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文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第5篇 宗教と政治よみ(新仮名遣い)
文献名3第1章 神政復古の本義よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/04校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-10-04 05:22:19
ページ377 目次メモ
OBC B121802c160
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本文の文字数6580
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本文  明治天皇が王政復古と同時に神政復古の御聖慮に坐ませし事は、明治三年正月祭政一致の制を明にし大教宣布の詔を下し給うたのを拝承すれば、頗る明瞭なる事実であります。
即ち詔に曰く
朕恭シク惟ミルニ、天神天祖極ヲ立テ統ヲ垂レ、列皇相承ケ之ヲ継キ之ヲ述ヘ、祭政一致、億兆心ヲ同フシ、地教上ニ明ニ、風俗下ニ美ハシ、而シテ中世以降、時ニ汚隆有リ、道ニ顕晦有リ、今也天運循環、百度維新、宜シク治教ヲ明ニシ以テ惟神ノ大道ヲ宣揚スベキ也、因テ新ニ宣教使ニ命シ以テ天下ニ布教ス、汝群臣衆庶、其レ此旨ヲ体セヨ
 神政復古の聖旨は斯く明に御宣布になりましたけれども、宣教使に任ぜられし人々に日本皇国本来の惟神の道が理解されず、従つて神政復古の聖旨に対へ奉る事が出来ずして、明治五年三月には已に神祇省が廃され教部省が建ち、仏教の合併院たる大教院の設立を見るに至りました。明治八年四月に大教院を廃したと同時に、全く祭政一致の聖旨が消え去つたやうな有様に立至つたのは、何とも申上げやうのない畏れ多い事であつた訳でありました。実に痛恨限りなき次第であります。憤慨更に止むる事も出来ない次第であつたのであります。併しながら是も全く御神慮なるべく、大本大神の御出現に就いて必然の順路であつたのであります。
 斯様な痛恨限りなき次第なりしにも関はらず、神道者流は一向に本来の日本国教に関して、寝食を忘れて研鑽するだけの熱心も無く、亦徳能もなく、時流に任かせて惰眠を貪るの有様で経過致したのであります。王政の本義全く完成致しましたと同時に、神政の復古は国民の一切から払ひ去られて誰一人として、それに心付く者がなくなつたのでありました。然るに明治二十七八年の戦役を終りました頃より神勅を不思議に蒙りました。丹波の国の一角に神典研鑽の曙光が発したのであります。蛍火の如き少さき光であつたけれども、貧者の一灯に根強い金剛力があつた為に、漸次に発見された事実は真に偉大な金神力があつたのであります。此の時分には古典の研鑽者と謂ふのは、本居豊頴氏等の古い意味の研鑽者が多少は命脈を継いでは居りましたが、一般の世人は一人として斯様な古い、利益に遠い、世閒に疎い学問には、耳を傾ける者は無かつたのであります。然るに稗田阿礼が出生したる隣郷に出れました王仁三郎は、何となく尊いやうな何となく為さねば気が済まぬやうな気がして、牧畜業の傍ら比較的熱心に研究に従事しました為に、追々に深遠な義理が了解されて来て、終には世界唯一の大極典を詳解し得るまでに到るやうになりました。爰に最も不可思議に感ぜらるるのは、吾人の研究の歩が進めば進む程、世の中が神典の研究を必要ならしめて来た事でありまして、吾人の隠れたる研究が常に現実に世情に証明されるやうな気がして、略研究の大成を見るの日に神政復古の曙光が明確となり、旭日昇天の日の近きを自覚するに至つたのであります。これは自慢話のやうでありますが全くの話でありまして、現今の如く神道研究の流行時代とも謂ふべき時に成つたものなら、何等の妙味もありませぬが、大本大神の神勅を奉戴して世界に魁をなしたる点に於て、大なる使命を感ずる事が深い訳であります。
 神典の研鑽に因りて、仏教が日本国教から出た事を明確に知り得たのであります。耶蘇の教義も日本国教を恋慕すとの声であること、支那に起つた各種の教義も皆悉く大日本国教に根基ある事を立証し得るのであります。
 埃及や希臘羅馬の神話類が、日本国の事実を伝へたものである事を知り、大日本国の真実根本義が明瞭になると共に、神政復古して往古の本来の儘に至らしめむ事を熱望するの情が、勃然として発し来ること、決して徳川末世の憂国者の比ではないと思ひます。吾人の研究は略茲に一段落を告げたのであります。而して聖代に対して深き期待を保つ所以は、大本開祖の二十五ケ年間の神示を拝承しての上からであります。特に皇宗神武天皇の奠都の宣命を按じ奉るに
『上ハ則チ乾霊国ヲ授クルノ徳ニ答ヘ下ハ則チ皇孫正ヲ養フノ心ヲ弘ム』
と、聖代は実に神典の徳の現はれます時でありまして、亦国祖国常立之神の御稜威発光の時運であります。
『然テ後ニ六合ヲ兼以テ都ヲ開キ八荒ヲ掩ヒテ宇ト為コト亦可ラス乎』
 この御詔勅の御本義の実現されます事は、全く神政復古の所以である事を確信するのであります。大大的神秘の宿ります所であります。
 神武天皇の御東征は、神軍の兵法を伝へ給うたものでありまして、封建幾多の言佐平倶輩を平定するの神策であります。御製に
神風の伊勢の海の大石に匍ひもとほらふしただみのいはひもとほりうちてしやまむ
の御意義が実現致しますのが、明治大正の二大御代の御神約であります。現今は地上に幾多の封建が設立されて居るのでありまして、此等の幾多の封建が打破されるのが、近き将来に期待さるべき世界の傾向であります。
 特に思想界の封建は危険なる思想を伴ふて、大名小名の覇を唱道せる有様は、実にすさまじい次第でありますが、この封建的思想は決して長く継続さるべきもので無いことは、火を睹るよりも明かであります。征討には常に神剣が伴ひます。草薙の御剣は実に征討に伴ふ唯一の御権威であるのであります。王政復古に次で神政復古のあるべきは、日本神典の吾人に明示する所であるのみならず、大本開祖変性男子の垂示に因りて、確固たる事実を証明されてあります。神政に復古して創めて地の上に天国荘厳の理想政治を看ることが出来るのであります。
 神政とは神代に於ける政治の意義であります。故に義は進んで神代の解釈に移らねばならぬのであります。日本神典及び大本開祖の示し給ふ所によれば、神代とは万有万神が各自の大本源を知悉し、各自の大本源に基く各自の天職を完全に成し遂ぐるの世なる事を示させ給ふのであります。万有万神が各自の大本源を知悉する事が、神代に於ける第一の最要件であります。然るに万有万神が各々其の大本源を知悉せられぬが故に、種々の騒乱が其の閒に起り、各種の争闘は茲に其根源を発するのであります。神代は斯様なものではありませぬ。万有万神が各々其大本源を知悉さるるが故に、毫も争乱を醸すこと無く、和気常に満ち、従つて万有万神が各自の大本源に基く天賦の職掌を営みて、和楽長へに尽くるの期が無いのであります。彼の封建時代に於ける武士に大義名分を忘却致した者のありましたのは、其の無智にして、各自の大本源を知悉し得なかつた罪であります。
 或は仏と謂ひ或はヤソと謂ひ或は何といふも、其大本を知悉し得ないが故の分派たるのみであります。仏も耶も儒も決して他の道ではありませぬ。大本に暗きが故に之を各自特有の所有物と誤了して居るために、遂に陥穽の害を構へ、排他の年慮を懐くに至るのであります。若し一旦其大本源を知るに至りますれば、各自の所有は各自が特有のもので無くして、一本源の分派なる事に心付きまして、必ず或るものに統理せらるべきは必定であります。故に仏耶の唱道者は速に心を持代へて、其大本源を知悉するに努力せずばならぬのであります。
 天地の閒には、自から経綸があります。四時行はれ万物生育する所以のものは、これ豈皇祖天照大御神が織ります御機の永遠に乱れないからではありますまいか、天照大御神統を諾冊いろはの二尊に受けさせ玉ひまして、天下経綸の一系を子孫万代に伝へさせ給ふや、経綸の三大神事を器物に移させ給ひまして、為に三種の神器の御伝授が行はれました。
 天に二日無く地に二王なき事開闢以来厳として動かず、一毫も違ふべきものではありませぬ。蓋し草薙神剣は天地万有の定理を示させ給ふ神律神法でありまして、神剣の在ますところ必ず権威之に伴ひ、正邪真偽立どころに裁断を受けないものは無いのであります。即ち神剣の権威に従ふものは栄え、神剣の権威に触るものは必ず亡ぶのであります。神剣の権威を世に示して神剣の権威を奉戴し奉る、之を此れ祭政一致の本義と名づくるのであります。古今東西の学者は多くこの祭政一致の本義を弁へず、神を祭る事と世を治むるの政治とを二つにして、曲解誤伝大に神国の大本源を闇ましつつありますのは実に浩歎の至りであります。祭とは真釣の意義であります。天地の経綸神法の権威を遵法して地上の正道を悉く天道に真釣合はすべきを申すのであります。故に天国の政治には人為の則も無く真の皇道は祭を離るべき事は毫も之れ無いのであります。祭政の一致は日本神国の政道であります。祭政一致の行事の外に政道は無いのであります。亦宗教も教育も実業もありませぬ。日本神国の教育は正に祭政一致の意義を教ふるのが本領であります。
 祭政一致以外の教義に渉る事は出来ぬのであります。祭政一致の本義を授けざるの教育は邪の教育であつて、真正の教育ではありませぬ。何ぞ天国たる日本の教育と為す事が出来ませう。祭政一致の実業にあらざる実業は、之を真実の実業とは謂へないのであります。農工商の業務も一つとして祭を離れては在るべきものではありませぬ。農夫が鍬を採り鎌を執り鋤を採り、軍人は銃を執り剣を執り、商人が算盤を執るのも、皆悉く祭であります。現代の教育や現代の実業は、夫れ祭の本義に則り祭の本義を実行するものでありませう乎。私利私欲を逞うして他を陥れ、他を害して、以て実業の本義と為すの輩ではありますまいか。生存競争弱肉強食の立論を盾と為して成功を説く所の現代の教育をしも、これを祭の意義の教育と称へられませう乎。現代は祭の大本義が全く顛覆して祭事の廃絶したる世とも謂ふべく、悪魔は白日に横行して神権悉く蹂躪せられたる常闇の世とも謂ふべく、国の常立の神威の天之岩戸隠れの乱世とも謂ふべき次第であります。祭は神人をして合致せしむるものであります。祭るものは即ち祭らるる神であります。現代の暗黒世界には祭るの人が無いのでありますから、況んや祭らるる神の存し給ふべきや天国の民は天業を事と為し、一挙一動坐止動作常に神業たる事を離れないのであります。神の外に我れ無く、神業神作の他に我が業も我が発作も在るべき筈はないのであります。神業、国に充つ即ち之を神国と謂ひ、之を神代と謂ふのであります。しかも其神業神作が一大御神の各方面に於ける御発動を表示するに止まることは、神典古事記及び大本開祖の示させ給ふ所でありまして、一心同体の分業発作たるを知るべきであります。この宇内天地の大国相を地上に移して極東日本の国相があり、万民悉く皇室の分脈を受け、其作業は悉く皆皇室各方面の発作表現であります。天上地上の国、相互に相対峙して万世不動不易の皇運を負はせ給ふ故に、天上の神国を大日本国と呼び、地上の日本国を神国と称へるのであります。国相已に斯の如く国体已に斯の如しとすれば、地上日本の神国が天に負うの任務や自ら明にして、国民の自覚も亦忽ちに成るべきの理であります。然るに現代は如何でありませう乎。
 各種の宗教の人を惑はす者多くして、天国を説きつつ、天国の本義を知らず、浄土を説くに浄土の実相を知らず、群雄巷に割拠して天皇を知らず、天治を解せず、天法を弁へず、巧に神剣の裁断を免れて空法邪説を逞うする事、実に痛憤に堪へない次第であります。
 法華経寿経の釈尊は、現代の邪義を免れしめむが為に、多宝如来を地下より呼び出して日本国の本義を示し、日本国以外に国あるべからず、日本国王の外に国王無く、天上地上の教憲相対峙して万代に易るべからざるの旨を諭したのである。然るに仏者この義を覚らず仏説仏教を見るの明無く、徒らに形骸の仏説を擁持し封建邪道の権説を弄するとは、実に愚の至りではありませぬか。ヤソの屡々天に訴ふるの語に曰く『天国は近づけり悔い改めよ』と天国日本を恋ふるの声切にして血を吐くの感があります。然るに後世の伝道者信者は、天国の国相に疎くしてキリストの本心を知らず、為に天国をして長く地上に来らしめず、これ天国を説く所の天国賊であるのであります。
 草薙神剣を知らない者に、如何にして天国を説くの資格が在りませう乎。ヤソ教徒が草薙神剣の大本義を拝承して、天国日本の国相を知悉せむ時、正にキリストは天の一方より紫の雲に駕して再誕あるべし。キリストの再誕豈疑ふべしとせむや。さうでなければ幾百万歳キリストの再誕を期待するとも、遂にキリストは再誕すべき日はあるべからずであります。何国の名画伯の作にや、キリスト再誕の想像画を描くに、右手に曲剣を持するものあるを見ました。之れぞ全く草薙剣を執れる意を寓せしものであるが、真に奇画と称すべきものであります。
 先年内務省の御役人さまが、神仏耶の三教を合同して互に相一致の行動に出でむ事を企図し、一回の会合を終へた事がありますが、此れは全く愚者の妄夢であつて、破等は三教合同して而して何者を其本尊と為すの考へでありましたか、ゴツトが弥陀か将た亦何物であつたか、本尊の確立せない三教合同なるものは所謂皮相の合同でありまして、弱者が時に策を弄んで教権の振起を謀るの世渡たるに止まるのみであつて、彼等は遂に宗教の権威を愈々失墜したに過ぎなかつたのであります。
 神政の復古は、各自が其大本源を知悉するに始まるのであります。仏教の成立は如何、ヤソ教の成立は如何、学者は誠実に先づその大本源を知悉せられよ。特に日本の神道者流が三教合同に打ち交はりて得々として居た如きは、これ何等の状態でありました乎。実に滑稽といはふ乎、白痴と謂ふか、見られた状態では無かつたのであります。素より彼等は日本神道の大本義を知悉せず、又神政復古と申す言さへ其意を解しなかつたとすれば、強ち歯牙に懸けて彼是言ふ程の者ではありませぬ。けれ共彼等も日本神国の民である以上、吾人が説く所の真正の日本神道を学びて、三教合同何上に神教復古の尊崇すべく、身を捧げ奉りても尽すべきの大道なる事に思ひ及ぶべきであります。
 往古の歴史は漠然として之を知るに由なきも、埃及希臘等の歴史は、明に上代に神政実現の世の在りたることを立証すべき史料であります。
 更に古事記の上巻は、正哉吾勝々速日天忍穂耳命の神政時代の長かりし事を伝へて余蘊なき次第であります。吾人は地球即ち中日本の神政神代を考証せむが為に、幾多の労苦を重ねて神政復古の曙光を認め、神政復古の実現を見む為には、全幅の労を惜しまない覚悟であります。大凡万有の世に在る所以は、神業発作の各方面たるべきは、上に已に述べた通りであります。地上の人類が、兄弟牆に鬩ぎ一心同体の表現が互に他を陥穽せむとするが如きは、神政復古の一日も早からむ事を促し、吾人をして転た寝食に暇なからしめむとする次第であります。神政復古は神剣の御振舞に始まり、天国荘厳の相を成就するに終るのであります。天国荘厳の相を器物に写し奉りて、八咫の神鏡は伝はりますのであります。
 神政復古の唱道者を、地球の中心(地質学上)日本神国の中心なる下津磐根の丹波国綾部本宮の里に出せしは、実に太古よりの神誓神約の在し玉ひし事と恐察し奉るのであります。
 草薙神剣(艮の稜威)は今や万教を裁断せむが為に、この霊地に降りましたのであります。治乱興廃、得失存亡、動止進退、安危閑争は神剣の御本質であります。
 神政の魁として神剣の威力を万教の上に施し、大日本国の下津磐根に大宮柱太しく立て高天原に千木高知るべき大祭殿の建造されまして、天津日嗣の大経綸の発現すべき時、世界万民は互に兄弟手を差し交して遠津御神に謝し奉り、草木を始め鳥獣虫魚の類に至るまで一つとして、其天賦に安住せざるもの有るなく、天神地祇の末を正して其祭を営み玉ふべきこととなるのであります。万教が一大主教に統轄せられて神政永へに成就すべき日を見むこと、何の楽しみか之に過ぎんやであります。何の喜びか之に過ぎんやであります。吾人の所志は飽くまでも斯の通りであります。慨世憂国の志士仁人は互に起つて吾人と行動を共にし、大義名分に向つて努力せなければ成らぬ訳ではありますまいか。アア之に過ぎたる日本国民の義務がありませうか。これに過ぎたる我国民の急務がありませう乎。敢て忠良なる陛下の赤子に向つて激する所以であります。
(大正五、四、一一、このみち 第一号)
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