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文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【言霊解】謡曲言霊録よみ(新仮名遣い)
文献名3〔二〕巻絹よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-06-14 18:25:18
ページ262 目次メモ
OBC B121805c117
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本文    一

 ワキ『そもそも是は当今に仕へ奉る臣下なり、扨も我君あらたなる霊夢を蒙り給ひ、千疋の巻絹を三熊野に納め申せとの宣旨に任せ、国々より巻絹を集め候ふ』
 此の謡曲の全文を通読する時は、唯単に都に住める男が、大君より下されし、勅諚の日限を違へし罪により、縛せられたのを、和歌の徳によりて神の助を受け得たる事を、作つたやうに見えるのである。そして神様が巫女に神懸して、縄を解き神楽を舞ひなどして、神慮を和め奉ると云ふ筋書のやうであるが、是を日本言霊の神鏡に照らして解釈する時は、実に深遠微妙の神界の御経綸の厳立せる事を窺ひ得られるのである。
 ワキ『そもそも是は当今に仕へ奉る臣下なり』当今とは、当時代の天の下を知食し給ふ、天津日嗣天皇の御事であつて、臣下とあるは、三公以下の文武百官は、皆臣下である。然るに全文章を通じて其の内に潜む真相を窺ふ時は、臣下とあるは、皇道大本で称ふる所の変性男子の御魂である。
 抑々、我天津日嗣天皇様は、天地開闢の初発より、天津神の選定し、天降し給ひたる、天立君主に坐しまし、天地万有一切を知食し給ふ、御天職で在らせらるるを以て、宇宙一切の神人は、皆、天照大御神の御子孫たる天皇の御支配を受けねばならぬのである。故に、皇祖皇宗の御神霊の外は、如何なる神様でも、皆日本天皇の臣下である。国常立尊は、地球を修理固成し給ひし、国土の祖神ではあるが、一旦地系、即ち臣系の神とならせ給うた以上は、如何に御神力が強くとも、御徳が深くとも、時代時代の、天皇様の臣下として、忠実に奉仕さるるのは、天地の大法則で、是が麻柱の大道といふものである。
 『扨も我君あらたなる霊夢を蒙り給ひ』新なる霊夢を蒙り給ひと云ふ意義は、最も注意すべき大問題である。新になると云ふ事で、昭和の維新とか、社会の革新とか、国家の進運に関する神政革新の神界の御示しである。霊夢とあるは、神霊の示顕、御神勅の意義であつて、決して吾人の夜半に見たる如き雑夢を云ふのではない。夢は忌めの意である。実に清浄不穢にして、一点疑ひなき神界の御示しを、其時代の今上陛下が、御蒙り遊ばしてと云ふ事で、是れが世界革新の神勅の大眼目である。
 『千疋の巻絹を三熊野に納め申せとの宣旨に任せ、国々より巻絹を集め候ふ』巻絹とは、疋の絹を巻きたるを云ひ、三熊野とは、紀伊国牟婁郡にある熊野権現の事であると云ふ。もとは、(み)の字を美称の意味にて添へたのが、後世は熊野三山の意味に取りて、(三)の字を書く事となつたのである。然し千疋の巻絹といふのも、実際の絹布では無い。又三熊野といふも、実際は紀伊国の地名を引用したまでである。文章の作成上、之れを仮りて用ひられたもので、言霊の八咫鏡にうつる真意は、次の如く実に幽玄微妙なる神理が含まれてゐるのである。
 『マキギヌ』の言霊を解する時は、
 (マ)は、円満具足の身魂で信実也。一の位に当る日本人である。
 (キ)は、上なき言霊にして、世を統べ澄み切りて、世界一切を愛護する身魂である。
 (ギ)は、無生無死の神魂であつて、天津御祖の神に至誠を捧ぐる身魂である。
 (ヌ)は、麻柱の府である。主たるの徳を保つ事である。又何事にも我意を立てず、従順にして、君子の至徳を保つ身魂である。
 以上マキギヌの四言霊を約めて解説する時は、智勇愛親の四魂完全に運用し、五情の活用全き、真の日本人たる真人と云ふ事である。アア仁義道徳廃頽し、悪鬼邪神の横行せる、現世界の常暗を照明し、天国浄土の神政を樹立すべく、巻絹に相当せる、一大真人の我神洲各地に出現して、三熊野の代に革新され、以て万世一系の我皇室と共に、豊葦原瑞穂国(地球)の天壌無窮に隆えむ事を希望する次第である。
 『ミクマノ』の言霊を解説すれば、
 (ミ)は、形態具足の言霊である。屈伸自在にして、天意の儘であり、太陰の位を保ち、光彩陸離たる宝玉と成る言霊である。
 (ク)は、三大暦の起元であり、成り付く言霊である。
 (マ)は、水の座にして、中明無為の言霊である。又水を以て廻り囲む意義である、日本国の四面環なるも、マの言霊である。
 (ノ)は、天賦の其儘の言霊である。活機臨々として、総てに支障なき意である。
 以上ミクマノの四言霊を約むる時は、太古の天照大御神の御神勅の実現、実行さるべき時に臨みたる日本神国の祥瑞的現象である。
 要するに、万世一系の天津日嗣天皇様に、厳正なる神の御宣示があつて、その山川も寄りて仕ふるてふ、至尊の天皇が、臣系の国常立尊に、天下万民を巻絹の如く、至真、至美、至善の日本魂と改新せしめ、以て三熊野なる五六七の神世に治むべく、厳命を御降しに成つたと云ふ、神秘的の明文である。地の高天原なる綾の霊地に現れて、錦の御機の真神絹を織り出し、世界の経綸に任じ給ふ経緯の神の御経綸は、要するに国々より巻絹の美はしき勇ましき身魂を集め給ひつつあるのである。

   二

 『さる間都より参るべき巻絹遅なはり候ふ、参りて候はば神前に納めばやと存じ候ふ』
 『さる間都より参るべき巻絹遅なはり候ふ』是は凡て都会の住民は、常に生存競争激烈を極め、私利私欲に心身を傾注するの余り、神の御教に依つて、身魂を研き清むるの暇少く、容易に体主霊従の行動を改め難くして、改心の遅れたることの意義である。大本神諭にも『都会の人民ほど改心が遅いぞよ。誠の者は田舎に隠してあるぞよ。今度は天の大神の御命令を戴いて、二度目の天の岩戸を開くに就ては国々所々にマクバリてある、純粋の日本魂、水晶の身魂を地の高天原へ引寄して、結構な立派な錦の機を織り上げて、天の誠の大神様へ、天下泰平に世を治めて御目に掛ける経綸であるぞよ。一日も早く、日本の人民改心致されよ。モウ時節が迫りて来たから瞬く間もないぞよ。後の悔悟は間に合はぬぞよ。今度は神様の御命令であるから、愚図愚図いたして居ると、万劫末代取返しの成らぬ事になりて、ヂリヂリ舞をいたさねばならんやうになるが、そこへなりてから神に縋りて、改心を致しても、そんなら許して遣ると云ふ訳には行かんから、改心いたして錦の機の御用を致すなら今ぢやぞよ。神は急けるぞよ』云々と度々催促されてあるのも、ミクマノに納むべき、都会人の身魂の改心の遅れる事を、大変に御心配下さつた、親切なる神諭である。
 三千世界の大修斎を実行し給ふに就て、天の下に只の一人も遺さず漏らさずして、神界の御経綸の神業に参加せしめ、天地経綸の司宰たる人生の本分を全からしめむと焦慮し給うたのも、水泡に帰して了つて、即ち『都より参るべき巻絹遅なはり候ふ』の結果を来すべしとの神の予告であつたのである。然しながら、至仁至愛の大神様は、飽くまでも救済せむと思し召して、譬へ遅れたりとも、之を神直日大直日に見直し聞き直し詔り直して、大神の大前に於ける神業に参加せしめむとの御神慮が、即ち『参りて候はば神前に納めばやと存じ候ふ』との御神語を以て、表示されて居るのである。又別に『ミヤコ』の意義を言霊に依つて略解する時は、
 (ミ)は、玉の位を顕し定め、物質克く整ひ極まり、産霊の形を顕し、神を明かに拝し、人の群集充満して、居住する意味である。
 (ヤ)は、地上一切の事物を包裏し、且八隅知志皇大君の御坐します、中心地点である。
 (コ)は、一切の真元と成り、一切の事物を要め、治め籠め総ぶる事である。
 要するに天津日嗣天皇の御坐し坐す、政治の中枢地を称して『都』と云ふのである。現今の大阪も大都会と称して居れども、決して是れを『ミヤコ』と称する事は出来ぬのである。

   三

 次第男『今を始めの旅衣、紀の路にいざや急がむ』
 『オノコ』の言霊を略解する時は、
 (オ)は、大地球の蒼生を済度し、且つ興し助け、以て親の位を守り、億兆分子の始末を知るの言霊である。
 (ノ)は、臣下の働きにして、上意を下に顕示し、玉光の所在を極め、以て支障無き言霊である。亦天下万民をして、至治泰平ならしむる、重臣の天職である。
 (コ)は、一切を総轄し、且何事も氷解せしめ、疑はしむる事なく、過去と現在を洞察する、親子一如の言霊である。
 以上『オノコ』の三言霊を約むる時は、輔弼の重臣、即ち国務大臣と云ふ、上級の為政者の意義である。大本神諭にある、世に出て居れる守護神であり、一の番頭、二の番頭である。神諭に『世に出て居れる守護神は、今度の二度目の天の岩戸開きに就ては、今の処神の眼から見れば、御一方も間に合ふ方は無いぞよ。一時も早く世に出て居れる守護神から改心為されて、今度の御用に立ちて下されよ。モウ遅くなつたぞよ。時節が遅れて来たぞよ。神急けるぞよ。月日も刻限も定まりて在るから、一の番頭、二の番頭に改心さして、助けてやりたいと思うて、艮の金神が、天の大神様へ御願ひ申して、日時を延ばして頂いて居るから、改心致して御用に立つのは今の中ぢやぞよ』云々とあるのは、一時も早く、巻絹を都の男から『ミクマノ』の神前へ納めよとの神示である。
 『今を始めの旅衣』今までは何程深遠なる神諭も、警告も、馬耳東風に聞き流して居た為政者も、弥覚醒して、遅ればせながらも、巻絹を納めむとする段になつたと云ふことである。政治も、教育も、宗教も、実業も、其他一切の世間の出来事が行き詰つて了つて、二進も三進も行かないやうになり、上げも下しも成らぬ混乱状態、常暗の社会を現出し、到底洋服主義では、天下は治まらぬと云ふことに気が付いて、今までの外尊内卑の態度を一変し、皇国固有の惟神の大道を遵奉し、皇祖皇宗の御遺訓に依りて、治国平天下の大道と為すに至つた其経路を『今を始めの旅衣』と云ふのである。
 『紀の路にいざや急がむ』本文の儘に何心なく読み行けば、紀伊国の三熊野権現へ巻絹を持つて、急ぎ、納めに出立するやうに、見られるのであるが、前述の通り、紀の路は決して紀伊国の意味では無い。之を言霊学上より見る時は、『カミ』の霊返しの(キ)であり、『クニトコタチ』の霊返しの(キ)であり、『キミ』の霊返しの(キ)である。亦紀は木の仮字であつて、木は東の国の意味である。日東皇国は即ち世界から見れば木の国である。要するに国常立尊の常住し給ふ、日本神国の意味であつて、神漏岐と神漏美のキミ二神、又は日の大神伊邪那岐命、月の大神伊邪那美命のキミ二神の経綸あらせらるる神国の中心地点が、所謂紀の路である。都の男の根本的改心の結果、遅れ乍らも、神界経綸の中心点に向つて、巻絹なる身魂を引連れ、取るものも取り敢ず、急いで神業に参加せむとするの寓意である。
(大正一○・三号神霊界誌)

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