れ』と詔り給ふ。
 この三次の御授付は、宇内一君の御系統を立証し、万世不磨の大権所有の大玉帝を立証したる御神業なり。吁尊き哉。吁畏き哉。
 神権授付の御時には、常に賜物ありき、天の沼矛、御倉棚之神、八咫鏡(鏡に添ふるに宝剣と宝玉とを以てし給へり)この三種の神宝は、宇内統治の大玉帝が、常に所持し給ひて、修理、固成、統治、経綸、顕正、尊祖の大義を実践し給ふ所の大神宝なり。
 特に第三次に於ては、宇内統理の主として最後に降し給ひし神君なるが故に、鏡に添ふるに宝剣と宝玉を以てし給へる也。大御神慮の程拝察し奉るだに畏こき極なり。三種の神器の伝はります所に、即ち統御の御君権は在します也。
 八坂瓊曲玉は皇国至尊の大御霊体を示し、草薙剣は大八洲国至尊の大御真道を示し、八咫鏡は皇国荘厳の大御霊境を示し給ふ。この三種神宝の照々たる上に皇道の大本は成位する也。

   講録の一巻

 日本は大国か小国か……小国
 日本は強国か弱国か……強国
 何故強国か……国体が尊いから強国

    国体の解釈(一)

  神の開いた国
  神の建てた国
  神の守る国
  神孫の住む国
  神道を行ふ国
 右  説  明
 諾冊の二神が国土を固め
 大巳貴少彦名の二神が天下を経営した。

    例証

◎古事記上巻に
   天神諸の命以て伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に是の漂へる国を修理固成せと詔りごちて、天沼矛を賜ひて言依さし玉ひき
◎日本書紀神代巻下に
   大巳貴命と少彦名命と力を戮せ心を一にして天の下を経営り、又云々今に至るまで恩頼を蒙りき
◎同上
   天照大神、天津彦火瓊瓊岐命に八坂の曲玉、及八咫の鏡、草薙剣、三種の神宝を賜ひ云々。皇孫尊に勅し玉はく、豊葦原の千五百秋の瑞穂国は吾子孫の王と坐す可き地なり。汝皇孫尊就て治すべし。さきくませ 宝祚の隆えまさんこと天壌と与に無窮る可し。  
◎古事記上巻に(天照大神神勅)
   豊葦原の千秋の長五百秋の瑞穂国は、吾御子の知らさん国と言依さし玉へる国なり。
◎神皇正統記に
   大日本は神国なり。天祖始めて基を開き、日の神永く統を伝へ玉ふ。我国のみ此事あり、異朝には其類なし、此家に神国と云ふなり。

    参考

 一、神武天皇に敵した賊軍が不思議に破れ
 一、祟神天皇に背いた敵軍が不思議に亡び
 一、神功皇后の征つ三韓が不思議に降参し
 一、我国に襲来した元冦の戦艦が不思議に沈没し
 一、我皇軍と戦った清露の兵が不思議に敗北した
 一、日韓併合も不思議に遂行されたり
◎異称日本伝に
   元の世祖、強胡の種を以て、三世の余烈を奪ひ、中国を併呑し、四海を嚢括し、勢に乗じて、我神国を取らんと欲す。然して唯此の一事に世を終るも能はず。徒に能はざるのみにあらず、拾万人を沈溺せしめ、盗賊相継ぎて起り、民生を聊ぜず。故に終に日本を撃たむことを罷む、是に於て天下後世我朝天嶮神威の犯すべからざるを知る。日本豈に盛ならざらんや。
◎源、平、藤原、橘を始めとして日本人種は皆神孫である。さうして唯の一度も外国に移らず。
   大体は地名を苗字にして秩序を成す。

    参考

◎大日本水土考に
   日本は国の要害外国に勝れたり。蓋し小国の大国に連るもの、必ず大国の為に併ぜらるる所となることあり。日本の地大国に近しと雖も、灘海を隔てて相遠きが如し。故に大国に屈せらるるの患ひなし。況んや其併せられんことおや云々。然れば則ち日本の風水要害の好しきこと万国に最上たり。浦安の大城に住み、千矛の武徳に備へ、而して永久天地と与に究りなし。此民は神明の孫裔、而して此道は神明の遺訓、清浄潔白を愛し質素朴実を楽しむもの、則ち仁勇道而して智自ら足れり。是れ此国自然の神徳なり。豈貴からずや。
 一、 天照大神は神器を授けて天孫に敬神の道を教へ、
 一、 高貴産霊尊は神籬を立てて臣下に敬神の道を伝へ給ふた。其後一系連綿として君臣父子の有ると同時に、克く報本反始の実が行はれる。

    例証

◎古事記上巻に(天照大神の神勅)
   此鏡は専ら吾御魂として我御前を拝くがごといつき奉れ
◎日本書紀神代巻下に
   高皇産霊尊勅し玉はく、吾は天津神籬を樹て天津磐境を起して、吾孫の為に斉ひまつらん、汝天兒屋根命、太玉命、天津神籬を持て葦原の中つ国に降りて亦吾孫の為に斉ひまつれ。
   以上の謂れがあり、実があるからして、日本は則ち神国である。日本が神国であるからして弱い国でなく強い国である。其強いのは神国でない国々に対して、比較的強いのである。

    国体の解釈

  世界中の国を大別すれば
  君主国と無君主国との二種
 君主国を大別すれば
  自立君主と撰立君主との二種
  東洋の各国は自立君主が多数、西洋の各国は撰立君主国が多数なり。故に現今の大勢が、東洋は人智一歩を進めて撰立を望み、西洋は人智一歩を進めて共和を望む。
 独り我日本帝国ばかりは撰立でないのみならず、自立でもない、天神の詔勅を遵奉して国土を固めた伊邪諾尊は、天照大神を天上の大主宰と立て、天照大神は天孫を降して天攘無窮の君主と定められた。故に世界無比の天立君主である。
 之を要するに、外国には各々革命が行はれても我国ばかりは革命がない。一壬申の乱でも、一保元の乱でも、是等はつまり皇族と皇族との争ひで、どちらが勝つも革命は出来ない。
 妖僧道鏡が神勅を矯めて天位を掠めんとしたが、彼は和気清麿卿の忠実と、宇佐八幡宮の神勅の為に破られた。

    例証

◎続日本紀に 宇佐八幡宮神勅
   我国家開闢以来君臣の分定まる、未だ臣を以て君と為せしことあらず、天津日嗣は必ず皇緒を立てよ、無道の人は早く掃ひ除くべし。
 又、平将門が武力を恃んで皇極を奪はんとしたが、彼は秀郷卿の武勇と、二荒山大神の神剣の為に滅された。

    例証

◎宇津宮奇瑞記に
 朱雀院の御宇、時に承平年中、平将門追討の時、当社に於て征伐の祈請あり云々。将門追討の後正一位勲一等の位記、一の鳥居の額等是なり。額文に曰く「正一位勲一等日光山大明神」
◎旧記に
 将門追討の時祈願あり。宝殿より神剣自ら出づ、秀郷其神剣を以て将門を斬る。
 其後、正一位勲一等の神階を贈られたり。右革命を計った為に流された道鏡の墓も、次の下野国にあり、革命の謀叛人を殺した功にて、別格官幣社に祭られた秀郷卿唐沢神社も亦此下野国にある。是は人の能く知る所、革命のある国は弱く、革命のない国は強い。革命のある国は凡て君主の因浅く、臣民は忠裂勇武の気象に乏しい。故に戦争は御役目主義か機械的の戦争にて、つまり軍人が命を惜むから弱い。革命のない国は君臣の因深く、臣民は忠烈勇武の気象に富み、軍人は死ぬといふ決心で戦ふから強い。
◎楠三代記に 楠公の金言
  生きんと欲すれば必ず破れ 死なんと欲すれば必ず勝つ
 外国の軍人は死を目的として戦場に臨む者はないと云ふ。我国の軍人は生て還ると云ふ心懸の者はない。

    参考

◎万葉集に
   海往かば水潜屍、山往かば草生す屍、大君の辺にこそ死なめ閑には死なじ顧みはせじ。
◎同上
   東人の立つる言だて
 額には矢は立つとも脊には瘡は負はじと云々。
 右の比較は要するに、革命のある国と革命のない国との利害、天佑保全の為に神を敬ふと云ひ、報本反始の為に神を奉ると云ひ、天壤無窮の宝作を尊ぶも、万世一系の天皇を戴くも、皆国体の然る所以である。
◎禁秘御抄に 順徳神皇
   凡禁中の作法は神事を先にし云々。
◎孝徳天皇記に 蘇我の倉山田麿先以て神祇を敬ひ而して後云々
◎職原抄に 北畠親房
 神祇官当官を以て諸官の上に置く云々。
(大正七、五、一 綾部新聞青龍号)
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