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文献名1霊界物語 第52巻 真善美愛 卯の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説代用よみ(新仮名遣い)そうせつだいよう
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ桃園天皇の御代に、伏見竹田の里北の入り口に、薬師院と銘打った修験者が現れた。祈祷のために訪れた人の身の上を一々的中させるので、それが有難いと信じ込まれて噂が広まり、繁盛したという。近江の国の百姓直兵衛という者が、年来の眼病で暗室に閉じこもって療養を尽くしたが効験なく、伏見薬師院のことを人づてに聞いて、訪ねることにし、夫婦で旅立った。伏見の薬師院は群衆が集い、直兵衛夫婦は夕暮れてようやく院主に面会することができた。薬師院は、直兵衛の訴えを聞くと、今夜はここに籠るように勧め、その間に自分が直兵衛の星を見て病を見立てようと答えた。その夜の八つ時ごろ、院主は白衣で水垢離し、直兵衛夫婦を座らせて祈りだした。やがて曇りがちの空が晴れ渡り、こうこうと星の光まぶしく、北の方から火団が飛んできて地上に墜落した。直兵衛夫婦は肝をつぶして平伏し様子を見ていると、院主は火団に何事か呪文を唱え、念珠ではっしと撲った。火団は音もなく散乱して消え、中から一羽の白鳩が飛び去った。院主は威儀を正して直兵衛に向かい、あの火団は汝の属星であり、自分の法力によって降して病の根源を調べた。怪しい光があったので、それを祓い取ったのだ、と告げた。そして薬師夢想の霊薬と称するものを渡し、これを塗れば七日の間に回復するであろうと言い渡した。直兵衛は喜んで押し頂き、翌朝慇懃に礼を述べて帰国した。しかし眼病は依然として治らなかった。病気は治らなくても、院主の不可思議な法術呼び物となって薬師院は繁盛していたのである。いずれもバラモン教を守護する魔神の所為であることは言うまでもない。この院主は腕白小僧であったがバラモンの魔神に憑依され、巧みに妖術をもてあそんで一角の祈祷師となり、薬師院快実と名乗って伏見に本拠を構えた。表面には慈悲をまとい、内心は豺狼のごとき野心を蔵し、世の善男善女を欺いたばかりか、禁裏にまで侵入して天下の大事を引き起こそうとしたのである。しかし関白九条直実公のために看破されてついにその身を滅ぼしたという。邪神は常住不断に妖術または種々の方法手段を講じて天下を乱し、世を暗黒界に落とそうと企みつつあるものである。読者はこの霊界物語を十分に心を潜めて熟読されれば、邪神の悪計姦策がいかなるものか、了知されることであろう。一例を挙げて読者の参考に資することにした次第である。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月29日(旧12月13日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年1月28日 愛善世界社版3頁 八幡書店版第9輯 379頁 修補版 校定版3頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm520002
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本文  桃園天皇の御宇、伏見竹田の郷北の入口に、薬師院と銘打つた修験者が現はれた。この者の奇怪なる行ひは端なくも人心を驚かし、遠近聞き伝へ、老若男女の日々門前に群集するもの踵を接して常に市をなし、恰も角力場のやうに雑沓することとなつた。その行術といふは七仏薬師の法と称へ、祈祷者の身の上を語ること一々符節を合する如くに適中するので、医薬の整はない当時のこととて、人々は奇異の思ひをなして、只々有難し有難しと訳もなく信じ、その噂がそれからそれへと拡まり行き、京都からも三里の間を遠しとせず、徒歩々々と竹田に向ふもの引きも切らず繁昌した。その頃、近江国志賀郡石田村の百姓直兵衛と云ふ男が、年来の眼病で左眼が飛び出で、光明の世界から見放されたかの様に、唯一人暗室に閉じ籠り、療養に手を尽して居たが、人の勧めで美濃国間島で名高い眼科医の治療を受けたけれど更に効験なく、家内の愁嘆のみか、親戚の者も気の毒に思ひ、各地の神社仏閣に祈祷などしたが一向に効が見えない。この時或者から伏見薬師院の事を語り聞かされた。直兵衛は心に喜びつつ、わが多年眼病に悩まされ、日に月に痛み加はり、闇から闇へと長の年月を暮して来たので、所詮助かるまいとは思へど、先づ其薬師院とやらへ参り、若し治らぬとあらば愈それ迄と諦め、死して罪障の消滅を図らむと、涙を流し哀れげに語らひながら妻子と共に旅の用意を整へた。庭はまだ薄暗い暁の光を浴びて村を立出で、途中輿を傭ひ、露深き草路を踏み別け、叢にすだく虫の音を聞きながら、急ぎに急いで伏見の薬師院に着き、一刻も早く院主に面会せむとしたが、引き切れない程の群集に妨げられて、暫く台所へ差控へてゐた。其日も早夕映して山の彼方を彩り初めた頃、遉は忙しかつた参詣人も次第に散じたので、直兵衛は左眼を押へて怖る怖る院主の前に進み、
『私は近江国石田在の百姓直兵衛といふもので、当年三十七歳になるのですが、今から六年前、不図したことより左眼を病み、朝夕に痛みは激しくなり増し、此頃は此様に眼球が飛び出し、風に当る事もなりませぬ。何卒奇しき御祈祷が御願ひ申したい。併しこの眼が元のものになるやうとは願ひませぬ。せめて痛みだけなりと止まる様にお願ひ致したく、罷り出でました』
と潜々と涙を流して頼み込んだ。院主は始終を聞きながら、
『如何さまそれは難儀なことであろう。今宵は此処に籠らつしやい。吾に不思議の行術がある。汝が星を見て、その病が治るか治らぬかを答へて上げよう』
と言はれて、直兵衛夫婦はその儘院内に一泊することとなつた。その夜の八つ時と思しき時、院主は白衣姿で井戸側に立つて幾度か水を浴びて後、仏前に灯明を点しつつ、夫婦の者を縁側に跪坐させ置き、呪文高らかに念珠を爪繰り、天の一方を仰いで頻りに祈り出した。やがて今迄雲脚急はしく曇り勝ちの空が拭ふが如く晴れ渡り、煌々たる星の光り眩しく、一陣の風が襟元を襲うたかと思ふ折しも、北の方から一団の火光飛来して地上に墜落し、その音恰も雷霆のそれの如くであつた。夫婦は胆を潰し這はそも如何に、さても不可思議なる現象よと戦慄きつつ縁板の上に平伏して居る。院主はその時彼の火団に向ひ、何事か暫く呪文を唱へ、念珠を揚げて発矢と撲ると、其火団は音もなく散乱して消え失せ、中から一羽の白鳩が鼓翼きして飛び去つた。院主はやがて威儀を正し直兵衛に向ひ、
『汝は最前より一箇の火光団を見たであらう、あれこそ汝の属星ぢや。今わが法力に依つて、汝の属星を降して病の根元を調べしに、如何にも其星には怪しき光があつたから、その光を祓ひ除つてやつたのだ。日ならずして汝の眼病も全快するであらう。是ぞ即ち七仏薬師の加持の奇瑞ぢや。但しここに薬師夢想の霊薬がある。之を一二服与へるから、この薬を一日に二回づつ左眼に塗れば、七日の間には大方不思議のことがあるだらう』
と右の薬を取つて与へた。直兵衛の悦びは一方ならず、幾度か押戴いて納め、翌朝慇懃に礼を述べて帰国した。然しその眼病は依然として治らなかつたけれども、院主の不可思議なる法術が呼びものとなつて薬師院は非常に繁昌した。何れもバラモン教を守護せる魔神の所為なることは言ふまでもないことである。この院主は幼名佐吉といふ小賢しい腕白小僧であつたが、バラモンの魔神に憑依され、巧に妖術を弄びて一角の祈祷師となり了せた後、伏見竹田の郷に本陣を構へて、薬師院快実と名乗り、表面には慈悲忍辱の衣を装ひ、その内心は豺狼の如き野心を蔵し、世の善男善女を欺きしのみか、畏くも禁裡にまで侵入して天下の大事を惹き起さむとし、辛うじて九条関白直実公のために看破せられ、終にその身を滅したるは隠れたる史実である。邪神は常住不断に妖術又は種々の方法手段を講じて、天下を乱し世を暗黒界に堕さむと企みつつあるものである。読者は此霊界物語を充分に心を潜めて熟読せらるれば、今日迄口述せし五十二巻の物語中に於て、邪神の悪計奸策の如何なるものかを了知さるる事でありませう。五十二巻の口述終了に際し、一例を挙げて読者の参考に資する事と致しました。
   大正十二年二月十日 旧十一年十二月廿五日
      於教主殿   王仁識
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