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文献名1霊界物語 第47巻 舎身活躍 戌の巻
文献名2第3篇 天国巡覧よみ(新仮名遣い)てんごくじゅんらん
文献名3第21章 跋文〔1254〕よみ(新仮名遣い)ばつぶん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじその一現代人は霊界一切の事物と人間一切の事物との間に一種の相応があることを知らず、また相応がどのようなものであるかを知る者がない。我と世間に執着して天界から遠ざかってしまっているからである。古の宣伝使や信者は、相応に関する知識をもってもっとも重要とみなし、これによって智慧と証覚を得たのである。相応の理を知得して天人の知識を得、思索することなお天人のごとく、またしばしば主神とも相見るを得てその教えを直接に受けた者もたくさんある。自然界は太陽の下にあって熱と光を受ける一切の事物を言う。自然界に属するものはすべて、太陽によって存在を継続するのである。一方、霊界に属するものは天界にある。人間は一小天界にして、また一小世界である。至大なるものを模しているゆえに、人間の中に自然界もあり霊界もあるのである。心性に属して智と意とに関する内分は霊界を作り、肉体に属して感覚と動作に関する外分は、自然界を成す。自然界に属する肉体や感覚や動作が、その存在の源泉を霊界に有する時、すなわちその心性、智力、意力から来るときは、これを相応者という。三五教の宣伝使にして以上の相応の真理を知悉しない者はただの一人も無かった。実に主の神の神格を十分に認識しえたからである。この物語を心にひそめて神の大御心のあるところを会得し、相応の真理を覚り、現界においては万民を善道に救い、死後は天界に上って天人の班に伍して神業に参加されることを希望するものである。その二主神の国土は、目的の国土である。目的とは「用」そのものであるため、主神の国土を称して用の国土ということもできる。主神は神格の始めに宇宙を創造し形成し給うや、はじめは天界においてなし給い、次に世界において至るところ、動作の上・結果の上に用を発揮しようとし給うた。自然界の創造と形成は、天界と同様、種々の度を経て次第をおって、その終局点にまで至らなければ已まない。そのため、自然界事物と霊界事物、世間と天界の相応は、用によって成就する。この用を中に収めるのは、形体である。和合の媒介によって、この形体が、天界と現界において相応をなすのである。自然界に在っては、用のために、用によって造られたものはみな「相応者」である。人間にあっては、神の法則にしたがって生活する、主神に対して愛があり、隣人に対して仁ある限り、その行動は「用の形態」に現れたものなのである。人間は、自然界を霊界に和合せしむるための方便である。すなわち、和合の媒介者となることが、その用なのである。けだし、人間には自然界と霊界と二つの者が備わっているものである。人間は霊的なることにおいて和合の媒介者となるが、もし自然的であるだけならば、媒介者となることはできない。そうはいっても神格の内流は人間の媒介を経なくても、絶えず世間に流れ入り、人間内の世間的事物にも流れてはいる。以上のごとく、神の法則にしたがう者はことごとく、自然界にあって天界に相応している。これと反するものはみな、地獄と相応している。天界に相応するものはみな善と真とに関係があるが、地獄と相応するものはみな、偽りと罪悪に交渉している。霊界が諸々の相応によって自然界と和合しているがゆえに、人は諸々の相応によって天界と交通することができる。人間でありがなら諸相応の知識に住しているときは、その霊的、内的人格において天人と和合しているのである。地上においても最太古の人間は天的人間であって、相応によって思索していた。ただ自然的な思索は方便にすぎなかったのである。太古の人間は天人とたがいに相交わり相語り、天界と世間の和合は、彼らを通して成就していた。これが黄金時代である。次に白銀時代になると、もはや人間は相応そのものから思索するのではなく、相応についての知識によって思索していた。なお天と人との和合はあったが、以前のように親密ではなかった。次に赤銅時代になると、その思索は相応の知識によらなかった。彼らの善徳は自然的のもので、以前のように霊的ではなくなっていた。この時代以後は人間は次第に外的となり、肉体的となり終え、相応の知識も亡びて霊界に関する多くの事項も会得しがたくなってしまった。さらに下って黒鉄時代となった。黒鉄は冷酷な真を表す。善はここに居らない時代である。現代は黒鉄時代を過ぎて泥土世界と堕落し、善も真もその影を没した暗黒無明の地獄である。国祖の神はこのような惨憺たる世界を松の代、三五の代、天国の代に復活せしめようとして不断的に愛善と真信のために御活動あそばしつつある。これを思えば我々は安閑として現代を看過することはできない。一日も早く神の教えに眼をさまし、善のために善を励み、真のために真を照らして空前絶後の神業に参加されることを希望する次第である。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月10日(旧11月24日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年10月6日 愛善世界社版284頁 八幡書店版第8輯 579頁 修補版 校定版297頁 普及版141頁 初版 ページ備考
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本文    その一

一、現代人は霊界一切の事物と、人間一切の事物との間に一種の相応あることを知らず、又相応の何たるを知るものがない。かかる無智の原因には種々あれども、其重なるものは『我』と世間とに執着して自ら霊界殊に天界より遠ざかれるに由るものである。何事をも差し置きて吾と世間とを愛するものは只外的感覚を喜ばし、自己の所欲を遂げしむる所の世間的事物にのみ留意して、曽てその外を顧みず、即ち内的感覚を楽まし心霊を喜ばしむる所の霊的事物に至つては彼等の関心せざる所である。彼等が之を斥くる口実に曰く、『霊的事物は余り高きに過ぎて思想の対境となる能はず』云々。されど古の人なる宣伝使や信者たりしものは、之に反して相応に関する知識を以て一切知識中の最も重要なるものとなし、之に由りて智慧と証覚を得たものである。故に三五教の信者は何れも天界との交通の途を開きて相応の理を知得し、天人の知識を得たものである。即ち天的人間であつた太古の人民は相応の理に基いて思索する事尚天人の如くであつた。之故に古の人は天人と相語るを得たり、又屡主神をも相見るを得て、其教を直接に受けたものも沢山にある。三五教の宣伝使なぞは主の神の直接の教を受けてその心魂を研き、之を天下に宣伝したる次第は此霊界物語を見るも明白である。現代の宣伝使に至つては此知識全く絶滅し、相応の理の何たるかを知るものは宗教各団体を通じて一人も無いと謂つても可い位である。相応の何たるかを知らずしては、霊界に就いて明白なる知識を有するを得ない。斯く霊界の事物に無智なる人間は、又霊界より自然界にする内流の何物たるを知る事は出来ない。又霊的事物の自然的事物に対する関係をすら知る事が出来ない。又霊魂と称する人間の心霊が其身体に及ぼす所の活動や、死後に於ける人間の情態に関して毫も明白なる思想を有する事能はず、故に今何をか相応と云ひ、如何なるものを相応と為すかを説く必要があると思ふ。
 抑全自然界は之を総体の上から見ても、分体の上から見ても、悉く霊界と相応がある。故に何事たりとも自然界にあつて其存在の源泉を霊界に取るものは之を名づけて、其相応者と云ふのである。そして自然界の存在し永続する所以は霊界によること、猶結果が有力因によりて存するが如きを知るべきである。自然界とは太陽の下にありて之より熱と光とを受くる一切の事物を謂ふものなるが故に、之に由りて存在を継続するものは、一として自然界に属せないものはない。されど霊界とは天界のことであり、霊界に属するものは、皆天界にあるものである。人間は一小天界にして又一小世界である。而して共に其至大なるものの形式を模して成るが故に、人間の中に自然界もあり霊界もあるのである。その心性に属して、智と意とに関する内分は霊界を作り、その肉体に属して感覚と動作とに関する外分は自然界を作すのである。故に自然界に在るもの即ち彼の肉体及びその感覚と動作とに属するものにして、その存在の源泉を彼が霊界に有する時は、即ち彼が心性及び其智力と意力とより起り来る時は、之を名づけて相応者と謂ふのである。三五教の宣伝使にして以上相応の真理を知悉せざりしものは只の一人も無かつたのは、実に主の神の神格を充分に認識し得た為であります。願はくは此物語に心を潜めて神の大御心のある所を会得し且つ相応の真理を覚り、現界に於ては万民を善道に救ひ、死後は必ず天界に上り天人の班に相伍して神業に参加せられむことを希望いたします。

   その二

一、主神の国土は目的の国土である。目的とは用そのものである。故に主神の国土を称して用の国土と云うても可なる訳である。用これ目的である。故に主神は神格の始めに宇宙を創造し、形成し給ふや、初めは天界において為し給ひ、次は世界に於て到る処、動作の上即ち結果の上に用を発揮せむとし給うた。種々の度を経、次第を逐うて自然界の終局点に迄も至らなければ已まない。故に自然界事物と霊界事物即ち世間と天界の相応は用に由つて成就することを知り得るのである。この両者を和合せしむるものは即ち用である。そして此用を中に収むる所のものは形体である。此形体を相応となす即ち和合の媒介である。されど其形態にして没交渉なる時は此の如きことなきを知るべしである。自然界にありてその三重の国土中順序に従つて存在するものは、すべて用を収めたる形態である。即ち用のため用に由つて作られたる結果である。故に斯の如き自然界中の諸物は皆相応者である。されど人間にあつては神の法則に従つて生活する限り、即ち主神に対して愛、隣人に対して仁ある限り、かれの行動は用の形態に現はれたものである。これ天界と和合する所の相応である。主神と隣人を愛するといふのは要するに用を遂ぐることである。人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なることである。蓋し人間には自然界と霊界と二つのものは具はつて居るものである。人間はその霊的なることに於て和合の媒介者となるけれども、若し然らずして自然的となれば此の事あるを得ないのである。さはいへ神格の内流は人間の媒介を経ずとも、絶えず世間に流れ入り、また人間内の世間的事物にも流れ入るものである。但しその理性的には入らぬものである。
 凡て神の法則に従ふものは悉く天界に相応すれども、之と反するものは皆地獄と相応するものである。天界に相応するものは皆善と真とに関係があるが、地獄と相応するものは偽りと罪悪に交渉せないものは無いのである。
 霊界は諸々の相応に由つて自然界と和合するが故に、人は諸々の相応によつて天界と交通することを得るものである。在天の天人は人間の如く自然的事物によつて思索せない。人間にして、もし諸相応の知識に住する時は、その心の上にある思想より見て、天人と相伍するものとなすべく、かくして其霊的、内的人格に於て天人と和合せるものである。
 地上に於ける最太古の人間は即ち天的人間であつて、相応そのものに由つて思索し彼等の眼前に横たはれる世間の自然的事物は、彼等天的人間が思索をなす所の方便に過ぎなかつたのである。太古の人間は天人と互に相交はり相語り、天界と世間との和合は彼等を通して成就したのである。これの時代を黄金時代と謂ふのである。次に天界の住民は地上の人間と共に居り人間と交はること朋侶の如くであつた。されど最早此時代の人間は相応そのものより思索せずして、相応の知識よりせるに由つて、尚天と人との和合はあつたけれども、以前の様には親密でなかつた。この時代を白銀時代と曰ふ。又この白銀時代を継いだものは相応は知らぬにはあらざれども、其思索は相応の知識に由らなかつた。故に彼等がをる所の善徳なるものは自然的のものであつて、前時代の人の如く霊的たることを得なかつた。これを赤銅時代と曰つたのである。この時代以後は人間は次第々々に外的となり、遂に肉体的となり了へ、従つて相応の知識なるもの全く地に墜ちて天界の知識悉く亡び、霊界に関する数多の事項も追々と会得し難くなつたのである。又黄金は相応に由つて天国の善を表はし、最太古の人の居りし境遇である。又白銀は霊国の善を表はし中古の人の居りし境遇であつた。赤銅は自然界の善を表はし古の人の居りし境遇である。更に下つて、黒鉄時代を現出した。黒鉄なるものは冷酷なる真を表はし、善はこれに居らない時代である。之を思ふに現今の時代は全く黒鉄時代を過ぎて泥土世界と堕落し、善も真も其影を没して了つた暗黒無明の地獄である。国祖の神は斯の如き惨澹たる世界をして松の代、三五の代、天国の代に復活せしめむとして不断的愛善と信真の為に御活動を遊ばし給ひつつあることを思へば、吾々は安閑としてこの現代を看過することは出来ないのである。天下国家を憂ふるの士は、一日も早く神の教に眼を醒まし、善の為に善を励み、真の為に真を光して、空前絶後の大神業に参加されむことを希望する次第であります。
 あゝ惟神霊幸倍坐世
(因に爰に主神とあるは、太元神を指したのであります)
(大正一二・一・一〇 旧一一・一一・二四 加藤明子録)
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