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文献名1霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻
文献名2第1篇 千万無量よみ(新仮名遣い)せんまんむりょう
文献名3第2章 吉崎仙人〔1039〕よみ(新仮名遣い)よしざきせんにん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ淤与岐(於与岐) データ凡例 データ最終更新日2023-06-02 16:56:32
あらすじ丹波何鹿郡東八田村字淤与岐という小さな村がある。大本に因縁深い木花咲耶姫命が祀られている弥仙山のふもとである。ここに吉崎兼吉という不思議な人があって、自ら九十九仙人と称している。彼は七歳のときに白髪異様の老人に山中で出会って様々な神秘を伝えられてから、筆先を書き表して、天のお宮の一の馬場の大神様の命令を受けて、天地の神々に大神の神勅を宣伝するのをもって天職となしていた。家族や近隣からは発狂者とみなされていたが屈せず、二十五六歳のころから郷里を出て口上林村の山奥に入って、木こりをしながら板に神勅を書き表して暮らしていた。その筆先の大要とは、「いよいよ天運循環し、われわれ大自在天派の世界は済んでしまった。これからは綾部の大本へ世を流して、神界の権利を艮の金神に手渡ししなければならない」というものであった。また出口教祖の古き神代からの因縁なども、あらまし書き表してある。上谷の幽斎修行場で、この九十九仙人の精霊が四方春蔵に神懸り、足立正信、四方春蔵と喜楽の三人に神界のことを引き継がなければならないから、至急三人来てくれと依頼文をしたためた。しかし足立と春蔵は、喜楽を出し抜いて自分たちだけが神界の秘術に預かろうと、先に出立してしまった。教祖に相談して、喜楽は二人を追いかけて行くことになった。途中、山番の小屋で足立と春蔵が山番の爺さんと金銭のことでもめているのに追いついた。喜楽はそこに割って入り、山番に山道の修繕費用を渡した。これは、九十九仙人の精霊が山番の爺さんに懸って、三人の心を試していたということが後でわかったのである。足立と春蔵は、喜楽に追いつかれて面食らい、捨て台詞を残して小屋を出ると、さっさと山路を登って行ってしまった。しかし山番の老人は、喜楽に九十九仙人の小屋への近道を教えてくれたので、五六丁も登ると仙人の小屋に着いた。仙人は喜楽を歓暮迎し、神界の秘事を一夜間の間に諄々と説き諭してくれた。それは高熊山の修行で神界から見せられていたことと一致していたので、自分の信念はいよいよ強くなってきた。九十九仙人は、足立と春蔵は大変な野心を起こしたために、神様から足止めをくっているのだと語った。果たして二人は濃霧のために方向を誤り、谷に転落してけがをするなどほうほうの体で山番の老人の小屋に戻って怒鳴りつけられていた。二人は翌日の十一時ごろ、山番の老人の案内でようやく仙人の小屋に現れた。仙人は足立に対して、面部に殺気が現れているから早く惟神の道に立ち返るようにと忠告した。また春蔵に対しては、盤古の霊が守護しているから、大望を捨て、ただちに良心に立ち返って神界に仕えるように、と忠告した。仙人は、時節が到来して自分の役目は今日で終わったので、明日からは人界に下って人場の勤めにしたがって余生を送ることにする、再び訪ねて来てももう話すことは何もない、と言って山奥に姿を没してしまった。三人は帰途に就いたが、四方春蔵は盤古の悪霊に憑依され、喜楽を排斥しようと多くの役員信者を籠絡して計画を立てていたが、一年後にたいへんな神罰をこうむって悶死するに至った。慢心と取違は、実に慎むべきである。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月14日(旧08月24日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年4月3日 愛善世界社版15頁 八幡書店版第7輯 162頁 修補版 校定版15頁 普及版6頁 初版 ページ備考
OBC rm3802
本文のヒット件数全 1 件/惟神の道=1
本文の文字数4830
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本文  丹波何鹿郡東八田村字淤与岐といふ、大本に因縁深き木花咲耶姫命を斎られたる弥仙山のある小さき村に、吉崎兼吉といふ不思議な人があつて、自ら九十九仙人と称してゐる。
 彼は七才の時、白髪異様の老人に山中に出会ひ種々の神秘を伝へられてから、其言行は俄然一変し、日夜木片や竹の端等にて、金釘流の筆先を書きあらはし、天のお宮の一の馬場の大神様の命令を受けて、天地の神々に大神の神勅を宣伝するのを以て一生の天職となし、親族、兄弟、村人よりは発狂者と見做され、一人も相手にする者がない、それにも屈せず、仙人は自分の書く筆先は、現代の訳の分らぬ人間に宣教するのではない、宇宙の神々様に大神の御心を取次ぐのであるから、到底人間の分際として、自分の書いたことが紙一枚だつて、分るべき道理がないのだと云つてゐる。二十五六才の頃から郷里の淤与岐を立出で、口上林村の山奥に忍び入り、平素は樵夫を職業となし、自分一人の食ふ丈のものを働いて拵へ、チツとでも米塩の貯へが出来ると、それが大方なくなるまで、山中の小屋に立こもつて、板の引わつたのに竹の先を叩き潰して拵へた筆で神勅を書きあらはし、日当りのよい場所を選んで、大空を向けて斜に立てて日にさらしておくのである。其仙人の書いた筆先は、大本の教祖のお筆先と対照して見ると、余程面白い連絡がある。其筆先の大要は先づザツと左の通りである。
『今日迄の世界は、吾々邪神等の自由自在、跳梁する世界であつたが、愈天運循環して、吾々大自在天派の世界はモウ済んで了つたから、これからは綾部の大本へ世を流して、神界の一切の権利を、艮の金神に手渡しせなくてはならぬ』
といふ意味の事が沢山に書いてある。又出口教祖の古き神代からの因縁などもあらまし書き現はしてある。
 此九十九仙人の精霊が、上谷の幽斎修行場へ現はれて来て、当年十八才の四方春三に神懸し筆を取らして、
『此世一切の神界の事を、綾部の大本へ引つがねばならぬから、今度みえた霊学の先生と、足立先生、四方春三と三人至急に来て呉れ』
とスラスラと四方の手を通じて依頼文を書いた。そこで喜楽は霊学上の参考の為、一つ研究して見ようと思ひ、其翌日直様、口上林の山奥の仙人の許へ出張する筈であつたのが、折ふし綾部に急用が出来たので、帰らねばならなくなつた。さうしてゐると三日目の正午過に、上谷の修行場から四方祐助といふ老爺サンが慌だしく大本へ飛んで来て、
祐助『上田先生、大変なことが出来ました。今の先足立サンと春三サンが諜し合せ、上田先生にかくれて、九十九仙人に会見に行き、一切の神界の秘術を授けて貰ひ、帰つて来て、上田をアフンとさせてやらう、兎も角十分の神力を受けて居らねば、上田を放り出すことが出来ぬ。これは大秘密だから、決して上田には知らしてはならぬぞ……と云つて、二人があわてて出て行かはりました。あの人達二人が、先生に隠れて勝手に行くといふのは、何れ碌な事ぢやありますまい。又一つ何かよからぬことを企むのでせう。先生、グヅグヅして居つては大変ですから、サアこれから私が口上林の山の口まで御案内致しますから、今から二人の後を追つかけて行つて下さい、サア早よ早よ!』
と急き立てて居る。そこで喜楽は早速教祖に面会して、其報告通りの事を申上げると、教祖は、
『そんなら一時も早う、御苦労乍ら仙人に会うて来て下さい』
と云はれた。祐助爺サンの案内で、口上林の仙人の居るといふ杉山の一里程手前まで送られ、そこから祐助爺サンに地理を詳しく教へられ、袂を分ち、雑草の生ひ茂る羊腸の小路を只一人登つていつた。
 案内も知らぬ草深い峻坂を、一枚の紙に書いた、そそかしい地図を力に辿り辿りつつ、心を先に進んで行つた。半里ばかり登つたと思ふ時に路の傍の林の中に矮小な小屋があつて、其中には何か二三人の話声が聞えて居る。喜楽は聞くともなしに、小屋の傍に佇立して息を休めてゐると、六十余りの年よりの声で、
『一体お前達は神様の御用を致す者であるならば、なぜに世間の義務や人情を知らぬのか、そんなことで如何して衆生済度が出来る、口先計りの誠で、心と行ひが正反対だ。衆生済度所か、自分一人の済度も出来まいぞ。僅かに一銭や二銭の金が惜しいか、口先で甘いことをいうて、信者から金を取ること許り毎日日日考へてゐる神商売人だらう。此老人の労苦に酬ゆることを知らぬか。俺も一旦それ程惜しい金なら要らぬと云うた以上は、仮令此山奥でかつえて死んでもお前達の金は汚らはしい!』
とだんだん声高になつて罵つてゐる。一方の小さい声はよく聞いて見れば、聞覚えのある足立正信氏の声であつた。
足立『オイ爺サン、余り劫託をつくものでない。山路の修繕料をくれと云つたつて、どうしてそれがやれるものか。どこに修繕が出来て居る。道草一本刈つた形跡もなし、土一所動かした気配もないぢやないか。今先も道端の芒で足を此通り切り、高い石に躓いて生爪を起したり、これ丈難儀をして居る旅人に、山路の修繕費をよこせもないものだ。金の有余つた気違ひならいざ知らず、こんな山子のイカサマ爺イの山賊みたいな奴には、淵川へすてる金があつても、勿体なうてやれぬワイ。世間の人間をバカにするにも程があるぞ。お前もよい年しとつて、よい加減に改心をしたら如何だ。乞食のやうな真似をして、何の事だ』
と鼻先でからかつて居る。喜楽はつと其矮屋の入口を見ると、
『私は妻子眷族も親類もない憐な孤独者であります。年は六十七才、此奥山へ通ふ人々の為に、一年中ここに住居して山路を直し、往来のお方の便利をはかつて居る者であります。どうぞ御同情のあるお方は、乞食にやると思うて、一銭でも半銭でも宜しいから、お心持を投げてやつて下さい……世界の慈善者さま……年月日……矮屋主人』
と記してある。右の張札を見て、先程からの小屋の中の争論の理由も略推定することが出来た。喜楽はよい所で足立、四方の両人に出会うたと打喜び、直に其小屋へ、
喜楽『御免下さい』
と声をかけて這入り、爺イサンに、
喜楽『御苦労さまで御座います』
と云つて十銭銀貨一枚を与へた。老人は別に喜んだ顔もせず、喜楽を見て、
老人『ウンよし、大きな顔して通れ』
と只一言を放つたきり、穴のあく程喜楽の顔を見つめて居たが、やがて吾膝をうつて、
『ウンウン』
と何度となく諾いて居た。此老人こそ実に不思議なものである。虚構も修飾もない実際話であるから、此処に読者は注意して貰ひたい。要するに九十九仙人の守護神が、此老人に臨時憑依して、三人の心を試したのであつたと云ふことが後に分つて来たのである。
 足立、四方の両人は、ヨモヤ後追つかけて来まいと思うて居た喜楽の姿が、眼前に現はれたのに一寸面くらつて、
足立『オヽ上田サンですか、只一人で此山路をどこへお越しですか。私は一寸急用で上林の某の宅へ行つて来ますから、マア御ゆるりとここで休まして貰うて結構な御話でも爺イサンから聞かして貰ひなさい。老人の云ふことは身の為になりますぞ』
と捨科白を残し、あわただしく矮屋を立つて、四方と共に山路を登つて行く。
 喜楽はすぐ様後追つかけて行かうとしてゐる時、其老人は袖を引いて、
老人『一寸お待ちなさい、愚老が近路を案内して上げませう』
ときせる煙草を一二服グツと喫み、
老人『サアサアこうお出で』
と先に立ち、老人にも似ず、足も軽々しく仙人の隠れてゐる、杉山の麓の谷川の傍まで送り、
『サア此川を向うへ渡り、右に取つて一二丁進めば、そこが仙人の隠れ場所だ。左様なら……』
と云つたきり、早々帰つて行く。
 喜楽はよく辷る谷川の急流を渡り、樵夫小屋をさして急いだ。五六丁も登つたと思ふ頃、九十九仙人は坂路の中央に立つて待つてゐる。そして喜楽に向ひ、顔色を和げ、さも愉快げに、
仙人『アヽ先生、此山路をはるばるとよく訪ねて来てくれましたなア。マアマアこちらへ来て一服なさい』
と自分の小さい小屋へ案内し、白湯を黒い土瓶から汲んですすめ、いろいろと神界の秘事を一夜間かかつて、諄々と説き諭した。喜楽は高熊山の第一次の修行や、第二回目の修行の時に、神界から見せられてゐた事実を思ひ出し、符節を合すが如きに益々感じ、自分の信念はいよいよ強くなつて来た。
 喜楽は矮屋の老人の親切なる案内に依つて、恙なく九十九仙人の小屋に到着し、いろいろと有益な神界の経綸を聞かされ、非常に満足したが、足立、四方両人の、一日たつてもここへ出て来ぬのに心配し始め、仙人に向つて、
喜楽『両人はキツとここへ訪ねて来る筈だのに、まだ姿を見せぬのは如何なつたのでせう、山奥へでも迷ひ込んで居るのではありますまいか』
と尋ねてみた。仙人は笑つて答へて云ふ。
仙人『アハヽヽヽ、大変な野心を起し、お前さまを出しぬいて、大切なる神秘の鍵を握らうとした、腹の黒い人物だから、今日も到底ここへは来ることが出来ぬやうに、神界から垣をされてゐるのだから、明日の朝になつたら、ヤツとの事で来るであらう。憂慮するには及ばぬ。天のお宮の一の馬場のお父様も、天のお宮の二の馬場のお父様も、天のお宮の三の馬場の国族武蔵吉崎兼吉も、皆お前の体を守り、此神秘を伝へむ為に、彼等両人が居ると邪魔になるから、ワザとに遅れさして居るのだ』
といつて微笑して居る。喜楽は仙人の言を一伍一什聞き終り、余り教祖の筆先に符合せるに驚き、益々神界に対して一大責任の身にかかれることを覚悟し信念はますます堅くなつた。
 一方の二人は喜楽の先を越さうとして、却て山路にふみ迷ひ、濃霧の為に方向を誤り、深い谷底へ転落し、身体の各所にすり傷さへも負ひ、迷ひ迷うて漸く又元の老人の小屋の前に到着し、今度は老人に目が剥けるほど呶鳴りつけられ、ブルブル震ひ乍ら、先の無礼を陳謝し、漸く老人の怒りも解け、老人の好意的案内に依つて、夜の十一時頃漸く杉山の麓の一軒の宿屋に着いた。其夜はそこで一泊し、翌日早朝登山して来たのである。二人は、
『余り心得違を致したから、神界から、お気付をされたと喜楽サンは思はれるか知らぬが、これも何か神様のお仕組でせう』
と負惜みの強い性質とて、表面平気を装うてゐたが、其顔には隠し切れぬやうな不安な血相が見えてゐた。仙人は足立に向ひ厳然として、
仙人『お前の面部には殺気が現はれてゐる。何となく心中不穏だ。一時も早く惟神の道に立帰つて、及ばぬ企図を止めなさい。今改心せなくては身の破滅を招きますぞよ』
と言強く言ひ放ち、又もや四方春三に向ひ、
仙人『お前は盤古の霊が守護して居る。甚面白くない、お前の大望は、丁度猿猴が水の月を捉へむとするやうなものだ。今に改めなくてはキツと身を亡ぼすことが出て来るぞ。今日只今限り良心に立ち復り、一心に真心を以て神界に仕へなさい。さうすれば昔からの霊の深い罪科を赦された上、天晴れ神界の御用に使つて貰へるであらう。併し乍ら今の心では駄目だ。早く改めないと、災忽ち其身に至る凶徴が、お前の顔に現はれて居る。此仙人の云ふことをゆめゆめ疑ふこと勿れ』
ときめつける様に言つた。二人は真青な顔をして一言もよう答へず、体をビリビリと震はせて居た。仙人は更めて言ふ。
仙人『いよいよ時節到来して、自分の役目は今日を以て終りをつげた。明日からは人界へ下つて、人場の勤めに従ひ、余生を送りませう。神場の用は今日で終結だから、再び訪ねて来て貰つても最早駄目だ。左様なら……』
と云ひすて、大鋸を肩にひつかけ、山奥深く其姿を没した限り、出て来ないので、やむを得ず、三人は帰途に就いた。
 これから以後の四方春三は盤古の悪霊に憑依され、邪心日に日に募りて喜楽を排斥し、其後の御用を勤めむと数多の役員信者を籠絡し、いろいろ雑多の計画を立てて居たが、一年たつた後に、仙人の云ふた如く、大変な神罰を蒙りて悶死するに至つた。実に慎むべきは慢心と取違とである。
 惟神霊幸倍坐世。
(大正一一・一〇・一四 旧八・二四 松村真澄録)
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