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文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【随筆・其他】よみ(新仮名遣い)
文献名3国難は国福なりよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた。 データ最終更新日2021-04-20 13:36:47
ページ478 目次メモ
OBC B121805c229
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本文  「三千世界一度に開く梅の花」この言葉は今日より四十年前の正月元旦に出口開祖が、この宇宙の人群万類に向かって警告され、または神の御経綸を発表され獅子吼されたところの金言玉辞であります。至大無外至小無内の神様の御経綸は、この短い一句の言葉に尽くされております。
 「三千世界一度に開く梅の花」──梅というものはごく小さい花である。梅は主を意味する。主の元は梅であります。主というのは皇国の「ス」であり、世界を統べる「ス」であり、主の「ス」であります。
 それで国は梅の五弁の梅──この梅というものは五つになっている。これが本当の白梅の、本当の昔の梅であります。国も五大洲に分かれている。また人の──吾々の日々行うところの道も五倫五常の道──人間も五つであります。頭と両手と両脚とで五つになっている。それで梅の花ということは一切万事に対して言われた言葉であって、総てを統べるという意味が含まれている。三千世界というのは、過去、現在、未来、或いは天国、地獄、中有界、どっから見ても三千世界であります。また現界、幽界、神界と云っても三千世界になるのであります。元来三千世界と云うのは三千大千世界ということを略したのであります。そう獅子吼されてから今日は四十周年を迎えたのであります。その間には色々の激流も渡り、暗黒な荊棘の道も渡り、または猛獣におそわれ、狼にかみつかれ、種々雑多の艱難を経ていよいよ神様の三千世界一度に開く梅の花の開きかけ、即ち開祖の獅子吼された八年目に私はこの聖地へ引き寄せられたのであります。それがためにこの綾部の地へ来まして神様の教えに携わってから三十三年目になります。この三十三年ということも非常に意義のあることであります。
 これからの大本はいよいよ神様のお示しの通り非常な勢いで旭日昇天的にご神徳が拡充され、或いはまた本当に宣伝使の方々の頭に守護神がみな御かかりになって、非常な明るい活動をされる時機になったと信じております。
 ついては総て日本は言霊の幸わう国であります。またお筆先にも言葉を慎まねばいけないということがあります。勢いのよいときには随分あやまちが出来やすいものであります。人は得意のときには災いの種を蒔き、失意のときには幸いの種を蒔くものであります。それで勢いに乗じて船が山に登るようなことをし、或いは十年事件のようなことが再び起こってはいけない。これはまた神様の経綸が延びることになるのでありますから、宣伝使及び信者の方々は充分に言霊を慎んで貰わねばなりませぬ。そして充分にこの際働いて貰わねばならぬときが来たのであります。
 夜前「大本」ということを訳して人類愛善になると言いましたが、この人類愛善ということは仏教の方では一切衆生を愛するということになるのであります。鳥獣から山河草木までも愛するのであります。お筆先にも「この神は虫ケラまでも助ける神」と書いてあります。人類愛善会の人類ということは、人群万類ということを略したのであります。人群万類愛善会というのはあまり長くなりますから人類愛善会にしたのであります。
 それからこの本宮山に──桶伏山に碑が立ったならばいよいよ神が表に出るということは神様が始終仰せになられ、私も始終これを申しておったのでありますが、いよいよ神声碑がもとのお宮の跡へ出来上がったのが九月の八日でありました。「九月八日の仕組、先ず第一着に満洲事変が起こる」と、あの碑の前で大勢の人と話しておりましたら、いよいよ十八日にあの事変が突発したのです。それからまたある事件が九月十七日から十八日にかけて、これは申されぬことでありますが、これが旧の九月八日に当たっておりました。こういうふうに八日というのは総て意味のある日であります。八というのは開くという字である。八は開き輝くところの日であります。それでどうしても今度は満洲事変と云い、色々と世の中に起こって来ることは、これはもう神界の経綸が実現の緒についたことであるということをお考えになって差し支えないのであります。それでありますからこの際小異を捨てて大同に合して、この国難に当たらねばならないという時であります。それは今日の思想国難、外交国難、経済国難ということを打破して、総てのものが改まる──改まれば国の幸福になる。一方から見れば国難であり、一方から見れば国福であると思っているのであります。
 それで総て国歩艱難の秋に初めて国の光明を輝かすところの端緒を開くのであります。大本の法難の時に初めてそれまでの大本信者の誤れるところの観察、或いは思想そのほかの一切のものをかなぐり捨て、あれがために新たに生まれることが出来たのでありますから、あれも法難でなくて法福であったのであります。私はあの際から法難ではない、これがために本当に神様が現れ、本当に神様の教えが出来るのであるという考えをもって、非常に愉快に七年間のあの事件の中を暮らして来たのであります。あれが本当に不敬罪であったならば、これは日本国民として陛下に申し訳ない。別に愉快どころではない。政府の刑罰を待たずとも自ら切腹してしまうのでありますが、吾々は国家のために、皇室のために、一生懸命やったことでありますから、そういう気の弱いことはしてはいけない。どこまでもあかしをたてて一方には神様の明らかなことを示さねばならないという考えをもって愉快に進んで来たのであります。
 今日の天下の形勢を考えてみますと、実に三十年前に私が神様から聞いて、その時に筆記しておいたことが本当に毛筋も違わなく出てきているのであります。今まで言っているのが間違わぬとすれば、これから先も間違いはないのであります。あの刀の鑑定人が窓をあけると云って鯉口一寸ほどあけてみて、これが錆びていなければ先まで錆びていないことを知る。もしその一寸ほどが錆びておれば先まで錆びてしまっていることを知るのであります。すでに鯉口五、六寸で銘刀の冴えを見せられている上は、三尺の大刀としても一ツも曇っていない、錆もついていないのでありますから、本当に切っ先まで錆びておらぬよい刀であるということを悟る如く、吾人の前途は明るく神業が出来ると思います。またそれについては一旦はお筆先にある通り、もう叶わぬということがあっても、吾々は神によって忍び、神によって助けられ、どこまでも自分が小なる神として御神業に参加する──御神業に参加するということは自分も共に小なる神となって働くことであります。で、こうなって来れば人間の力、人間の智慧、今までのやり方ではどうしてもいけない。これは神様の命令により、神の御心のまにまにごく素直な神の子供となって働くより仕方がないと思います。
 今までにずいぶん博士とか学者とかいうものは大勢ある。が、しかし世界中の学者が今日のこの腐敗堕落を前知しなかったことを思えば、今までの宗教家や学者は、ただの一人も頼むに足らないということを証明しているのであります。今までの世界のどんな偉い学者でも博士でも、本当のことを知っており、本当のことを言っておったならば、こんな世の中は出ないのであります。それから考えてもあらゆる智者、学者、既成宗教家は信ずるに足らないということは天地から証明されているのであります。それにもかかわらず未だにくだらぬ西洋の学問に迷信している人が沢山あります。これは充分考えて貰うて、この時期に処する自分の考えを、所存の臍を固めて貰わねばならないときであると思います。
 ともかく世間の人は日本人も沢山ありますが、特に大本へこうしてやって来る人は特別の因縁がなければならない。この宇宙は悠久である。何億万年の昔から何億万年の末まで続くこの世の中、そうしてしかも同じ時代に生まれ、同じ日本国に生まれ、同じ信者として生まれて、そしてこの聖地に会するということは、これは一朝一夕──百年や二百年の因縁ではないのであります。同じ村に住んでおっても一生その人と言葉を交わさなかったりする人は沢山あります。私は綾部に三十年余りいるけれども、四、五人しか話し合った人はいないのであります。これは所は近くでも、同じ隣に住まいしておっても因縁が遠いのであります。因縁の近い人、因縁の深い人がこうして集まっている。山河千里も越えても一つになれる。同じ所に、同じ日に会してともどもに話するということは非常に深い因縁があるのであります。「躓く石も縁の端」ということがあります。河原を歩いておっても、何十万の石ころが転がっておっても、自分の足に躓く石ころはほとんどない。それでも縁の端というほどでありますから、こうして同じ神様のところに集まって同じ道を聞いて、同じ時代の御神業に参加するということは、これは非常に因縁深いことであります。同じ親子でも、兄弟でも、反対するものがある。親族や、また自分の従兄弟という連中は沢山あるけれども、云っても耳にはいらぬ。これはそれだけの能力もない。反対もしないが、云うて聞かしても耳にはいらない。
 それでいわゆる大本の道は今までの既成宗教とか今までの学問から言えば、本当に卓絶した教えなのであります。この教えが幾分でも耳にはいるという人は現代における聡明なる人である。学や智慧で出来た鼻高でなくして、本当にこれは生まれつきの鼻高だと思います。
 それから満洲のことでありますが、満洲はどうしても日本の生命線とも言うべきものであって、日本からこれを片づけなかったならば、日本は将来国は滅んでしまうより仕方がない。それでそれにつきましても、私は飽食暖衣していたずらにの彼方を見て憤慨しているのではなく、孜々営々として満蒙のことは日本人の気がつかない大正十三年に満蒙入りを決行したのでありますから、今日は夢寐にも忘れていない、また万全の策を講じて時期を待っているのであります。
 ともかく神声碑の立ったこと、鶴山に歌碑の立ったこと──あの歌碑の中にはお宮のつぶされたことも出ている。また私が蒙古のパインタラにおいて今殺されんとする時に詠んだところの辞世の歌が書いてあります。これは五十四歳にもう死んだつもりであった。それが生き還って、基督が甦生ったように墓から世に帰ってきて亡者が物を云っているようでありますけれども、段々と神様の道が発展するようになって来、またあの辞世の句を石に──万世不易の石に刻んで覚悟しているのでありますから、もう今度は辞世を詠まなくても、何時敵に襲われても構わないという心組で、その覚悟のために辞世の歌を拵えたのでありますから、いわゆる背水の陣をはって、これから世界のために大いに尽くす考えをもっているのでありますから、どうぞ皆様もこの際大勇猛心を発揮し、言葉を慎み神界の御神業に参加されんことを希望してやまない次第であります。(講演速記)
(昭和七・二・五 於弥勒殿瑞祥会第五回総会 同七・二・一五号 真如の光誌)
    ○
 かねて私は去年は千九百三十一年で、ナンセンス的に云えば戦(一九三)の始まり(一)と云えるし、また一国と戦いをすると云うことにもなると云うことをお話しておきましたが、いよいよ昨年の新の九月十八日には、満洲事変が妙なところから突発しました。今年の千九百三十二年は戦の二と云える。これは或いは不吉な予言であるかも知れませぬが、もう一ヶ国と戦わねばならぬかも知れませぬ。今日も夕刊を見ますと「琉球の中城湾方面へ飛行機が偵察に来て島を一周して帰った。これを陸軍に照会したるところ、こちらの方では琉球の方へ飛行機をやった覚えはない(三月十九日)」と云うことが書いてあった。そうすれば何国かの飛行機が偵察に来ているのであります。
 私は大正七年頃からある遠いところの国と、どうしても戦端を開かねばならぬと叫びましたが、これが禍いをなしまして、それが遠因をなし大本事件が勃発したようなことになったのであります。他にも事件の勃発した原因がありますが、一番の原因即ちその素因とも云うべきものは○○戦争を唱導したからであります。そのときに例のあの御札博士のスタールが大本へもやってきた。あれは神社仏閣を御札博士として回っておりますが、ある一つの○○からの使命を帯びて来ていた者であります。それが大本へ来て「○○戦争を大本が唱導しているのは、今日日本全国の神社仏閣を回って来たが、何千年、何百年の歴史のある宗教はほとんど瀕死の状態であった、ただ余生を保っているに過ぎないものである。勢力もなければ、意気も何もない。それに新しいところの大本は非常に建築もやり、意気溌溂として、これは○○が表面からの○○戦争が云えないから、こういうものに金をやって、そして民間にそれを唱導さしているのに違いない」と云うことを○○に報告したのであります。それで○○○に抗議が届いて、それで○○は「○○と大本とは一緒じゃない」と云うことを明らかにするため、無理からでもああいうことをやったのであります。大本事件はそういう遠因から起こったのであります。しかしその当時の凡ての日本の政治家宗教家及び知識階級は絶対にそういう戦争は無いと云っておりました。現に去年あたりまで云うておったのであります。しかしそういう事件が起こったくらいでありますから私は云いませぬ。が、しかし今年は三十二年で去年は一ヶ国とやったから、すでに満洲が独立したから支那と二ヶ国になっております。しかし満洲支那を一ヶ国とみなして他に或いは早急に妙なことが起こるのではなかろうかと感ずるのであります。その翌年の千九百三十三年はこれはまた戦盛ん(三)という意味にもなり、或いは三ヶ国を敵にせねばならぬというような意味にもなるのであります。
 満洲国が建設されたからといって安心することは出来ないのであります。また大満洲国が建設出来ても、いつも日本は利益を他国人にとられてしまう。営利は支那や米国の資本家が出てきてみな取ってしまう。日本はそのかすをなめるだけ、金を使うだけになってるのはつまらぬ。それで日本人はおのおの覚醒して資本家は大資本を投じて日本のため色々な事業を起こしてやらんことには、また犬骨を折って甘味は鷹に取られてしまうことになるのであります。それであるから吾々は人類愛善を説くのであります。いわゆる一切世上の愛を説いております。けれども地獄を愛すれば地獄であります。それが時と場所によって日本のため戦いを讃美し、どこまでも陸軍の後ろ盾となって皇国のために働かねばいかぬのであります。人類愛善の上から見れば矛盾のようでありますが、それは一を考えて、他を考えないからであります。日本の国体は世界の親国であり、日本の栄えは世界の栄えであり、日本の保安は世界の保安であり、日本の勝利は世界の勝利であるのであります。
 満洲国が建って、支那の満洲の人民でも、わからぬ奴、煽動されている奴は反感を抱いているかも知れませぬが、結局日本に護られたならば、満洲における支那人その他十六種の人種がよっているが、みなこれは幸福を得るのであります。それで今満洲国家が建ったと云っても、まだまだ日本の国が、明治維新が出来てからでも、立派に憲法が発布されるまでに二十三年もかかっている。
 この十六種の人種が雑居している満洲、及び日本の三倍もあるこの広い土地で、政治がとうてい日本のように行きとどかぬことは火を睹るより明らかであります。それで私は去年の十一月に東上致しまして……その時には宣統帝の擁立問題に向かって進んでいました。それからいよいよ行こうと思ったのですが、日出麿もやってあるし、感ずるところがあって時機を待つことにしたのであります。
 あの国家社会主義、社会民主主義というのは、一人に対して何万円より余計金を儲けることはならぬ、余計金を貯えることは出来ぬという主義でありますから、それでは満洲へ大資本家が行ってくれるくれる道理がない。それでまだ充分設立してはおらないが、東邦拓殖会社というものを拵えて、それに資本を投じてせっかく日本があすこまでやったのであるから色々と奔走しております。まだ東邦拓殖会社のことは充分安心するところにいかぬ。色々の邪魔が入って、それでどうしてもこれはまだまだ納まらない。鼻高さんが鼻の折れるのを待つよりほかはないのでありますが──。
 また満洲新国家の趙欣伯その他重なる新政府の役員は、熙洽氏らは紅卍字会員で、その他の皆は愛善会員であります。あちらの方の意見としてはまだ私が行くのには早い。いよいよの時には使いを出すから来てもらいたい、ということで満洲行きを見合わしている。
 満洲のゴタゴタの渦中に飛び込んで、三千世界の立替立直しを神から申され、世界に人類愛善を提唱しておって、軽挙してそこに身を投ずるということは、神様に対しても吾々の抱負に対してもかえって小さくなることになり、かつ世界の本会員に対して自分の赤誠を疑わしめることになるので、今に満洲行きは見合わしているような次第であります。満洲ばかりでなく、私はこの前大正十三年蒙古行きをした時の考えは、日本の人口は毎年百万も殖える。それでその人を植えるところがなければならぬ。印度、西蔵その他と提携して、それから南洋方面まですっくり愛善主義を布かねばならぬという考えをもって行ったのであります。
 私が東京方面へ行って色々の人の意見を探ってみまするには、やはり今日の当局者は私と同じような考えを持っております。それで現在の状態は或いはハルマゲドンの戦いのこれが行きがかりと思わねばならぬ。満洲国が治まっても、支那が上で休戦をやっても、それで安心するわけにはいかぬ。ついては吾々昭和青年会員は──私は甦生第二年でまだ二才である。今までの年はほかしてしまった。これは死んだ子の年齢を数えるのと同じで、先のことを言ってみても三文の値にもならない。けれどもオギヤアと生まれたばかりでは仕事も出来ない。しかし二才であるが幸いに自由自在にしゃべれるようになった、また歩くことも自由に出来る。これは非常にいいことである。人間というものの生命は同年である。三つ子でも五つになって死ねば、たとえ八十の人が九十まで生きたとしても八十の人間の方が若いという勘定になる。生命はみな同年である。ただこの世の中に早く生まれたか遅く生まれたかの違いだけであって、人間の生命に老若は無い、それでこの昭和青年会は他にある昭和青年と違うて、皆が、白いひげの人、白い頭の昭和青年もある。これは精神上の昭和青年である。
 ──言心行一致ということが最も必要であって、口で云うていること、心で思っていること、それを行わなれば何にもならぬ。この昭和青年も言心行一致をもって難局に当たらねば、つまり後世に至って笑い話になってしまう。(笑声)
 芸術は宗教の親でもあり、青年に対して最も元気を与えるものであり、また世界の平和を保証するものであります。世界の平和は芸術でなければ──芸術と宗教でなければいかぬのであります。宗教の中にも固苦しうなるのと、話を聞いていても眠たくなるのと、涙が出て悲しうなる宗教もありますが、大本の宗教を聞いていると何か勇んでくる。これは明るい宗教であるからであります。人間は勇むばかりでもいかぬ。やはり涙もなければいかぬ。この華やかな宗教を調節するために喜劇も悲劇もやる。
 私が考えるのに人間は一生のうちに、絶対の成功者もなければまた絶対の失敗者もないと思います。これはこの大宇宙を神様が造って完全な地の世界を造ろうと思っておっても、あの大和川のようなことが起こってあちらが崩れこちらが崩れたり、色々なことがあってなかなか神様のことであっても邪魔が入ってくる。吾々の失敗するのはこれは常のことと思う。成功しても別に喜ばず惟神のままに進んで来たのであります。満洲へ行ってえらい失敗したなアと人に挨拶される。また月宮殿が出来て成功しましたという人もあるが、吾々は何とも思わない。失敗したとも思わない。失敗ということは末代かかっても回復すべからざること、これは或いは失敗であると思います。しかしこの生きているうちに完全の成功ということは誰も出来ないものであります。しかし各自にこれは凡て何をしていても神様の御用である、惟神に任せてあるから、成功失敗ということを頭に置かず、また青年の意気を持って、失敗やとか成功やとか躊躇逡巡せずに進まねば、何も仕事は出来ないと思います。今日私が歩いておりましたら「舌ある者は叫べ、耳ある者は聴け」ということが書いてありました。私が「尻ある者は屁をたれよ」こう云ったら誰か笑っておった。おのおのが汚い尻の穴を持っているのでありますから、何を叫んでも聞いておっても洩れることがあるかも知れぬ。それでそういう時には尻の穴をつめておかねばならぬ。何でも小さなことでも積めば大きくなる。大きなことでもほっといたら何にもならぬ。それで昭和青年はこういう際に、今我が神国が勃興せんとする際でありますから充分落ち着いて、と云ってもあまり落ち着いておってもいかぬ、勝利は最後の正念場にあるのであります。「せいては事を仕損ずる」「せかねば事が間に合わぬ」という言葉が昔からありますが、神様の道にある人は「静かに急げ」ということが一番で、昭和青年の行く道だと思います。行うべき、心得べきことだと思っております。今皆が国難々々と云っておりますが、これは国福であって、勃興する日本の国運が開けアジアの日本となり、或いは南洋の日本となる点から思えば、大変祝福された年だと私は思っております。
 吾々人間にも一代のうち、一度や二度は幸運が向いて来るから、国にも百年に一遍くらいは幸運が向いて来るのであります。百年に一度、千年に一度というふうに今国運が向いて来ているのであります。
 今頃の妙な主義もみな戦争のため影をひそめ、そして日本の国体を忘れんとしていた国民がそろそろ日本の国の尊いことを知り、日本に神様があるということを悟りかけたのであります。これが三年も四年もほっといたら、それこそ大変でありまするが、神様の御神徳で、こういう恵まれた年が来たのだと私は思います。
 なるほど色々の事は起こって参りましたが、国の勃興の秋にあたって一つとして違わず、筆先通りに何もかもなって参りました。この秋において一層神様の教えを腹につめ込み、そいてこの難局を一人でしのがれるように心得てもらいたいのであります。いよいよ大峠ということで落胆してへたばらないように、何でも最後の五分間、戦でも最後の五分間にあるのでありますから、たおれないように、これからはなかなか苦しいことが出てきますが、しかし苦しい反面にはまた楽しいこともあるのですから、その考えをもって昭和青年諸子は、この時代に処してもらいたいことを希望する次第であります。
(昭和七・三・一九 昭和青年会弁論会席上 同七年五月号 昭和誌)
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