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文献名1霊界物語 第15巻 如意宝珠 寅の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3跋文よみ(新仮名遣い)ばつぶん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ神霊界の状態は、肉体人の住居する世界を似ている。しかしお互いに相見ることはできない。これは神の定めた顕幽の区別の法なのである。現世の人は、精霊界に入ったときに、神の許しを得て、初めて霊界事象を見聞することができるのである。また天人や精霊界の住人は、鎮魂帰神の法によって人間の体を借りて憑依したときに、現界を見聞し、また人に話しかけることができるのである。現界人は、物質的な思考に偏っているので、現界と霊界の相似に惑わされて、死んだ後もまだ生きていると思い込んでしまう者が多いのである。現実界を後にして精霊界に移ることを死と言う。死んだ者は、身魂に属していたものをことごとく霊界に持っていくのである。物質的な形骸は残していくが、死後の生涯に入った後も、同じ形の身体を保つ。しかして、物質的な事物からは分離し純化し、霊的活動を行うのである。精霊界に身をおいても、名位富寿の願いや思索も学術もあり、現世で身に持っていた一切をもって活躍するのである。死によって自己本来の生命は決して失われない。再び現世に生まれてくるのは神の意思によるのだが、その際記憶は一切忘却される。これは刑罰の一種である。一度霊界に復活してから、また娑婆に戻されるのは、不幸の御魂なのである。人は現世にあるときに、五倫五常の道を踏んで、神の御子たる天職を尽くさなければ、中有界に踏み迷ったり、根底の国に落ちたりしてしまう。真の神を信仰し、善と美を尽くして人の本分を力限りに努め、永遠無窮の天国に進んで行く用意を怠らないことである。顕幽一致、生死不二である。生を軽んじ死を重んじることはならず、また生を重んじ死を軽んじてもだめである。刹那刹那に身魂を磨き清めて神界と現実界の万物の大経綸の神業に惟神に尽くすべきである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年11月17日(旧09月29日) 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年12月5日 愛善世界社版300頁 八幡書店版第3輯 391頁 修補版 校定版296頁 普及版136頁 初版 ページ備考
OBC rm159901
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本文  神霊界の状態は  肉体人の住居せる
 世界と万事相似たり  平野山岳丘陵や
 岩石渓谷水に火に  草木の片葉に至るまで
 外形上より見る時は  何等変りし処なし
 されども是等の諸々は  起源を一切霊界に
 採りたる故に天人や  精霊のみの眼に入りて
 肉体人の見るを得ず  形体的の存在は
 自然的起源を保有する  現界人のみ之を見る
 顕幽区別は明かに  神の立てたる法則也
 それ故現世の人々は  霊界事象を見るを得ず
 精霊界に入りし時  神の許しを蒙りて
 詳しく見聞するものぞ  是に反して天人や
 精霊界に入りし者は  また現界や自然界
 事物を見ること不能なり  鎮魂帰神の妙法に
 よりて人間の体を藉り  憑依せし時漸くに
 現界の一部を見聞し  人に対して物語り
 為し遂げらるるものぞかし  如何となれば肉体人の目は
 形体界の光明を  受くるに適し天人や
 精霊の眼は天界の  光明を受くるに適すべく
 造り為されし為ぞかし  而も両者の眼目より
 外面全く相似たり  霊界の性相斯の如く
 造られたるを自然界の  人の会得し能はざるは
 是また止むを得ざるべし  外感上の人々は
 その肉眼に見る所  手足の触覚視覚等に
 取入れ得らるるその外は  容易に信じ得ざるなり
 現界人は斯の如き  事物に基づき思考する
 故に全くその思想  物質的に偏よりて
 霊的ならず霊界と  現実界とのその間に
 如上の如き相似あれば  人は死したる後の身も
 かつて生れし故郷や  離れ来たりし世の中に
 尚も住居する者なりと  誰人とても思ふ可し
 此の故人は死を呼びて  是より彼世の霊界の
 相似の国へ往くと謂ふ。
    ○
 現実界を後にして  精霊界に移る時
 その状態を死と称す  死し行くものは一切の
 身魂に属せし悉を  霊界さして持ちて行く
 物質的の形骸は  腐朽し去れば残すなり
 死後の生涯に入れる時  現実界にありし如
 同じ形の身体を  保ちて何等の相違なく
 打見る所塵身と  霊身に何等の区別なし
 されど其実身体は  既に霊的活動し
 物質的の事物より  分離し純化し清らけく
 霊的事物の相接し  相見る状態は現界の
 相触れ相見る如くなり  精霊界に入りし後も
 凡ての人は現界に  保ちし時の肉体に
 あるものの如思ひ詰め  我身のかつて死去したる
 その消息を忘るなり  精霊界に入りし後も
 人は依然と現界に  ありて感受せる肉的や
 外的感覚保有して  見ること聞くこと言ふことも
 嗅ぐこと味はひ触るること  残らず現世の如くなり
 精霊界に身をおくも  名位寿富の願ひあり
 思索し省み感動し  愛し意識し学術を
 好みしものは読書もし  著述を励む身魂あり
 換言すれば死と言ふは  此より彼に移るのみ
 その身に保てる一切の  事物を到る先々へ
 持ち行き活躍すれば也  故に死すると言ふことは
 物質的の形体の  死滅をいふに過ぎずして
 自己本来の生命を  決して失ふものならず
 再び神の意志に由り  現世に生れ来る時は
 以前の記憶の一切は  忘却さるるものなれど
 こは刑罰の一種にて  如何ともする術はなし
 一度霊界へ復活し  またもや娑婆に生るるは
 神霊界より見る時は  凡て不幸の身魂なり
 人は現世に在る間に  五倫五常の道を踏み
 神を敬ひ世を救ひ  神の御子たる天職を
 竭しおかねば死して後  中有界に踏み迷ひ
 或は根底の地獄道  種々雑多の苦しみを
 受くるものぞと覚悟して  真の神を信仰し
 善を行ひ美を尽し  人の人たる本分を
 力限りに努めつつ  永遠無窮の天国へ
 楽しく上り進み行く  用意を怠ること勿れ
 顕幽一致生死不二  軽生重死も道ならず
 重生軽死亦悪し  刹那々々に身魂を
 研き清めて神界と  現実界の万物の
 大経綸の神業に  尽せよ尽せよ惟神
 神のまにまに述べておく
   大正十一年十一月十七日
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