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文献名1霊界物語 第6巻 霊主体従 巳の巻
文献名2第8篇 五伴緒神よみ(新仮名遣い)いつとものおのかみ
文献名3第46章 若年神〔296〕よみ(新仮名遣い)わかとしのかみ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじある年、御年村の二三の百姓たちが、木陰で話をしていた。大歳神様が黄金山に帰られてから、三五教の教えに必ずしも従わない者多く、それがためか、作物の実りがよくなくなってきた、というのである。そこへ容色端麗な女宣伝使が通りかかった。百姓たちが呼び止めると、女宣伝使は、正に教えを守っていないことが、不作の原因である、と指摘した。そして、傍らの長い草をむしって男根の形を作ると、清めのまじないを行った。すると不思議にも、たちまち田から害虫はいなくなり、稲は青々と繁茂した。百姓たちは喜んだが、いつのまにか女宣伝使は姿を消していた。これは若年神の変化であった。
主な人物 舞台御年村 口述日1922(大正11)年01月24日(旧12月27日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年5月10日 愛善世界社版277頁 八幡書店版第1輯 725頁 修補版 校定版278頁 普及版115頁 初版 ページ備考
OBC rm0646
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本文  三伏の炎暑、酷烈にして火房に坐するがごとく、釜中にあるがごとき中に、御年村田圃の木蔭に四五の農夫、折から吹きくる涼風に身を浴しながら田圃を望みて話に耽り居る。
甲『今年は何といふ変な年だらうね。大歳神様がこの村にお出遊ばしてからといふものは、年々続いた不作もすつかり止んで稲はよく実り、吾々百姓は鼓腹撃壌の有難き世を暮してきたが、あの神様が、黄金山とやらへ帰られてからといふものは、又々不作がつづき、百姓は米を作りながらその米は一粒も口にする事はできず、木の葉を喰つたり木の皮をむいて、やうやう命をつないでゐる。何と悲惨なことだらう。何かこれについては、神様のお気に召さぬ事があるのではあるまいか』
乙『サア、どうかなア、困つたことだ、この稲を見ろ、吾々は目を開けて見られぬぢやないか。去年といひ、今年といひ、せつかく青々と株も茂り葉も延びたと思ふと、田圃一面に稲虫が発生きやがつて、見る間に稲葉はコロリコロリと倒れて、青田はまるで冬の草野のやうに真赤いけに萎れてしまふ。これでは今年もまた結構なお米を頂くことはできはしない。命の親ともいふべきお米の樹が、かう、ベタベタ倒れてしまつては、米喰ふ虫の吾々は何れはこの稲のやうな運命に遇はなければなるまい、アーア』
と吐息を吐く。
丙『それだから俺が毎度いふのだ。御年村の人間は頑迷不霊で物が分らぬから困るのだ。大歳神様が毎度仰有たぢやないか、結構なお米のできるのは皆天道様のお光と、結構な清らかなお水と、お土の御恩だ。百姓は第一この火と水とお土の御恩を忘れたり、火を汚したり、水を汚したり、お土を汚すと、稲に虫がついて一粒もお米は頂けぬから気をつけと仰有つただらう、俺やそれを一日も忘れた事はない。それで俺やその有難い教をいつも守つてをるのだがなア』
乙『そんなら貴様ところの田畑は虫が喰ひさうもないものだ。貴様の田もやはり虫が喰つてゐるぢやないか』
丙『それや時節だよ。時節には神様も叶はぬと仰有るからなア』
乙『貴様が火や水やお土を汚さぬやうにして神様のお気に入るのなら、なぜ貴様のところの田地だけは虫に喰はさぬやうにして、吾が神の教を守るものはこんなものだと、手本を出さつしやりさうなものぢやないか』
丙『俺んとこ一軒なにほど清めたつて、隣の田から移つてくるのだもの仕方がないさ。村中が一同に改心せなくちや、清い者まで巻添へに遇はされて共倒れにならねばならぬ。それで神様は村中一致和合して信心せよとおつしやるのだ』
甲『汚すなといつたつて、百姓してをれば糞や小便を田にやらねばならず、肥料をやらねば稲は大きくならず、収穫は従つて少なく、汚さぬわけにゆきやしない。それは神様も無理といふものぢや』
丙『勿論肥料もやらねばならぬが、それは時による。今肝腎の田を植ゑるときに、糞を撒いたり、小便を撒いたり、田の中で便をしたり、そんな戯けたことをやると、神様は守つては下さらぬのだ。田を植ゑるときは心を清め、体を清潔にし、神様を祭つて、月経などある時はなんぼ忙しくつても、田植の時だけは遠慮をせぬと、その日は神様が守つて下さるのだからなア。間の日はチト汚いものをやつても、お土が吸ふてそれが稲の根に廻つて肥料になるのだ。それにこの頃は田植のときに神様を祭るのでもなく、糞や小便は田の中で肥料になると云つてやりはうだい。おまけに百姓の宝たるべき牛肉を喰つたり、月経の女が入つたりするから、大歳神様も御守護して下さらぬのだ。皆村中の難儀だから各自が心得て欲しいものだ』
と、かく語り合ふ其のところへ、脊は高からず低からず、容色端麗なる女の宣伝使現はれ来たりける。
『命の親を植ゑつける  夏の初の田人等が
 お土を汚し火を汚し  水まで汚して牛の肉
 喰つた報いは眼の当り  見渡すかぎり広野原
 山の木草の蒼々と  茂れる中に田の面は
 冬の荒野の如くなり  嗚呼大歳の神様よ
 百姓の行ひを  立替へさせて世を清め
 年も豊かに実らせて  豊受の国となさしめよ
 埴安彦や埴安の  姫の御心汲みとりて
 百姓と名に負ひし  田人よ心改めよ
 秋の実りのたわたわに  命の親の実は倉に
 膨るるばかり与へかし  膨るるばかり与へかし』
と低声に歌ひつつ、木蔭に憩ふ田人の前を過ぎらむとせり。
 甲は、
『モシモシ』
と呼び留めたるより、宣伝使は立ち留まり
『貴郎はこの村のお百姓と見受けますが、この稲の虫に喰はれて斯くのごとく全滅せむとするのは何と思はれます。大歳神様の御立腹ではありますまいか。百姓の宝を殺して食つた方が、きつとこの村にありませう。この後はさういふ汚れた事をなさらぬやうに心がけられたが宜しからう。私が今禁厭をしてあげますから、今後は決して百姓の宝を喰はないやうにして下さい』
と傍の長き草をむしり男根の形を作り、これを田の水口に祭り、祝詞を奏上したるに、見るみる稲は青々として、霜野のごとき田面はにはかに青原の浪のやうに、稲葉は風にそよぎ、見る間に繁茂してさやさやと音を立つるに至つた。百姓どもは手を拍つて喜んだ。傍を見れば、女の宣伝使は何処へ行つたか、姿が見えなくなりゐたり。これは若年神の変化神なりける。
(大正一一・一・二四 旧大正一〇・一二・二七 加藤明子録)
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