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文献名1三鏡
文献名2水鏡よみ(新仮名遣い)
文献名3高熊山に現はれた霊石よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
神の国掲載号1927(昭和2)年11月号 八幡書店版127頁 愛善世界社版77頁 著作集 第五版118頁 第三版118頁 全集396頁 初版108頁
OBC kg096
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本文の文字数1191
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本文  時は昭和二年九月十一日、高熊山に現はれたる霊石について、左の通り仰せられたので御座います。
 此玉は神代の昔、言依別命が高熊山に蔵し埋められたる黄金の玉である。此玉は月界より下つて来たものであつて、其初め南桑の原野位の大きさがあつたのであるが、大地に達する迄に焼盡して小さくなり、其核心にあたるのがこの玉である。天降鉄であるが故に普通の石に比してこの通り重い、ソレ、月の形も現はれて居るであろう、貴重なる宝玉である。此玉が私の手に入ると云ふ事は、重大なる意味があるのであつて、この玉が無かつたために、も一つ仕事が思ふやうにゆかなかつた。もう大丈夫である。大正十二年以来心ひそかに思ひ立つて居て、どうしても成就せなかつた事も、此玉がなかつた為めである。これで成就すると思ふ。与四郎さん(穴太村、斎藤氏)が高熊山の岩窟で見出し、お蘭さん(与四郎氏夫人)に渡し、それを又婆さん(御生母)が私の手に渡したであらう、霊界物語にある通りの順序を経て居るのも面白い。与四郎さんがお蘭さんに手渡しする時、「サアお握りをやろう、いつまでたつても無くならないお握りをやろう、腹が減らないやうにね」と冗談を云ひながら手渡ししたと云ふでは無いか、其言葉も神様からの謎である。兎に角私は此玉を得て喜悦に満ちて居る。総ての事が思ふままになる如意宝珠の玉である。此間の亀石は海から上つたものだ。これは月から下つたものだ。時期だな、次第に宝が集まつて来る。
 因に筆者申す、この宝玉は恰もお握りのやうな形をして居り、黒褐色をした光沢のある重い玉でありまして、其形はお握りと云ふよりも、寧ろ十二夜の月に似て居ます。大きさは大きなお握り位でありまして、隕石ださうで御座います。月明館に持ち帰らるると、二三の人に見せられただけで、直ちに亀石の箱の中に納められて、固く封印を施されて、或所に深く蔵められました。稀代の珍宝と拝察致されます。宇知麿様は「又高姫に呑まれるといけませんから」と冗談とも真面目ともつかず仰有られました。亀石と申すは、徳島県、棚野支部長美馬邦次氏の家に代々伝はつたものを献納されたものでありまして、世にも珍らしいものでありまして、薄緑色の地に茶色の太い筋が入つて居りまして、其筋によつて、亀甲形があざやかに現はれて居ります。聖師様は、これが亀山(即ち亀岡)の霊であると仰せられて秘蔵されて居り、二つ共月宮殿の御神体となるのであると承はつてをります。牛と馬とが持つて来た、面白いと仰有つて居られますが、馬とは美馬氏の事であり、牛とは山本次郎氏の事でありますが山本氏は牛と云ふ号をもつて居られまして、大正日日新聞記者以来、牛さんで通つて居るので本名は知られん方が多い事と存じます。四国から態々持参せられたのは、その牛さんなのでした。又斎藤与四郎氏の養父の名が牛さんと別称されて居たのも不思議な事と思ひます。
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