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文献名1その他
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3昭和期年表よみ(新仮名遣い)
著者
概要
備考うろー狭依彦氏作成
タグ データ凡例 データ最終更新日2020-02-15 22:29:26
ページ 目次メモ
OBC Z9025
本文のヒット件数全 1 件/みろく殿=1
本文の文字数6447
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本文 昭和期年表
1927年 昭和2年 57歳 1月 中矢田農園を買収し、大本理想社農園と命名
1927年 昭和2年 57歳 1月 明光社結成。冠句会の月光会と和歌の月明会を合併
1927年 昭和2年 57歳 5月 第一次大本弾圧事件、大赦令により原審破棄免訴
1927年 昭和2年 57歳 8月 『明光』発刊
1927年 昭和2年 57歳 12月 台湾、琉球、奄美に巡教
1928年 昭和3年 58歳 1月14日 喜界島の宮原山訪問
1928年 昭和3年 58歳 3月3日 満五六歳七ヵ月。みろく大祭執行
1928年 昭和3年 58歳 5月 四国巡教
1928年 昭和3年 58歳 7月からにかけ、北陸、東北、北海道、樺太、千島地方巡教(~11月)
1928年 昭和3年 58歳 秋 月宮殿完成
1928年 昭和3年 58歳 12月 神刕別院(日吉津)完成
1928年 昭和3年 58歳 『ふたな日記』『東北日記』刊行
1929年 昭和4年 59歳 4月 「出口王仁三郎作品展」 (金沢、徳島、名古屋、米子、松江……全国各都市で)
1929年 昭和4年 59歳 4月16日 (共産党全国的大検挙)
1929年 昭和4年 59歳 5月26日 信州巡教
1929年 昭和4年 59歳 6月3日 皆神山を訪れる
1929年 昭和4年 59歳 7月 蓮月亭(楽焼制作所)完成
1929年 昭和4年 59歳 夏 みろく踊りを本格化
1929年 昭和4年 59歳 10月12日 王仁三郎夫妻、朝鮮、支那、満州へ巡教
1929年 昭和4年 59歳 『日月日記』刊行
1930年 昭和5年 60歳 3月8日 京都宗教大博覧会(岡崎公園)で大本館を特設
1930年 昭和5年 60歳 3月18日 大祥殿にて「弥勒殿」の大額を揮毫
1930年 昭和5年 60歳 4月 穹天閣(本宮山)完成
1930年 昭和5年 60歳 5月20日 熊山訪問
1930年 昭和5年 60歳 5月25日 『昭和青年』創刊
1930年 昭和5年 60歳 5月27日 前田夕暮来訪
1930年 昭和5年 60歳 『庚午日記』刊行
1931年 昭和6年 61歳 6月 みろく音頭ふきこみ。レコード化
1931年 昭和6年 61歳 8月 更生祭(還暦祝い)
1931年 昭和6年 61歳 8月 歌壇進出100社を越える
1931年 昭和6年 61歳 8月 更生館(作品展示室)完成
1931年 昭和6年 61歳 9月8日 鶴山山頂に石碑(神声碑、教碑、歌碑)建立
1931年 昭和6年 61歳 9月18日 (満州事変)
1931年 昭和6年 61歳 10月18日 (霊界物語口述十周年)天恩郷に昭和青年会本部設置。王仁三郎、会長に
1931年 昭和6年 61歳 秋 (大凶作)
1931年 昭和6年 61歳  台北に別院、ポナペに支部。奉天に別院。満州在理会、回々教シベリア協会などと提携
1931年 昭和6年 61歳  『更生日記』、『花明山』『彗星』『霞の奥』『東の光』『故山の夢』など刊行
1932年 昭和7年 62歳 3月 (満州国樹立)
1932年 昭和7年 62歳 2月 大阪満蒙博に愛善館を特設(4月京都)
1932年 昭和7年 62歳 5月15日 五・一五事件
1932年 昭和7年 62歳 5月 北海道別院に神生歌碑
1932年 昭和7年 62歳 6月18日 ラマ教と提携
1932年 昭和7年 62歳 7月 喜界島に神声歌碑を建立
1932年 昭和7年 62歳 夏 満州各地で出口王仁三郎作品展
1932年 昭和7年 62歳 7月26日 大日本武道宣揚会創立。王仁三郎、総裁に。植芝を会長に
1932年 昭和7年 62歳 7月 天恩郷で航空展
1932年 昭和7年 62歳 10月7日 王仁三郎、昭和青年会分列式で訓示
1932年 昭和7年 62歳 10月30日 大本大祭。挙国更生徹底の大運動を起こす
1932年 昭和7年 62歳 10月31日 鶴山山上にて昭和青年会全国支部旗樹立式
1932年 昭和7年 62歳  『壬申日記』『霧の海』『白童子』『青嵐』刊行
1933年 昭和8年 63歳 2月1日 中之島梓亭(弓場)完成
1933年 昭和8年 63歳 2月4日 節分人型行事中、自ら太鼓を打ち七五三調を五六七調に改め、速佐須良比賣の大神として瀬織津姫の先頭に立ち和知川に
1933年 昭和8年 63歳 3月26日 みろく大祭、国体闡明運動をはじめる
1933年 昭和8年 63歳 3月27日 (日本、国際連盟を脱退)
1933年 昭和8年 63歳 7月 亀岡で防空展を開き、各地へ
1933年 昭和8年 63歳 9月28日 七福神扮装写真撮影
1933年 昭和8年 63歳 10月4日(旧8月15日) 「天祥地瑞」口述開始
1933年 昭和8年 63歳 10月 観音・乙姫・達磨等、国常立尊・豊雲野尊・素盞嗚尊等の扮装写真撮影
1933年 昭和8年 63歳 10月27日(旧09月09日) 神島参拝。大正五年の神島開きから十八年目のこの夜、みろくの大神の神霊を高天閣から月宮殿に遷座
1933年 昭和8年 63歳 11月10日 島根県八雲山山頂の八雲山歌碑除幕式
1933年 昭和8年 63歳 11月25日 天恩郷東光苑に教歌碑、追憶歌碑の二基除幕
1933年 昭和8年 63歳 12月27日 伊豆・関東へ出かける(昭和9年4月16日帰綾)
1933年 昭和8年 63歳  『公孫樹』『浪の音』『山と海』刊行
1934年 昭和9年 64歳 3月8日 人類愛善新聞、3月3日号をもって100万部拡張達成
1934年 昭和9年 64歳 6月3日 『出口王仁三郎全集』(皇道編)第一巻出版
1934年 昭和9年 64歳 7月22日 昭和神聖会発会式を東京九段軍人会館で開催
1934年 昭和9年 64歳 8月23日 穴太瑞泉郷の神聖歌碑除幕式
1934年 昭和9年 64歳 秋 各地の昭和神聖会発会式参加
1934年 昭和9年 64歳 10月1日 『神聖』創刊
1934年 昭和9年 64歳 秋 当局の内偵本格化
1934年 昭和9年 64歳  『出口王仁三郎全集』1~4巻刊行
1935年 昭和10年 65歳 1月 各地の昭和神聖会発会式参加(~3月)
1935年 昭和10年 65歳 2月7日 瑞泉郷の石の宮・神聖神社鎮座祭を臨席のもと、大吹雪の中で執行
1935年 昭和10年 65歳 2月7日  透明殿完成
1935年 昭和10年 65歳 2月27日 天皇機関説排撃運動
1935年 昭和10年 65歳 3月上旬 特高警察、大本文献を極秘裡に調査開始
1935年 昭和10年 65歳 4月 関東から綾部、亀岡に戻る
1935年 昭和10年 65歳 6月5日 万祥殿斧始式
1935年 昭和10年 65歳 7月22日 昭和神聖会結成一周年記念 賛同者800万突破
1935年 昭和10年 65歳 8月11日 万祥殿祭典。敷地に急造の天幕を張り祭典執行。大祥殿にて王仁三郎脚色の第一回神聖歌劇を公演。天之峰火夫の神に扮して出演。三幕四場
1935年 昭和10年 65歳 8月22日 「昭和の七福神」撮影。25日まで
1935年 昭和10年 65歳 9月下旬  長髪や髯を切らせる
1935年 昭和10年 65歳 10月13日 穴太にて十六神将の野外撮影
1935年 昭和10年 65歳 10月27日 大本大祭。長生殿斧始式
1935年 昭和10年 65歳 10月28日 長生殿祭。長生殿敷地で。みろく殿にて第二回神聖歌劇公演
1935年 昭和10年 65歳 10月31日 明光殿にて第一回歌祭り執行
1935年 昭和10年 65歳 11月17日 北陸別院にて地方で最初の歌祭り
1935年 昭和10年 65歳 12月8日 大本第二次弾圧事件。巡教先の松江で検挙される
1935年 昭和10年 65歳 12月  出口家、天恩郷から中矢田農園へ移転を命じられ、八重野、尚江、住之江の三世帯同居
1936年 昭和11年 66歳 1月16日 被疑者65名に対する警察訊問・取調べ開始。王仁三郎の取調べには警部・高橋誠治が担当
1936年 昭和11年 66歳 1月20日 大本の全出版物を発禁
1936年 昭和11年 66歳 1月29日 王仁三郎、京都中立売署より五条署に移され、拷問に
1936年 昭和11年 66歳 2月24日 王仁三郎、検事局に送局される
1936年 昭和11年 66歳 2月26日 (二・二六事件)
1936年 昭和11年 66歳 2月頃 出口日出麿、過酷な取調べにより精神障害に。京都の日赤病院に入院
1936年 昭和11年 66歳 3月9日 夜、栗原白嶺、中立売署獄中で縊死
1936年 昭和11年 66歳 3月11日 六本指で無罪をサインする王仁三郎の写真が撮影された日
1936年 昭和11年 66歳 3月13日 林頼三郎法相、起訴を決裁。王仁三郎と高木鉄男が不敬罪・治安維持法違反、その他は治安維持法違反で、8名がまず起訴。大本関係八団体に解散命令。内務省は大本本部および地方をふくむ全教団建造物強制破却処分を発令
1936年 昭和11年 66歳 3月14日 王仁三郎、五条署から中京区刑務支所(未決監・京都市中京区竹屋町通柳馬場東入菊屋町合一番地)に収容される。予審訊問開始。
1936年 昭和11年 66歳 4月17日 綾部・亀岡の聖地を強制売却
1936年 昭和11年 66歳 5月11日 王仁三郎、山科刑務所未決監に
1936年 昭和11年 66歳 5月11日 綾部・亀岡の神苑破壊(~6月12日)
1936年 昭和11年 66歳 7月2日 出口澄子を中京区刑務支所に
1936年 昭和11年 66歳 9月21日 岩田久太郎、中京刑務支所で獄死
1937年 昭和12年 67歳  山科の未決監在監
1938年 昭和13年 68歳 1月25日 30人の予審終結決定が発表される
1938年 昭和13年 68歳 1月29日 大本弁護団の会合開催。事務所は京都市中京区高倉通丸太町下る赤塚源二郎宅。2月23日から事務開始
1938年 昭和13年 68歳 4月30日 王仁三郎の予審終結決定
1938年 昭和13年 68歳 5月16日 公判準備手続きはじまる
1938年 昭和13年 68歳 8月10日 第一回公判。京都地方裁判所刑事部第一号法廷にて事実審理に。この時、獄中に勾留されていた者は、王仁三郎はじめ三九名
1939年 昭和14年 69歳 7月24日 事実審理終了。第一回公判以来約一年、検挙から三年八カ月
1939年 昭和14年 69歳 8月24日 京都地方裁判所検事局あて、弁護団全員の名前で、証人警察官を偽証罪で告発
1939年 昭和14年 69歳 9月3日 (第二次世界大戦はじまる)
1939年 昭和14年 69歳 10月18日 小野検事による論告。19日に総論。21日求刑
1939年 昭和14年 69歳 11月10日 弁護人弁論。12月20日まで
1940年 昭和15年 70歳 2月29日 第一審判決。京都地方裁判所陪審大法廷で判決。治安維持法違反、不敬罪有罪。王仁三郎の無期懲役の判決、即日控訴
1940年 昭和15年 70歳 4月18日 大阪北区刑務支所へ移送
1940年 昭和15年 70歳 10月16日 第二審(大阪控訴院)公判開始
1941年 昭和16年 71歳 12月8日 (太平洋戦争開始)
1941年 昭和16年 71歳 12月22日 検事論告はじまる
1942年 昭和17年 72歳 2月12日 弁護人弁論。4月16日まで
1942年 昭和17年 72歳 7月31日 第二審判決。治安維持法違反は無罪。不敬罪、出版法違反、新聞紙法違反は有罪
1942年 昭和17年 72歳 8月2日 王仁三郎以下九人、大審院に上告。翌日、検事側も上告
1942年 昭和17年 72歳 8月7日 王仁三郎、澄子、出口伊佐男、保釈出所。6年8ヵ月ぶり。2435日。
1942年 昭和17年 72歳 9月 事件回顧歌「朝嵐」を詠む
1942年 昭和17年 72歳 9月24日 天王平の共同墓地の開祖の墓参り
1942年 昭和17年 72歳 10月19日 穴太に。小幡神社参拝
1943年 昭和18年 73歳 5月 これより『月照山』に収録された歌を詠む
1944年 昭和19年 74歳 6月9日 王仁三郎、兵庫県籠坊温泉に入湯、20日間滞在して29日帰宅
1944年 昭和19年 74歳 6月16日 (マリアナ沖海戦。日本海軍、空母、航空機の大半を失う)
1944年 昭和19年 74歳 7月7日 (サイパン島陥落。日本全土がB29の爆撃圏内)
1944年 昭和19年 74歳 7月18日 (東条内閣総辞職)
1944年 昭和19年 74歳 7月22日 (小磯国昭内閣)(小磯、米内内閣)
1944年 昭和19年 74歳 8月4日 (学童集団疎開はじまる)
1944年 昭和19年 74歳 12月7日 (東海大震災)
1944年 昭和19年 74歳 12月28日 亀岡の佐々木松楽宅で楽焼き開始
1945年 昭和20年 75歳 1月1日 楽茶碗に鳥の一筆画。ゆう薬を塗り、六十個の楽茶碗を焼く
1945年 昭和20年 75歳 2月10日 楽茶碗の他に水指し、杓立て、蓋置き、香炉、香合、皿、菓子鉢、建水湯のみ、神笛、等々を造りはじめる
1945年 昭和20年 75歳 4月4日 (小磯内閣総辞職。7日鈴木内閣成立)
1945年 昭和20年 75歳 8月6日 (広島に世界初の原子爆弾)
1945年 昭和20年 75歳 8月15日 (終戦)王仁三郎「こうならぬとこの神は世に出られぬ」
1945年 昭和20年 75歳 9月8日 大審院判決。上告棄却。治安維持法無罪。不敬罪有罪
1945年 昭和20年 75歳 9月下旬 出口王仁三郎、弁護士団による補償提起を拒否する
1945年 昭和20年 75歳 10月 酵素利用の農業講習会
1945年 昭和20年 75歳 10月17日 大赦令で不敬罪消失
1945年 昭和20年 75歳 10月 綾部、亀岡の土地返還される
1945年 昭和20年 75歳 12月8日 第二次大本事件解決奉告祭
1945年 昭和20年 75歳 12月10日 王仁三郎、綾部を出発、鳥取市外吉岡温泉に入湯へ
1945年 昭和20年 75歳 12月28日 朝日新聞鳥取支局通信員織田正三記者が吉岡温泉に取材に
1945年 昭和20年 75歳 12月30日(日) 「吉岡発言」公表
1946年 昭和21年 76歳 1月1日 (天皇人間宣言)
1946年 昭和21年 76歳 2月7日 愛善苑設立者会合を開き、設立趣意書・定款および役員がきまる
1946年 昭和21年 76歳 3月 茶碗つくり、この月まで。36回3000個
1946年 昭和21年 76歳 5月 出雲、鉢伏山など巡教
1946年 昭和21年 76歳 6月4日 綾部神苑の月山不二の鎮祭
1946年 昭和21年 76歳 6月26日 西本願寺法主大谷光照伯および内室部長、真渓・牧野両顧問来苑、記念撮影後城跡を参観
1946年 昭和21年 76歳 7月中旬 和歌山県熊野地方に巡教
1946年 昭和21年 76歳 8月9日(旧7月12日) 誕生祭。本宮山で祭典
1946年 昭和21年 76歳 8月26日 王仁三郎、脳出血の第1回目の発作
1947年 昭和22年 77歳 1月20日 宗教法人令に基づく宗教法人化。23日教団設立届け
1947年 昭和22年 77歳 4月23日 祖霊社復活
1947年 昭和22年 77歳 8月27日(旧7月12日) 生前最後の聖誕祭・「瑞生祭」
1948年 昭和23年 78歳 1月18日(旧12月8日) 容態急変
1948年 昭和23年 78歳 1月19日 午前7時55分、昇天。76歳5ヵ月

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