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文献名1霊界物語 第42巻 舎身活躍 巳の巻
文献名2第1篇 波瀾重畳よみ(新仮名遣い)はらんちょうじょう
文献名3第1章 北光照暗〔1126〕よみ(新仮名遣い)ほっこうしょうあん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2022-12-19 12:01:16
あらすじ北光神は白髯を撫でながら、セーラン王やヤスダラ姫、竜雲たちを集めて神界のご経綸や神示について、綿密な解釈を与えていた。北光神は、神諭は微細なところに至るまで密意が存在しているため、普通の知識や学問の力ではとうてい真に理解されることはない、と説いた。主なる神が大空の雲に乗って来る云々という神示も、『教えの聖場の終期に当たりて、信と愛とまた共に滅ぶる時、救世主は神諭の内意を啓発し、神界の密意を現し給う』ということであると説いた。世知に長けた者たちは、誰が神界を探査してこれらのことを語ることができようか、できるはずがない、と主張する。我(北光神)は常に霊魂を清めて天人と交わり、正しい神諭の理解を天人と相語り合って得たのである。神界から天人と言語を交換することを許され、その真相を天下万民に伝え説き諭すことに努めているのは、無明の世界を照破し、不信の災いを除き去るためである。たとえ神諭に天地が覆る、泥海になる、人間が三分になると示されてあっても、めまいが来るとあっても、これを文字そのままに解すべきものでない。すべて内義的、神界的、心霊的に解すべきものである。そうでなくてはかえって天下に害毒を流布し神慮を悩ませることになる、と厳に説いた。ヤスダラ姫、竜雲その他一同は北光神の教えを聴聞し、感謝の涙に暮れた。北光神は平素の落ち着きにも似ず、セーラン王一同はイルナの城に乗り込んで邪神を言向け和すときが来たと出陣を急がせた。セーラン王は北光神の命を拝承し、決意の歌を歌うと駒にまたがった。一行七人は北光神夫婦に別れを告げ、狼の群れに山路を送られて高照山を降り、イルナの都を指して進んで行く。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年11月14日(旧09月26日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年7月1日 愛善世界社版11頁 八幡書店版第7輯 647頁 修補版 校定版11頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm4201
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本文  神の御稜威も高照山の  堅磐常磐の岩窟に
 天降り坐したる北光彦の  天の目一つ神司
 さしもに猛き獣族まで  伊豆の慈眼に救ひつつ
 瑞の教を遠近に  開かせたまふ尊さよ
 その妻神と現れませる  こころも直なる竹野姫
 朝な夕なの起ふしに  諸の獣族を愛くしみ
 美都の御霊の御教を  体現しますぞ畏けれ
 神の御綱に曳かれつつ  ここに耶須陀羅姫の命
 テルマン国の毘舎の家  シヤールの夫の暴状に
 堪り兼ねたる時もあれ  忠誠無比の下男
 リーダーの誠に助けられ  夜を日に次いで入那国
 蓮の川辺に来る折  右守の司の放ちたる
 数十人の手下等に  取り囲まれて主従は
 進退茲に谷まりし  その一刹那後方より
 声も涼しく宣伝歌  聞え来ると思ふうち
 諸国巡修の竜雲が  此処に現はれ主従が
 危難を救ひ寄手をば  彼方の野辺に追ひ退りぬ
 耶須陀羅姫とリーダーは  危救の恩を謝しながら
 竜雲司に守られて  照山峠の麓まで
 進みて来る折もあれ  三五教の宣伝使
 黄金姫や清照姫の  その一行に邂逅して
 北光神の伝言を  聞きて歓び勇みつつ
 袂を別つ右左  狼巣ぐふ高照の
 深山を指して三人は  膝の栗毛に鞭を打ち
 漸く谷を数越えて  北光神の鎮まれる
 岩窟館に着きにけり  天の目一つ神司
 竹野の姫も歓びて  この珍客を優待しつ
 誠一つの三五の  教を諭す時も時
 黄金姫や清照姫の  貴の命の計らひに
 入那の城主と時めきし  セーラン王はカル、レーブ
 その他の従者と諸共に  駒に鞭打ち出で来り
 又もや不思議の対面に  日頃慕ひし相愛の
 目出度き男女の語り合ひ  実にも割無く見えにける
 北光神は慇懃に  天地の神の経綸を
 心を籠めて宣り伝へ  さしもに寂しき岩窟も
 萎れ切つたる夏草の  白雨に蘇生せし如く
 天国浄土の花咲きぬ  アヽ惟神々々
 御霊幸はへましまして  四十二巻の物語
 車の轍もすらすらと  進ませたまへ世を守る
 畏き神の大前に  謹み敬ひ願ぎ奉る。
 北光の神なる天の目一つの神は白髯を撫でながら、セーラン王や耶須陀羅姫、竜雲その他を集めて、神界の御経綸や神示に就て綿密なる解釈を与へつつあつた。
セーラン『昨日より承はりました世界の終焉に就て、今一応詳細なる説明を御願ひ申上げ度きもので御座ります。瑞の御霊の御神示の中に、世の終りの来る時は其日の患難の後、直ちに日は暗く月は光を失ひ、星は空より墜ち、天の勢ひ震ふべし。其時、人の子の徴天にあらはる。又地上にある諸族は哭き哀しみ、且つ人の子の権威と大なる栄光とを以て天の雲に乗り来るを見む。又その使等を遣はし、ラツパの大なる声を出さしめて、天の彼の極みより此の極みまで、四方より其選ばれし者を集むべし……とあるのは、其言葉の通りに解すれば如何なもので御座りませうか、文字通りに解すべきものとすれば、最後の神の審判と云はれてある世界終焉の時に、是等の恐るべき事件が出現すると見なくてはなりませぬなあ』
『この予言を以て教示の文字通りに解するものは可成沢山あるさうです。是等の人は日月光を失ひ、星は空より墜ち、主なる神の徴天に現はれ、又雲の中よりラツパを持つた天使は、瑞の御霊の救世主と共に、現実的に天より降り給ふものと思考して居るのみならず、見る限りの世界は悉く滅びて、茲に始めて新しき天地の出現を見得らるるものと早合点して居るのである。三五教の宣伝使の中に於ても、此の如く信じて居る人があるやうです。斯の如く信じて居る人は、神諭の微細なる所に至るまで密意の存在しある事を知らないのである。神諭の裡には文字の如く解すべき自然的世間的の事では無くして、心霊的、神界的の秘事を包含されて居る。一文一句のうちにも、一々内義を含ましめむために、悉く相応の理に由りて示諭されてある。故に神諭は、普通の知識や学問の力では、到底真解さるるものでは無い。是即ち神聖なる神諭たる所以である。
 主なる神、大空の雲に乗りて来るとの神示も亦此内義に由つて、解釈すべきものである。
即ち暗くならむといふ日は
 愛の方面より見たる救世主厳の御魂を表はし、
月は信の方面より見たる
 救世主瑞の御魂を表はし、
星は
 善と信との知識又は
 愛と信との知識を表はし、
天上に於ける人の子の徴は
 神真の顕示を表はし、
地上に於て哭き哀まむと云ふ諸族は
 真と善、又は
 信と愛とより来る万事を表はし、
天の雲に乗りて権威と栄光とを以て主即ち救世主の来らむといふのは、
 神諭の中に救世主の現存することを表はし、
 かねて其の黙示を表はし、
雲は
 神諭の文字に顕はれたるを表はし、
栄光は
 神諭の内に潜める意義を表はし、
天人のラツパをもちて、大なる声を出すというてあるのは、
 神真の由りて来るべき天上界を表はしたものである。
この故に救世主の宣へる如上の言葉は、何の意義なるかと云へば、
 教の聖場の終期に当りて
 信と愛とまた共に滅ぶる時
救世主は神諭の内意を啓発し、神界の密意を現はし給ふといふ事である。目下の婆羅門教徒もウラル教徒も亦三五教徒も、殆ど全部知るものなしと謂つても良い位だ。実に宣伝使の職にあるものすら、神諭のわが解釈を否まむとする者計りだ。そして彼等の多くは曰ふ。『何者か、能く神界を探査し来りて、是等の事を語り得るものぞ』と。斯の如き説を主張する者、特に世智に長けたる人々の中に多々あるを見る。其害毒の或は真率純真の人に及ぼし、遂に其信仰の壊乱を来すの恐れあるを歎き、我は常に霊魂を浄めて天人と交はり、之と相語り合うたのである。天人と言語を交換する事、人間界と同様に神界より許されて、親しく天界に起る諸多の事件や地獄の有様をも見ることを許され、神界の真相を天下万民に伝へ示し、説き諭すに努めて居るのは、無明の世界を照破し、不信の災を除き去らむが為である。例へ神諭に天地が覆へると示してあつても、泥海になるとあつても、人間が三分になると示されてあつても、眩舞が来るとあつても、決して之を文字其儘に解すべきものでない。凡て内義的、神界的、心霊的に解すべきものである。さうで無くては、却て天下に大なる害毒を流布し、神慮を悩ませ奉る事になるものである事を承知せなくてならぬと思ふ。併し乍ら、是は北光一家の私言だ。脱線して居るかも知れぬ、アハヽヽヽ』
『御懇篤なる御教示を蒙りまして、吾々も漸くにして迷夢を醒ましました。あゝ惟神霊幸倍坐世』
と感涙に咽ぶ。ヤスダラ姫も竜雲も、其他の一同も息も継がず、北光神の示教を聴聞し、感謝の涙に暮れつつあつた。
『サア サア セーラン王様、ヤスダラ姫様、レーブ、カル殿、是より入那の城に乗り込み、邪神を言向和すべく時を移さず出陣されよ。時遅れては大変だ。黄金姫、清照姫様も待つて居られます』
と平素落着き払つた神に似ず急き立てる。セーラン王は此の言葉に立上り、
『重々の御親切に預かりました。然らば、是より三五教の言霊を以て、悪人を善道に導く首途に際し、神様に宣伝歌を奏上致しませう』
と銀扇を開いて、声も涼しく歌ひ始めた。その歌、
『神が表に現はれて  善神邪神を立別ける
 天地を造りし神直日  霊魂も広き大直日
 只何事も人の世は  神の御旨に任すのみ
 怪しき卑しき人の身の  いかでか正邪を覚り得む
 大黒主の神司  八岐大蛇の表現と
 吾は心に思へども  尊き神の摂理の下に
 弱き身魂を救はむと  邪神と顕現ましまして
 試させ給ふも計られず  他人を悪しと思はずに
 吾身の罪を省みて  日に夜に感謝の生活を
 楽しむならば天地の  神は必ず守るべし
 吾身の罪悪の有様が  写り給ひしものならむ
 あゝ惟神々々  無抵抗主義の御教に
 刃向ふ敵はあらざらめ  あらゆる曲津も醜神も
 大蛇も凡て他にあらず  執着心の雲深き
 穢なき身魂に憑依して  吾身の罪が自ら
 吾身を苦しめ攻むるなり  あゝ惟神々々
 ヤスダラ姫と諸共に  心の駒を立直し
 邪神と悪みしカールチン  テーナの姫は言ふも更
 サマリー姫を憐れみて  吾等に与へし無礼をば
 直日に見直し聞き直し  広き心に宣り直し
 入那の国の民草を  安く楽しく神国の
 花咲く春の歓びに  救ひて天津神国の
 貴の消息や福音を  導き諭し麻柱の
 誠一つの御教に  習はせ上下親しみて
 常世の春を楽しみつ  地上に降りし天国の
 神の柱と仕ふべし  北光神よ竹野姫
 いざいざさらば いざさらば  是よりお暇申し上げ
 入那の都へ堂々と  轡を並べて立帰り
 国人等の心をば  安んじ救ひ大神の
 誠の教を伝ふべし  あゝ惟神々々
 御霊幸はへましませよ』
と歌ひ了り、用意の駒にヒラリと跨がり、一行七人は北光神夫婦に別れを告げ、手綱かいくり、山路を狼の群に送られ、ハイハイハイと駒を警しめながら高照山を降り、入那の都をさして進み行く。
(大正一一・一一・一四 旧九・二六 加藤明子録)
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