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文献名1大本七十年史 下巻
文献名2第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術よみ(新仮名遣い)
文献名3八雲琴と大本よみ(新仮名遣い)
著者大本七十年史編纂会・編集
概要
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タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ1259 目次メモ
OBC B195402c8518
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本文  大本祭典の奏楽に八雲琴がはじめてもちいられたのは一九〇九(明治四二)年一一月二二日、綾部にはじめて神殿(旧本殿)が完成したときであって、最初の弾奏者は梅田やすであった(上巻三〇九頁)。
 八雲琴は、一八二〇(文政三)年、愛媛県宇摩郡天満村の兵法家であり医師であった中山琴主が、出雲の天日隅宮にこもって、神律に感じてつくりだしたものに由来するとつたえる。八雲琴の故実をつたえる書によると、「元祖中山氏は、はやくから兵法と、医術の道に志しており、共にその奥儀を究めるには五音六律の微妙な音律をわきまえなくては、ならぬとして、文政三年十月天日隅宮に参寵し、夜もすがら天の沼琴の古をしのびつつ秘琴をかなで神に祈っていたが、夜半八雲山の神風が木々にふれ、竹にそよいで妙なるしらべがおこり、聴き入る程に、その音律の絶妙なるにうたれ神の御託とおぼえて、宇迦の神山の大竹を伐り琴を作り、天地陰陽に比して二絃をすげ、八雲立つ出安八重垣の歌に撥合せたのが、八雲琴の発祥となった」とのべられている。幕末から明治二〇年代ごろまではかなり普及していたが、明治の末期にはほとんどかえりみられなくなっていた。
 今につたえる琴の構造は、今も昔もかわらないが、ただ竹の胴は桐材にかえられた。現在琴の胴に竹の節がきざまれているのは発祥の当時をしのんでのことである。曲は祭典の奏楽(菅掻曲・今様・春の調・五十鈴川・須賀川)ほか新玉・高倉山・岩笛曲・出雲詣等の弾奏曲があり、歌祭・神聖歌劇・節分大祭の潔斎神事・葬祭・霊界物語の拝読などのさいにも弾奏されている。その清澄なしらべには、こころのそこにひびいて、あたりの邪気をはらうものがある。
 大本の祭典に、優雅な八雲琴の弾奏が本格的にとりいれられるようになったのは、一九二四(大正一三)年に田中緒琴(沢二)が綾部へ移住してからである。田中は、一九〇二(明治三五)年岡山県笠岡に生れ、一九一九(大正八)年にはじめて綾部に参拝して大本に入信したが、そのとき綾部で八雲琴の弾奏をきき、それが神事に重要な意義をもつものであることをしって心をうごかされた。帰郷後、自宅のちかくにすんでいた元祖中山琴主の直門である大平直琴に師事して五年間精進をつづけ、一九二三(大正一二)年には二代宗家の村田友琴から皆伝をうけた。そのころ緒琴の弾奏をきいた三代直日にまねかれ、毎月笠岡から出張して直日の八雲琴の指導にあたっていたが、一九二四(大正一三)年綾部に移住するとともに、大本祭典奏楽の奉仕と伶人の指導に専念することになった。緒琴という雅名は、そのころ三代直日が命名しておくったものである。一九六一(昭和三六)年三月、文化財保護委員田辺尚雄の推奨で、貴重な無形文化財として、文化財保護委員会によって記録の作成がおこなわれるにいたった。
 一九四九(昭和二四)年、大本楽天社の発足と同時に八雲琴はその部門にくわえられ、田中を指導者として講習会や研修会をひらいた。こうして本部の各祭典はもちろん、全国各地の本苑・分苑・主会・支部等における祭典に奉仕する伶人が、つぎつぎと養成されていったのである。その後、一九五六(昭和三一)年八月、指導の事務的管理を本部祭務部にうつし、指導員制度をもうけて大祭ごとに講習会がおこなわれている。別に、田中を中心に宮咩会が結成され、宮咩会の名で金沢の北国講堂・東京の水道橋能楽堂等で公開演奏会をひらいている。とくに金沢では日本舞踊の藤間勘菊が賛助出演し、はじめて八雲琴と日本舞踊の一体的演出がおこなわれたことは注目される。

〔写真〕
○八雲琴宗家 田中緒琴 万祥殿 p1259
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