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文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名33 因果応報ばなしよみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B124900c05
本文のヒット件数全 2 件/教祖=2
本文の文字数3516
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本文  明治はじめのころの、冬の暮しの楽しさば炉ばたで火を焚くことでありました。
 檜葉などをくべると、ばちばちと音をたてて、眼のあたりを淡紫に染めて部屋にこもり、少し渋味のある、ほろ甘い空気の好ましい味わいは、檜葉をたいた時が一番でしょう。
 私はこの冬、要荘にいましても炭火はほんの手あぶりと煙草火ていどにして、訪ねてくれる人があると、暖をとるには、檜葉などを火鉢でたいてあたります。口をとがらせて、フウフウと吹きながら檜葉のけぶる中から、火の色をみるのが懐かしくて好ましいのです。
 私は裃を着せられたような、きゅうくつなことは性に合いませんので、ふだん着のような気安さでこれをかいています。
 昔は出口家の隣に刀の研師があって、研屋という名で呼ばれておりました。
 出口のお祖母さんの時代はことさら仲良くゆききしており、お祖母さんが志賀へゆかれる時には、いろいろ大切なものを預けられました。
 その時には自分は死ぬるつもりでなかったので、相当にいろいろなものを預けてゆかれましたが、お祖母さんが教祖さまのところへ出口の後継ぎをたのみにこられたとき、「このさき私にもしものことがありたら、研屋にあずけておいた品を、おまえさんが受取りておきなされ」といわれ、志賀で亡くなられたのであります。
 この遺言がありましたので、教祖さまは綾部にうつられますと研屋を訪ねられましたが、研屋では「そんなものはいっこうに知りませんが」という返事で、お祖母さんの亡くなったのをよいことにしていました。ところが、研屋には姉をお松といい、弟を喜市という息子一人娘一人の子持ちで、親子四人が何不足なしに暮しておりましたが、息子の喜市は大きくなるとばくちにこりだし、放蕩に身をもちくずしてゆきました。
 ここに不思議な因縁の蔓のからみあいと言いますか、先に祖母をだまして志賀にゆかせた喜平の一人息女が研屋の喜市と恋仲になりました。
 相手は極道息子のことであり、喜平が自分の愛娘との関係を「どんなことがありてもやれぬ」というたのは無理もありません。
 しかし二人はどうしてもはなれぬといい、その間に関係ができ娘が妊娠をしましたので、喜平は腹を立てて娘を勘当してしまいました。
 喜平の娘は男の子を産むと、産の肥立ちがわるくて、産児をのこして死んでゆきました。
 それからというものは、研屋の喜市はよけいやけくそになって、ばくちの打ちつづけで、とうとう研屋の家をつぶしてしまいました。
 喜市は、生まれたばかりの児に砂糖湯をこしらえて側においただけで、炬燵の火も消えている床に、おしめもぬれたままで寝かせて、家には戸をしめたまま何日も帰らないことがありました。
 ある時、喜市は打つばくちも打つばくちも敗けつづけて、とうとう質におくものもなくなるまで敗けきって、さりとて死ぬるというわけにもゆかず、しょんぼりと家にかえって、赤ん坊はもう死んだであろうとのぞいてみると、命冥加というものは不思議なもので、パッチリと眼をあけて息をしていました。それから喜平がどうなったかは聞いておりませんが、この子供のことを聞いたのが、川糸の小平であります。
 小平には子供がなかったので、そのかわいそうな子供を抱いてかえり、こしらえ乳で育てましたところ、不思議にもその子供は大きくなることができました。
 私もよく覚えておりますが、私が子供のころ小平の家に遊びにゆきますと、火鉢のそばに、ちょうど灰猫のような顔をして、がりぼしの痩せたすねをだして坐っていたのを思いだします。
 そのころその人は十二、三の年でしたが、後ろからみると五ツ六ツの子供のようで、前にまわると大文字屋のように頭ばかりが大きくて、ギロリと眼をむいた、子供だか、年寄りだかわからないような感じで、それを見るたびに私はおかしゅうて吹きだしてしまいました。
 研屋の末路もこのようなことになりました。
 出口のお祖母さんをいきどおらした喜平の家はその後火事のため屋敷は黒土になりました。その時の喜平の家の火事は、大火事にひろがり、その火元をだした喜平は人々のうらみの的となり、そのころから喜平夫婦は永い病にかかり苦しみはじめました。その病は今でいう胃癌という病でしょう。お腹は減るし食べると腹一面が痛くてたまらず、口には食べたし、食べると苦しむというふうに、四、五年の間に体は衰えて骨と皮とになり、腹ばかり大きくふくれて餓鬼草紙の餓鬼のように苦しみぬいて、そのあげくに息をひきとりました。
 この喜平にたった一人息子がのこっていまして、この息子が家内をもらって子供が七人できましたが、その子供たちはどうしたことか、大きくなると次々に死んでゆきました。
 そのはてに家内にも死なれて、晩年は誰一人身のまわりの世話をしてくれるものもなく、孤涯をかこちつつ七十六のころさみしい死に方をしました。
 この人は私の二十五、六のころまで生きておったので、私もよく知っております。杖をついてよぼよぼとして町にちょいちょい買物にきました。私も困難の時代ではありましたが、わずかでも都合して米をはこんであげ、味噌、醤油を持っていってあげました。人としては別に悪い人ではなかったのですが、親の罪をうけたのであります。
 喜平は後継ぎもなくなり、小平は後継ぎができず、喜平の娘と研屋の息子の因果のより合いから生まれた孤児が以前には福知山に住んでいたということであります。
 こういうことは、悪いことはできないという天からの教えであります。
 ここにもう一つ、研屋の息女の姉のお松のことをつけ加えておきます。
 お松は喜市の極道で、わが家もなくなり、あちらこちらで奉公をして暮しておりました。
 あるところで主人の息子に思いをかけられ、自分も好きになりましたが、昔のこととて、主人も親戚も、召使ごとき者を入れるとは、とばかり承知してもらえず、二人は恋いこがれるあまり、夜のまに手に手をとって京都にのがれました。
 京都では男は時計屋に奉公をし、お松は別のところで女中をするなど苦労をしながらも、逢う瀬を楽しんでいましたが、この男がまたばくちにきょう味をおぼえ、それがこうじて七、八年も懲役にゆくことになりました。
 その男の名はたしか熊さんといったと思いますが、熊さんの刑がすんでお松さんが迎えにいった時、二人は行先きのことを考えると真ッ暗で、困りはて都会ではどうにもならぬので、二人はもとの綾部に帰ろうということになりましたが、旅費もなし、そこで二人が珍妙な道中をして歩いてかえることになりました。
 腹がへってくると、はじめに熊さんが気狂いの真似をして食べもの屋にとび込み、店に売ってあるものをつまみ食いをし、そのあとからお松が走ってゆき「この人は気が狂うているから許して下され」という断わりをいってすまし、熊さんの腹がふくれると、こんどはお松が気狂いになりトットッと行き当たりの饅頭屋などにとび込んで、饅頭のつまみ喰いをし、そんなことをしてとうとう綾部までかえってきたそうです。
 綾部にかえって、裏町に一間をかりていましたが、また熊さんが懲役にゆくということになりました。せっかく恥ずかしい思いをして綾部まで帰ってきたものの、熊さんがひっぱられていった後のお松は途方にくれていましたが、お松は無尽をしてもらい、本町のダイショウカンの家を借り宿屋をはじめました。それが大へん繁昌しまして、熊さんの刑がおわって迎えにゆく時は女中の二、三人も使っている花月という宿屋になっていましたが、そのうち熊さんは女中にきていたお竹という女と深い関係になり、それがため、お松は狂人となり死んでゆきました。
 わたくしは十五のころでありましたが、不思議にもこの花月という宿屋に奉公にゆかせられ、お梅という名で呼ばれていましたので、そのいきさつをよく知っています。
 そのころ私は、お松さんはあれほど苦労してつくった財産と、貞節をつくしてきた夫の熊さんを自分の使うていた女中にとられ、気が狂うて死んでゆくとは、このよしあしを何故に神様はわけなさらないのか、この世というところは訳のわからぬところだと思っておりましたが、いまになって考えてみると、先祖の罪がめぐりめぐりてきたのであると、これはなかなか恐いものであると思っております。
 大きな火事も初めは小さいところの火の粉の飛び火から始まるのであるから、悪いことはどんな小さなことも、つつしまねばなりません。
 今の世は悪いことがズリコする程にいっぱいになっていますが、末法の世もいよいよ済み、みろくの世となるのでありますから、これからはちょっとも悪いことはできませぬ。
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