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文献名1霊界物語 第19巻 如意宝珠 午の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(五)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ高天原に復活した人間の霊身は、地上世界に生存していた如くに思想・感情・意識を有している。楽しく神の懐に抱かれて、種々の積極的神業を営むのである。さて人間はどうして現界に肉体をもって生まれてくるのか。高天原の天人は、地上と同様に夫婦の情交を行い霊の子を産む。これを地上の肉体人の息に交えて人間を産ませるのである。人間は神の子・神の宮である。天人夫婦に因縁の深い地上の男女が霊に感じて、胎児を宿すのである。その霊が蒔かれた田畑の良否によって、その子の善悪の発達に、影響を及ぼすことは止むを得ない。せっかくの天からの種子を発育不良にしてしまっては、人生みの神業を完全に遂行することはできなくなり、宇宙の大損害をもたらすのである。人間が現界へ生まれてくる目的は、天国を無限に開くべく、天からその霊体の養成所として降されたのである。数十年の短い肉体的生活を営むためではない。肉体と共にその霊子が発達して、天国の神業に奉仕するためである。そして天国に復活するときには、死という関門を越えて霊界に復活しなければならない。神の方から見れば、生き通しであって、死は皆無なのである。ただし根底の国へ落ちて行く人間の霊魂は非常な苦しみを受ける。人間は未来の世界があることを知らなければ、真の道義を行うことができない。神幽現三界を通じて善悪正邪の勤怠応報が厳然としてある、ということを悟らなければ、人生の本分は尽くされない。天国に住む天人は、地上を去って天国に来る人間を非常に歓待する。だから私は天国を、霊魂の故郷と呼ぶのである。真神は人間が地上でよく発達し、完全な天人となって天国の住民となり、霊的神業に参加することを非常に喜び給うのである。故に人間は、神を信じ愛し、善の行いを励み、本体なる霊魂を完全に発達させ、天津神の御許へ、神の大御宝として還ることができるよう、努力しなければならない。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年12月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1923(大正12)年2月28日 愛善世界社版295頁 八幡書店版第4輯 141頁 修補版 校定版301頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm199901
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本文 一、高天原に復活したる人間の霊身は、地上現実界に生存せし時の如く、思想感情意識等を有して楽しく神の懐に抱かれ、種々の積極的神業を営むことを得るは前に述べた通りである。
 扨て人間は何うして現界に人の肉躰を保ちて生れ来るかと云ふ問題に至つては、如何なる賢哲も的確な解決を与へて居ない。併し是は実に止むを得ない所である。物質的要素を以て捏ね固められたる人間として無限絶対なる精霊界の消息を解釈せむとするのは恰も木に倚りて魚を求め、海底に潜みて焚火の暖を得むとするやうなものである。故に現界人は死後の生涯や霊界の真相を探らむとして、何程奮勉努力した所で到底不可能不成功に終るのは寧ろ当然である。一度神界の特別の許可を得たるものが、無数の霊界を探り来たり、之を現界へその一部分を伝へたものでなくては到底今日の学者の所説は臆測に過ぎないことになつて了ふ。
一、抑も高天原の天国に住む天人即ち人間の昇天せし霊身人は地上と同様に夫婦の情交を行ひ、終に霊の子を産んで是を地上にある肉体人の息に交へて人間を産ましめるものである。故に人は神の子、神の宮といふのである。地上は凡て天国の移写であるから天国に於て天人夫婦が情交を行ひ霊子を地上に蒔き落す時はその因縁の深き地上の男女は忽ち霊に感じ情交を為し胎児を宿すことになる。その胎児は即ち天人の蒔いた霊の子の宿つたものである。その児の善に発達したり悪に落つるのも亦その蒔かれた田畑の良否に依つて幾分かの影響をその児が受けるのは止むを得ない。智愚正邪の区別の付くのも止むを得ない。石の上に蒔かれた種子は決して生えない。又瘠土に蒔かれた種子は肥沃の地に蒔かれた種子に比すれば大変な相違があるものだ。之を思へば人間は造次にも顛沛にも正しき清き温かき優しき美はしき心を持ち、最善の行ひを励まねばならぬ。折角の天よりの種子を発育不良に陥らしめ或は不発生に終らしむるやうなことに成つては、人生みの神業を完全に遂行することは出来なくなつて宇宙の大損害を招くに至るものである。人間が現界へ生れて来る目的は、天国を無限に開く可く天よりその霊体の養成所として降されたものである。決して数十年の短き肉的生活を営むためでは無い。要するに人の肉体と共にその霊子が発達して天国の神業を奉仕するためである。天国に住む天人は是非とも一度人間の肉体内に入りてその霊子を完全に発育せしめ現人同様の霊体を造り上げ、地上の世界に於て善徳を積ませ、完全なる霊体として天上に還らしめむがためである。故に現界人の肉体は天人養成の苗代であり学校であることを悟るべきである。
一、胎児は母体の暗黒な胞衣の中で平和な生活を続け十ケ月の後には母体を離れて現界へ生れ喜怒哀楽の為に生存するものだと言ふことは知らないが、併し生るべき時が充つれば矢張り生れなくてはならぬ如く、人間も亦天国へ復活すべき時が充つれば如何なる方法にても死といふ一つの関門を越えて霊界に復活せなくてはならぬのである。胎児は月充ちて胞衣といふ一つの死骸を遺して生るる如く人間も亦肉体といふ死骸を遺して霊界へ復活即ち生るるのである。故に神の方から見れば生通しであつて死といふ事は皆無である。只々形骸を自己の霊魂が分離した時の状態を死と称するのみで要するに天人と生れし時の胞衣と見れば可いのである。胎児の生るる時の苦みある如く自己の本体が肉体から分離する時にも矢張相当の苦しみはあるものである。併しその間は極めて短いものである。以上は天国へ復活する人の死の状態である。根底の国へ落ちて行く人間の霊魂は非常な苦しみを受けるもので、恰度人間の難産のやうなもので産児の苦痛以上である。中には死産と謂つて死んで生れる胎児のやうに最早浮かぶ瀬が無い無限苦の地獄へ落されて了ふのである。故に人間は未来の世界のある事が判らねば真の道義を行ふことが出来ぬものである。神幽現三界を通じて善悪正邪勤怠の応報が儼然としてあるものと云ふことを覚らねば人生の本分は何うしても尽されないものである。
一、天国に住める天人は地上を去つて天国へ昇り来るべき人間を非常に歓迎し種々の音楽などを奏して待つて居るものである。故に天国を吾人は称して霊魂の故郷と曰ふのである。
 真神即ち主なる神は人間の地上に於て善く発達し完全なる天人となつて天国へ昇り来り天国の住民となつて霊的神業に参加する事を非常に歓び玉ふのである。天国の天人も亦人間が完全な霊体となつて天国へ昇り来り天人の仲間に成ることを大変に歓迎するものである。
 譬へば爰に養魚家があつて大池に鯉の児を一万尾放養し其鯉児が一尾も残らず生育して呉れるのを待つて歓び楽んで居る様なものである。折角一万尾も放養しておいた鯉が一定の年月を経て調べて見ると其鯉の発育悪く満足に発育を遂げたものが百分一に減じ其他は残らず死滅したり、悪人に捕獲されて養主の手に返らないとしたら其養主の失望落胆は思ひやらるるであらう。併し鯉の養主は只物質的の収益を計るためであるが、神様の愛の欲望は到底物質的の欲望に比ぶることは出来ない。故に人間は何処までも神を信じ神を愛し善の行為を励み、その霊魂なる本体をして完全なる発達を遂げしめ、天津神の御許へ神の大御宝として還り得るやうに努力せなくては、人生の本分を全うすることが出来ない而已ならず、神の最も忌みたまふ根底の国へ自ら落行かねばならぬやうになつて了ふのである。
 アヽ惟神霊幸倍坐世。
   大正十一年十二月
(昭和一〇・六・四 王仁校正)
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