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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第6編 >第1章 >1 弾圧の動機よみ(新仮名遣い)
文献名3国家改造請願運動の流言よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
備考
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ページ344 目次メモ
OBC B195402c6115
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本文  『西園寺公と政局』(『原田日記』)のなかに大要つぎのような記述がある。

昭和十年一月十一日、松平侯爵が「大本の請願運動」のことに関して、小栗警視総監と面会して以下のやうな報告を得た。まづ第一に、「大本教の請願運動もだんだんやつてゐるやうであるが、東京の機関新聞(人類愛善新聞)を通じて見ると既に三、四十万署名を得たといつてゐる。それは昭和神聖会といふものを通じてやつてゐて、関係方面に手を拡げてゐるやうに見えるが、それはたいしたことはあるまい。それから国家改造断行請願の方も、不穏な個所─たとえば皇族内閣を作るといふところを当局が削らせた。削らせた時には多少憤慨して直接行動に移らふとしたやうな形跡もあったけれども、結局穏やかに収まった。これらについて生産党は両方に関係してゐるやうである。軍部の中にも個人的に関係のあるものもあるやうであるが、軍部が直接云々といふことは確でない。大本教の方の直訴計画も大体は到底実行できまいと思ふ……これら警視庁の調査網の中にあるものはたいして心配はしないが、しかし突発的又は独立的のもの……は実に判らないので苦心してゐる」とのことで、総監の意見としては、「なほ国策に適当な改造を示してやらなければ、なかなか収まらないだらう。で今後出来る国策審議会などでこれができると大変いい、また軍部あたりでも多少期待してゐる」といふ話をしていた。以上が総監の報告の内容である。

 同じ一一日には、当時内大臣秘書官長であった木戸幸一は、松平侯爵邸にゆき「永田軍務局長と三人にて種々時局につき懇談」している。懇談の内容について木戸は、「聴取せる要領左の如し」とつぎのようにかきとめている。「一、上奏請願運動─佐々一蝶(佐々井一晃)の運動にして、大本教と連絡あり。軍部を利用し、地方の聯隊区司令官等を威かしつつあり。一部には直接行動に移らむとせるものあり。一、国策審議会漸次軍部等の希望せる方針に向ひつつあるを喜ぶ。之に期待をかくるを以て是非何等かの成果を挙ぐる様にしたし」。
 ついで一二日朝、原田が後藤内務大巨と話したさい、「内務大臣は、今の国家改造運動─殊に大本教について充分注意してゐるから心配してくれるな」(『原田日記』)と告げたという。そしてこれらのことにつき、一二日朝原田は、松平の話もあわせて元老の西園寺公望に報告している。そこには、上奏請願運動にたいする政界上層部のつよい関心とあわただしい動きが、如実にしめされている。
 大本の請願運動というのは、『杭迫日記』にもみえている。昭和神聖会が賛同者を獲得して、国家改造を請願するとの報告などによるものである。「大本教の方の直訴計画」というのは、出口聖師が一九三四(昭和九)年春ころ、伊豆湯ケ島や横浜の大本関東別院に滞在中、大宮守子(鶴殿男爵夫人)の関係から、熱の米倉別邸において皇族と数回会見し、国家改造には一時的に強力な皇族内閣をつくり、その圧力で断行しなくてはできない、その方法として直訴的なことも考えられる。宮中には大本と関係のある島津元女官長の流れがあり、大宮守子の関係筋からも比較的可能なことという話があったことがもれて想像的につたえられたもので、このことが重臣方面に報告され、後藤内務大臣が「殊に大本教について充分注意しているから心配してくれるな」ということになったものと推測される。
 だが昭和一〇年一月五日、昭和神聖会総本部から、同地方本部・支部、昭和青年会、昭和坤生会の各支部へ通達されたなかに、「改造断行請願運動に対しては、改めて総本部より通知のあるまで積極的に動くことを差控へるべきなり」(『昭和神聖会日記』)とあるところをみると、改造断行請願運動についての動きが皆無であったとはいえない。
 『日本思想問題通信』の政治特報第四輯によると、「大本教の政治的大陰謀」「昭和神聖会を中心に改造断行を目論む」と題する記事か掲載されている。それには出口聖師の経歴から昭和神聖会結成の事情など、虚実をまじえて想像的な報道がなされているが、「伝へられる陰謀計画?」の項には「……現下の風雲に乗じて自己の野望を達成せんとし、そのためには新聞操縦や宗教的教化運動等では到底目的遂行の不可能なるを知り、前述の如く昭和神聖会を結成するに至ったものであるが、最近に於ては里見岸雄氏主宰の国体主義同盟から離脱した一連の青年分子と相結んで、改造断行上奏請願運動なるカンパを起して各方面から注視の的となつてゐる。改請運動に就いては次項に於てその概略を紹介するが、この署名請願運動を通じ昂奮した群衆心理を利用してこれを……にまで進展せしめんとの意図を有し、これが為、×部中央部のファッショ派幕僚たる××××中将、××将軍、XXXX中将、×××大佐等とある種の諒解が成立して居り、請願運動が所期の目的を達し××勃発にまで導けば……奏請して皇族内閣を擁立し、一挙にして国内改造を断行すべき計画が秘められてゐる等と真疑の程は解らないが、こうした怪文書さへ飛ぶに至った。尚該運動には軍予備佐官を以て構成されてゐる大洋会及び民間側からは下中弥三郎、中谷武世、佐々井一晃、金内良輔の諸氏が関係してゐると伝へられる」とのべられている。
 またこの請願運動については「昨(昭和九)年十月以来具体化された運動であって、(イ)強力内閣の樹立(皇族内閣の擁立)、(ロ)生産権及び土地の奉還、(ハ)資本国有並に重要企業の国営、(ニ)国家機関の一元的運用、等を主眼とする国内改造の上奏請願署名運動をなさんとするものであり、この運動の背後には一一・一九事件関係の青年将校や軍部某有力将軍の後援ありと称せられ、上奏請願を口実として或る種の陰謀計画が潜んでゐると伝へられる。而してこのあって、種々の関係上出口氏等は表面に現れてゐないが、改請運動の活動資金は殆んど神聖会から支出されて居り、寧ろ国策研究会の青年諸君は単に「ロボット」的役割を演じてゐるに過ぎないとさへ言はれてゐる。之れがためか、最初にこの運動に参加して来た愛国団体も、該運動の背後に昭和神聖会の野望が潜んで居ることを看取するに及んで、次第にこの運動から離反し……」と報道し、さらに「現在、大本教の政治的別働体として驚怖すべき陰謀計画を進めつゝある昭和神聖会は……」として、地方組織や活動状況を報道している。
 岩淵辰雄の『軍閥の系譜』によると、昭和九年秋の統制派クーデター計画として憲兵隊が収集した「探聞事項」のなかに、同年七月永田軍務局長を中心として国府津会議なるもの(参会者は永田鉄山、山下奉文、田中清、池田純久その他)が開かれ、「……田中が従来指導してゐた国策研究会を通じ、昭和神聖会に働きかけ、上奏請願に導き、改造に伴って戒厳を布き、田中の発案で皇族内閣を組織する計画」を協議したとある。また伊藤正徳も同年一一月ごろ統制派によるクーデター計画が存在したと記している。「上奏請願を口実とした或る種の陰謀計画」とはこの統制派によるクーデター計画のことであり、その主謀者は統制派の軍人であった。『日本思想問題通信』がいうような、「自己の野望を遂行せんとする出口王仁三郎氏の運動」でなかったことはあきらかであり、政界上層部もこうしたデマにおどらされていたとさえいえる。
 しかしそれがデマであれ、このデマのあたえた影響は大きかった。『原田日記』や『木戸日記』をみても当局の狼狽と注視があきらかによみとれるのである。その間の実情について、当時昭和神聖会総本部次長として東京に常駐していた広瀬義邦は、第二次大本事件の第一審公判のさい林逸郎弁護士にあてだ書信のなかで、つぎのようにのべている。

当時ノ諸情報ハ其(上奏請願運動)ノ背後ニ軍部(陸軍省某班某少佐ヲ通ジテ)ト昭和神聖会トガ熱心ナル支持ヲナシ、両者共ニ運動資金ヲ提供スル約契アリ、従ツテ将来該運動ノ発展ハ目覚シキモノアラント伝ヘテ居マシタ。併シ該運動ニ昭和神聖会乃至大本が密接ナル関係アリトノ情報ハ全ク事実無根ノ虚報ナルガ故ニ、私ハ昭和九年十二月末ヨリ同十年正月早々ニ亘ツテ憲兵司令部及同東京本部並ニ警視庁ヲ訪問シテ無関係ナル事実ニ付陳弁スル処ガアリマシタ。処ガ憲兵司令部及同東京本部ニ於テハ何レモ懇意ナ憲兵ナリシ為カ、私ニ対シテ率直ニ「君ガ如何ニ其無関係ナルコトヲ弁解シテモ諸情報ガ悉ク之ヲ確認シテ居ルカラ、当方トシテ君ノ言ヲ其ノ侭ニ信ズルコトガ出来ヌ」ト主張シマシタ。更ニ驚ク可キ事実ハ上奏請願運動ニ関与シタル人士ノ間ニサヘ昭和神聖会ノ支持ヲ事実ナリト確信シテ居タ者ガ尠カラズアツタコトデアリマス。……而シテ警視庁ニ於テハ……直接ニハ何等警視庁ノ当方ニ対スル態度方針ニ付察知スルコトガ出来マセヌデシタ。然ル処間モナク左ノ情報ガ私ニ洩レ伝リマシタ。曰ク「上奏請願運動ガ開始セラルヽヤ警視庁ニ於テハ該運動ノ将来性ヲ極度ニ重大視シ、九年十二月下旬三日間ニ亘ル大協議会ヲ開キ之ガ対策ヲ決シタルガ、其際昭和神聖会ノ弾圧検挙等モ議ニ上リ結局当分成行ヲ監視スルコトニ決定シタ」ト。……而シテ其後憲兵側ニ於テ事実ノ真相判明シテ誤解ガ解消シタル際ニ憲兵ヨリ「今ダカラ話スガ彼ノ当時ハ警視庁ノ狼狽加減ハ傍目ニ寧ロ滑稽ナ程デアツタ」ト笑話ニ洩ラサレタ。

 『日本思想問題通信』の政治特報は、乱れ飛ぶ巷間のデマと事実を混同し、故意に捏造した怪文書といえるのであるが、だが、そうした混同を招いた「時のいたずら」も介在していたことは否定できない。即ち『昭和神聖会日記』の一月二七日の項には、「午後九時半、今里勝雄、河田弘、小野永雄氏同道来訪、広瀬応待、上奏請願運動擁護のため資金尽力方依頼あり十二時過辞去」としるされている。そして翌二八日、彼等はふたたび来訪し「……昨夜の約束の返事を聴きに来る。失望落胆、気の毒なほどなり」とあって、資金の拒絶がなされているのである。ところが二月一五日の同日記には、「一、改請クラブの上奏請願運動の黒幕に神聖会ありとの噂は昨年末より各方面の殆ど定評となりてゐたるに、此度は之れと正反対のデマ放送せらる。即ち改請クラブの請願運動は神聖会の議会進出を快しとせざる軍部が、その牽制策として機密費中より資金を貢ぎて起さしめしものにして、陸軍省調査班田中少佐その任に当ると云ふ。近来神聖会を題材とせるデマ放送者跳梁し、各方面の情報子も五里霧中に彷徨せるものゝ如し」とものべられている。ともかくこの当時の怪文書には、昭和神聖会関係のものがきわめておおかった。それほど昭和神聖会が各方面にあたえたしげきはおおきく、かつその背後には大本信者があるとして活動力・資金等にことかかぬ大団体とみなされていた。しかしこうしたデマのため、一月二一日、皇道会(退役将校と日本農民組合との合流したもの、日本農民組合などの大衆組織とつながりをもっていた点が特徴的であった)は「神聖会の改造断行上奏請願運動とは無関係」を声明し、一月二七日、日本農民組合山梨県連合会も「神聖会の改造請願運動とは無関係」を声明し、二月八日には、明倫会(高級退役将校の有力な右翼団体)が「明倫会は昭和神聖会とは無関係、改造断行請願運動に関係なし」という声明を発表した。これらは改造請願運動を当局側が重大視したため、そのとばっちりをおそれた結果である。
 デマの影響をうけた新日本国民同盟は、一九三四(昭和九)年一二月一五日「同盟を中心としたデマに関する件」の通達を発して、「一、大本教系の昭和神聖会の精鋭分子と同盟の前衛分子が連携し、テロ的行動を通じて一挙に国家改造を断行せんとする計画ができている。二、テロ行動を通じて一挙に国家改造を断行せんとする決死隊が組織されて、それは六班に編成され、各班の指揮者は現役の中尉で……決死隊の隊員は大部分昭和神聖会と同盟の精鋭分子である……。以上はいずれも事実無根にして一笑の価値すらなき噴飯ものである。昭和神聖会の精鋭分子とは何等の連関もない」ことをあきらかにした。つづいて昭和一〇年一月九日に発した指令である「改造断行上奏請願運動に関する同盟の方針」のなかでは、「大本教、昭和神聖会との関係」についてふれ、「最近各方面に流布される怪文書その他のデマに依ると、この上奏請願運動のバックに大本教、昭和神聖会があって総指揮に当っていると共に、ここから莫大な軍資金も支給されてゐるとのことである。現に皇道会、日本農民組合の反対理由もその中心点はここにある。以上の如きデマにつき同盟本部の調査したるところにおいては、主唱発起人、賛成発起人のメンバー中に大本教、昭和神聖会の代表的人物が一人もゐないのは勿論、裏面に於ても大本教、神聖会とは全然無関係であって、莫大な軍資金がでてゐる云々に至つては一つのナンセンス的デマである」と、これらのデマを否定した。新日本国民同盟は昭和九年一〇月以来独自の立場で「国民ノ窮之匡救ニ関スル請願」署名運動を展開していたが、これが前述の改造断行請願運動と混同され、まげてつたえられたものであろう。いずれにしても新日本国民同盟その他の団体は昭和神聖会とのつながりを否定するに懸命であった。
 当時、軍事関係の重工業は発展したが、国内の民需産業は、戦争経済体制への移行のなかで圧迫され、勤労者や中小企業の状態はますます悪化してきた。労働争議件数は一九三(昭和八)年には一八五九件、一九三四年には一八九三件、一九三五年には一八四九件、一九三六年には一九四五件と増加し、小作争議の件数も一九三三年には四〇〇〇件であったのが、一九三五年には六八二四件となっている。じっさいに全国の農村は非常な窮之におちいっていた。そこで昭和神聖会にたいしてもしきりに農村救済の運動が懇請されてきた(五編三章)。東北地方の救済請願はもとより、もっともはげしかった鳥取県救農請願運動にたいしては積極的にこれを応援した。昭和一〇年一月二二日に同請願書(笠井詳利外八〇八五人の署名)を貴衆両院に提出する手続きをあっせんし、さらに島根県の昭和神聖会地方本部にたいし、総本部から「島根県地方本部は島根県下に於ける救農請願運動を極力支援し、所期の目的を達成せしむべく積極的活動をなすべし」との別号指令もだされた(『昭和神聖会日記』)。またそのころ、日本国の「日本」の呼称問題がおこり、一月二八日「我国の名称確定に関する請願」を、頭山満・野間清治・出口王仁三郎・岡実・下村宏・正力松太郎・山田雲峰・若宮卯之助の連名で、貴衆両院議長あてに手続きをおこなった。
 こうした請願運動がたびかさなって、昭和神聖会と「請願運動」とは、きってもきれぬ密接な関係があるよう一般に喧伝されたのである。二月一七日の夕刊「東京民報」は一面をついやして、「昭和神聖会とは? 大本教と国家主義団体の結合─恐るべき実行力」の表題で、請願運動の記事を真偽とりまぜて掲載したが、二月一五日の「錦旗国民新聞」のように、「上奏請願運動のバックには大本教、昭和神聖会が総指揮に当り且つ莫大な軍資金を支給しつつあるとの昨年末来のデマを否定し事実の真相を報道」(『昭和神聖会日記』)した右翼関係の新聞もあった。
 その真相をたしかめるために憲兵隊・警視庁の特高係は、ほとんど毎日のごとく総本部事務所につめかけ、人々の出はいりを厳重に監視した。このことは『昭和神聖会日記』に詳細に記載されている。全国の各地方本部・支部においても同様に、特高係がひんぱんに出入りしてその動きを監視した。
 ここでもまた、軍人・右翼団体に資金が流れでたように疑われている。だが大本には、当時「資金源」となりうるほどの余裕はなく、本部の会計はいつも枯渇している状態であった。したがって、一つの運動を展開することを決定しても、その資金をどこからもとむるかが悩みのたねであった。しかし、そこが大本信仰のつよみで、運動の展開にあたって予算をくまなくても、運動展開の方針と方法とが本部から指示されれば、地方本部や支部は会員・信者によびかけ、会員・信者は自発的に応分な資金を負担して、自弁で活発な運動を展開したのである。ところが内務当局は活発な運動をなしうるからには、資金は潤沢で、他の団体へも流出しているのではないかとうたがったのである。昭和一〇年二月号の「改造」に、おおくの右翼団体が資金難のため活動難におちいっているが、例外として大本と結びついた黒龍会および内田良平をあげ、「かくて大本教とファッショ政党とは共存共栄するのである」(桧木六郎「政党の金欠病時代」)と勝手な推測をのべている。第二次大本事件の直前、北一輝が、二・二六事件の計画をうちあけ、「金を出すか昭和青年会員を貸してくれ」といってきたが、聖師は「金はない、宗教団体が人殺しの手伝いをするわけにはいかん」と答え、はげしい問答のすえ、後日返答することにしてその場をのがれたということが、事件後一般につたえられたが、正面きって資金を要求されたのは、じっさいにはこの程度のものであったと考えられる。
 また、革新軍部が大本に接近してきたのは、満州事変以後、民衆に基盤をもつ大本の勢力をたかく評価し、これを利用することによって、軍部だけの単独の革新行動でなく国民の与望に立つという名目をたてるためであった。しかも青年将校のなかには、大本の皇道精神に共鳴するものがおおかったので、出口聖師はそれら軍人を教化するため接触したもので、不穏な言動にたいしてはつねに軍人をいましめてさえいたのである。
 しかし、こうした意図にかかわらず、『唐沢手記』にもあきらかなように、大本は革新軍部や右翼の資金源とみなされ、これらと結びついた昭和神聖会の活動は、高等政策の立場からは、きわめて危険であると妄断されるにいたったのである。
 さきにものべたように昭和神聖会運動は、治安当局によって、その「宗教的外被」にもかかわらず、民衆的側面を濃厚にふくんだファッショ的運動であるとみなされ、この運動が民衆の現状打開の要求を基盤に国民的規模で展開され、しかもそれが軍部を中心とする急進的ファッショ運動との密接な連携のうえにすすめられていると推断された結果、当局は検挙準備をすすめたと思われる。政府にとって昭和神聖会の母体である大本を潰滅させることは、軍ファッショの、いわば民衆的基盤を除去する側面をもっていた。

〔写真〕
○西園寺公望 後藤文夫 p345
○社会不安を反映して上奏請願署名運動が続発した p347
○みだれとぶ中傷デマ 怪文書…… p349
○農村の危機打開のため昭和神聖会は救農請願運動を強力に支援した p351
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