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文献名1霊界物語 第16巻 如意宝珠 卯の巻
文献名2第2篇 深遠微妙よみ(新仮名遣い)しんえんびみょう
文献名3第16章 神定の地〔606〕よみ(新仮名遣い)しんていのち
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2021-01-28 01:59:43
あらすじ青彦はなおも蜂に刺された苦しさに倒れたままであった。英子姫と亀彦は進みより、天津祝詞、天の数歌で傷を癒した。青彦は感謝の念に堪えず、ひれ伏して礼をする。後ろの森林から聞こえる女の声が、三五教への改心を促すと、青彦はウラナイ教をやめて三五教のために働くことを誓った。悦子姫には、天照大御神が懸っていたのであった。そしてこの場所は、昔この御山に自分が顕現した際に、産釜・産盥と称する天の真名井に禊して、神格を作り上げた旧跡であると明かした。そして、ここに宮殿を造って自分の御霊を祀るようにと告げた。亀彦は、この谷川に身を清めて御舎を造り、神霊を奉祭して天下泰平国土安穏の祈願所と定めます、と答えた。天照大御神は満足の意を表して、高津御倉に昇っていった。三人は大神の神勅を畏みて、谷川に禊して天津祝詞を奏上し、忌鋤、忌斧を作って宮殿を造営し、百日百夜を経て工を終えた。そして天照大御神の神霊を招き奉り、鎮座式を奉仕した。これが伊勢神宮宮殿造営の嚆矢である。これは今の丹後の元伊勢であり、この谷川を宮川と称える。この因縁により、大本開祖は明治三十四年旧三月八日、信徒を引き連れてこの場に禊を修したのであった。産盥、産釜の清水は竜宮館の金明水に注ぎいれられた。次いで明治三十四年旧六月八日、沓島の山頂から大海原に向かって注ぎいれられた。これも天下修斎の大神業の一端と推察せらるるのである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年04月15日(旧03月19日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1922(大正11)年12月25日 愛善世界社版198頁 八幡書店版第3輯 474頁 修補版 校定版203頁 普及版90頁 初版 ページ備考
OBC rm1616
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本文  青彦は身体一面に熊蜂に取つかれ痛みに堪えず、苦しみ悶えつつありき。此体を見るより亀彦、英子姫は常磐木の松の小枝を手折り、青彦が前に進み出で天津祝詞を奏上し、天の数歌を唱へながら左右左と打ち振れば、蜂は忽ち何処ともなく姿を隠し、青彦が身体の苦痛も俄に静まりける。
 青彦は漸く頭を上げ篝火に照し見れば、豈図らむや亀彦、英子姫の二人、吾前に端坐し、一心不乱に吾がために祈願を凝らし居るにぞ、青彦は忽ち大地に両手をつき、
『貴方は三五教の宣伝使、亀彦様、英子姫様で御座いましたか、危き所をお助け下さいまして、お礼の申しやうも御座いませぬ』
と嬉し泣に泣き入る。後の木の茂みより又もや女の声、
『ヤア青彦、汝は金毛九尾の悪狐に魅せられたる高姫の妖言に迷ひ、三五の教を捨ててウラナイ教に陥没したる心弱きデモ宣伝使、汝が心を立直さむと誠の神は今此処に現はれ、汝に誡めの鞭を与へたるぞ、尚改めざるに於ては、今後如何なる災禍汝の身に降らむも計り難し、ヤア亀彦、英子姫大儀々々。汝が至誠至実の言霊に依つて、青彦が危難を救ひたるは天晴功名手柄、此由大神に奏上致さむ』
亀彦『ヤア何れの神様か存じませぬが足はぬ吾々に向つて過分の賞詞、身に余る光栄と存じます、此上は益々粉骨砕身、神国成就の為に努力致しますれば、何卒厚き広き御保護を垂れさせ給はむ事を偏に願ひ奉る』
英子姫『アヽ有難き大神の神示、朝な夕なに慎みて、言心行一致を励み神界のために能ふ限りの活動を致しませう、何卒何卒仁慈の鞭を御加へ下さいまして、妾が弱き信仰を益々強く宇宙大に発揮せしめたまへ』
と合掌する。青彦は涙にくれながら唯何事も得云はず、あな有難し忝なしと又もや大地に平伏するのみ。暗中より又もや女の声、
『汝青彦、心の底より悔い改めて三五教の教を遵奉するや、返答聞かむ』
と呼ばはる声に青彦は起き直り、
『何れの神様か存じませぬが、もう斯うなる上は綺麗薩張とウラナイ教を諦めます。何卒元の如く三五の道にお使ひ下さいますやうに』
 暗中より又もや女神の声、
『吾は天照皇大神なるぞ、其昔此御山に現はれ、産釜、産盥と俗に称する天の真名井に御禊して、神格を作り上げたる我旧蹟なり、汝等宜敷く此処に宮殿を造り、我御霊を祀れ、悦子姫の肉体を借りて此由宣示し置く、夢々疑ふなかれ』
亀彦『委細承知仕りました。之より此谷川に身を清め、大神の美頭の御舎仕へ奉り、神霊を奉斎し、天下太平国土安穏の祈願所と定めまつらむ』
と答ふれば天照大御神嬉しげに打ち笑はせ給ひ、
『亀彦、英子姫、悦子姫三人の神柱に宮殿の造営を一任し置く、サラバ』
と云ふより早く元津御座に帰り給へば、悦子姫は元の肉体に復し三人が前に現はれ、大神の神勅を畏み、改めて谷川に禊し天津祝詞を奏上し、忌鋤、忌斧を造りて宮殿の造営に身心を傾注し、百日百夜を経て全く工を終へ、茲に天照大御神の神霊を招ぎ奉り、鄭重に祭神の鎮座式を奉仕したりける。これ伊勢神宮宮殿造営の嚆矢なり。今は丹後の元伊勢と云ふ、この谷川は是より宮川と称へられたり。
 此因縁により、大本開祖は明治三十四年旧三月の八日、数多の教子を引き連れ、亀彦の名に因みたる上杉の木下亀吉を率ゐ、禊の神業を仰せつけられたるは、最も深き神界の御経綸の在します事と察せらるるなり。又此産盥、産釜の清水は竜宮館の金明水に注ぎ込まれ、次で開祖は数多の教子を率ゐ、明治三十四年旧六月八日、沓島の山上より大海原に向つて打注ぎ給ひたるも、天下修斎の大神業の一端と察し奉るなり。穴賢、穴賢。
(大正一一・四・一五 旧三・一九 加藤明子録)
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