文献名1霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻
文献名2後付よみ(新仮名遣い)
文献名3霊の礎(九)よみ(新仮名遣い)たまのいしずえ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ天上世界にも東西南北の方位がある。愛の善徳をそなえた天人は東西に住む。東方は明瞭に、西方はおぼろげに愛を感じる。愛の徳から証覚を得た天人は南北に住む。南方は明瞭に証覚を具えた天人が住み、北方はおぼろげに証覚を備えた天人が住む。主神がいます霊国にある天人と、天国にある天人はみな共に、この順序を守っている。主の霊国は愛の徳である。この徳に依って真光にしたがう度合いにより、天人おのおのに相違があるのである。天の御国における愛は、主神に対する愛である。ここから来る真光は、無上の証覚である。霊国所在の真愛は、公共に対する愛である。これを仁愛(みろく)と称えるのである。仁愛の真の光明は、神に基づく知恵である。この知恵を、信というのである。主神が統轄なし給う高天原の天界は、二つに分かれている。主神のまします天界を霊の国と呼ぶ。天人たちが住居する世界は、天国である。天国の天人は主神を太陽と打ち仰ぎ、霊国の天人は主神を月と打ち仰ぐ。主神が顕現し給うところは、東である。このように、天国では太陽、霊国では月と現れ給うのは、愛と信とを摂受する度合いが異なるためである。愛の善徳は火に応じ、信は光明に応じる。霊国と天国が二つに分かれるゆえんである。天人が現界の太陽と月を見ると、暗く見える。なぜなら、地上における火熱は自愛に相応し、光明はその自愛から招く虚偽に相当するからである。自愛は、主神の愛とまったく相反する。そして自愛から生じる虚偽は、主神が有する神真と正反対なのである。主神が具える神愛神真に逆らうものは、天人の眼には暗く映るのである。天国にある天人は主の神を太陽のように打ち仰ぎ、霊国の天人は月のように打ち仰ぐ。地獄の世界にあるものは、自己と世界のみを愛し、神に逆らうために暗黒迷妄のうちに居り、神に背き主神を後方に捨てておく。これらを鬼霊精霊と称え、地獄の鬼というのである。
主な人物
舞台
口述日1922(大正11)年10月08日(旧08月18日)
口述場所
筆録者松村真澄
校正日
校正場所
初版発行日1924(大正13)年3月3日
愛善世界社版309頁
八幡書店版第7輯 149頁
修補版
校定版321頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rm379901
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